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大そうじへの備え
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ノーム・チョムスキー:チョムスキーの発言も、ネット上に数多く掲載されています。ここで訳出したのは、内容は多少古いのですが、『ペンと剣』での議論と重ねあわせてみるとなかなか面白いと思われる一節です。いわゆる「歴史修正主義者」とは、ナチスによる組織的なユダヤ人の大量虐殺計画はなく、ガス室も実在しなかったと主張し、「ホロコースト」は「神話」であると否定する一群の人々のことですが、そのような主張であっても表現の自由は擁護されねばならないのだろうかという問題についてのチョムスキーの立場が述べられています。 「フォリソン事件」へのわたしのかかわりを扱った 『ニューヨーク・タイムズ』の記事には、「デミタスカップの中のフランス旋風」 という見出しがついていた。その意図が、これらの出来事は「コップの中の嵐」と呼ぶほどの値打ちもないということを暗示することにあるのなら、わたしも大いに賛成である。しかし、ヨーロ
いちばん憂鬱になるのは、世界の中でアメリカが果たしている役割を理解することや、アメリカの東西両海岸(これが長い間、平均的アメリカ人の意識からアメリカ以外の世界をはなはだしく遠ざけ、事実上消滅させてきた)の向こう側にある複雑な現実へのアメリカの直接の関与を理解するためには、ほとんど時間が割かれていないことである。このような状況では、たいていの人々は「アメリカ」は眠れる巨人であると思い込み、じつはイスラーム圏のあらゆるところでほぼ間断なく戦争や紛争をひき起こしている超大国であるという事実には気づかないだろう。ウサマ・ビンラディンの名前と顔は、アメリカ人にはもう何も感じなくなるほどおなじみになっており、その結果として、彼や謎につつまれたその信奉者たちがこれまで何をしてきたかという歴史(彼らは二〇年前アフガニスタンにおいて、アメリカがソ連に仕掛けた「ジハード」に義勇兵として志願してきた重宝な駒だっ
チョムスキーがパレスチナについてかなりつっこんだ質問に答えている記事(Q&Aを編集したもの)です。 ジュネーヴ合意の是非から始まって、帰還権、一国解決案、バイナショナリズム、ガザの破壊とヤーシーン暗殺の意図など、トピックスはきわめて的を得たもので、質問者たちの切り込みもかなりするどく、ちょっとはらはらするような展開です。インタヴューという形式もあるのでしょうが、けっこう危うい表現だと感じるところもあります。チョムスキーは中東について大著を著していますが、その主眼はあくまでもアメリカの影響力におかれていて、アメリカやイスラエルの政策についての分析は非常に詳しいけれども、パレスチナ側の自律的な運動についての認識が乏しく、とくにPLOの理想には冷淡です。このインタヴューでも、どうやらPLOは「民主的な世俗国家」をめざすものとは理解されていないようです。ISMやPNIなども無視されている。 まあ
オスロ合意とは1993年9月、イスラエルがはじめてパレスチナ解放機構(PLO)をパレスチナを代表する交渉当事者と認めて和平にむけた枠組みを直接交渉で取り決めたもので、①イスラエルとPLOの相互承認の交換書簡と、②イスラエルが占領する地域に5年間のパレスチナ暫定自治期間をもうけ、そのあいだに最終的な返還条件を決める交渉を行なうという「暫定自治の取り決めについての原則宣言」からなる。 交換書簡では、アラファートPLO議長がイスラエルの生存権を認め、テロ戦術を放棄して平和的な紛争解決をめざすことを表明し、ラビン・イスラエル首相はPLOをパレスチナ人の正式代表として認め、交渉を開始する意思を表明した。「原則宣言」では「5年を超えない移行期間のあいだに、ヨルダン川西岸地区とガザに暫定自治政府をつくり、国連安保理決議242および338(イスラエルの占領地からの全面撤退を要求)に基づく恒久解決に至る」と
「蜂起は決して道徳的状態ではないが、しかしそれは共和国というものの 永久的状態でなければならない。」 ――サド 「フランス人よ、共和主義者たらんとすればいま一歩の努力だ」 「郊外蜂起」以前/以後 2005年10月27日から11月半ばまでつづいた、ブーナ・トラオレとジエド・ベンナという「フランス人」少年の痛ましい死を発端としたフランスの「郊外蜂起」。これに対するフランス政府の対応のうちには、自らの過去に対する無感覚さが認められた。なぜならば、植民地主義の遺産たる移民を出自とする者たちが多く住まう「郊外」に、アルジェリア独立戦争に由来する「非常事態令」を適用したのであるから。 その後もフランスでは、シオニスト知識人にして「新反動家」であるアラン・フィンケルクロートがこの「郊外蜂起」を巡り11月17日付のイスラエルの日刊紙『ハアレツ』紙上でおこなった人種主義発言(「民族・宗教的特徴を有する反乱
サイードのお葬式には、親友バレンボイムがピアノを演奏し、娘さんが父のお気に入りだったというコンスタンティノス・カヴァフィス(1863-1933)の詩 “Waiting for the Barbarians”を朗読なさったそうです。 この詩は中井久夫さんが翻訳なさっていて(『カヴァフィス全詩集』)、吉新さんがそのことを教えてくださると同時にテキストファイルにしたものを送ってくださいました。なかなかの名訳で、内容にも味わい深いものがあります。そこで皆さんにも転送します。(転載するときには必ず書籍名、中井久夫さん、みすず書房の名前を入れてください)。 野蛮人を待つ Waiting for the Barbarians (KABΦH 1904) 中井久夫訳、『カヴァフィス全作品集』(みすず書房) 「市場に集まり 何を待つのか?」 「今日 野蛮人が来る」 「元老院はなぜ何もしないのか?
サイードが亡くなる数ヶ月前に書きあげた『オリエンタリズム』新版のための序文です。ちょうどこれを訳しかけていたところに訃報がはいりました。そのため月刊「みすず」(2003年11月号)に追悼として掲載されることになりました。 ほぼ最後の仕事になったのが,『オリエンタリズム』をあらためて振り返る(一度「再訪」しているので、二度目になりますが)ことであったというのは感慨深いものがあります。最後が近いことを知っていたような書き出しからしても、自分が生涯を通して追求し、訴えようとしたことを最終的に総括しているという感じで、感慨深いものがあります。9.11からイラク侵略へという展開のなかでアメリカ自身の民主主義の破綻が世界に露呈するなかで、オリエントの表象をめぐる認識領域の問題点とその政治的な含有、帝国主義への知識階級の奉仕という従来からの問題提起を今現在おこりつつある事態とを縦横に絡ませて再確認しな
★ もうかれこれ二年越しにくすぶっている問題です。早尾さんとはメールで話し合いましたが、ことばがかみ合わず、解決には至りませんでした。この件についてはもう何も望むことはありませんが、事情を伏せたままにしておくと、今後、いろんなところでバッティングして、いやな雰囲気になって誤解を招きそうなので、公開することにしました。次の二つの訳文をみていただければ、問題は明白だと思います→ 「アメリカの思想」と「先のことを考える」 (2003年11月15日) 早尾貴紀さんへ 『現代思想2002年6月臨時増刊号』に早尾貴紀訳として掲載されたエドワード・サイードのエッセイ「アメリカを考える」は、同年3月5日にわたくしが自分のウェッブサイトに公開し、同時に早尾さんを含む多数のみなさまに「更新通知」としてEメール送付させていただいた拙訳と酷似していました。そのようなものを私になんの断りもなく、また私の訳を参照し
「議論が不在であるがゆえに暴力への訴えがなされるのです。」イスラエル人である『ルート181』の共同監督エイアル・シヴァンは、彼の作品がプログラムから外されたことに関してふたたび触れ、そうされるに到ったさまざまな理由を分析した。 ――文化大臣とポンピドゥー・センターが下した〔上映回数削減の〕決定をどう解釈されますか。 エイアル・シヴァン ヒステリーのうちに下された決定はつじつまの合わないものでしかありえないと思います。そうした決定は妥協に甘んずることにしかならないのですから。何をなせば正義にかなうことなのかということを自問することもなく、皆を満足させているというわけなのです。 物事をきちんと考えることに時間を費やすこともせずに、ジョルジュ・ポンピドゥー・センターのトップは騒ぎをエスカレートさせるという方針を取りました。それはごく単純にいって、非合理的な事柄が物事をきちんと考える行為に勝ったと
昨年パレスチナを訪問した折、同行メンバーにデヴィという若いユダヤ系アメリカ人の舞台女優がいました。デヴィは反シオニストですが、そのお父さんはホロコーストの生き残りで、いったんはイスラエルに移民したけれど後にアメリカに移ったのだそうです。もともと彼はシオニストではなかったのですが、第二次大戦後のヨーロッパのすさまじい窮状では、イスラエルに移民する以外に選択の余地などなかったらしい。大戦後に大量のユダヤ人難民がパレスチナに移住しましたが、民族の故郷に「帰還」してユダヤ国家の建設に邁進するというプロパガンダとは裏腹に、この人たちは必ずしもそれを望んでいたわけではなかったようです。行き場のない難民たちが、現地アラブ人との紛争を抱える土地にいやいやながら送り込まれたというデヴィの話は、ずっと心にひっかかっていました。この事情を詳しく説明する興味深い本を見つけたので紹介します。 Yosef Grodz
フランス郊外の移民スラムの若者の暴動は、アルジェリア独立戦争を彷彿とさせるような非常事態宣言と外出禁止令の発動によって今のところは沈静化しているようですが、今後の展開は予想できません。ロバート・フィスクは、今回の暴動とアルジェリア戦争との継続性を指摘して、被害に遭っている地域はじつはフランス人下層中産階級の住む地域で、かつての「ピエ・ノワール」(アルジェリア生まれのヨーロッパ移民の子孫)が多く移り住んでいるところであり、彼らの車にアラブ系移民の子孫たちが放火しているととらえることもできると言っています。(このインタビューの後で映画「アルジェの戦い」の一部も観ることができるので、動画がお勧め) それはともかく、ダグ・アイルランドのブログに掲載された下の記事は、わりと早め時期に暴動の背景にある北アフリカからのアラブ系移民の二世、三世が置かれている状況を具体的に伝えていたので参考になりました。
今日のイスラエルのユダヤ人のなかには「ポスト・シオニズム」について率直に語る人々もいる。イスラエルの50年の歴史を経て、古典的なシオニズムはパレスチナ人の存在を解決することも、ユダヤ人だけが存在する状態をもたらすこともなかった。 いまや、この土地を共有することについて語りはじめる以外に道はないと思う。わたしたちを無理やり一緒にしたこの土地で、すべての市民が平等の権利を持つ、真に民主的な方法で、共存することについて。 両方の民、2つの受難の共同体が、両者の存在は永続的な事実であり、ありのままにそれを受け止めて対処しなければならないと決意しない限り、和解はありえない。 これはユダヤ人がユダヤ的な生き方をすることを制限するものではないし、パレスチナのアラブ人が彼らの願望や政治的な存在を放棄することを意味するものでもない。 それどころか、これは両方の民が主権を持つことを意味する。 けれどもそれは
ブラックフェミニストとして注目されているベル・フックスもまた、メディアによって再生産される人種およびジェンダーのステレオタイプについて辛辣な批判を行っています。以下は、「Vibe」マガジンに掲載された、ケヴィン・パウエルによるインタビューの一部です。 一見しただけでは、穏やかな口調で話すベル・フックス博士(グロリア・ワトキンス)からはハードコアという印象は受けない。そのペンネームのつけ方さえも、むしろ小心さを表わしているような感じがする。だが、実のところベル・フックスはハードコアだ。彼女はこの17年間に14冊の本を書いた(うちArt on My Mind: Visual PoliticsとKilling Rage: Ending Racismの2冊は95年の新刊)。そのいずれもが、大胆極まりない内容である。どんなテーマについてもお茶を濁すようなまねはせず、脳天を直撃するようなこの人の主張の
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