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「小直衣」 は、将軍 (征夷大将軍) のみ着用可。 「狩衣」 は、四位以上の服。生地は絹 (紗) で文様柄有り。色は不定。インナーは白絹。 「直垂」 は、侍従以上の服。生地は絹 (精好織り)。色は紫 ・紅以外は不定。インナーは白絹。 「大紋」 は、旗下の内、五位の服。生地は麻。色は何でも。家紋を付ける。インナーは熨斗目 (のしめ)。 「布衣」 は、無位で将軍お目見え以上の服。生地は麻。色は不定。インナーは熨斗目。形は狩衣で紋無し。 「素襖」 は、平士 (並の侍) の服。色は不定。インナーは熨斗目。 * 精好 (せいごう) 織りは、絹織物で緻密、精巧で美麗な生地。 * 熨斗目は、生地は無地の練貫、袖の下部分と腰部分に格子縞や横縞を織り出した小袖。 * 素襖は侍烏帽子で、他は折烏帽子。 布衣は 「ほい」 と読みます。
安土・桃山時代の衣装 Maccafushigi 分裂国家郡を中央集権国家にまとめ上げた信長 ・秀吉、安土 ・桃山時代の豪華絢爛な時代の衣装です。
先ず、ここで 「女性の髪型」 について確認しなければなりません。 日本におきましては古来より、女性の髪型は 「垂髪 (さげがみ)」 でした。 「七十一番職人歌合の絵を見るに、商家産業の女も、皆下げ髪なるに、機織る女のみ、肩のわたりに 髷 (わげ)に結へり。是によりて思ふに、下ざまの者は、下げ髪にては身持ちむづかしく、手業なすにも 便りあしければ、仮に結ひ、又は布めくものにて包みしが、いつとなく頭の上にて結へる様になりしならむ。」
藍色は江戸全般、茶色は江戸中期から、鼠色 (男性に人気) は主に文化 (1804年~)・文政から。 藍○○、○○納戸、○○茶、○○鼠のオンパレードです。色味を無視しての色命名も数多く有ります。 藍茶、藍鼠、茶鼠、互いにフュージョンしています。江戸っ子の心意気で色名を決めていたのかも知れません。 サンプル色以外に、各々の色名を記しましたが、遠くから見れば、殆ど見分けが付けられない色々です。 しかし、お袖が触れ合う空間では、見分けが付き、微妙な色合いを競っておられたと思うと、思わず「素敵っ」と。 * 尚、「四十八茶 百鼠」 の四十八と百は色数では有りません。多色と云う意味合いです。 ☆ 納戸茶の色事情 納戸茶色の最初は、染め上げた色ではないと云う話も有ります。 ある武家か町人さんかが、呉服屋さんに藍海松茶 (かなり黒に近い藍色) の反物を註文し、その時点で、 大事な品物だったのでしょう?出来上
☆ 「十二単 檜扇」 は ZIPANGU のフロントページです。 ☆ 「春夏 表着 ・打衣 ・単の拡大絵」 で各々の大きな絵をご覧頂けます。
色出しについて 草木染の権威の諸先生により「延喜式縫殿式 927年成立 ・967年施行 」の染め方法の記述を再現されています。各先生により微妙に色合いが異なります。くれぐれも、アバウトでご覧下さい。 zipangu
やまと言葉 (大和言葉) には、和ごころ (心) を言い表した詞が星の数ほどあったはずです。 心に響き、耳障りが良い調べのことば。 心落ちした時、心を痛める、耳の痛いことば。 貴女への艶やかなとの誉め言葉。 貴男への凛々しいとの褒め詞。 等々心配りして拾ってみたいと考えます。 下に記しました 「ことば」 は、純然たる 「やまと言葉」 のみではございません。 私ども ZIPANGU で 「こころ」 「耳」 に響きが良いと思われる 「詞」 も取り上げています。 この度、さいたま市にお住まいの松原様より次の様にご指摘頂きました。 【やまと言葉】とは、現在の中国(当時の隋、唐などの王朝)より、やまとの国には文字が無かった為、 それを文字表記する為に漢字と一緒に入って来た【漢語】に対して、奈良時代以前からこの国に有った言葉。 私どもも、その様に考えます。従いまして、2006年 8/14よりこの頁は
私達の着ている服は、1200年以上に渡り、幾重(いくえ)にも積み重ねた日本文化が凝縮されています。 その服の歴史を紹介しながら日本文化の醸し出す感性 (和ごころ・和心) に多少なりとも触れてみます。 皆様の心の琴線に触れます事を願いながら。 底本は 「重修 装束図解服制通史」 です。
太古の時代(とき)から、私どもの祖先の方々が見てた色です。 云わば、間違う事なき、自然色になる訳です。 故に、自然界の樹木の葉の 「緑」 と 「赤」 い実は、180度(対局色)になり 「補色」(物理補色でなく魅了される色) 関係になります。 「紫」と「黄」も美事に180度(対局色)になっている事も確認できます。 マンセルやオストワルド氏、及び日本色研の色環表での 「緑」 と 「赤」 は180度(対局色)にならない悩みは不必要です。 虹の配色を円環にした経緯(いきさつ)は、「紫色と赤色は仲良し色」でご確認下さい。 「日本の色の誕生」 で詳細を発信中です。 皆さんお持ちの研ぎ澄まされた感じる心の目は、何にも動じません。 「補色残像」で赤を見つ続けて像が消滅するとそこには緑の幻想色。 「補色残像」 で赤を見つ続けて像が消滅するとそこには緑の幻想色。と記しましたが、 実際の所、私どもにはRED (
各々の升目の左の色は、絹裏地色 右の色は絹表地色になります。 表地の絹素材は裏絹素材に対して、基本的には、織り及び厚みを薄くして裏絹素材色を見える様にしています。 (透過率を50%に設定しています。) 各々の升目のセンター部分が「重色目」(文献により襲色目と表記されている) になります。 旧暦の 「春」 カラー 梅重から早蕨(さわらび)まで。 旧暦の 「夏」 カラー 若楓(わかかえで)から夏萩まで。 旧暦の 「秋・冬」 カラー櫨紅葉(はぜもみじ)から椿まで。 「四季通用」 カラー 松重から苦色(にがいろ)まで。 一番最後、重色目の少納言は、十二単の彩色絵 「(清)少納言の君」 を作成した際に、作成した重色目です。
1 小袖着物 (肌着) 2 袴 3 単 4 袿 (うちき) と称する五衣 (いつつぎぬ)・打衣 5 表着(おもてぎ) 6 裳 (も) 7 唐衣 (からごろも) ・この着用セットはフルコーディネート ・今のバリバリ総合職キャリアファッション ・この当時は政府御用達OL (命婦) と高級官僚婦人の 秘書 (清少納言・紫式部達 女房) の服 ・高級官僚婦人及び帝婦人はイベント (式) 以外は、 7と6は省略していたとも。 ・唐衣 (ショートジャケット) は今のテーラードジャケット の役割の感じ。(お仕事中は必ずジャケット着用の事。) ・裳(後身頃のみプリーツスカート)はこの当時はかなり 装飾用?平安初期までは意味合い有りました。 その詳しい事は 「奈良朝の装束集解紐解き」 で。
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