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北欧女子オーサが見つけた日本の不思議 (メディアファクトリーのコミックエッセイ) 作者: オーサ・イェークストロム出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー発売日: 2015/03/06メディア: 単行本この商品を含むブログ (16件) を見る 『北欧女子オーサが見つけた日本の不思議』がとても良い本です。何がいいって、作者ブログで連載している4コマを読んでいてもあらためて読みたいと思わせるほどに、情報が追加されているのです。 本全体でこのスタイルの4コマで、左側の一言(絵)があって読みでがあります。ここまでの本だとは思っていませんでした、うれしいびっくりです。 私は最近エッセイ漫画を読むようになりましたが、エッセイ漫画の4コマはふつうではないです。 “ふつうの4コマ漫画”というとこういう体裁だと思います。1ページに4コマが2本載っているのがふつうです。 (画像は『ゆゆ式』よ
作品評を「狂気」の二文字で片付けるのは危険だなーと最近思っていたところ、タカヒロさんがアニメ人退について"可愛すぎる妖精さん しかしどこか狂気を感じるのは流石です"などと供述してて笑った。まあガチの評論でもなんでもないから別にいいんだけど、しかしあれって狂気か……? と首を傾げる 2012-09-23 22:57 『人類は衰退しました』のアニメを見ている人が妖精さんに狂気を感じるのはわかる気がします。けれど原作の小説を読んでいて妖精さんに狂気を感じたということは私自身なかったように思います。 妖精さんに狂気を感じる原因として考えられることを以下に書きます。 アニメの妖精さんは強く記号化されています。具体的には口が開きっぱなし。 アニメ中はずっと口が開きっぱなしで口パクもありませんでした。口を閉じている妖精さんが描かれた場面はたぶん一度もないはずです。 ちなみに小説挿絵では口を閉じた妖精さん
唐辺葉介のデビュー作『PSYCHE』はスクウェア・エニックスより2008年8月16日に新書版で刊行されましたが絶版となっていました。しかし傑作である本作は唐辺葉介の人気もあってかこのたび2012年6月7日に星海社より文庫版の刊行というかたちで復刊しました。 傑作の復刊というだけでも望外のことですが、刊行時に唐辺葉介のブログで 若干の改稿と、イラストの変更、追加を行っています。 という気になる発言がありました。 「若干の改稿」がどの程度のものなのか両者を並べて見てみようとはずっと思ってはいたのですが遅くなりまして、先ほどようやく確認しました。 ぜんぜん違うじゃん! 全編にわたって「若干の改稿」がほどこされています。確かに改稿の範囲であって書き直しとまでは言えないかもしれませんが、改稿と言える範囲で最大限に改稿されています。 確認する前は重箱の隅をつつくつもりで探して細かい差異をリストアップす
pub99にÀ Pour mort d'or : 音楽による作品選出、あるいはその受容についてみたいな記事を書けと言われた気がしたのでとりあえずこの記事をちゃんと読んでみたけどだからさーみたいな気分になった。 けどせっかくなのでちょっと書く。 新海誠作品の音楽について。 確認するまでもなく新海誠のネックは天門。新海誠の作品の雰囲気が天門の音楽に支えられているところはあるが反面、天門の音楽なんかをいつまでも使ってるから傑作の一つも作れていない。 天門の音楽はなんていうの?エロゲ系?ピアノの鍵盤の高いほう3分の1しか使わない上に調性から全然外れない音楽作り、こういうのwin98の頃の感動系(KEY系)エロゲで多かった気がする。Clannadの坂道をのぼり始めるときの音楽なんかがわかりやすい例かと。 そんなわけで天門の音楽を引き合いに出して新海誠の作品を褒めている文章を読むたびに牛の鳴き声のよう
あまり熱心に見ているわけでもないですが『スマイルプリキュア!』を見ています。 スマイルプリキュアのストーリーをざっくりまとめると「世界をバッドエンドにしようと企む悪者から世界を守るため、ハッピーエンドを目指す5人のプリキュアの戦い」となりますが、作中でことあるごとに「ハッピーエンド」と「バッドエンド」という言葉が口に出されるので、見ていてもぞもぞ気になります。自分がエロゲを趣味としているせいか、ハッピーエンド・バッドエンドという2つの言葉はゲーム用語のような感じがして、子供向けアニメでサブカル用語が連呼されているかのような感覚があります。 で、気になってちょっと検索。 青空文庫のサイト内を検索したところハッピーエンドは「ハッピーエンド、ハッピー・エンド、ハッピイエンド、ハピイ・エンド」の4種類の表記で見つかる。最も古い用例は新しき夫の愛(「婦人公論」中央公論社 1931年)で、他には宮本百
死体泥棒 (星海社FICTIONS)posted with amazlet at 11.12.18唐辺 葉介 シライシ ユウコ 講談社 売り上げランキング: 698 Amazon.co.jp で詳細を見る 過去作とは逆の構成をした作品。 内容的には現代人あるある。 ネタバレ注意 「内臓がないぞう」の時点でこれどうするんだと思ったら、予想だにしなかった地点に物語が収束した。 読後の第一印象は”これって純文学みたい”。純文学がなにかはよく分かってないけど。別の言い方だと”新潮文庫あたりの体裁で読みたい内容じゃんこれ”という。 過去作とは逆と言い切るには考えるところがあるが、まあ逆と言うのが一番わかりやすいかと。 唐辺の近作は全般的に分かりやすい状況・素直に読める内容から始まって、後半に行くと加速度的に物語の焦点が拡散していくというか着地点が見えなくなるという構成を取っている。で、本作はその逆で
『七つのふしぎの終わるとき』の体験版をやってたんです。そしたらなんか作中で使われているチャイムの効果音が妙に気になって…。その流れでこの記事を書きます。 「キンコンカンコン」のチャイムがあります。 あの有名なメロディーはウェストミンスター・チャイムと言いますが、みなさんご存じのように全国の小・中・高等学校でチャイムの音として多く使用されています。「キンコンカンコン」の音といえば学校というイメージはごく一般的でしょう。そのせいか学園物エロゲでは「キンコンカンコン」の効果音がすごく頻繁に使用されています。 ……ここまでは一般的な話ですね。 では本題。 「これまでエロゲではキンコンカンコンの効果音が学園物では当然であり必須かのように使用されてきたけど、少し考え直すべきではないか?」というのが今回の話です。 この記事ではエロゲにおけるキンコンカンコンの効果音が再考されるべき原因を3つにまとめてみま
ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)posted with amazlet at 11.08.19唐辺 葉介 シライシ ユウコ 講談社 売り上げランキング: 426 Amazon.co.jp で詳細を見る むずかしい作品。 ほかの唐辺作品とは方向性が違っていて、今作の方向性は私の欲するところではないのだけれど、逆に今作こそが唐辺作品ではピンと来るという人もいるかも。 個人的には『未来のイヴ』を思い浮かべるような内容の小説でした。 『ドッペルゲンガーの恋人』は恋人がクローン人間なったらどうなるかというお話。人間らしいけど本物の人間ではない人間が出てくる作品は数多くあって、本物の人間が本物でない人間を受け入れられるか悩むor本物でない人間が私は誰なのか悩む、というのが大抵かと思う。『未来のイヴ』は前者か。ところが今作はそのどちらでもなく、ヒロインの悩み自体は後者であって類型的なん
相当な良作。低価格だからこその成功作かも。 攻略対象が一人。 カップル成立までとカップル成立後、どちらも順当で普通の恋愛もの。まあ何も驚くところの無いシナリオだが読ませる。特にカップル成立までの見せ方が上手かった印象がある。 というのも、タイトルにあるように主人公が「賢し」く、その賢しさでもってどう恋愛するかというのを書いたのが上手かった。賢しい主人公を書くと、物語りも賢しくなり穏当な恋愛ものじゃなく重い作品になりがち。賢しくない主人公の恋愛ものだと、駄目主人公に偏りがち。そんな中このゲームは設定通り「賢しい主人公が賢しく恋愛する」のを描き、あまりファンタジーに過ぎないで好感の持てる主人公を書きながら、軽い恋愛ものとして必要なドリーム(ツンデレ)もちゃんと備えた話に仕上がっている。 声優は青山ゆかり、まきいづみ、木村あやかと鉄板。 数年前に比べるとやはり青山ゆかりは喘ぎ声でとうが立って聞こ
辛いものを食べて「ぎゃー死ぬ―!」とか言ってるキャラクターをたまに見かけます。 最近だと『Angel Beats!』の天使や『Rewrite』のルチアが激辛料理を食べていたため、それを口にした主人公が「ぎゃーっ」と叫んでのたうちまわります。『Fate/stay night』の言峰や『FORTUNE ARTERIAL』紅瀬桐葉や『真剣で私に恋しなさい!』の椎名京など、激辛好きなキャラは珍しくありません。そしてどの作品においても主人公は激辛好きというわけではなく、こんな辛いものを食べる奴はおかしいしちょっと変わってるというくらいに描写されているのが普通です。 ・・・・・・みなさん、辛い食べ物は好きですか?わたしは大好きです。 フィクションの中で、とりわけエロゲにおいて激辛料理は毒のように扱われています。一口食べれば悶絶するか叫び出すか、およそ食べ物の扱いではありません。 ・・・あまりにひどい扱
『Rewrite』でクラシック音楽が出てきた部分を引用しておきます。 文章中で固有名詞が言及されたのみで、それ以降シナリオに絡むこともなくBGMや効果音での使用もありませんでした。 ただ『最果てのイマ』にサティが意味ありげに出てきたことを思うと『Rewrite』のバッハも無視できません。例えば、制作側が異なっていればここやそのほかの場面で「最愛の兄の旅立ちに寄せて」がBGMとして用いられていてもおかしくなかった、ということが『最果てのイマ』を引き合いに出すことで可能性として想像することができます。 以下Terraルートより引用。 親の制止も無視して、ホールに出た。 そこでずっと掲示板を眺めていた。 『森の聖歌隊、大募集〜マーテル合唱クラブへ入りませんか? 毎週土曜の午後に活動しています。〜』 気を引く記事などひとつもない。 でも茶番よりはましだ。 ボリュームを絞った音楽が流れてくる。 バッ
全面的に田中ロミオっぽい作品であった。しかしロミオ作品としてみると、悪い意味で「どうしてこうなった」と言いたくなる。 ネタバレ注意。 『最果てのイマ』chapter3,4が読める日が来るなんて!、というようなストーリー。しかも物語の規模はイマよりさらに拡大していると言ってもいい。そんな読む前から10年に1つの傑作となることがわかっているような状況で、出てきた作品は紛うこと事なきロミオな上にシリアスに煮詰められた素晴らしさで満ちていて、しかしどうプレイしても傑作未満。プレイしている最中の感触がロミオ作品の中でもだいぶ悪い。なんでこんなにおもしろそうな作品を傑作だーっ!という盛り上がった気持ちでプレイできないのか、なんということだという。 原因は、音楽・声・演出・シナリオ分業。 以下個別に。 音楽。 陳腐。曲自体がよくないものもあったけど、それよりシナリオとの劇伴としての組み合わせが目立って陳
立ち絵は変化したりしなかったり。 立ち絵の変化は表情や動きを表しますが、近年のエロゲでは立ち絵の変化に「話者を示す」という役割が付与されているのが大きい気がする。 キャラクターと音声の対応・結びつきは一度プレイヤーが覚えてしまえば、あとは勝手に聞き分けてくれるものだが、いかにプレイヤーに覚えさせるかが問題となっているはず。 キャラクターの見た目と対応した声質・喋り方(母性キャラにゆるふわトーク、ツンデレがマシンガントークなど)を適用するのにも、こうした意味合いはあるだろう。類型を外れたアテレコにはいつまでたってもプレイヤーの耳は慣れない、キャラと声が一致しないままゲームが進んだら物語をそこねる。ちなみに私は『STEINS;GATE』の主人公オカリンの声がキャラ(の見た目)と最後まで結びつかなかった、のが『STEINS;GATE』の低評価の一因です。 キャラクターを色で性格付けし、テキストと
ぐいぐいジョーはもういない (講談社BOX)posted with amazlet at 10.10.14樺 薫 講談社 売り上げランキング: 18704 おすすめ度の平均: ガール・ミーツ・ガール 野球と古い映画と二人の夏 あらためて野球はおもしろいと認識させられる本 Amazon.co.jp で詳細を見る 『ぐいぐいジョーはもういない』「このライトノベルがすごい!大賞」2次落ちの作品が大賞作品より面白い - 主にライトノベルを読むよ^0^/やこのラベ落選の小説「ぐいぐいジョーはもういない」が話題に :にゅーあきばどっとこむなど、各所で樺薫『ぐいぐいジョーはもういない』が好評です。「このライトノベルがすごい!大賞」第二次選考落選作なのに大賞作より面白いと話題になりましたが、その後の評判も良いようで一ファンとして何よりです。 そんな中『ぐいぐいジョーはもういない』を読む上で見ておくべきブロ
挿入歌を使用するエロゲは多くあるが、挿入歌がキャラクターの台詞に重なって聞こえることに違和感がある。この違和感はなぜ生まれるのか?違和感について考えた上で挿入歌使用の現状を見てみる。 エロゲの音声はキャラクターと結びついている。実例としては『Forest』がわかりやすい。冒頭の真っ暗な画面で聞こえる誰のものとも知れない声を、プレイヤーはナレーションではなくキャラクターの声として聞くだろう。 ところが挿入歌はキャラクターとは結びついていない。挿入歌の声はどのキャラクターでもない、よくわからない誰かの歌声として聞こえてくる。この問題がどう扱われているかと言えば、プレイヤーの寛容さに任せて音声のキャラクター性をあまり厳密に扱おうとする作品は少ないというのが現状だろう。歌が聞こえたらそれは挿入歌でありヒロインたちとは無関係な人物による歌声であることが、今までのエロゲ作品と照らし合わせた文脈上何とな
HugeDomains.com - KuraiHeya.com is for sale (Kurai Heya) 暗い部屋posted with amazlet at 10.07.02暗い部屋制作委員会 売り上げランキング: 21 Amazon.co.jp で詳細を見る 唐辺葉介の発禁小説が同人ソフトとなって帰ってきた、という本作だが・・・発禁やむなしという気もやや・・・(訂正:発禁じゃなくて発売中止でした)。 分量は普通に小説一冊ぶんくらいだったと思います。公式通販の特典である短編小説は39ページ。 シナリオについて。 小説版『CARNIVAL』に出てきた家出少女サオリの話を別の角度から再構築したらこんな感じになるかな、というような物語。 『PSYCHE』が唐辺葉介の上澄みを掬い上げたような作品とすると、『暗い部屋』は唐辺葉介を放置して分離したあとの第3層あたりを掬い上げた感じ。唐辺葉介
既存の瀬戸口論全般が全く得心のいかないものばかりで語る気もなかったが、人に説明できるかたちで見えた気もするので書いてみます。 今までの論に対する印象は一言、音楽が足りない。それを説明しないと伝わらないのだろう。 他人の論はあまりあさってないしちゃんと読んでないからてきとーに言うが、瀬戸口読解の観点は「生」「死」とか「希望」「無力」とかそんなん?それでは駄目だ。 『SWAN SONG』は音楽だから。 『SWAN SONG』の司を希望とか絶望で書くならまず「音楽」という観点を踏まえなければならない。「神」には手は届かない、触れようとする努力は無駄でしかない。しかし「音楽」は違う。ある種の人々は「音楽」に触れうる、あるいは「音楽」そのものになる。「音楽」を体現すると言ってもいいかもしれない。 司は幼少の天才であった頃に音楽に触れていた、おそらく。それを失った。その後も司は音楽に向かうが、音楽は触
『WHITE ALBUM 2 -introductory chapter-』でクラシック曲がBGM(というよりシナリオと連関した音楽)としてたくさん用いられています。おそらく十数曲。音楽鑑賞モードには登録されません。 冬馬がピアノをつま弾く場面が多数ありますが、そこで流れる曲はおそらく全てクラシック曲と思われます。 いちいち場面を書くと長くなりますが、音楽室に入る場面などでピアノ曲が聞こえたら大体クラシック曲です。 以下、ゲーム中で用いられた順番通りに曲の詳細を。抜けがあるかもしれません。 ・ショパン作曲「練習曲op.10−5」(空港の次の場面) ・ショパン作曲「ワルツop.34-1」(冒頭部のみが使用されている) ・ラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」(冬馬と春希の重奏) ・ドビュッシー作曲「ベルガマスク組曲 第4曲パスピエ」(はじめての「WHITE ALBUM」合奏の直前) ・ベ
ネタバレ注意。 素晴らしき日々〜不連続存在〜 3より引用 286 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 01:08:04 id:grvjJoys0 ついでに作中に出てきた本もまとめてくれると嬉しいな いつか読んでみたいから 386 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 21:34:10 id:EQYMwd0s0 >>384 まったくだw >>286 まとめてみた 作中でキャラクターが読んでいた書籍 純粋理性批判 シラノ・ド・ベルジュラック(原書も) 猫と共に去りぬ 作中でキャラクターが引用していた書籍 論理哲学論考(草稿もだったら全集の一巻) エミリ・ディキンスン詩集 阿房列車 不思議の国のアリス 鏡の国のアリス 作品のモチーフ?になった書籍 ドグラ・マグラ 銀河鉄道の夜 らき☆すた かんなぎ 387 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 21:3
手放しで褒めることはできないが良くできた大作。一部の場面は本当に素晴らしかった。 『終ノ空』と、その後10年間に発売されたエロゲたちがあったからこそ完成した作品。 いや、長い作品でした。 ケロQの新作『素晴らしき日々』は全体的に見ればよくできた作品程度ですが、一部のルートは凄い所に到達していました。 以下詳細。 まず『素晴らしき日々』は『終ノ空』のリメイクなのか? 答えは、『終ノ空』が『素晴らしき日々』のプロトタイプ的位置づけと考えてください。 『素晴らしき日々』では『終ノ空』で使用されたのと同じ文章・展開が肉付け・再配列されて用いられます。ざっと見た感じ『終ノ空』の8割方は転用されていると言えるんじゃないでしょうか。『終ノ空』をプレイ済みの人は見たことある文章・展開を何度となく見せられることになるでしょう。 じゃあ『終ノ空』をプレイしていたら『素晴らしき日々』はやる必要がないのか? やっ
句読点は文の意味の区切りを示すものだ。だから文章に句読点を用いることで、書き手は提示する文の意味をよりコントロールすることができる。 さて、エロゲの文章を読み進める場合はマウスクリック(あるいはエンターキー)が基本だ。1クリックごと1センテンスが送られるのが多いと思われる。句点とクリックはおおむね一致する。だがここで注意が必要だ。クリックと区点は別に一致しなくとも良いのではないだろうか?ではなぜ一致するか?普通に読みやすいように文章を区切ると句点がクリックと一致するからだろう。「だから……君は……」といった感じの文章で「だから(クリック)…(クリック)…(クリック)君は…(クリック)…(クリック)」みたいになってることもよくある。これは間の長さをコントロールする意図があるはずだ。 読ませるタイミングとか間とかを文章にするためには色々な技術が発達したと思う。一文一文を全部改行する、『――』と
「SWAN SONG」のひまわりエンドで流れる曲について。 曲名:「Die Taubenpost」(鳩の便り) 作曲:フランツ・シューベルト 作詞:ヨハン・ガブリエル・ザイドル 演奏:ディートリヒ・フィーシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau) (バリトン)/クラウス・ビリング(Klaus Billing) (ピアノ) 録音:1948年 歌曲集「白鳥の歌」(Schwanengesang)の第14曲。 曲集に関する詳細はここ。 演奏者に関する詳細はここ。 歌詞と翻訳は外部リンク。 この録音が収録されているCDは私が持ってるのだとこれとか。Fisher-Dieskau Sings Schubert (2002/05/07) SchubertFischer-Dieskau 商品詳細を見るこれなんかにも多分入っているはず。Schubert: Schwanengesa
エロゲにおける「良い音声」≒「早口」であると思う。 「良い音声」が何かとかまた大上段な断定だとか話すとまどろっこしいから本論。 エロゲプレイにあたって音声を全部聴くユーザーが少ないのはご承知の通り。 それは何故か?音声を最後まで聞く我慢ができないからだ。 リアルでは音声(もとい他人の話)を最後まで聞くのは我慢できるだろう。何故か?音声以外の身体言語という情報があるからだ。 エロゲでは基本的に一つの音声が再生されているとき立ち絵は動かない。動くものもあるが、それは目パチ口パクであり音声と連関した身体言語ではない。つまりエロゲの音声は音声のみの情報しか与えてくれない。さらにテキストが情報の理解を助ける。リアルに比べて「身体言語がなく」「文字言語が提示される」ため格段に情報の理解が早くなる。すると遅々として提示される音声には我慢がならなくなる。 そのため、エロゲの「良い音声」はリアルに比べて「早
mp_f_ppエロゲには巧みな音楽表現など過去に一つもないのでは?と考えているlinkmp_f_pp巧みと呼びうる表現はどれも「音声」の表現かと。頼みの綱のAIRの「青空」も、確認してみたが、「音声」の表現かと考えられる。linkmp_f_pptrue tears12話の音楽の使い方が巧みだと考えていたらそんな考えに行き着いたlinkmp_f_pp全部説明したいが長くなるなあ。ざっと。無音進行が巧みなのはあるが音楽表現ではなさそう。Forestみたいにテキストと声の多重表現が巧みなのは色々あるだろうが音楽ではない。AIRの青空はボイスなしエロゲの一番のクライマックスシーンで無伴奏の歌「声」が入ったから効果的だった。linkmp_f_ppまさにその話で、スピードがコントロールしがたいAVGなんだかんだいってどれもBGMだだ流しているだけだなと。RT:@satpoo まぁそもそも、殆どの業界に
『白光のヴァルーシア』のデモムービーを見た。期待感が高まったが同時にLiar-softのゲーム起動からタイトル画面へかけての音楽への配慮の少なさを思い出したのでここに書く。 ゲームを起動する場面を想像していただきたい。 起動時のごく一般的な流れは、 『ゲーム起動→メーカーロゴ→デモムービー→タイトル画面』 というふうである。 会社によって、ここに注意事項が加わったりデモムービーが無かったりする、がまあ大抵のゲームは上記の流れである。Liar-softのゲームなどはまさにこの通りである。 さて今回取り沙汰したいのはこのゲーム起動時における音楽である。 主張はタイトルに掲げた通りである。 『ゲーム起動→メーカーロゴ→デモムービー→タイトル画面』この時に使用される音楽にもっと配慮してくれ!というのが論題だ。 話は単純だ。 初回プレイ時は何も問題ない。 大抵のプレイヤーはゲームを起動したらおそらく
世界の残酷さを抱きしめて - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむためにの こういうシナリオ・ゲームのメディア的特徴は、マルチ・シナリオで、物事って「一つのボタンの掛け違いによる偶然」で、世界はこんなにも揺れてしまうという、「偶発性の恐怖」を表現できてしまうことにあると思うんだ。 って文章を見てふっと考えたので書きます。 選択肢でシナリオが分岐することで物語・世界・恋愛の不確かさを描いているというのは周知のことだろう。 そしてその選択肢をいくつかの型に分けて考えたい。 すると、 1.選択肢で別の物語に分岐 2.どの選択肢をとっても物語が一つに収束する 3.正しい選択肢をとらないと即死(ゲームオーバー) という3種に分類できるものと考える、ので分類しよう。 選択肢が存在しない作品とかは例外ということでここでは省きます。 便宜的に1を「分岐型」、2を「収束型」、3を「即死型」と呼ぶ。 さて、
ドリームクラブのカラオケのほろ酔いバージョンというのは実は革新的かもしれない。端的に言うと、歌に対する開き直り。 商業的な歌というのは基本的に上手く歌われることが意図されている。 実際には下手なものもあるが、それらは『上手く歌うこと意図したが結果的に下手』というものと『演出意図をもって下手に歌っている』の2種類であり例外的だ。つまり表面的に下手とは言えど大元の部分で『上手い歌』が志向されているわけである。 そんな中にあって新作ソフト『ドリームクラブ』で提示された歌にはどこか革新的なところを感じさせられた。 取り上げるのは作中でヒロイン行うカラオケの酔っ払いバージョンの歌だ。 ほろ酔いで歌うヒロインの歌はとても下手だ。しかしその酔っ払い加減が可愛いというもので、すなわち『演出意図をもって下手に歌っている』の一種である。 しかしそんな演出意図を超えて迫ってくる凄みを私は感じた。 それは何か?歌
批評空間の「歌うヒロイン!」についてのやりとりを読んでいる。いまのエロゲは声があるのが普通で、すると声を用いた演出としてヒロインが歌い出すのはごく自然に思われる。ならば、まだ声が入ってない頃のエロゲには歌うヒロインが少ないかもしれないと推測される。どうだろうか。まとめると分かるかも? 個人的にまとめようかと思ったが、掲示板のやり取りを見るにちょっと膨大に過ぎて扱いきれないかもしれない。エロゲのクラシックと一部被るため興味がある。 歌うエロゲヒロイン: ・椎名ゆうひ(とらは2) ・フィアッセ(とらは3) ・リコッテ(Ricotte) ・由飛(パルフェ) ・きらり(キラキラ) ・夕日(そして明日の世界より) ・渚(Clannad) ・ジェーン・ドゥ(SEVEN-BRIDGE) ・全員合唱(この青空に約束を) ・姫歌(鬼うた) ・R-タンポポ(R.U.R.U.R) ・アレックス3(俺たちに翼はな
2009年9月1日火曜日に新宿ロフトプラスワンで行われる『「エロゲー古今東西 金町工場長かく語りき」出張版!』に引退して久しいエロゲシナリオライター瀬戸口廉也が出演するようです。 詳しくはLOFT/PLUS ONE 2009年9月スケジュールをご覧ください。 トークイベントで復活というのは予想していませんでしたが、すっぱりとエロゲ業界から引退したと思われていた瀬戸口廉也が一時的にせよ姿を見せてくれるのは嬉しいかぎりです。次の機会があるとは思えません、ファンの方はぜひどうぞ。 LOFT/PLUS ONE|新宿・歌舞伎町のトークライブハウス
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