ニヒリズムを超えて はらぴょん (講演日2003年8月15日) (1)極私的三島論 三島が『潮騒』で試みたことは、肉体美と精神の均衡のとれたヘレニズムの世界を、日本の風景に移植することであり、ギリシア神話の世界の再現であった。 三島がポディビルや剣道で、肉体を改造しようとしたのも、肉体美と精神の均衡をめざしたからである。 しかし、その過剰な情熱は、おそらく彼の内部にひ弱で、脆弱な部分があったからではないだろうか。三島は太宰治が嫌いだったということで、あのようなひ弱さは乾布摩擦で直ると豪語していたということだが、三島の鉄のような筋肉の下には、太宰的な弱さが隠蔽されていると推察される。つまり、三島が太宰を嫌ったのは自己嫌悪ではなかったか、ということである。自分がひた隠しにしている部分を、太宰は恥ずかしげもなく、開けっぴろげにしている。それを思うと三島は、太宰的なものに顔を背けたくなったのではな