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ururundo.hatenablog.com
お正月には Amazonプライムで映画やドラマを観よう。 図書館で借りている本 積読の本を読もう と 計画はあった。 Amazonでの映画鑑賞は 普段しないせいか なんだか面倒でやめた。 本もいつものペースで どんどんと言うわけではなかった。 朝起きて いつものミルク紅茶に トーストに蜂蜜とジャム カスピ海ヨーグルト食べた。 三日目に 大根 人参 小松菜と焼いた餅の すまし汁の雑煮を食べた。 私は決して菜食主義者ではない。 小松菜が実に美味しかった。 50歳を過ぎた頃から 煮しめが好きになり 普段もたまに炊いてるが 今回も美味く炊けた。 干し椎茸の香りがよく沁み ごぼうのアクが良い。 海老や数の子 栗きんとんがお重に詰まったのを しなくなったのは はて何年前からだろうか。 暮れに おせちに精を出した後 いざお正月が始まると 祭りの後の虚しさを感じてからだ。 素直にめでたいと感じられない
「平和で 穏やかな年でありますように」
『昔の僕は 季節の移りかわりに本当の意味で 気づくことなく過ごしていた。街で生活していると このすばらしい変化の兆候を読みとるすべを なくしてしまうんだ。一方 自然に囲まれて 暮らしていると その特性にずっと敏感に ならずにはいられない。 季節の変化には魔法のようなところがある。 ちょうど 地平線からちらっと顔をのぞかせた太陽が 夜の終わりと朝の始まりを意味するように 冬が終わったと感じる その瞬間を特定できるのだ。』 「ぼくはお金を使わずに生きることにした」 マーク・ボイル著の中の一章だ。 イギリスで 1年間お金を使わずに生活する実験をした 29歳の若者マーク・ボイル。 不用品交換で入手したトレーラーハウスに 太陽光発電パネルを取り付けて暮らし 半自給自足の生活を営む。現代の「森の生活」 と本の帯に書いてある。 私が花に顔を近付けて見る 空の雲を毎日仰ぎ見る 冬の季節から春の訪れをふっと
秋の初めに 畑から引き抜いた葱をもらった。 濃い緑の葉は美しく 美味しく 肉と豆腐と一緒に炊いたり チヂミのように焼いたり 勿論 味噌汁の具にしたりと楽しんだ。 下の白い茎は 根を少し残して切り 土を入れた植木鉢に植え も一つは 水を入れた大きな湯呑みに差した。 雪が降るまでは外に置き 少し前から「小屋」の窓際に置いている。 窓から差す 暖かい南の日差し。 あれよあれよという間に 浅い緑の葉は伸び始め ハサミで切り もずくの上に載せたり 卵で綴じて丼にしたり。 毎日その成長を見ながら 野菜作りをする人の楽しさを思う。 いつまで この二鉢の葱は次々と葉を伸ばし続けるのか。 年が明けたら ホームセンターで ヒヤシンスの球根を一個買おう。 水を入れたガラスの器に その球根を載せ 窓際に置いたら 小さな花を幾つもつけて咲くだろう。
23日 午前9時 ひょろりと上に伸びたクロモジの木。 水っぽい雪の重みで 木の枝が折れた。 芯止めにする時に切る 上に伸びている枝だ。 引き千切られた木は 白い内部を見せ痛々しい。 春の芽吹きを楽しみに待とう。 午後1時に 夫の運転する車に乗り京都へ行った。 北白川にあるバプテスト病院の眼科へ。 6月に緑内障の検査をした。 半年間の様子見をして 今日がその予約日。 結果は問題はなく 又半年後に様子を見ようとなった。 点眼液も必要なく それを言う若い先生も 嬉しそうだと私は感じた。 病院に行く前に 北白川にある 「バックス画材」に立ち寄った。 夫はセメント糊 私はケント紙とホッチキスを購入。 見るものどれもが魅力的で 欲しくなる。 画材屋が大好きだ。 私の住む集落と京都は 車で約1時間の距離。 雪の積もった村から 暖かい京都へ。 行きは大原で雪景色が終わり 帰りは雪景色が始まる。
なんの足跡だろう ざらめ砂糖のような雪の上に 鳥か 小さな獣の足跡が続く。 はらりと落ちた銀杏の葉が その上に落ちたのか 優しい姿の銀杏の葉だ。 銀杏の木の枝は 今はもう葉を全部落とした。 地面は落ちた葉で覆われて 雨や雪と相まり 土に還る様をしているのだな。 今日(19日)は 横殴りの雪が 晴れ間と曇り空の間に 冷たく降った。 服についた雪は すぐに溶けた。 晴れ間には 枝についた水滴がきらきらと光り 曇り空には 灰色の重い雲が 小さな人間の世界を 押しつぶすように流れていた。 晴れ間に 野茨の赤い実を見つけた。 そして 冬苺の艶やかな実も。 ちょっとした 飾り物を作るのに 赤い実が欲しかったからだ。 ストーブの上でコトコトと炊いた物や 温かいスープが美味しい。 具沢山の粕汁には 少しの味噌を加える。 最近は こんなものを食べて暮らしている。
15日 夕方 昨日 霙のような雪が降った。 水をたっぷり含んだ 大きな牡丹雪は 屋根にも15センチほど積もり それが 今日 太陽の光を浴びて 屋根から雨のように ポタポタと 忙しなく落ちる。 木々の枝に溜まった雪が キラキラ光り ただただ美しいと思う。 夜になり 今年の短い秋に ペンキを塗ったトタン屋根から ザザーっと音を立て滑り落ちた。 これから来年の春までの 雪の中の季節の始まり。 「小屋」のそばの山に立ち昇る靄が 瞬時に姿を変える。 暗くなる前の 初冬の景色の移り変わり。 誰彼に 話したい。
紅葉と銀杏の落ち葉 外の雨水を溜めているバケツに 薄い氷が張った。 指で押すと 儚く割れた。 夜に 雨が降ったのか それとも 夜露か 雪なのか 「小屋」の周りの落ち葉が濡れていた。 枯れた茶色や赤の落ち葉は 濡れて色がより深みを増した。 初冬の美しい姿だ。 いつも歩くゆるい坂道に 大きな紅葉と銀杏の木がある。 見上げると 銀杏はほとんどの葉を落とし 鋭い枝の樹形を 空を後ろに現した。 小さな赤や茶の葉が ハラハラと落ち 落ちた葉は ふかふかと靴の下に感じる。 自然は日々姿を変える。 それを アスファルトの道路の上に 落ちている葉っぱにも 感じる。
今年貰った赤蕪は どうした事か傷だらけ。 洗って 傷を削り まな板の上に転がった紅色の蕪たち。 ベテランの農業女子が 苗ポットに種を蒔き 沢山芽が出たので畑に植えた。 夏から秋の暑い日々で こんなおかしな蕪になったと 育てたご本人は しきりと残念がった。 大きな緑の葉っぱにも 虫の卵がついている。 去年はこんな事はなかったと また嘆いた。 良いのだけ選び 私は油揚げと炊いたり お浸しにして すりごまをたっぷりと振りかけたりした。 赤蕪は厚めにスライスして 塩を振り 水が出たら良く絞り 甘酢に漬けた。 この位の量なら 我が家ではあっという間になくなる。 今日(10日)は 晴れたり曇ったりしたが 雨も雪も降らずに 日が暮れた。 夕方の東の空に 半月がふわりと浮いていたのも 忘れずに記そう。
小さな月 今日 昼過ぎから雪が降った。 雪といっても 霙のような積もらない雪だ。 冷たくてベタつく雪は 湿った空気を運ぶ。 いよいよ 冬の始まりだと感じた。 昨日の夕方 もう日が暮れるぞという4時半の空に 半月には少し早い 小さな月が 逞しく力強く 西から東へと流れる雲に 隠れたり 現れたりしながら浮かんでいた。 北西の空に 小さく浮かぶ月よ 私の心が こんなに喜んでいるのが届いているかい。 「小屋」のそばの ヒョロリとした若い栃の木。 大きな葉っぱを広げ その色は黄色に深みを増し 土の上の落ちた葉はくるりと巻いて枯れている。 晩秋から初冬への移行に気づいた 今日だった。
柿ケーキ 富有柿をもらった。 少し柔らかいのを二つ。 それをゴロンゴロンと三角に切り ケーキ生地に混ぜ込むだけの 簡単なものを焼いた。 シナモンとナツメグをたっぷり 塩をひとつまみ加えると 味が深くなる。 生地の中で 果汁が沁みだすせいか 焼き時間が長くなった。 焼き上がりに スコッチを刷毛でさっと塗った。 いい香り。 かつての田舎娘のような 焼き色と柿の甘さ。 ケーキは焼き上がりより 次の日が美味しい。 分かってはいるが 熱々を切りほうじ茶と共に。 皿と茶碗は白を選んだ。
昨日 夫がストーブの煙突掃除をした。 うちは 二週間毎に煙突掃除をする。 薪が気持ちよく燃える為の 労を厭わない。 1日の寝ている間を除けば ずっと火を絶やさない。 大きなやかんを1個 普通のやかん2個が湯気を上げたり 煮物 シチューの鍋が コトコトと音を立てていたり 朝のトーストを焼いたりと うちのストーブは働き者。 機嫌よく働いてもらう為の煙突掃除なのだ。 今日も 心を動かされた事は幾つかあった。 空の青さ 流れる雲 鳥の鳴き声はいつもの事 耐熱皿に魚を載せ 生姜のスライスと麺つゆをかけて 電子レンジでチンしたのが 非常によく出来た。 湯がいた大根葉を付け合わせ 煮汁をかけた。 忙しくしている時に 簡単に美味しく出来たおかず。 これも嬉しいことだ。 そして 晩秋の木の葉の色。 うちの薪小屋の木の壁と 蔦の蔓に淡く色づいた葉の 相性の良さ。 私の周りの なんと小さな驚きだろう。
冬野菜をたくさん貰った。 軽トラで運ぶほどだ。 今回は 白菜 大根 赤蕪 白蕪 ピーマン 小芋 葱。 黒い畑の土がついたままの冬野菜。 洗ったり 切ったり 新聞紙でくるんだり 冷蔵庫にと 使うまでに 面倒な処理が続く。 夏の酷暑にもめげず 沢山の実をつけ ついに 最後になったピーマン。 皮は少し硬くなったが 艶々とした深い緑色。 40年ほど前に買った ホーローの皿に 6個のピーマンを積む。 窓から差し込む淡い晩秋の光が 緑色に影をつける。 テーブルにその皿を置き 素朴な美しさに 満足顔の私だ。
朝方に 寒くて震えた夏布団から 冬仕様の布団になり 心地良く朝ま眠る。 スマホのアラームが鳴るのは午前7時25分。 朝寝坊の私は 夜明けを知らない。 目覚めて 窓のカーテンを開けると 山も 「小屋」の外も白い霧に覆われ 太陽が山の向こうから顔を出すと 霧は慌てて 姿を消してしまう。 キリリとした冷たい空気が良い。 周りの木々の色付きは そろそろ終わり 雨に濡れ 下に落ちた葉の色は渋みが増し まさに晩秋の趣きだ。 今日から又雨が降ると 天気予報が言った。 山や原っぱの姿が変わる。 いよいよ 冬に突入かと思う。 おやつに コーヒーとココアケーキを食べた。
アスファルトの道の上に 散らばった落葉の楽しさ。 紅葉 松 そして 細長い菩提樹のような葉っぱ。 写真を今見て 菩提樹の様な葉っぱに気がついた。 明日 この葉っぱの上を見上げよう 何の木か分かるだろう。 やっと 夏布団から 冬の羽毛布団に変えた。 白の布団カバーをかける。 白木綿のカーテンを 冬用に掛け変える。 これで 暖房した「小屋」の暖気を 内に止める事が出来るだろう。 まだ 夏終いは続く。 扇風機を洗って直す。 少ない服の入れ替え。 暖かいセーターも出そう。 何もかもが遅れた。 気がつけば 冷たい風が吹き 黄色や赤い葉っぱが空を舞って落ちていく。 深夜に雨が降っている。 ラジオを消すと 静かな雨の音がする。
柿の葉 紅葉 長い酷暑と強風で 秋に色づく広葉樹は 全く惨めな様子だった。 紅葉の前に 強風で散ってしまったもの 強い陽の光で 焼けてしまったもの・・・ と 山の姿は色褪せた木綿の草木染め。 初秋を通り越し ストンと晩秋になった。 山や林 うちの「小屋」のそばの木々までもが 黄色や紅色で こんなに鮮やかな色を 隠していたのか?と 聞いてみたい。 諦めていた紅葉。 嬉しい誤算だ。 赤く色づいた柿の葉を そして 道の上に広がった紅葉を さっさと選び持ち帰る。 12枚の柿の葉 6枚の紅葉。 板の上に並べ 写真を撮った。 いつもの「私の遊び」だ。
小太郎とグラニースミス(Granny Smith) 二種のりんごを貰った。 それは赤いのと緑のとだ。 名前は赤いのが「小太郎」 緑のが「グラニースミス」 早速洗って「小太郎」にナイフを入れる。 4当分に割り その真ん中だけ皮を剥く。 これは私流。 単に可愛いからだけの理由。 (写真に撮るのなら もっと丁寧に向けば良かった) 「小太郎」の風貌 「ふじ」の様で 「ふじ」より果汁が多い。 緑のグラニースミスは しっかりと固く酸味が勝つ。 アップルパイにはこれだと 何かで読んだ。 貰ったりんごは手間をかけて育てられたのだろう。 大きく 立派だ。 晩秋からのりんごは 色も味も嬉しい。 少し時間の経ったのは アップルパイにする。 私はりんごを煮ずに 生をそのまま パイ生地に載せて焼く。 これはテレビで見た イギリスりんご農家のやり方。 「林檎」という漢字も美しい。 アメリカ ノースカロライナの林檎農家
昨日も今日も 天気予報通りに暖かい1日だった。 「小屋」の中に差し込む陽の光は 随分奥まで届く様になった。 夏の汚れを残した薄い白木綿のカーテンを引くと 眩しさが遮られる。 窓際に並んだ苔色のワインの瓶 ドレッシング用に50年ほど前に買ったガラスの瓶 スイス人の作った陶の狐 枯れた花を挿した 砂色の花瓶などを 「まるで絵のようだ」と 一人喜ぶ私がいる。 20年以上も 無農薬栽培の米を作っている友達。 その大事な新玄米30キロ(半俵)と 京都 浄土寺「オオマエ」の アップルケーキを持って 友達はやって来た。 どちらも 本当に嬉しい。 ここのアップルケーキを嫌いな人はいない。 まだ温かいケーキを切り コーヒーを淹れた。 4時間ほど喋り 薄暗くなる前に友達は帰った。 山奥まで本当にありがとう。 お天気が続き 濃紺の空に月が綺麗だ。 周りの木々の色は 焼けた様になったのも そうでないのも それなり
雲一つない 青空に 真っ直ぐに東から西に 西から東へと 2回の飛行機雲が渡った。 ズボンのポケットから 慌ててスマホを取り出し くっきりとした飛行機雲を撮った。 青の中の白い線。 単調な面白みのない写真。 大きな自然の中で見るのが 飛行機雲は美しい。 おやつがないと 寂しく感じるのが我が家。 気忙しい日々に ケーキを焼くには時間がない。 アメリカのヴァーモント州のインの朝食で メープルシロップを惜しげも無くかけた薄いパンケーキ そして チャックの無農薬野菜畑の ボランティアで来ていた フランス人達の焼いたクレープ/ガレット。 あれを焼いてみよう。 薄力粉 牛乳 キャノーラ油(バターの代替)。 よく混ぜて 1時間ほど寝かし さらさらとした生地を フライパンに玉杓子で丸く垂らす。 蓋をすると 早く焼ける。 10枚焼けた。 バター ジャム 蜂蜜を塗って クルクル巻いて食べる。 カフェオレを啜りな
突然に晩秋がやって来た。 朝 外に出ると 空気の冷たさを懐かしく感じた。 窓からさしてくる陽の光の暖かさ。 「小屋」の中のストーブの上では 3個のステンレスのヤカンが 湯気をたてており その中の一つで ほうじ茶と紅茶を淹れる。 ヤカンの口から ほとばしる湯。 カップに牛乳を入れ 熱々の紅茶を注ぐ。 夕方4時半になると 市の防災無線で「夕焼け小焼け」が流れる。 季節によって 5時 5時半と変わる。 長閑な曲が この季節だと忙しなく感じ しばらくすると早い日暮れが始まるのだ。 濃紺の空に 今日は三日月。 少し離れて 大きく輝く宵の明星。 まだ夏物を終わず 冬物の中から セーターを引っ張り出して着た。
紅百日紅の葉 土曜日の夜に 強い風が吹いた。 風速7mの風でも 杉の人工林は唸る様な音で大きく揺れた。 川の水はいつもは歩いて渡れるのに 叩きつける雨が長時間降り 黄土色の濁流になり その様は 川の中の魚が大暴れしている様だった。 4日月曜日。 大暴れした川は いつもの様に透明な翡翠色。 白い泡を立てて 気持ちのいい軽やかな音で下って行く。 青空に白い雲が 南から北へとゆっくりと流れ 川の傍の芒の原から飛び立った 名前の知らない小さな野鳥。 こんな日が続けばいい。 雨水をたっぷりと吸った苔の緑。 舞い降りた紅百日紅の赤い葉は 緑のセーターに付けた ブローチの様だ。
柿の葉を見ていた。 土の上に広がり 散らばった何色もの葉っぱ。 大きいのやら 小さいのやら もうすぐ 土に還るのやら 赤 黄 茶 緑。 それを 私は昨日拾った。 そして 長い松ぼっくりも。 栃の木の くり抜いたのがあったはず。 埃をはらい そこに重ねた柿の葉を納め 枠の上に 長い松ぼっくりが長閑に空を見る。 こんな遊びが面白く ウォーキングの時に 何かないかと探している。 道の駅の建物の前に 大きなユリの木があった。 アメリカ楓に似た葉を持つ 秋には黄色の葉が美しい落葉樹。 アメリカ北東部原産の とてもいい雰囲気を持つ木。 いつの間にか 下からバッサリと切られているのに 気が付いたのが今日だ。 ユリの木の後ろのレストランが 見えなくなる程大きくなったから 切られたのか?
道で摘んで持ち帰った花を 長皿に置き 楽しんだ後 それを麻糸でまとめ 柱に吊るした。 よく乾いた花の茎は しっかりとして 言う事を聞かない。 姿よく整えようと思っても あっちを向いたままだ。 「まあ いいや」と 花瓶に挿した。 先日 図書館から受け取った本「マイケル・K」。 「切手にされた少年」藤原章生の本に書かれていた。 著者 J.M.クッツェーは南アフリカ生まれ イギリスのブッカー賞を2度受賞し 2003年にノーベル賞を受賞した。 毎日新聞を読まなければ藤原章生を知らず 「切手にされた少年」を読まなければ クッツェーを知らず「マイケル・K」に出会わなかった。 新聞の連載から始まり 次々と南アフリカが舞台の本に出会った。
枯れた花(トウバナ・秋明菊・男郎花(オトコエシ)・西洋フジバカマ) 今年の夏の酷暑のせいか 「小屋」の周りの木の葉は 色づく前に散っている。 扇風機も 夏の間窓に吊るした白木綿のカーテンも 夏のシャツも まだそのままで 朝晩には ストーブに薪をくべている。 そんな毎日ではあるが 40分ほどのウォーキングは休まない。 雀より小さな野鳥の群れ 子猿の集団に出会う。 どれも 大袈裟に驚いた風をして バタバタと飛びたったり 川を渡って逃げたりする。 道を歩きながら 小さな野草の可愛い姿に足を止める。 どこにでも咲いている花だが 紫蘇の様な形の花と 黄色くなった葉が 私の好みに合った。 「トウバナ」と言う名前。 花びらの散ってしまった「秋明菊」 蝋細工のような感触の緑の花の塊は 「男郎花」 淡い紫色の花の寿命が終わり 今は黒い粒々になった「西洋フジバカマ」 数本を手折り 長ざらに横むきに並べた。 「
飛竜頭(ひりゅうず) 20日 日曜日 夫の古い友達二人がやって来た。 高校時代の女子と男子。 女子は毎回 沢山のお土産と共に 男子は毎回 スコッチとバーボンと共に。 それをここに列挙するのは 女子に失礼かとは思うが あまりにも 私の好みに合い嬉しいので書いてみよう。 *京都大徳寺そばの 小川豆腐「飛竜頭(がんもどき)」 *大原の「おぼろ豆腐」 *ジュピターの「コーヒー豆」 *ヒガシマルの「カレーうどんの素」 *バケットとサワドゥの胡桃パン *ペルーの岩塩とお菓子 *阿闍梨餅 (忘れているのがあるかもしれない) お昼ご飯も四人分持参である。 「大原里の駅」で買い求めたもの。 *菜食「弁当」 *野菜の巻き寿司 *草餅 *土井の漬物「しば漬け」「刻みすぐき」 私はココアのケーキと 味噌汁を用意した。 女子からの「飛竜頭」ひろうす がんもどきとも言うが それを 今日の昼ご飯の一品とした。 いつもは
スイス人男子からのギフト 5年間 なんの音沙汰も無かったスイス人男子。 チャックの野菜作りのボランティアとして 4ヶ月ほど 私の住んでいる集落に滞在した。 当時30歳だから 今は35歳だろう。 そのスイス人男子から 突然の小包。 「本物」のチョコレートが4個 「職人的な」ミルクキャンディ スイス人男子が作った陶の狐。 そして 長い手紙が入っていた。 スイスに帰ってから 深刻な病気と闘いながら 羊飼いをし 今は庭師として働いているとか。 手紙を書くまでに5年かかった事を詫びてはいるが 「会うは別れの始めなり」「さよならだけが人生だ」 の私は 手紙をもらうだけで嬉しい。 4ヶ月の山間の生活が楽しく 小浜に行ったのが 忘れられない? 又 日本に来るのなら 小浜(福井 若狭湾)に行き 海を眺めながら お寿司を食べ カフェに行って コーヒーを飲もう と 私は返事を書いた。 来るだろうか? 私も夫もそ
オーブンで焼いたパン ホームベーカリーが壊れた。 他の家電に比べて 耐久性がない様に思う。 友達が使わなくなったもの 自分で買ったもの 知人が使わなくなったもの。 10年間に3台のホームベーカリーが壊れた。 シンプルな構造だと思うが 使う頻度が多いのか? と 色々考えた。 安くはないホームベーカリーを買うかどうか 検討中だ。 レシピは同じで 今はオーブンで焼いている。 強力粉 塩 砂糖 イースト 水だけのパン。 これがないと うちの朝は始まらない。 外側がパリパリ 中はもっちり。 オーブンで焼けば この特徴がもっと顕著に現れる。 発酵はオーブンか 電子レンジでできる事もわかった。 しばらくは これでやってみよう。 今日 突然 スイスから小包が届いた。 5年前に 有機栽培無農薬農業をしているチャックの 農業ボランティアとして 4ヶ月 うちのすぐ近くに滞在していたスイス人からだ。 当時30歳の
ベニバナボロギク ボロギクが散々綿毛を振り撒いて去って行った。 今は ベニバナボロギクが 空き地 原っぱ 家の周り どこにでも根を張り 地面を覆っている。 そして ボロギクに負けじと 綿毛を風に飛ばす。 白い綿毛は 「小屋」の窓 扉の網戸に引っ掛かかったり 綿毛で薄いフェルトの様になった 蜘蛛の巣の上に 女郎蜘蛛が手を大きく広げ 身じろぎもしない。 夕方になると 十三夜の月が山から顔をだす。 暗くなると 群青の空に白く輝き その光が地上を照らしているのを感じる。 いよいよ 雲海の季節がやってきた。 朝8時過ぎまで 深い霧で窓の外は白い景色だ。 まだ 深夜に雲海の峠まで行く車は走らず 静かな夜を過ごしている。
(右端の半ばの空に浮かぶ 小さな半月。見えるだろうか?) ベニバナボロギクの地味なオレンジの花 その綿毛 芒の綿毛。 それが飛ばない日は 物足りない。 そんな風の吹かない 3時過ぎには 太陽が山陰に入る秋の日。 私が見上げた空は どこまでも高い青い空。 止まっているような 白い雲が浮かび そして 南西の空には 半月の昼の月。 近くの山で 木を伐採するチェーンソーの唸り声 足元で 儚いコオロギの鳴き声 川面を低空で渡る カワガラスの飛行。 パソコンで 慣れない作業をした後 疲れた目に 優しく映った色と音だ。
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