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2024年12月1日に開催された、文学フリマ東京39に行ってきた。 文学フリマ初のビッグサイト開催であるが、それを理由に行ったわけではない。 ここ数年文フリからはご無沙汰で、今回も当初は行く予定がなかった。TLから、近く文フリがあるのだなあとは思ったが、いつやるのかもそれほど把握していなかった。 ところが、前日の夜、急に塚田君から「明日、文フリに行く」旨のメッセージが入っていたのである。実のところ、そのメッセージを読んだ時でさえ、そんな急に言われてもなあ、という感じだったのだが、10年近く会っていなかったことを思うと、このチャンスを逃すとまた当分会えないのでは、ということで行くことにしたのである。 全然行くつもりのなかった文学フリマとはいえ、いざ行くとなれば、寄りたいところは色々とあがってくるもので、それでも回|れたのは最低限の範囲でしないのだが、いくつか買った本があるので、感想をボチボチ
19世紀後半から1920年代頃までのアメリカにおける、大衆消費社会の成立について 1920年代頃に、現代まで続く形の社会や文化が成立したといわれるが、それがよく分かる(およそ100年たっていて、また転換期にあるのかな、という気もするが)。 企業活動の再編という話から始まって、それがどのように流通・消費の過程に変化をもたらし、いかに生活方法や価値観の変化へとつながったのか、という流れで論じられていく。 短いけど面白い本だった 資本家でもなければ、肉体労働者でもない、中産階級が拡大していく 中産階級を中産階級たらしめていたのが、消費社会・消費文化 その一方で、中産階級による革新主義という政治運動の流れやヴィクトリアニズムという価値観が、娯楽や消費にも影響を与える(健全化など)し、逆に伝統的価値観にも変容をもたらす。 大衆消費社会の登場 (世界史リブレット 48) 作者:常松 洋山川出版社Ama
大江健三郎が今年の3月に亡くなったことを受けて、代表作をいくつか読んでみようかなと思って、この1年間、時々読んでいた。 大江は代表作と呼ばれている作品だけでもかなりたくさんあるので、その中でもさらに絞り込んで、ごく一部だけを読んだ形になる。特に今回、息子との関係を描いたタイプの作品群は全然読んでいない。 個人的には『同時代ゲーム』を読めてよかったと思っている。 面白かったのは「セブンティーン」二部作かなあ。 でも、お話として完成度が高くて読みやすいのはやはり『万延元年のフットボール』かなとか。 とはいえ、どの作品もそれぞれ違った形で面白い。ノーベル文学賞作家を捕まえて何を言うかという感じだが、小説がうまい。文体は確かに独特なところがあるが(そしてその独特さをうまく説明できないのだが)、決して難解というわけではないと思う。読み物としての面白さがある。 大江健三郎というと、あの丸眼鏡の風貌とゆ
「ロシア宇宙主義」「アフロフューチャリズム」「サイバースペース論」という三部構成で、近代や資本主義を脱しようとしたユートピア思想を概観していく。 SFマガジンでの連載をまとめたもの。 木澤佐登志の著作は以前から多少気になってはいたものの、自分の興味関心の中ではそれほど大きくなかったことと、何となく取り扱っている内容のあやしさを警戒して*1手を出していなかった。 今回、宇宙主義が取り上げられているということで、読んでみることにした。 とはいえ、もう少し宇宙主義以外の文脈もある。 読むまでの経緯とか 手に取ったきっかけ ロシア宇宙主義に以前から興味があったというのは、桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2にも書いたことがあるので、引用しておく。 宇宙主義(コスミズム)への興味 コスミズムって最近時々名前を聞くけど、一体何なんだというのが
井奥陽子『近代美学入門』 - logical cypher scape2のブクマが急速に伸びている。本ブログのTOP3に入ってきた。 https://hatenablog.com/ に載ったので多分そのせいだと思う。普段、見かけないidからのブクマが多いし。 (なお、ブクマが増えるとブログを書いている身としては単純に嬉しいが、伸びるかどうかはわりと偶然の産物でしかないことも分かっている) それはそれでいいとして、同日にデビット・ライスさんがやはり同書を取り上げた記事を書いているのに気付いた。 ここから直接アクセス流入しているわけではないが、はてなブックマークのホットエントリに並んだので相乗効果はあったのかもしれない。 タイトルにあるとおり、『近代美学入門』だけでなく『なぜ美を気にかけるのか』も一緒に扱われている。 『なぜ美』の方は、当ブログでは以下で取り上げた。 さて、ライスさんの記事は、
タイトル通り、近代の美学についての入門書なのだが、とても良い本だった。 「芸術」「芸術家」「美」「崇高」「ピクチャレスク」という概念ごとに章立てした5章構成の本となっているが、これらの概念は全て近代に成立した概念である。 「崇高」と「ピクチャレスク」はあまり一般的には馴染みのない言葉だろうが、「芸術」「芸術家」「美」といった、現在の我々にとってはわりとあって当たり前の概念が、歴史的にはそれほど古くない概念であることを示している。 常識だと思っていることを相対化して捉え直すことを目指していて、おおよそどの章も、古代ではどうだったか、近代でどのように成立していったのか、そして、現代的な論点についてどのように考えられるか、という構成をしている。 なので、確かに「近代の美学」についての本ではあるのだが、美学一般の入門書という位置づけで読んでしまってよいと思う。 新書レベルの読みやすさ・分かりやすさ
サブタイトルは先史世界の初期絵画表現。原著タイトルは”Scenes from Deep Ttime: Early Pictorial Representation of the Prehistoric World” 19世紀のパレオアートについての科学史 「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」展 - logical cypher scape2の副読本として読み始めたのだが、行く前に読んでおくべき本だった*1。少なくとも、恐竜図鑑展の第1章についての理解度は爆上がりするし、「パレオアートって一体何だ」というモヤモヤ感もある程度は解消する。 この本の存在自体は、以前から知ってはいたのだが、邦訳があることを認識していなかった*2。実は原著は電子で買っていたのだが、そのまま積んでいた。英語で読める気がしないので邦訳があってよかった*3。 聖書の挿絵についての伝統を伏線としながら、過去の伝統から何を
ビデオゲームにおいて提示される虚構的内容のうち、全てがそのゲームの物語を構成しているわけではないが、その関係はどうなっているのか、という内容の論文 マリオの命は3つあるのか問題 あるいは、RPGをやっていて、戦闘中に死んだとしても必ずしもそのゲームのストーリー内で死んだことにはならないとかそういう類いの話 これに対して倉根は、ビデオゲームにおける虚構的内容を「ゲーム環境」と「物語世界」に区別した上で、物語世界の内容として解釈される基準の例として「指定」と「意味づけ」があるということを論じている。 シノハラの議論が参照されているよと、人から教えてもらって読みました 自分の書いたものがこうやって他の人の論文へと繋がっていく経験をあまりしたことがないので、感動して思わずブログを書いているのがこの記事となります。 1.はじめに 1.1.先行研究 1.2.ゲームプレイ中に起きた出来事は本当に首尾一貫
倉田剛による下記の2つの論文が、グァラに触れているので、フランチェスコ・グアラ『制度とは何か』(瀧澤 弘和 監訳・水野 孝之 訳) - logical cypher scape2を読んだついでに、これらの論文も読んでみた 倉田剛「社会存在論の「統一理論」について」 https://www2.itc.kansai-u.ac.jp/~t980020/Husserl/Vol_17_2019/03_kurata.pdf 第1節から第6節までは、グァラ本の紹介 基本的には、グァラ本の意義を評価している その上で、第7節にグァラ説への疑問点が挙げられている 7「統一理論」の問題点 7.1「同一説」への疑問 グァラ:サールの構成的ルールにおけるY項を消去可能であると述べた上で、椅子と椅子を構成する原子集団を二重に数え上げる誤謬と同じ誤謬であると批判(第5章「構成」) 倉田(1):二重の数え上げを誤謬とす
社会科学の哲学の立場から書かれた制度論 経済学的な制度理解と哲学的な制度理解とを架橋するための議論が展開されている。 二部構成となっており、前半では、制度についての均衡説と制度についてのルール説を統合した統一理論「均衡としてのルール」説を展開する。 ただし、これは均衡説とルール説との単なる折衷案ではなく、ルール説を均衡説へと還元するような方向の統一理論(正確には、ルール説の代表的立場であるサールが説く「構成的ルール」を、統整的ルール(均衡をももたらす条件付き戦略)へと還元する立場)。 後半では、制度についての実在論の立場にたち、反実在論的な社会構成主義を批判すると同時に、社会構成主義の動機である規範的アプローチないし改良主義的なアプローチを、実在論によって掬いとろうとしている。 個人的文脈 社会科学の哲学、社会的存在論については、以前から興味があった 例えば、下記の倉田論文 『現代思想20
(追記2023年6月) sakstyle.hatenadiary.jp Kindle版について(Amazon) 一番手に取りやすい形式ではあるかと思います。 ただ、エゴサをしていて、レイアウトの崩れなどがあるというツイートを見かけています。 これ、発行者がちゃんとメンテナンスしろやって話ではあるのですが、自分の端末では確認できていないのと、現在これを修正するための作業環境を失ってしまったという理由で、未対応です。 ですので、本来、kindle版があってアクセスしやすい、っていう状況を作りたかったのですが、閲覧環境によっては読みにくくなっているかもしれないです。申し訳ないです。 pdf版について(BOOTH) ペーパーバック版と同じレイアウトのpdfです。 固定レイアウトなので電子書籍のメリットのいくつかが失われますが、kindle版のようなレイアウト崩れのリスクはないです。 また、価格はk
サブタイトルは「チョウのように読み、ハチのように書く」(もちろんモハメド・アリの言葉が元ネタ)。批評を書くための方法を分かりやすく解説している。 ここでいう批評はかなり広い意味で使われていて、何らかの作品について分析して説得的に論じた文章、というくらいに捉えればよいだろう。 例えば、何らかのメディアで書評やそれに類する記事を書くことになったライターとか、自分のブログで好きなドラマ・アニメや音楽について感想を書いているがもう少し人に読まれる文章にしたいと思っている人とか、あるいは、文系の大学生で授業のレポートとして批評を書くことになった学生とか、そうした人たちが対象読者になるのかなと思う。 もちろんこれ以外の人でも、何らかの形で批評に興味のある人にとって、面白い本であると思う。 かなり実践的な内容で、「作品で起きた出来事をタイムラインにしてみる」とか「まずタイトルを決めてから書き始める」とか
5巻は「中世3 バロックの哲学」 伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史1』 - logical cypher scape2 伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史2』 - logical cypher scape2 伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史3』 - logical cypher scape2 伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史4』 - logical cypher scape2 シリーズが始まった頃は、勝手に、古代、中世、近代、現代が2冊ずつだと思い込んでいたので、中世3の表記に最初驚いてしまった。 実際は、古代2、中世3、近代2、現代1の8巻構成である。 ただし、本書が扱う時代は14〜17世紀であり、一般的に中世とされる時代ではない。 本シリーズでは、特に16〜18世紀半ばを近世と呼ぶことにしており、本書
まえがき 分離された虚構的世界と視覚的修辞 - logical cypher scape2 の続き、というか、最後に触れたイノサンの例についてもう少し膨らませて書く。 マンガは、絵を使って、とあるフィクション世界を描く形式である。 なので、絵の内容は、その世界の出来事をあらわしている、と考えられるわけだが、実際には、絵の内容がそのままその世界の出来事として成り立っているわけではなさそうなケースもよく見られる。 そういうケースを説明するのに、いくつか概念を作ってみよう、みたいな話をするつもり。 以下、『イノサンRouge』を例に出していくが、あくまで例として使っているだけであり、『イノサンRouge』論にはなっていないのであしからず。 (こういう概念を作るのであれば、何某か作品の解釈に有用なものにしたい、という思いがあるのだが、今回その点についてはうまくできてないというか、作品の解釈には使え
タイトルにある通り、遊び・遊び心についての本である。 ジャンルとしてはゲームスタディーズにあたり、本書もビデオゲームの例が多くあるが、筆者によれば、本書はあくまでも「遊び」についての本であって、ゲームについての本ではない。ゲームは、遊びの一種という位置づけ。 遊びについてはいくつかの特徴づけがされているが、本書で特に重要なのは「流用的」という特徴である。 つまり、違う文脈にあるものを、別の文脈に流用するということである。 本書ではまた、「遊びplay」と「遊び心playfulness」が区別されている。 遊びは、活動・実践 遊び心は、態度 仕事や政治などは、遊びではないが、遊び心という態度をもって臨むこともできる。 本書の読み方 Chapter1 遊び Chapter2 遊び心 Chapter3 おもちゃ Chapter4 遊び場 Chapter5 美 Chapter6 政治 Chapte
『フィクションは重なり合う』のAmazonページに、実はレビューが書かれているのを最近知って、ちょっとそれに対する応答をしつつ、ちょっと気になっていることをメモしておきたい。 2.2.分離された虚構世界の > 例えば、TVアニメ『四月は君の嘘』の22話(最終回)「春風」における演奏会演奏会のシーンを取り上げてみよう。主人公の有馬公生が演奏会でピアノを演奏しているのだが、シーンの途中から公生とピアノがステージ ではなく、水面上に置かれている映像へと変わる。ホールの様子は消えて、水平線の広がる水面上で公生が演奏している映像である。 この映像について、著者はこれをフィクションの世界の中で起きていることだと主張しています。 『フィクションは重なり合う』カスタマーレビュー「大事なところを「明らかだ」で済まされてしまった」 この点について、2つの応答の仕方がある。 『四月は君の嘘』の映像において、「水
teapot.lib.ocha.ac.jp いま気づいたんですが、石田尚子さんの博論全文がお茶の水女子大学のリポジトリに上がってますね。 「フィクションの鑑賞行為における認知の問題」 https://t.co/iEXKkxporm— MORI Norihide / 森 功次 (@conchucame) 2020年1月27日 森さんのこのツイートを見かけて、読みにいった。 ただ、前半3章読まずに、4章から読んだ 1~5章がおおむねサーヴェイで、6章でフィクション鑑賞における石田説が展開される。 序論 第一章 フィクションとは何か 第一節 フィクションの定義 第二節 文学理論における試み 第三節 分析哲学における試み 第二章 言語哲学における虚構上の存在の問題 第一節 ラッセル 第二節 サール 第三節 グッドマン 第三章 ウォルトンによるメイクビリーブ理論 第一節 メイクビリーブ理論の概要 第
サブタイトルは「合成生物学が生みだしつつあるもの」とあり確かに合成生物学の話ではあるが、生命の起源研究の中に合成生物学を位置づけている感じ 藤崎が、この分野の研究者に取材した連載記事が元になっている。 面白そうだなと思ったから読み始めたわけだが、期待を超えて面白かった。 前半、アストロバイオロジー関連の話をしているところも面白いが、後半に「生命」概念を捉え直していくところが刺激的 がっつり取り組むとしたらめちゃくちゃ大変だが、人類学や心理学も含む形で、生命についての哲学というのがあるというのを感じた。 アストロバイオロジーの哲学というのがあったけど、こういう範囲までカバーできるとよいのかもしれない、と思ったりもした 「人が生命と思ったらそれは生命なんだ」式の話というのは時々出てく話で、出てくる度に「いやそれはどうなんだ」と思っていたのだけど、生命概念の一部に組み込まざるをえないということに
全3巻が予定されている「ウィトゲンシュタイン『哲学探究』を読む」シリーズの第1巻にあたる 『探求』の§89~§133にあたる部分を読み解く なお、第2巻では§134~§242、第3巻では§243~§693を扱うことが予告されている。 この§69~§133にあたる部分を本書は「哲学論」と呼び、ウィトゲンシュタインが『探求』においてどういうことをやろうとしているのかが書かれた部分だとしている。 筆者によれば、『探求』はその部分部分については解釈が進んでいるけれど、全体として何を言おうとしている本なのかという解釈がまだ定まっていないという。本書は、まさにその『探求』が全体としてどういう本なのかについてを扱っている。 広く知られているように、ウィトゲンシュタインは『論考』に代表される前期と『探求』に代表される後期とがあって、前期の考えは間違っていたと考えるようになって後期へと舵を切ったとされるわけ
一連の津原泰水騒動の中、新潮社が宣伝していたのをきっかけで知り、手に取った 自分が今まで読んだ津原作品は、主にSF・幻想系の短編と『バレエ・メカニック』のみで、完全にそういうジャンルの人だと思っていて、実は今回の騒動まで、他のジャンルでも書いている人だというのを知らなかった。 津原 の検索結果 - logical cypher scape2 ちなみに、本作は2006年に刊行され、当時ベストセラーとなり、文庫化された後「新潮文庫の100冊」にも何度も選ばれていたらしい。全然しらんかった…… この『ブラバン』は、あらすじも面白そうだったし、今まで読んだことのある津原作品のイメージともかけ離れていたので、気になった。 高校時代、吹奏楽部だった主人公が、25年の時を経て、ひょんなことから当時のメンバーを集めてブラバンを再結成することになったという話で、 高校時代の回想と現代とを行ったりきたりしなが
タイトルにある通り、音楽の哲学についての入門。ラウトレッジ社のThe Thinking in Actionシリーズの一冊で、原著タイトルはOn Musicであり、同シリーズには、ジジェク『信じるということ』、ドレイファス『インターネットについて』、キャロル『批評について』などがあるとのことである。 4つの章からなり、音楽と芸術、音楽とことば・知識、音楽と情動、音楽と超越性がそれぞれテーマになっている。 「音楽の哲学」の入門であるが、同時に音楽の話題を通して「哲学」に入門する本ともなっていて、関係する様々なトピックに触れられている。 哲学を進める上での方法としても参考になる。というのは、具体例が多く出てくる点だ。本書の方針として、必ずクラシック音楽とそうではない音楽(ロックやジャズ、民族音楽など)の両方に触れるということを心掛けているらしいし、また、何らかの論点を説明する際に、音楽以外の具体
"Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology"という分析美学の論文集があるのだが、これの2nd Editionが出ており、結構、論文が入れ替わっているということを先ほど知ったので、新旧比較してみた。 15年ぶりの改訂っぽい Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies) 作者: Peter Lamarque,Stein Haugom Olsen出版社/メーカー: Wiley-Blackwell発売日: 2003/10/15メディア: ペーパーバック購入: 1人 クリック: 26回この商品を含むブログ (8件) を見る
ビデオゲームは一体いかなるナラデハ特徴を持っているのかを、記号の意味作用という観点に着目して明らかにしようとする本 これは名著 様々な論点が丁寧に整理され、読者が気に掛かるであろう点にはきちんと補助線が引かれ、踏み込む必要のない議論では中立的な立場にとどまり、しかし、踏み込むべきところではきっちり踏み込んでいる。そんな感じ。 というか、内容以前に装丁がいい! 画像だとこの装丁の良さが全然伝わらないので、是非実物を手にとってもらいたい この装丁だけで手元におく価値があるレベル これは博士論文が元になった著作だが、筆者があとがきで自ら述べている通り、博論刊行後に筆者が手がけた2冊の訳書、イェスパー・ユール『ハーフ・リアル』とネルソン・グッドマン『芸術の言語』とをかけあわせたような本になっている。 ユールは、ゲームをフィクションとルールの二面性があるものとして特徴付けた。ルールは現実の側に属する
スタンフォード大学でVR研究している筆者が、現在、VRがどのようなことに利用されているのか、またどのような分野での開発が進められているのか、といったことを紹介している本 とかく様々な事例を広く紹介しているので、なるほどそんなとこに使おうしているんだとかが分かる。 自分がVRを実際に経験したことが少ないこともあって、VRのお勉強に、と思って読んだが、それにちょうどよい感じであった。 原題は “Experience on Demand: What Virtual Reality Is, How It Works, and What It Can Do” 邦題より原題(特にサブタイトル)の方が、よほどどのような本であるかを的確に表している。 うーん、まあ、日本語のタイトルが、(おそらく)売りやすいと判断されたものとなり、内容と離れてしまっているということは、珍しいことではないので、あーだこーだ言
テレビアニメ化もされた*1、ファンタジー戦記ライトノベルシリーズが完結 めちゃくちゃ面白く、ヤバい作品だったと思う。 舞台となるカトヴァーナ帝国は、いまだ繁栄を維持しつつも、貴族による腐敗政治と隣国キオカ共和国の伸長により、衰退を辿っている。 主人公のイクタ・ソロークは、言うなれば、女たらし属性のついたヤン・ウェンリーであり、その天才的な戦略眼により、本人が望むと望まないとに関わらず、若くして軍功を上げ出世していく。 この作品の面白さの1つは、もちろんこの主人公イクタの活躍と、それとは裏腹の飄々とした性格にある。 「全ての英雄は過労で死ぬ」をモットーとするイクタは、いかに怠けるか・楽をできるか、を指針として行動するわけだが、それが後々には、帝国の軍制改革へとつながっていく。 彼のライバルは、共和国のジャン・アルキネスクである。不眠体質の彼は、イクタとは真逆、あらゆることを1人でやり遂げよう
ハッキングの1973年から1999年の間に書かれたものを集めた論文集 第一章に「歴史的存在論」という、論文集全体につうじる概要的な論文がおさめられており、論文集全体のタイトルも原題では『歴史的存在論』。『知の歴史学』は日本語版タイトルで、フーコーの『知の考古学』を意識したもの。ハッキングは、フーコーへの傾倒で知られており、彼の「歴史的存在論」もフーコーを意識した方法論である。 『フィルカルVol.3 No.1』 - logical cypher scapeに掲載された高田さんのスーパーヒーロー論が、ハッキングの歴史的存在論の応用研究であり、面白かったので、手に取った。 が、読んだのはその内の一部。 面白そうな論点はいろいろあったけど、今の自分の関心として、若干優先度が落ちるかなとも思って、とりあえずパラパラっとめくっただけで、いずれ将来また手にとるかもしれないのでメモだけ。 知の歴史学 作
サブタイトルには「賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ」とあり、人間の特徴として挙げられる理性について、一方では科学技術を発展させるなど「賢すぎる」側面がありながら、他方で、近年の行動経済学などで人間はどうもあまり合理的に行動しないようだということが明らかになったように「愚かすぎる」側面もある。 人間はなぜ理性をもっているのか そして、人間の理性は何故「賢すぎる」面と「愚かすぎる」面をもっているのか という問題を、進化論を手掛かりとして考えるという本。 筆者は、科学哲学、生物学の哲学を専門としており、この本も哲学の本として書かれている しかし、本書には例えばカントなど著名な哲学者の名前は出てこない*1。一方で、進化生物学、心理学、霊長類学などの研究が次々と紹介されていく本になっている。 この本が何故哲学の本なのか、ということは序章で説明されているが、韓国の科学哲学者ハソック・チャンがクラウセ
Dominic Lopes "Understanding Pictures" ドミニク・ロペスによる描写の哲学の入門書 同じテーマのものとして過去に読んだものは ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")前半(1〜5章) - logical cypher scape2 ジョン・カルヴィッキ『イメージ』(John V. KULVICKI "Images")後半(6〜9章) - logical cypher scape2 ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(戸澤義夫・松永伸司訳) - logical cypher scape2 S.E.P.「Depiction描写」 - logical cypher scape2 Mulcom Budd “How pictures look” (マルコム・バッド「画像はどのように見えるか」) - logical cy
デヴィッド・ルイス入門 第2回 反事実条件文(野上 志学) 論文「T. M . スキャンロンと価値の責任転嫁説明-「理由への転回」の里程標-」(岡本 慎平) イベント「哲学の夜」 論文「創造と複製-芸術作品の個別化-」(岩切 啓人) 論文「スーパーヒーローの概念史-虚構種の歴史的存在論-」(高田 敦史) ●川瀬「大森靖子と推論主義」の検討 報告「マンガを活用した哲学教育の試み」(萬屋 博喜) 分析哲学と文化をつなぐ雑誌通巻5号 急にこれまでの倍くらいの分厚さに 今回は、分析美学の論考が2本に、前号の「大森靖子と推論主義」に対するリプライ、イベントのレポート記事などもあって盛りだくさんとなっている。 また、本号に「創造と複製-芸術作品の個別化-」を投稿した岩切啓人、「スーパーヒーローの概念史-虚構種の歴史的存在論-」を投稿した高田敦史、ならび にコメンテーターとして森功次が登壇したトークイベ
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