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またダラダラと、フラフラと書く。 「ブタ」と「ハマグリ」 先日、ツイッターのタイムラインを眺めていたら、大学教員アカウントを中心に、「教育困難大学」なる語を冠した記事が少しくバズった(リンクは貼らない)。元高校教員の教育ライターによるもので、以前は高校段階における「教育困難校」ルポ風記事で見かけたお名前である。 記事の趣旨を好意的にとれば、ユニバーサル段階――とはいえ4年制大学でようやく5割、OECD諸国のなかで低めの進学率だが――を迎えた大学が抱える課題を、(後期)中等段階の「教育困難校」における教育実践面での「困難」の延長上に把握しようとする問題提起、となろうか。 だがすでに「ボーダーフリー大学」、「マージナル大学」、「ノンエリート大学」、もっと下卑たところでは「Fラン(ク)大学」などの呼称で、類似の学生の現状も教育現場の実態も、それに正面から向き合う数々の教育実践の模索もその課題や意
「話のポイントがずれている。これまで公教育から排除されていた異質な要素を新たに組み込むのだとして、それでもそれが『公教育』であるという、その新たな境界線はどのように引かれるのか。新たに構想されるべき教育の公共性、教育の公共的意義をどのように主張していくことができるのか――それこそがこの法案の提起した最も重要な論点であろうと思うのだが、その点について、何か展望をお持ちであればうかがいたい。」 大略、そのような主旨であったと記憶する。ある小さな法案をめぐって開催された、ある小さな勉強会の席でその質問が発せられたとき、私は思わず息を呑んだ。というのも、それはほとんど「『公教育』とは何なのか」という問いと同義であると思われたからだ。もちろん、というか少なくとも私が思うに、「公教育」とは何かという問いに対しては、歴史規定的な回答しか与えることはできない。だがそれでも、「公教育の歴史的概念規定」という
社会学は、たとえば経済学がそうなっているような意味では学問として体系化されにくく、体系化されていない。だから学問の習得のプロセスでは、自分の問題意識を明確なかたちで言語化し、具体的な対象との関連のもとで、問いや「視点」や手法を一つひとつ「カスタマイズ」――といってまったくの「自己流」ではもちろん困る――して組み立てていかないといけない。 比較的に漠然とした研究計画で入学してくる院生をみていると、そのことがくっきりとわかる。フィールドワークでやる、といっているのに、計量的手法でないと解けないような問いを立てている、というような状態が長く続く。だからゼミでは、問題意識と対象と問いと視点と手法と……のあいだにある、微妙だが重要なずれを、参加者との討論のなかで検討し、まずは可視化し、いったん壊して、組み立て直して、また修正して、というのを繰り返していくプロセスとなる。 修士論文が書けた、というのは
そんなわけで過日、日本教育社会学会がこの数年取り組んでいる「若手研究セミナー」なる企画のなかで、天野郁夫による講演「私の教育社会学研究50年」のコメンテイターなる意味不明の役を務める。斯界を代表する研究者の半世紀におよぶ研究生活に「コメント」もなにもないわけで、とかく「ご説拝聴」になってしまい若手と講演者との質疑応答が沈滞しがちという危惧へのカンフル剤として働けばよいものと割り切る。事前にもらった講演レジュメにある浩瀚な研究業績の時系列的羅列を思いきって構造化し、聴衆が奥行きをつけて「読める」ように補助線を引くだけの簡単なお仕事。。。のはずが、90分を越える講演のあと15分ほどの休憩のあいだに拙レジュメが配布され、休憩時間中ずっと隣の席で天野郁夫がそれを熟読するという名の罰ゲーム。後悔先に立たず。 とはいえ、率直にいって、この仕事は引き受けてよかった。指名してくださった方々には感謝したい。
※プログラム開始・終了時刻に誤記がありましたので訂正しました(7月30日) 日本教育社会学会の第67回大会最終日、9月10日(木)13:30より、課題研究「戦後の教育政治を問い直す」で司会を務めます。 なお、他に2つある課題研究は、「「子どもの貧困」に教師はどう向き合えるのか」と「量的教育データ収集の課題と展望」となります。どちらも自分の部会と重なっていなければぜひとも参加してみたい、興味深いテーマと登壇者が並んでいます。詳細は大会HPにアップされた大会プログラムをご参照ください。 そこに記載されている本課題研究の趣旨文と登壇者は下記の通りです。 課題研究1 戦後の教育政治を問い直す 9月10日(木)13:30-16:30 会場:1-301 保守と革新、日教組と文部省、国民の教育権と国家の教育権。戦後日本の教育政治は、こうした二項対立図式を軸に展開され、教育アカデミズムもまたこの政治図式に
クラレンドンハイツの公営住宅団地、貧困を象徴する典型的な「住宅プロジェクト」に住むデレックは、同じ団地に住む他のティーンエイジャーたちに比べてかなり特異な教育歴をもつ。 きわめて学業成績優秀で――このこと自体プロジェクトに住む黒人の少年として特異だ――、3年生から8年生まで、合衆国連邦政府の奨学金で市のはずれにあるバーンズ学園という名門私立学校(プレップスクール)に通うことになった。8年生までの在籍期間中の成績はAやBばかりで、すぐに生徒や教師の尊敬を集めるほどの優秀さだった。 白人の上流階級ばかりの教育環境にも適応し、友人もたくさんできた。テキサスやメキシコ、マーサズ・ヴィンヤードで裕福な友人やその家族と一緒に過ごす夏休みも経験した。母親は私立学校に通えることになった息子が将来は大学に進み、弁護士になってくれることを夢みていた。 そのままいけばデレックは、アメリカン・ドリームの神話に輝き
「戦後教育学」の捉え返しは、昨今の日本の教育アカデミズムで一つの潮流をなしている感があるが、教育社会学界では、広田照幸が『思想』2007年第3号(岩波書店)の「思想の言葉」に寄せた「教育学の混迷」が一つのスタンダードな認識となってしまい(かつて自分が書いた小文にも、そのまま借りた部分がある)、ごく一部の例外を除いて、それ以上の議論の深まりをみせていない。 また、昨今の教育政治をめぐる認識としても、同じく広田照幸が『格差・秩序不安と教育』(世織書房、2009年、ただし初出はさらに前)で提示した「三極モデル」――旧来保守・新自由主義・社民リベラル――がしばしば参照されるが、そのことによって、これまたそれ以上の議論の深まりはみられない。 そうすると、「戦後」についても「現在」についても、日本の教育政治をめぐる認識の初期値を与えているのは広田だということになるわけだが、それは彼が何か「政治」に関し
...というエントリ名がミスリーディングであるのは、毎日新聞の記事の「総合学習:成績向上 推進校、学テ結果 専門家「拡充を」」という見出しがそうであるのと同様だ(英作文しなさい)。 当該記事の見出しは、「学力テストの結果をみると総合学習を推進している学校で成績向上がみられたから総合学習は拡充した方がよい、専門家もそう言ってるし」との解釈に、読む者を誘導する。 小中学校などで週に2時間程度実施されている「総合的な学習の時間」と学力の関係が注目されている。積極的に総合学習で探究活動に取り組む学校ほど全国学力テストの結果が良く、学習意欲も高かった。 「課題を見つけ、解決する資質・能力」を身につける教科横断型学習として2002年度から本格導入された総合学習は「ゆとり教育が学力低下を招いた」との見方による主要教科の授業時間増に伴い、11年度から授業時数が削減された経緯がある。 専門家は「学力、意欲向
「先生に悪気がないことはわかっていますし、たぶんご自分では気づいていらっしゃらないのだと思うのですが、」 と、その学生は私のある講義終わりのレスポンスカードに書いていた。 「先生はとても簡単に“バカ”という言葉を使います。はっきり言って不愉快です。」 彼の言うとおり、指摘されるまで自覚はなかった。そして、悪気もなかった。 「実態は○○なのに△△なんていう政策を進めようとしている時点で、まったくバカじゃないかと思いますね」「バカみたいな話です」「バカか、と言いたくなるでしょう?」といった風に、それまでの私は、何かへの、あるいは誰かへの軽侮の念を込めた批判 非難の意志を表すとき、「バカ」という言葉をとても安易に、それゆえ頻繁に用いていた。 彼は続ける。 「僕は小学校時代、特殊学級に入れられたことがあり、同級生たちに“バカだ、バカだ”と言われ続けて、さんざんバカにされました。“バカ”という言葉は
正直しんどい(報告) 先日司会を務めた「教育の歴史社会学コロキウム」終わりの懇親会でも途中で力尽き、思いっきり舟を漕いで寝てしまったことであり、報告者の先生はじめ周囲の方には大変失礼で申し訳ないことをした。 そんなわけで、リハビリがてら備忘。 (※ 以下、当日の報告内容に言及するが、すべて私の解釈を経たものであるので、報告者の意図や主張とは異なる誤解・誤認が含まれうる。その責は一に私にある。また報告内容の実質にあたる部分には一切言及しない。ご関心の向きは下記文中にでてくる報告者既刊の著書・論文に直接あたってほしい。) 当日は当コロキウム3回目にして、私にはもっとも刺激的な会となった。 データ分析が面白かったのは岩井先生のご報告である。SSMデータを合併してライフコース視点から計量的な分析を施す、という方法はかねてから岩井先生の採用するところであるが、今回は55年と65年データの合併により、
年明け初回のエントリに去年の話というのもなんだが、年の瀬の空いた時間に映画を観てきた(※例によって最低限の注意は払ったものでありますが、以下、一定のネタバレを伴うことをお許しください)。 『ある精肉店のはなし』(監督:纐纈あや, 2013年, 日本)。大阪府貝塚市、仔牛の買い付け・肥育、屠畜・解体処理から卸売・小売・移動販売までを家族経営で手掛ける「生産直販」が看板の北出精肉店。冒頭、ふつうの住宅街とおぼしき路地を一頭の牛が引かれていく。行先は貝塚市立と畜場。1910年設立、2012年3月に閉鎖され、102年におよぶ歴史を閉じた。この「日本で一番小さな屠場」が閉鎖される間際の北出家の日々を追った、108分のドキュメンタリーである。 冒頭から引き続く映画の導入部は屠畜のシーン。ノッキングハンマーの一撃でドッと倒れた牛の額の小さな穴にワイヤーを通し、その巨体から急いで血を抜き水で流す。一刻を争
新自由主義が格差拡大をもたらした、と言われたりする。あるいは、小泉改革が(死語?)、とも言われる。 1990年代に入る頃から教育改革も進展して、2000年代にはすごいスピードで加速した(ように感じる)。今も続いているのかもしれない。それは公教育の世界に「市場原理」を導入するものだ、と言われたりして、時期も時期だし(90〜00年代)、「新自由主義的な教育改革」なんて言う人もいた(気がする)。私も言ったかもしれない。教育の格差や子どもの貧困の拡大をもたらした元凶だ、と言う人も多い。 少し教育を知っている人だと、ああ、これはそもそも臨教審が、なんて言う。臨教審とは中曽根内閣の頃の臨時教育審議会のことで、もう今から30年近くも昔のことだ。教育の自由化、とか個性重視の原則、とかがマスコミにも大々的に取り上げられて、人口に膾炙して、これがそもそも「新自由主義」の源なんだ、って言う人がいる。画一・一斉・
アラフォー以上の教育社会学界隈の、そのなかでもなんと物好きなことに歴史研究界隈などに身を置いたことのある者は覚えているかもしれない、前世紀の末頃に「教育社会学歴史研究フォーラム」なる年1回の物好きたちの集まりが存在したことを―― まーそーゆー私ははっきり覚えとらんけどね。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ ところで「物好き」のくだりは忘れてください。 往時のブームは去って久しい「教育の歴史社会学」。その一方で、この20年弱のあいだに「移動・選抜」系と「言説・社会史」系とに研究手法のフォーマットが確立し、「通常科学」のフェイズに移行した斯界はむしろ新たな飛躍に向けた土台が準備されたと言えるのかもしれません。 このたび、教育社会学の歴史研究におけるさまざまなサブジャンルやテーマの「交流」を目的とした「緩やかな」研究交流の場として、表題に記した「教育の歴史社会学コロキウム」(仮称)が立ち上
※致命的なものはないよう書いたつもりですが記事の性質上ネタバレ皆無というわけにもいきませんので、以下読み進められる方はあらかじめ悪しからずご了承ください。それと、万に一つの誤解もあってはいけないので蛇足ながら申し添えますと、私は同姓同名の映画評論家の方とはまったく別人の、社会学を生業にする、ただのしがない大学教員でございます。 ということで、今さらだけど富田克也監督作品『サウダーヂ』(2011年、制作:空族/『サウダーヂ』製作委員会)を観てきた。最初の公開期間に行きそびれ、その後全国各地の劇場で上映されるも日程調整しきれず、気がつけば上映館がなくなり、DVD化もしない方針と耳にして、先に立たない後悔の念に打ちひしがれていたところ、GWから5月10日にかけてオーディトリウム渋谷にて上映(35mmフィルム・英語字幕付き、167分)との情報入手により大願成就(おおげさ)。 すごくよい映画である。
ちょっと調子もよくなかったし、なんかしゃべるような感じでもなかったわけである。だがせっかく無理して足を運んだことでもあるし、少しだけ感じたことを記しておく。 「教育と職業・政治 再論」という発題なのだが、いったいぜんたい「職業教育」と「政治教育」がどうして対抗関係、みたくなっているのか、いくら考えてみてもよくわからない。しかも「再論」とか言われて、いつ論じたことになっていたのか、と思って読み直すと昨年の研究会で教育と職業の関連性と教育と政治の関係性とが焦点になったからだと書いてある。でもそれは濱口桂一郎と小玉重夫を呼んだからだろうとしか思えないわけだが、しかしこの二つがなぜか交差する二軸みたく扱われることとなった。 一つ気になったのは、この二軸でできる四象限に各論者をプロットした報告があって、広田照幸もそこに位置づけられたりしてまあそれはどうでもよいのだが、『陸軍将校の教育社会史』という本
先日、勤務校で学類説明会と称するいわゆるオープンキャンパスが催され、模擬授業なるものを仰せつかった。30分で大学入学前段階の聴衆に向けて「社会学とはどのような学問か」を語れ、とおっしゃる。そう低くはないハードルである。 ということで、当日しゃべった私の手元に用意したメモである。最近私の講義ではこのメモと同様のA4・1枚のハンドアウトを配布して、それにもとづき時に板書も交えながら(ほとんど交えず)しゃべる、というスタイルを採用している。以前とはだいぶ変えた。この日は聴衆の数がやたら多くまた時間も30分と長くないのであえて配布はしなかった。チェックボックスのある行のポイントを大きく見やすいようにしているが、この日のは必ずしもそこが重要だからというよりは、話の転換ポイント(発問とか)を忘れないための用意である。 注意したことは「常識」「自明性」「疑う」の3語はNGワードにしたことである。これをキ
既視感 古市憲寿さんの『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年)という本を読んだ。先月末のテレビ朝日「朝まで生テレビ」でのお題になる程度には話題になった本だ。 著者は1985年生まれの26歳(刊行時)。この若さですでに『希望難民ご一行様:ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書、2010年)とあわせて2冊目の単著。著者自身が「若者」世代だという位置づけも加わって、マスコミの話題にはなりやすく、またそれゆえにずいぶんと毀誉褒貶も激しい。大人気ない罵倒や感情的な表現に流れた反発・批判も寄せられたようである。そのなかには著者の肩書が「社会学者」となっていることに向けられたものもあった(どうでもよい)。 私はというと、率直に言って、面白かった。「若者論」の体裁をとった現代日本社会論である(現代日本の「一億総若者化」というのも本書の主張するところである)。読み始めてから一気に読了まで
さる12月17日(土)、慶應義塾大学の赤林英夫先生が研究代表であるところの平成23年度科学研究費補助金(基盤A)「ミクロ計量経済学的手法による教育政策評価の研究」の研究集会なるものが開催され、不肖わたくしもプログラム終了後の懇親会まで含めて参加する機会に恵まれた。科研の名称がすでに雄弁に物語るが、日本でもようやくミクロ計量経済学が教育政策評価をめぐる研究に関与の度を高めつつある現状を反映し(←やや過大か)、たいへん有意義な会であったと思うし、今後の展開も期待するところ大である(←ここは正直)。 プログラムは以下の通り。経済学とは記載の慣習が異なるのかもしれないが、自分の領域基準にのっとり、実際に登壇された報告者に「○」を打ってある(研究業績表記の点で経済学では不適切であれば訂正いたしますのでご指摘ください。>識者)。 「ミクロ計量経済学的手法による教育政策評価の研究」研究集会 ・「少人数教
学生の受講態度のだらけぶりに呆れ果ててしまって、もう大学で教鞭をとる気も失せるほどらしい(伝聞)。 たしかに、講義中に私語する学生はいるし、居眠りしている学生もいる。後者は他の受講生の邪魔をしていないぶん前者に比べればどうということもないはずだと思うのだが、何時間もかけて講義ノートや配布資料を準備した教師の側からすれば許しがたい受講態度と映るのかもしれない。教える側にとって自分が教えている内容が有する価値というのは自明でもある。それに価値を見出さない(かに見える)学生の姿は許容しがたいものに違いない。 ......などとわかった風に書いてみたが、正直に言うと、そういう教師の発想というのは私にはちょっとよくわからない。あなたは講義中に居眠りしたことがないのか、あるとすればどのような講義の時にそうだったか、と問うてみたい気もする。 しかし私語は教師としては困る。真剣に講義を聞こうとしている学生
(今日のエントリはここしばらく続いた一連のエントリ群の話題から少しそれて、研究者、それもごく一部の関心を共有する人にしか関係がない話です。書いておいてなんですが、ここに来られるそんなに多くはない皆さんのうちの多くの方にとっては読む時間的コストパフォーマンスの悪すぎるエントリですので、スキップしてどこか別のサイトに行かれるか、なにか別のことをされるようお勧めします。) 『教育と平等』雑感、と題したエントリはあるいは好事家がたいした生産性もない話題にぐだぐだと時間をかけた饒舌に映ったかもしれない。そんなことにかける時間があったら生産的な仕事をもっとしろ、という先達の叱咤はもちろん謹んで承るところであるが、その意図の一端ぐらいは記しておいて無駄でもないかと思いたい。 かつて数理社会学会の『理論と方法』という雑誌で「計量歴史社会学」という特集があった。日本の計量社会学で明瞭に一つの主流であったSS
あらかじめ手の内を明かしておくと、今日のエントリがだらだらとしまりなく長文なのは、(今日のは)わざとである。 そして、たぶんしつこいと思われているだろうが、いまだ 宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』(岩波書店) 出版記念、販促祭りは継続中である(販促になっているか否かは別にして)。まだまだ。ぜんぜんである。よくもまあ一本の論考でここまで長文のエントリ何本も引っ張るなとお思いだろうが(私も思っている)、噛んで噛んで噛みつくしてもう味もぜんぜんせえへんわ、と思ってから再びふわっと味が甦る「味の向こう側」(@麒麟・田村)の境地はまだであろう。これからである。 ところで、ひさしぶりに「苅谷節(かりや・ぶし)」という言葉に触れた。昔、院生の頃、学会発表の場にオーディエンスとして座っていたときに耳にして以来だ。 「また苅谷節がきたよ」。 発表が始まったとたん背後に小声でそう吐き捨てられた言葉に身
昨日、越後湯沢にて、拙稿「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」(宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』岩波書店、所収)を参考文献に指定させていただいたうえで、苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書、2009年)を中心とした苅谷的な戦後日本教育史像=大衆教育社会論とそのもとで展開した90年代以降の教育改革を考えるセッションを開催し、話題提供を行った。 題目は「大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に」である。 もちろん、苅谷先生じきじきのご参加もあり、夜中までかけてエンドレス議論を繰り広げたわけである(途中から、というか最初から飲み会モード全開であったという事実は伏せておくことにしよう)。 上記の拙稿は『教育と平等』ですでに苅谷先生が論じている問題を参照しながらも、明らかに、さしあたりそれを等閑に付し、あえてそこから教育実践レベル(本書の言葉で
もう件の宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』岩波書店は発売ですね。いい加減、くどくなってきましたね。それでは、もう本文のほうは手元にあるものとしてエントリを続けます。ブログだけでは詳細が判然としないところもあるでしょう(当然)。それは本を買って読んでください(テキスト指定)。なにせここまでの一連のエントリとこれからの一連のエントリは販促のための宣伝活動なのです。 苅谷剛彦氏は「子ども中心主義」の教育、「個性の尊重」だとかそういうのを謳った教育実践を格差拡大をもたらすものだとして論難したが、そこにあったのは「個性尊重の教育実践」でもなんでもなく、端的な「教育実践の不在」であった。ではなぜ「教育実践の不在」がもたらされたかというと、先駆的実践の理念と手法が中央政府に引き取られ政策化される際に《通俗化》の変換が加わった故である。その《通俗化》の変換が加わったあとの――教育の個性化でもなんでも
さて、拙稿に「書かなかったこと」や「書いた後に考えたこと」、それも拙稿が記述の対象とした人びとと議論を交わすなかで「考えたこと」を紹介していくためにも、拙稿が何を書いたものかについて、最低限の了解をもっておきたいと思います。 『再検討 教育機会の平等』の編者である宮寺先生執筆の序論から拙稿の内容をコンパクトに紹介した部分を抜き出します。 第五章の森論文(個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から)では、一九九〇年代以降展開されてきた「教育の個性化/自由化」政策に向けられた教育社会学の言説が、教育機会の階層間格差拡大という側面だけに焦点を当ててきた点で、一面的であると批判する。「個別化・個性化教育」の実践には、地域の公立学校で受け継がれてきた独自の理論が見出しうるとして、森はそれを「教育可能性に向けたテクノロジーの昂進」という視点から抉出するとともに、教育実践運動が、地域とのつな
前エントリのなかにでてくる「「よい教育」を実践しても、その要因独自の効果が安定した頑健なものとして取り出されることは、今のところ、めったに、ほとんど、ない」といった表現には、ご想像の通り、一定の誇張が入り込んでいる。少なくとも心理学系の専門家からは「ちょっと待った」の異議が入るところではある。 ある教育のやり方が他のやり方に比べてより高い効果をもたらす、という結論が安定して得られている事象も――もちろん――存在する。門外漢ではあるが一例を挙げると、ある学習環境(たとえば教室)でどのような目標が重視されるか(=目標構造、goal structures)――競争的/協同的/個別的 etc.――によって子どもの学業成績や良好な友人関係形成への影響に有意な違いがあることなどは、かなりの程度、研究者内での合意が得られる水準にまできてるだろう(上記三者の目標構造のなかでは「協同的 cooperativ
「○○序説」というタイトルの論文や著書にろくなものはない(経験則)。 前エントリの最後では、「教育」を内在的に語ろうとするとき、人はみな「教育さん」になってしまう、それはなぜなのか、という形で「教育さん」問題を定式化した。 当然、「教育さん」とは何なのか、それをまず提示(定義)してくれ、と求める声もあるだろう。しかし、「教育さん」とは何なのかという問いに十全に答えることができるとき、すでに「教育さん」問題というのは解かれてしまっている、その問題が解かれる段階に至るまでは「教育さん」とは何かという「定義」を下すことはできない、そのようなものとして「教育さん」はある、このことは確認しておきたい。 「教育さん」とは誰か、それは「教育」を語るときに誰もが陥ってしまう、そのような存在である。 「教育」を語るとき、言う必要もないはずのある種の「過剰」を抱え込む、あるいは、「教育」を語るために援用する理
さて、と(また長いよ、中身ないけど)。 戦前について『近代日本カリキュラム政策史研究』(風間書房、1997年)、戦後について『現代日本の教育課程改革 ―― 学習指導要領と国民の資質形成』(風間書房、1992年)、という分厚い実証研究の方は参照しておらず、この本(『学習指導要領は国民形成の設計書』(東北大学出版会、2010年))の内部だけで話をする(きちんと勉強すべき人は↑の2冊へ)。 たとえば大田堯(編)『戦後日本教育史』(岩波書店、1978年)の後半(3章・4章;いわゆる「逆コース」から60年代・高度成長期にかけて)のように「国民教育運動」に棹さしながら「教育の国家統制」批判の論脈と歴史像とをシンクロさせる叙述――端的にいえば「文部省vs.日教組」図式のもとで後者にコミットした歴史像の構築――のタイプと対照したときに、どのような歴史像として読めるか、あるいは“あえて”読み込むか、という問
最初に断っておくが、ひさしぶりだからといって、そして長文だからといって甘くみてはいけない。今日のエントリの中身の乏しきこと、そのレベルの低きこと。 ...と書き始めて、途中からすっかり日曜の研究会対策のレジュメ作成モードになってしまい、12000字を越えてもまだオチまで辿りつけない徒労感に苛まれて放置していたが、二宮さんもブログに挙げられていたことであるので、とりあえず前半の「違和感」モードのところだけちぎってアップしておく。後半の研究モードのところは待たれよ次回、ということでひとつ。 さて、水原克敏『学習指導要領は国民形成の設計書――その能力観と人間像の歴史的変遷』(東北大学出版会、2010年)である。資料・索引込みで全291頁、本文259頁。 明治の初め、近代学校制度の創設から今日に至るまでを対象に教育課程(カリキュラム)の歴史的変遷について叙述した、いわば日本の教育課程の「通史」であ
東北太平洋沖大地震とその後の津波による被害に遭われた方々、また、震災による被害のみならず、その後の福島第一原発での事故と放射性物質拡散による避難生活を余儀なくされている皆さまに心よりお見舞い申し上げます。 そんな今だからこそ、人生の節目の話をしようと思う。 被災地ではもちろんのこと、首都圏でも卒業式・学位授与式の中止という判断を下す大学が多くなっている。不必要な「自粛」を戒める声も大きいし(個人的にはその意見に賛成だ)、なにより、4年の時間をかけて教え子を「学問」という営為へと誘う役割を真摯に引き受けてきた多くの教員にとって、その最後をきちんと祝したうえで次の進路へ送り出してやりたいという思いは強い。だが、いまだ大きな余震の発生可能性も否定しきれず、輪番停電や鉄道をはじめとする交通事情等々に鑑みれば、さらなる被害や混乱の拡大を防ぐという面からも、いたしかたのない判断であろうとも思う。 かく
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