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razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com
さて、未知の国の映画を探し求め、それについての記事を書き続けて早9年、何だか色々なことがあった。ある未公開映画を紹介したら、その監督からメッセージが来たり。フランスかぶれの映画批評家とTwitter上で大喧嘩して、ちょっとした騒ぎになったり。クローン病という消化器官の難病にかかり、体重が40kg減ったりしたり……良いことも悪いこともたくさんあった。そしてこの未公開映画紹介を続けるなかで、かけがえのない仲間にも出会えた。東欧映画スペース!をともにやっているKnight of Odessaさんと岡田早由さん、さらに未公開映画の伝道師チェ・ブンブンさん……その他にも素晴らしい繋がりに恵まれたりした。 さらには去年、私は済藤鉄腸から済“東”鉄腸と名前を変えたうえで、初めての著作を出版させていただいた。その名も「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小
さて、マンブルコアである。ゼロ年代のアメリカ映画界を席巻したムーブメントである。今ブログで“結局マンブルコアって何だったんだ?”というシリーズ名でマンブルコア映画の特集記事を書いている訳だが、それを始めたのは2016年、とうとうマンブルコアを代表する1作と呼ばれる“Hannah Takes the Stairs” aka 「ハンナだけど、生きていく」が公開されて間もない頃だった。だが始めた理由は何か。このシリーズの1つ目の記事に私はこんなことを書いている。 “さて、このブログでは"ポスト・マンブルコア世代の作家たち"というタイトルでテン年代に頭角を表し始めた米インディー作家を多く紹介してきた。というのも「ハンナだけど、生きていく」が公開されマンブルコア受容がとうとう日本で始まった故に、マンブルコアについての解説記事も増えるだろうと目論み、じゃあ自分はその後に続々と登場している才能について紹
さてTwitter上で“一体どうやって未公開映画を観ているんですか?”という問い合わせを頂いた。確かに私が何故にこんなにも凄まじい勢いで以て未公開映画を観ているのか、というか観られるのか疑問に思っている方は少なくないだろう。な訳でいい機会だしと、私がどこから未公開映画を観ているのかをこの記事に書いていきたいと思う。未公開映画が観たい人、自身の英語を鍛えたい人、今後の足掛かりとしてくれたら幸いだい! https://mubi.com/showing/ 1つ目は私が最も贔屓にしていると言ってもいい映画配信サイトMUBIだ。筋金入りのシネフィルが選んだ30本の新作・旧作が配信されているサイトだ。30本しか配信されてない理由は、作品は1日1本ペースで配信されているのだが、1ヶ月(つまり30日)が経つと自動的に消える仕組みとなっているからだ。日本からでもクレジットカードが登録可能で、月額は750円。
このブログの目的はテン年代の新人映画作家たちを紹介することが中心だったのだが、この頃いわゆるアメリカにおけるマンブルコアというムーブメントの隆盛や、ゼロ年代から始まった今最もエキサイティングな潮流"ルーマニアの新たなる波"の成立を探る記事を書いていたりと、自分の中で少しずつゼロ年代へと興味が映っているのを感じる。そんな中で"Take 100: The Future of Film: 100 New Directors"という著作を見つけた。これはゼロ年代に現れた新人作家100人を特集した滅茶苦茶分厚い本(スーパーで良く打ってる焼酎4Lボトルくらい重い)なのだが、例えばルカルノ映画祭の当時のディレクターなどが選んだ作家たちは、その多くが実際テン年代に世界へと羽ばたいていっている。マーレン・アーデ、リサンドロ・アロンソ、アンドレア・アーノルド、デュプラス兄弟、クリスティ・プイウなどなど枚挙に暇
まず、まずだ、このブログを何故始めたのかをここに書きたい。始まりは、海外サイト読み漁るうち、何か映画界の最前線で評価されている作品や監督について、海外と日本だと情報量に決定的な差があるなって思った所だった、日本語で読める情報が余りに少ないのだ。マンブルコア受容とか本国でもうマンブルコアって言うの終わり終わり!とか言われていた後だし、"ギリシャの奇妙なる波"も「籠の中の乙女」がちょっと公開されただけで何の情報もないまま2016年突入って感じだし、周回遅れ感をものすごく抱いていた、マジで。 マジでそういうのとか色々日本語で最新情報教えてくれとずっと思ってたけども、ほぼそんなこともなく、もう既に語られている情報を違う言葉で語り直すってだけのクソどうでもいい文ばっかでウンザリしてる内にね、思ったんですよ、じゃあこれは自分で書くしかないかっていうことを。で、そういう意思を以て書いたのが、カナダの新鋭
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10…… 数をかぞえる男の声がどこからか聞こえてくる。その響きには焦りが滲んでいる。そして現れるのは必死に心臓マッサージを施す男の姿だ。死なないでくれ、死なないでくれ、床に倒れた女に対し彼は何度もその言葉を繰り返すが、もう全てが遅すぎる。しかし次の瞬間には、男は車の運転席に座っている。「どうしたの?」そう尋ねる助手席の女に、男は答える。「夢を見たんだ、君が死ぬ恐ろしい夢を……」 カナダの新鋭Merlin Dervisevicの長編デビュー作「残酷で異常」はいわゆる“ループもの”と呼ばれるジャンルに属する映画と言えるだろう。同じ出来事を幾度となく繰り返し、定められた運命を変えようとする人間の物語、この設定自体に目新しい物は何もない。しかし「残酷で異常」はそんな陳腐さに真正面から挑むことで、このジャンルに新たな意義を宿していく。 主人公エドガー(「ああ、結婚
今作の舞台は韓国の山奥に位置する谷城(コクソン)という名の寒村、警察官である中年男性ジョング(「漁村の幽霊 パクさん、出張す」クァク・ドウォン)は妻(「彼とわたしの漂流日記」チャン・ソヨン)や娘のヒョジン(キム・ファニ)らと共にこの村で暮らしている。しかし最近谷城では奇妙な事件が頻発していた。突然夫が妻をメッタ刺しにして惨殺、火事によって家屋は全焼し被害者は発狂……それらはキノコの猛毒によるものと警察は断定していたが、村民たちはある噂に懸かりっきりだ、異常な事件の数々はあの不気味な日本人(「五条霊戦記 GOJOE」國村隼)が村にやってきてから起こり始めたと。 本作"哭聲"のランタイムは2時間36分、今なお膨張を続けるハリウッドの娯楽超大作と同じ長さを誇っている。監督はその長大な時間を贅沢に使い、少しずつ狂気に至るまでの道行きを舗装していく。まず描かれるのはジョングらの日常だ。ジョングは大き
このブログには何度も記しているが重要なことなので何度だって書こう。ジョー・スワンバーグとデュプラス兄弟のデビュー長編である"Kissing on the Mouth"(紹介記事その1)と"The Puffy Chair"(紹介記事その2)、そしてアンドリュー・ブジャルスキーの第2長編"Mutual Appreciation"(紹介記事その3)が公開された2005年のSXSW映画祭を以て、マンブルコアというムーブメントは始まりを迎えたと言っていい。だがこの3作と同時にもう1本重要な映画が上映されたのを知っているだろうか。Arin CrumleyとSusan Buiceによるその作品"Four Eyed Monsters"は同じくマンブルコアの始まりを告げた作品と称され、更には他に先んじてデシタル配信というこのムーブメント隆盛の要である出来事をまず最初に成し遂げた作品でもある。だがその重要さに
アメリカにフィルムメーカー・マガジンという雑誌・映画サイトがあって、そこは毎年“インディペンデント映画界期待の新人25人”を選出している。映画監督だけではなく、脚本家から撮影監督、アニメーターからキャスティング・ディレクターまで何処から見つけてくるんだという才能ばかり発掘してくると(私の中で)評判で、2012年にはこのブログでも取り上げたハンナ・フィデル監督(この記事とこの記事を読んでね)やデジリー・アッカヴァン監督(この記事も読んでね)が選ばれていたのだが、では2015年には誰が選ばれていたか、このページを見てほしい、25人中あなたは何人の名前にピンとくるだろうか、私はかろうじてTed Fendtだけは知っていた。タオ・リンの小説をそのまんま映画にしたらこういう感じになるだろうって作品を作る字幕翻訳家兼映画監督な人物だ、その人以外マジで誰も分からない。フィルムメーカー誌は青田買いの達人な
「イット・フォローズ」を観た。そのクオリティの高さにも驚いたが、描いているテーマにも驚いたので少し書いてみる。まずは少しあらすじを。 主人公はジェイ(「ザ・ゲスト」マイカ・モンロー)、ある日彼女は新しい恋人であるヒュー(「ゾンビーバー」ジェイク・ウェアリー)と映画館へと向かう。座席に座っている時、後ろを向きながらヒューが喋りかけてくる、あの黄色いドレス着た女見てみろよ。ジェイは振り返るのだが彼が指をさす場所にそんな女性はいない。そんな人いないよとの言葉に、最初はヒューも冗談だろという態度だが、みるみるうちに顔が青ざめていく。 この日はそれだけで終わり、何となくこの出来事が頭に残りながらも、ヒューとの親密さは深まり2人は彼の車の中でセックスに至る。心地よい微睡みの中で、ジェイはいつか見ていた白昼夢について口にするが、ヒューはそんな彼女を力ずくで以て気絶させてしまう。目覚めた彼女は自分が車イス
デイヴィッドとジェイ、20年来の親友である彼らはとある場所へと赴く。高校生の頃だよな、ジェイは語る、ここで誰かが俺たちに襲いかかってきて、ビンを後頭部に叩きつけられた、その時思ったんだよ、ああこれ西部劇によくある酒場での喧嘩みたいだなってさ。そんな彼にデイヴィッドは尋ねる、そんとき僕がどうしてたかって覚えてるかな、さあ、突っ立って俺がボコられるのを見てたんじゃないか、いやもっと酷いよ、僕は車の下で縮こまってたんだから。 "男なんだから泣くんじゃない" "男なのに情けない"……こんな言葉に傷ついた人々は少なくないと思う。勝手すぎる、理不尽だと悩んだ人々だって多いだろう。このNetflixオリジナルドキュメンタリーであるデイヴィッド・サンプリナー監督作「マイ・オウン・マン」はそんなあなたたちを、きっと暖かく抱きしめてくれる作品だ。 ドキュメンタリー作家のデイヴィッドは40代を迎え、ある悩みを抱
香港映画、台湾映画、そして大陸映画、いわゆる中国映画は大きくこの3つに分けられる。香港映画はもう大分昔からジミー・ウォングからジョン・ウー、ウォン・カーウァイからジョニー・トー、ダンテ・ラム、そして今年上映された「八仙飯店之人肉饅頭」「エボラ・シンドローム」ハーマン・ヤオから私の偏愛する「魔 デビルズ・オーメン」のカイ・チーホンまで幅広く受容されていて、台湾映画はエドワード・ヤンやホウ・シャオシェン、ツァイ・ミンリャンなどの台湾ニューウェーブ、最近では「セデック・パレ」ウェイ・ダーション「あの頃、君を追いかけた」ギデンズ・コー「光に触れる」「共犯」チャン・ロンジーなどなど。 大陸映画はチャン・イーモウやニン・インに加えて、ジャ・ジャンクーやロウ・イエなどいわゆる第六世代の映画が多く紹介されている、というか調べてみると、これは大陸映画かと思うと、香港映画だったり大陸映画でも監督は香港だったり
年をとった女性に対して“劣化”だとか“BBA”だとかいう言葉がぶつけられる様を見てしまった度、私は吐き気と、怒りを覚える。そしてそんな言葉に傷つかないよう自分から“BBA”と言う女性を見ると、やりきれなくて涙が出そうになる。日本は特にそうだと思うが、しかし社会全体が女性が老いることについてかなり辛辣だ。長く映画を追っていると、中年を迎えた女優には役がなくなり、もしあっても主人公の妻だとか主人公の母だとかいう役しかもらえないとそんなニュースをよく目にする。そういう社会で女性が年をとることの不安と恐怖は計り知れない、男性はそれについて知らないというか誰一人考える気すらないのではないかという絶望感に襲われることもある。だからこそ今回紹介したいのは、そんな社会を痛烈に批判するSF映画「アドバンテージ〜母がくれたもの」についてだ。 近未来、世界は加速度的な発展を遂げながらも、その余りの速さに経済は停
イスラエルは建国時から今まで何度も何度も戦争を経験している。第一次、第二次、第三次、そして第四次中東戦争、最近でもまたレバノン侵攻、幾度とないガザ侵攻……そのせいで今でも徴兵制が敷かれていて、18歳以上の男女全員が兵役に従事しなくてはならない。男性は3年、女性は1年9ヶ月、いつまた戦争が起こるか分からないという不安と戦い、心をブチ殺しにかかる軍隊のガッチガチな集団主義と戦う日々を過ごさなくてはならない。そんなクソったれな不条理に対して“やる気ゼロ”を合い言葉に立ち向かう監督がいる。それがTayla Lavie監督であり、彼女の作った作品が"Zero Motivation"なのだ。(この英題、本当に素晴らしい) 舞台は砂漠の真ん中に建てられたイスラエル軍の基地。休暇から帰ってきた兵士たちが重い荷物を持ってその門をくぐる。だがダフィ(「フットノート」Nelly Tagar)は死んだ魚のような目
さて、この鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!では主に最新の日本未公開を紹介してきた。最近は本の執筆で忙しくなり、あまりここに記事が書けていないが、数ヶ月前には“済東鉄腸オリジナル、2020年代注目の映画監督ベスト100!!!!!”というまとめ記事を出したりとまだまだ最新の映画には喰らいついていきたい所存である。 では古い映画はあまり観ていないかと言えばそうでもない。私は、芸術はシンプルに権威や既存の概念に中指を突き立てるものであってほしいという古風な考えを持っているので、映画史にしろ何にしろ芸術史は権威主義的で好きではないので、必然的に古典映画はあまり観てこなかった。それにそういうのは他の批評家やシネフィルが観ているだろう、だから彼らにそれらを託して私は皆が観ない映画を観ようと、自分の趣味に生きていた。 ただ古典作品でも、意外と100年ほど前のサイレント映画に関してはあまり観られていないこと
別に見なくてもいいけれど、見ると心が広くなる映画たち ポール・ナッチーとかハワード・ヴェルモンとかジェス・フランコとかジャン・ローランとかオヴィディオ・G・アソニティスとかエルウィン・ディートリッヒとか、シネフィルになる過渡期の大学生あたりに見ると「こんな映画あっていいんだ!!!」って思えると思うので見た方が良いと思う、って呟いたのがそもそもの発端でした。 私はヴィスコンティも好きだけどジョー・ダマトも好きだし、デプレシャンも好きだけどザヴィエ・ジャンも好きだし、ファスビンダーも好きだけどイッテンバッハも好きだし、鈴木清順の監督作も好きだけど大蔵貢の製作映画も好きだし、どちらかだけを選んでどちらかを切り捨てるなんて出来ないって訳ですよ。 そこでZ級映画を色々な方に知ってもらう為に、ブログで取り上げているのだけれども。興味が湧いてもZ級映画何を見れば良いのか分からない、そういう方がおられるか
「『スラッシャー映画、このブチ殺し方がスゴい!』の反響が大きくて、『スキャナーズ』のマイケル・アイアンサイドも斯くやという程に震え戦いている」 「閲覧数がいつもの70倍に跳ね上がってましたもんね」 「いやはや、本当にありがたいことだ。 これを期に『13日の金曜日』『ローズマリー』などA級スラッシャーから、『ブラッド・カルト/悪魔の殺人集団』『猟奇!惨殺魔/ザ・ミューティレイター』といたZ級スラッシャーまで、多種多様なるスラッシャー映画に、一般の映画ファンの方々が興味を持って戴けたとしたら、Z級映画愛好家としてこれ程嬉しいことはない それでは早速、スラッシャー映画このブチ殺し方がヒドい!の発表だ。まずは第5位! 『鮮血!悪夢の卒業式』から、ちょっと何がどうしてそうなったのか良く分からない死だ。 何か、刺さるんだなぁ……」 「?????これは、マットに針が仕込んであったということですか????
「第一回スラッシャー映画、このブチ殺し方がスゴい&ヒドい2013! 今回は、そういえば近いうちにネオ・スラッシャー映画『キャビン』が公開するなぁ……と思い立ったが吉日。『キャビン』公開に先駆けて、スラッシャー映画の醍醐味たる殺害シーンを、独断と偏見みちみちのランキング形式で紹介して行きたいと思う。それと同時に『スラッシャー映画って本当に良い物ですね』と一般の映画ファンが言ってくれるように、スラッシャー映画を啓蒙していきたい所存だ」 「これほど血腥そうなランキング見たこと無い……って驚愕する未来しか見えません……」 「スラッシャー映画については拙記事を読んでいただくとして、早速このブチ殺し方が凄いベスト5を発表していこう! まず第5位だ」 「――『エルム街の悪夢』から、血柱大噴火!だ」 「これは確かにスゴい……血糊の大盤振る舞いですね」 「この撮影は、普通とは上下逆にしたセットを用いて行われ
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