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10:48 おはようおはよう! 11:35 @Dominion525 早速入れてみた!エスペラント語で表示されてたのでJsファイルを適当に翻訳して日本語表記にしてみたYo! 11:50 今日頑張れば明日はお休みだ! 柏市は明日がお祭りだっけ? 12:13 お外出たくない>< 12:32 これで、クーラーが壊れたら詰みだな。 13:40 あまりの熱さにやる気が出ません。 14:31 「ニコマコス倫理学」を「ニコニコ倫理学」って空目した自分爆発しろ! 14:37 @nekog 多分、みんな熱にやられちゃってるんだよ! 16:06 確かに、マキャフリイはなぁ。好き嫌いがはっきり分かれるんだよねぇー。嫌いじゃないけどオススメするほどの事はない派。 16:09 口さがない人だと、アレはSFじゃないハーレクインだ!って言う人も居たなぁ。 16:20 不毛を通り越して無毛だ……。 17:27 なんで、熱
責任問題云々はともかくとしてだ。全ての製品が小学校向けに作られているわけではないのだから、ある程度の安全基準を満たしていれば利用すべきであり、完全に安全なものや危険を全て回避する事が出来るような製品という幻想は捨てるべきだとは思います。 製品や設計の所為にするといった、責任転嫁も如何なものかと思います。 まず、現場写真を見て設計上の問題を感じずに、親のせい、子供のせいにするようなバカの作ったものは、システムだろうと物理的な製品だろうと一切使いたくない。エラー処理とか甘そうだし、エラー処理ろくすっぽやってないことを棚にあげて、「普通そんな使い方しないでしょ」とかいいそうだ。 クルマの設計上の問題は「鋼鉄」で出来ているのが問題で、柔らかいマシュマロ素材で作れば死亡事故はなくなる! なんて臆面もなく言える根性を持ってない琴子には理解しがたい感情ではあります。 コンニャクゼリーが設計上の問題が存在
はてな村の「社会学」群「宗教」村クラスタに一領土を持っているので今日は、その辺の話をしてみましょう。今日のテーマは現代に残る「呪術」について考えていきたいと思います。 まずは、この記事を見て下さい。 無差別犯行を抑止する政策として銃刀法の強化を行う 東京・秋葉原の無差別殺傷事件の犯行に殺傷力が高いナイフが使われたことを受け、銃刀法の規制強化の在り方を検討する必要があるとの認識を示した。 殺人の現場が歩行者天国だったから歩行者天国のあり方を見直す動き 秋葉原の無差別殺傷事件を受け東京都千代田区は9日、緊急の幹部会を開き、事件現場となった「中央通り」の歩行者天国の在り方について議論していくことを決めた。 なお、今日の文章は一部の考えやアイデアの断片がTwitterでも言及しているものになります。興味のある方は、登録してね。(宣伝)http://twitter.com/tot_main 呪術と因
私は死刑賛成派の位置からの言論を行います。 死刑否定派の良文ですねぇ。id:sk-44氏の「快楽殺人者は根本的に反省しない」という前提に対して、id:mojimoji氏は「あえて生かす事で、自分の存在について確認し自身とその存在に苦を与える」という理論展開です。 こういう考え方好きですね。「生は苦痛です」とも言えますから……。 もうひとつある。反省するとは、しでかしたことの取り返しのつかなさを知ることである。償っても償っても終わりがない、償いきることができないことを知ることである。──彼が、心の中で、自分のしでかしたことの重大さを理解し、それをどれほど後悔したとしても、死んだ人は戻ってこない。取り返しはつかない。そのことに打ちのめされる。打ちのめされ続ける。反省するとは、反省することの無意味さを知ることでもある。 先行したまとめ 刑罰の目的は反省を促す事ではない。 二度と同じ行動を取らせな
先行したまとめ 「津村ルール」を適用する人がいる以上。信用を発言者の帰属する社会が担保しているのは自明である。信用保証において、信用を借り主が損ねた場合、保証機関が肩代わりするのは社会原理として致し方ない。 世の中にはいろんな考え方の人がいるから、その人の肩書きで相手を信用する人もいる。だから、信用を損ねた場合は「肩書き」の提供者が責められるのもリスクとして考慮するべきである。 本論 非常に興味深い対話なので、考察してみる。 結局、二人とも「言論の自由を認める上で責任は何かしら存在する」って意見は持っているんだよね。 ただ、その責任の範囲が「個人」に帰すものなのか、その人が所属する「帰属社会(団体)」にたいしてなのか? ってところで意見が分かれているんだね。 そもそも実名で発言してて所属の看板背負ってないつもりの人がいると言うこと自体が信じられないのですが、散々「実名で発言することが利益に
昨日のエントリについての補足になる部分も多く含んでおります。ので一旦、前回の論旨をまとめておこうかなと思います。 前回の論旨:水からの伝言=共感呪術説 フレイザーの『金枝篇』による呪術は類感呪術と感染呪術に大別されると言う事でした。しかしながら現在に於いてはフィールドワークによる情報量も増えてきたため、類感呪術と感染呪術だけでは説明しきれないタイプの呪術も出てきました。それぞれ「反復呪術」と「直接呪術」でしたね。 そして、フレイザーの唱えた二種類の呪術は「共感呪術」と言いました。 水からの伝言は大きく二つの理論形態となっています。第一は「「よい言葉」をかけると美しい雪花状の結晶ができる」という類感呪術。音や声による「波動」が見ずに影響を与えると言う感染呪術の理論が使われてる。 だから、水からの伝言はフレイザーの唱えた「共感呪術」と形式的には同じ様相を持って居るんじゃないかという話しでした。
「どうしておこったの?」をきちんと突き止めなくても、確実に起こることを示せば科学だと思います。 それは、科学じゃないよ。「技術」って言うんだ。 小野さんは、「通行に非常に大きな支障をきたす場合や、商業を大きく妨げる場合を除いて、公道で表現活動をすることは認められて当然。まして今回は歩道を使うから、許可を取る必要はないと考える。で、警察の見解はどうなんよ」と主張してて。 まず、迷惑かどうかの前に「歩道は道路なのか?」って問題を考えないと意味がない気がする。 道路交通法2条2項で「歩道:歩行者の通行の用に供するため縁石線又はさくその他これに類する工作物によつて区画された道路の部分をいう。」と言う事で、文面内に道路と定義されている。 だから、歩道は道路です。 んで、道路使用許可ってのは同法の第77条にあって、今回の場合は77条1項の4*1に記載されてるのが適用されるはず。 だから、なぜに許可を取
昨日から始まったあらたにすですが、若干のコメントを……。 ぶっちゃけ、ユーザー考えてないね。むしろ、ぶっちぎりで置いてきぼりです。 RSSがない(入れない)という前衛的で斬新な仕様 ニュースとかソースとかは網羅的じゃないといけないのですよ。いまどきトップページからしかユーザーを獲得しないという考えは捨てるべきじゃないかな? ブラウザでしか情報を入手できないと思っているんでしょうかね? あまりに斬新すぎる思想で、猛烈な哲学を感じます。 別にユーザー1面から見たいわけじゃない 自分に必要な情報または興味のある情報がほしいのです。(ユーザーは)そのためには、事件とか項目とかジャンルや事件ごとに各社はどのような切り口でニュースを見たいのかってのを求めるわけですよ。なんですか? これ、朝のワイドショーじゃないんだから各社の1面見比べチェーック! とかしたいわけじゃないんですよ。むしろ、新聞受けに新聞
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081201232090.html 時速約0.048キロなんだそうで、つまり1時間に50m弱動けるってことですね。意外と速いんだ。 匿名至上主義者には、実効的かつ受け入れ可能な対案がなく、かつ、妥協の余地がない。: la_causette 政策討論において、論駁側が行うべき作業は「メリット」と「デメリット」を提示して「デメリット」のほうが大きいことを証明することが必要な作業であって、対案を出すってのは横紙破りで唾棄すべきことだと思ってます。 特に政策討論においては、新しい論点を作ってはいけないというルールがあります。 1)プランを導入しなければ,そのメリットあるいはデメリットは発生しないこと。 2)プランを導入すれば,そのメリットあるいはデメリットが発生すること。 3)そのメリットあるいはデメリットが重要・深刻な問題であ
一番の問題が、「親告罪」から「非親告罪」に著作権の侵害問題をスイッチすると、悪意ある第三者が流通を制限させると言うのが可能になると言う点。 話しを判りやすくするために、こんなケースはどうだろうか? 登場人物 有料プログラム「A」の制作者 甲 「A」の利用者 乙 乙から「A」をコピーして利用している甥っ子 丙 「A」のライバルソフト「B」を売る 丁 「 実は甲さんの作成したプログラムにはコピープロテクトが掛かっていませんので幾らでもコピーできるプログラムを販売していました。甲さんは、したたかな人で取りあえず、作品の一本目は利益よりも知名度と流通度を上げて行きたいと思っているので数本売れれば居いや、コピーして他の人にも使われても居いやー!むしろ、みんなが使って甲の会社の名前が売れれば良いや! って言う殿様商売をしていました。乙さんは甥っ子である丙にそのデータをコピーして利用させていました。本来
やぁやぁ、入院中で病院のレストランの片隅で(院内図書館と併設されている)インターネットコーナーを発見して嬉々として文字を入力しているわけですが、五分ガユが食べれるようになったので数日後には退院いたす予定と相成りました。 さて、前回の文章からだいぶ日にちがたってしまいましたが、気づくと15くらいのはてブを頂いておりまして、びっくりしていたりするわけであります。 夜郎自大などと揶揄されてますが、この辺は日本人の特有の技術見なかったことにという高等スキルを使用してスルー。今回は、この高等スキルについてお話をいたしましょう。 さて、日本古来からある宗教は神道であって、600年ごろにはすでに大陸から仏教が伝来し始めていたというのは歴史上の常識といってもよいでしょう。 特に仏教を推し進めたのが「蘇我氏」です。蘇我氏は朝鮮大陸からの渡来系の住民もしくは朝鮮系と何らかのつながりのあった氏族であるといわれて
いゃあ……。 ちなみに、3日目。胃腸系の疾患のため、点滴だけです。 オナカスイタ。 退院の目処はたっていませんので、日記はしばらくお休みです。
ぶっちゃけますと、日本の宗教ってのは日本人でも理解しがたいものを持っています。 歴史的にみても「政教分離」が確立したのが西洋よりももっと昔、安土桃山時代に織田信長が延暦寺焼き討ち行ったことを起因としているわけです、当時は僧兵と呼ばれる私兵集団が武力を持ってして政治に介入していました。白川法皇などは儘ならぬもの(思い道理にいかないもの)として「加茂川の水、双六の賽、山法師」と歌っています。それだけ、権力を持ってしても思い通りにならないものとして認識されていたわけです。 その牙城を崩したのが織田信長であるわけです。今でこそ、無抵抗の坊さんを何で?と思われる向きがありますが、これは逆です。織田信長が焼き討ちしたから坊主は武器を放棄したわけですね。 当時はすでにキリスト教が流入してました。と、言うよりもキリスト教の国が持っている「硝石」を得るためですがね。 硝石って何に使うのかと言いますと、いわゆ
と、言いつつそういった小洒落た名前は覚えられないわけでありますが(笑) 外国産のSFのだめなところは名前を覚える必要があるところでしょうか。 ドストエフスキーとかもうね、、、名前覚えるだけでイッパイイッパイ。 ところで、ブルボンというと、このほかにも、「エリーゼ」「ルーベラ」「ホワイトロリータ」「ソフスイート」「エルフィーユ」「ブランチュール」など、数々の官能的で甘美な商品名があるが、それらの意味は? 「ほげほげすきー」とか「ほにゃららのふ」とか「スキー」と「ノフ」の多さに唖然とするわけですな。 たぶんね、「人の命の価値」ほどに著作権侵害ってのは「価値がない」ことなんだと思うよ(皮肉 曰く、無断リンク禁止論はなぜ人を殺しているかに類似している 曰く、著作権侵害*1は人を殺すことに匹敵する取り返しが付かないこと これ、本気で言ってるの? 琴子は、人の命そのものに価値を認めてないです。 人に価
今回は、マジナイ(呪術)と宗教の違いについての考察。 まずは、次の画像を見てね! 縦軸が「問題解決の範囲」を示す軸。 横軸は「対象範囲」を示す軸です。 古代に於いて、共同体として成立するためには様々な問題があったわけで、それぞれの問題を解決するために(例えば干ばつなどの)個別の問題を解決しないといけませんでした。そこで登場したのが古代宗教と呼ばれる物です。おおよそ「トーテニズム」とか「巫術(シャーマニズム)」と言った形態になります。 そして、農耕が発達すると共に城壁都市が成立すると神権政治が登場します。民族の代表者が王(この場合は神権とか宗教儀式の代表者)が据え置かれて政治を司ります。そうするとさらに共同体と一致した祭祀が必要になるわけですね。また、人口の増加と共に個別の儀式では対応しきれなくなって来るものをいかに説明付けるかと言った問題もでてきます。 ここで発生したのが民俗宗教と呼ばれる
哲学と思想が違うように、また、科学と似非科学が違うように、宗教と人生論が違うように、と言うような話し―― 哲学とは 思想ではない 近所の本屋(少々大きめ)では、「哲学・思想」ってコーナになっています。明確に違うけど親戚程度には近い存在という分類方法ですね。琴子の考えでは思想ってのは哲学から「考える部分」を抜いた物を思想っていいます。 ちょうど、酒粕みたいなもの? 考える部分が「アルコール」とするなら、哲学ってのはちょうど日本酒のように風味や酒の色や香りなんて部分もひっくるめた物をいいます。それでもなお、考えるべき部分が残るのが日本酒。同じ酒造最適米から作られれいても、酵母(Sacaharomyces sake)の種類(協会601号とか1401号とかね)に応じていろいろな種類が出来るのと同じように。土壌とか風土に応じて考え方の基礎が異なるわけですよ。 だから、色んな思想が生まれるわけ。そして
日常生活に神が居ないって思想 日本人は宗教を「日常生活」へ持っていくのが苦手っていうか風土的にいつも宗教と共にいないって行動様式です。 神道で言うところの「ハレ」と「ケ」と言いますか……。「ケ」の部分には宗教とは無縁な世界。逆に「ハレ」の日は宗教を信じるというか「その時だけ神が(我々の前に)存在する」って信仰方針という感じ。だから、「ハレ」の日、クリスマスや正月、バレンタインに夏祭り、と言った日にち毎にお祭りになる。んで、非常に神道的な思想から「神様そっちのけでお祭りになる」って訳ですよ。だから「キリストの誕生日に何で恋人同士でいちゃつくんだよ!」って叫ぶのは日本人的じゃないわけ。「まあそうだけど、いいじゃん!」って言われるだけです。 江戸時代と宗教 歴史的に見て、一番繋がりがある近世である江戸時代において日本人の宗教観ってのは固定された気がします。 まず「宗門改め」という現象。思想的に江
id:Marco11 (中略)あとキリスト教ってどの時代のどの地域にも政治用と個人用とがあったんじゃないかと思う勘で 非常に良い勘してると思います。やはり、信仰に篤いからでしょうか。 本来、キリスト教の教義って「個人救済」の宗教ですからね。 ただ、宗教として生き残るにはどうしても現世での後ろ盾が必要だったのでしょう。 利点として、「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」といった二王国論が既にあったってのが強みなんじゃないかな? (以下、200行程度の宗教史) ――[略] ハテ・スタが30個くらい溜まったら公開するかも(笑) (宗教史ここまで) もう一つキリスト教の重要な概念は、「契約の更新」って概念です。 つまり、旧約から新約へと変ったときに行われた契約の更改の事を指します。 契約が更改されることで、社会のシステムが劇的に変った。この考え方は、改革と言う概念に繋がります。 革命とは、
空気読めない奴の発言は政治を面白くするよなー 昨日TVを見ながら思ったこと。 あれを狙って言えるんだったらとんでもねー食わせ者だと思ったけど。恐らく天然。 でも、アレが当選するんだから日本って……謎。 有権者のお灸 私の周りの主婦層の方々も、最近自民党調子乗ってるからお灸据えるって言ってた。 今回の結果見ると結構そう言うことあるんだなぁって思った。 愛国心の定義 愛国心と郷土愛は似て非なる物ですね。 愛国心はあくまで人工の物ですから、いびつ。 教育と愛国心 平成版の教育勅語でも作ったら?(いやみ) 「国民道徳協会」の訳は微妙ね。頑張って現代用に替えようとして本義が微妙に変ってしまっている。 教育勅語自体は良いこと書いてあると思うよ?*1 一番の問題点は、運用した人が原理主義だったって問題なんだろな。 原理主義 楽な行き方だとは思う。 いろいろな意味で判断停止してるところが――語源が宗教って
自分が最近1ヶ月以内に☆をつけた相手はFavoriteとなり、☆をつけあってお互いがFavoriteになるとFriendになります。Favoriteにした人が自分のブログを見たときには「Addボタン」のとなりに「コメントボタン」が表示され、コメントを残せるようになります。自分が気に入った人からのみコメントを受け付けることができ、コメントの閲覧も自分が気に入った人からのみ可能です。 えー、お互いに★付け合うの〜? もっと殺伐に行きたいよー でも、今ならこの記事に星がついたらつけ返すよーん!(笑) と言うような非常に村的な記事が一杯出てくると予想。 ま、世の中そんな完璧な人間がいたら、プログラマなんかさせるより経営者にさせたほうが効率いいですが(笑 大体、私が欲しいと思っている人材像にも似てる感じです。(プログラマ枠ってより経営戦略に参画する技術面のオブザーバー人材としてね) 3)網2.0って
昨日はブックフェアに行ってまいりました。 あ、趣味じゃなくて仕事で打合せとかお世話になってる会社が結構出店してるんで挨拶回り込みでね。 にしても年々規模が小さくなっているのは、本の値段が高くなってるからだね(謎 とは言っても、ブックフェアの目玉は絶版本を倉庫から出して売ってくれる即売会なのですよ。ええ、買ってまいりました。 一般書店ではなかなかお目に掛かれない、でも知る人ぞ知る「国書刊行会」が出店してましたので行ってきましたよ。 オカルトと言いつつ、真っ当な本も多数出してるわけですが、ま、グリモワール(grimoire)で重要な文献はほとんどこの会社が出してますのでオカルト本会社というイメージがあるんでしょうね。 そいや、Wikipediaでは『金枝篇』がグリモワールに書かれていてちょっと笑ってしまった。否定は出来ないけど、魔導書って分類はどうなのよ(笑 それじゃ、岩波の5冊のセット本の他
なんで、仕事の締め切り前になるとBlog書きたくなるんだろ?(人は、それを現実逃避という) あー、そういえば高校の中間とか期末のときもなぜか、「忙しいと部屋を掃除したくなる症候群」を発病したこともあったなぁ。 基本的に「記憶」って行為には無為性を感じていましたので、英単語覚えたり年表覚えるのって苦手でした。 数学とか理科とかって、高校までは理解さえしちゃえば後は当てはめるだけだからとーっても楽。 なんてんだろ、費用対効果というか勉強に対する効率性が良い教科ってのはありますね、そういった意味では暗記ってよりは理解力が必要な国語だったり、古典なんかも好きだったな(むしろ、単純に活字中毒で本ばっか読んでいたからって噂もありますが……)。 理系や文系って区切りよりもあれだ、暗記系・理解系って分けると勉強楽しくなるかもね。たぶん、理系の理は「理解」の理でしょう。大学ぐらいになると暗記の科目ってのはす
狩猟社会は、母系社会で主に雑婚か乱婚ですよっと……。 一対一、もしくは一対多が発生するのには、最低でも富の獲得が必要です。 んで、富が蓄積できるようになったのは農耕からです。 原始的な狩猟社会では、男性の社会的な地位や財産は、その男性の「狩猟能力」や「身体能力」に強く結びついている。 そのため、男性の社会的な地位というのは、男性の狩猟能力や身体的な能力がピークに達する25〜35歳あたりに訪れる。そして、それが衰えるに従って、男性の社会的な地位は低くなる傾向がある。 そういった社会では、残酷な話だけども、「狩りが下手な男性」や「喧嘩が弱い男性」というのに、女性は見向きもしなくなる。いわゆる「非モテ」ね。そういう場所での。 で、これに一夫多妻制が加わると、もう最悪になる。 狩猟社会は、狩が下手でも共同体によってそれなりに養われていました。共同体で生きていくしかない以上、仲間を見捨てるというのは
えーっと、夏至というか夏に至ってから半夏生あたりには、夏越の大祓えがありますね。 春秋(6/22) 「陰が極まり陽に変じる日」が冬至なら、夏至は「陽が極まり陰に変じる日」だ。柚湯(ゆずゆ)に入ったりカボチャや小豆(あずき)粥(がゆ)を食べたりする冬至と違って、これといった夏至の習わしがないのは、縁起の良い一陽来復とは対極にある日だからか。 中臣の大祓え(延喜式)を奏上するんですよ? 民間では「茅の輪(チノワ・チガヤノワ)」を3回八の字にくぐる神事としても有名でしょうか。 くぐり方は「水無月の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」という古歌を歌いながらくぐる地域と、「蘇民将来の子孫なり」と唱える地域があります。 あと、ヨーロッパでは緯度が高いため夏至は重要なポイントだったので、さまざまな風習がありますね。 もともとは、キリスト教伝来ではないのですがいつごろか習合されたようです。 このあ
ある理論を弾圧するには、自己の理論の「無謬性」を信じることが、その根底にある。 全ての人間は間違いを犯す可能性がある。と言う人類の第一定義を認めているのにもかかわらず。具体的な部分に於いてそれを認めないというのも、その間違いの一つであろう……。 自らの信念のもと、強引に実行に移し、既成事実を作ってしまうか、あるいは、反論の必要を認めず、人を洗脳するかのように自らの考えを広めることが最適だろう。そして、それを行う場としてブログは全く相応しくない。 確かに言うとおりである、自らの信念は信念であるが故に「無謬なもの」として定義せざるを得ない訳で、そこに反論はあってはならないと言う思想が必要だ。 そのためには、万人が反論できる場に論を掲示するというのは大きな間違いと言える。 (まあ、しかしながらそこまで自己の思想に無謬性を信じて疑わない人は「狂信者」と言えよう。故に、「大いなる皮肉だなぁ」と私は感
なかなか、面白い論理展開でした。 少し論理展開をまとめると、 基本理論(逆淘汰) 質の悪い商品が世の中に増えると 客が粗悪品を手に入れる確率が増えるため 客の買い控えという消費の停滞(全体視点からは経済的損失)が発生する。 基本理論の般化 ネットのイナゴというノイズは 書く人が粗悪な罵倒を受ける確率が増えるので 書かない人が増えて、ネット全体として情報が停滞する。 結論 (情報の)停滞は悪である。 イナゴ(質の悪い情報)は停滞の原因である。 故に、(イナゴは)排除せねばならない。 と言う論理展開ですね。 梅田望夫氏によれば、はてなの取締役会で「ネットイナゴ問題」が話し合われているそうだ。私の問題提起を受け止めていただいたようなので、参考までにこういう問題について経済学ではどう考えているかを説明しておく。 さて、この無謬な理論を論駁する前に、面白い小話をご紹介しましょう。 品種改良計画 広く
57だか58とかで、駆け込み乗車するのは、人間としてどうなんだろう? 「都内で駆け込みって何処の田舎もんだよ」ってのがニュース聞いたときに思った感想。 1時間に1本しかないような田舎なら、まあ、考えられるかも知れないけど……。 次来る電車が見えてそうな都内で駆け込みって……。 これで、企業側の安全確認に問題が云々ってのは来るんだろうけどねぇ。 安全確認に問題あってもねぇ。なんか、やるせねーなとは思った。 「物を持つ物は、物を持たざる物の真似をしてはいけない」 これは、正しい倫理か? ここには恥も倫理も何もない。そもそもそういう概念がまったく頭から抜け落ちてしまった、実に薄ら寒い姿の人間であるということが、ここにつけられたコメントを読むだけでわかってしまう。 中世ヨーロッパでは階級社会といって、各階級が他の階級を知ろうとしてはいけなかった時代がありました。 労働者はパブで飲み、決してサルーン
曰く、「鑑賞用」「保管用」「布教用」の3つ買えばいいのだと。 30代会社員。本が好きで、今まで読んだ本が宝物です。しかし、その本のことで悩んでいます。 本が大事なため、本棚はすべてガラス扉付き、光による変色を防ぐため、その上をカーテンで覆っています。読む前は、せっけんで手をよく洗い、読んでいる間も、ページを折らないように気をつけます。せき、くしゃみにも注意します。読書に集中できず、とても疲れてしまいます。書店でも、少しでも本の角がつぶれていると、買うのをやめてしまいます。 電車の中や駅の待合室などで、気軽に本を読んでいる人を見ると、とてもうらやましくなります。本は手あかで汚れるくらい、どんどん読んだ方がいいとはわかっているのですが、汚れや傷みが気になるのです。 どうしたら、気楽に読書ができるでしょうか。アドバイスをお願いします。 ちなみに、「マーカー用」「観賞用」「保管用」「布教用」「予備
水からの伝言の話しもネット上ではだいぶ下火になってきたので、ゆっくり書いてみたいと思います。 まず、前回等の記事からも解るように私の立場は、「水からの伝言」については否定的な立場です。 また、科学は似非科学を完全否定できないと言う考えも持っています。 これは、常に科学は刷新され常に「反証可能性」という重しを付けているという「観測上正しい」と言う結果論が科学という立場だからです。 また、「水からの伝言」に限らずあらゆる似非科学に読み替えて読んでいただけると幸いです。 今回は、文化人類学から見た水からの伝言についてです。 フレイザーの呪術論 フレイザーの『金枝篇』では、呪術を2つに大別しています。 その原理の第一を類似の原理と呼んでいますが、これは似たものは似たものを生むと言うことです。逆に言えば、結果は原因に似ると言うわけです。第二は接触の原理と言いますが、これは、かつて互いに接触した物は離
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