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大そうじへの備え
harubonbon.hatenablog.com
障害の受容 子どもにしても大人にしても、発達障害というものは見た目ではわからないし、診断を受ける前とあとで、その本人に変化があるわけでもない。 ただ、「ああ、そうだったのか」と自己理解するだけ。 親御さんであれ、成人だったら本人であれ、障害というものをそれまでどう捉えていたかによって、発達障害の受容は変わってくるのではないかとわたしは思う。 わたしは、どちらかというと障害というものに大きな隔たりを感じていて、暴言を吐くならば「人ではなくなる」くらいにイメージしていた。 つまり根本からの差別をしていたわけだ。 障害と面とむかって対峙したのは、息子の診断を受けたとき。 診断してくださったドクターに暴言を吐いた覚えがある。 せっかくドクターが「お母さんのせいではないですよ」というセリフを言ってくれたのに。 それからが障害についてわたしの考えがゆっくり変わって行ったはじまりだった。 診断を受けた児
最近のわたし ストラテラ9週目。効果が現れてきたのかこのところ少し調子が上向きでうれしい日々をおくっております。 ストラテラの量は50mg/1dayとかわらず。 若干の不調は、アレルギー。 顔と首筋と指の間にアトピーのような赤みと痒みが月一くらいで発生します。 いちど痒みが発生すると、夜中にぼりぼりかいちゃうので、皮膚がちょっと痛々しい状態になってしまいます。 今現在、痒みと赤みのピークが過ぎて、痛々しい状態の皮膚をしています。 今回は血が出るくらい掻き毟ることはなかったので、何とかごまかして外出も可能です。(ただしよく見ると皮膚がボロボロでしわしわでかわいそうです) 皮膚科に行かずにすませているのですが、これ以上悪化したら行こうとは思っています。 *これはストラテラを飲み始める前からの症状なので副作用ではありません。 その他は(筋肉の痛みと円形脱毛症はかわらずですが)なんというか自然に調
ほとんど記憶のない女 古いブログを整理していたら、こんな記事を発見してしまいました。 harubonbon.seesaa.net 2005年11月22日のもの。 この当時は、息子の発達障害の診断を受けて2年弱くらいのころ。 診断のショックもずいぶんと落ち着いて、息子は小児喘息という病気を抱えてはいるものの、対外的には順調に成長しているころで、わたしも、フルタイムで仕事をしていましたが、精神的にも肉体的にも今よりはかなり丈夫で、特に悩みのない、すっかりのん気モードになっていた時期だったとおもいます。 昔のわたしは、記憶力のよさにけっこう自信を持っていましたので、「記憶」に関しての悩むなどということはないと思い込んでいました。 これ、自分自身を見つめる力が不足していたか、思い込み一直線の人生を歩んできたか、その両方か…というところだと思うのです。 ASDにありがちな思い込みですね。 健忘に関す
認知症うたがいからADHD(注意欠陥多動性障害)へ あまりにもひどい『健忘』の正体を探るために、認知症の検査をうけ、その結果は特に問題なし。 次に精神科の主治医が思案してくださったのが、ADHDのうたがい。 ADHDの検査と幼い時のエピソードから、その疑いが濃厚と出て、投薬を始めることになりました。 *詳しくはこちら↓ harubonbon.hatenablog.com ADHDの治療薬として コンサータ(メチルフェニデート)中枢神経刺激薬 *コンサータ錠18mg 医薬品情報・検索 イーファーマ ストラテラ(アトモキセチン)NRI/ノルアドレナリン再取り込み阻害薬 *ストラテラカプセル40mg 医薬品情報・検索 イーファーマ このどちらかを服薬することになったのです。 わたしは過眠症(特発性過眠症らしい)をもっているので、その薬に中枢神経刺激薬の仲間「モディオダール(モダフィニル)」を服用
9月になりました 二学期が始まりました。 我が家の息子も早起きして無事登校しました。ちなみに朝の4時に起きていました。(緊張のためと思われます) 9月1日。 子どもの自殺が一番多い日。 長い夏休みのあとの学校の開始日。 学校に対して、あるいは家に対して、友だちに対して、クラブ活動に対して、「何か」ある子たちにとって、夏休みの終了はある種の苦しみが生まれてくる。 わたし自身も息子も、不登校経験者なので、そういったちょっとした苦しみが複合されて大きく膨れ上がることを体感している。 もちろん人それぞれの苦しみがその数だけあって、その苦しみは本人しかわからないものなのだけど、はじまりの日の苦しみは共通のものがあるかと思う。 親としてできること それがいつはじまるのかは親が予測することなど無理なわけだし、それを要求するのは残酷すぎる。 子どもの変化はとても複雑だから、すべてを親が見守ることなどとても
無職脱出作戦は失敗しました 何気なーく、無料配布の(勝手にポストに入っているとも言う)情報誌見ていたら、勤務形態がわたしにぴったりのお仕事があったので、誰にも相談せずにとりあえず電話連絡し、面接にこぎつけました。 ほんと、自分でも何考えているのかわからない行動パターンでした。こんなふうに突発的に動けたのは久しぶりのこと(彼是30年ぶりくらいかも)。それでも、専業主婦間もなく10ヶ月目になるのでそろそろ動き始めてもいいかもと、自分で自分を納得させて、苦手な苦手な面接に行ってきました。 かなりあがっていたので、記憶が定かではないのですが、履歴書になんと誤字を見つけそれが気になって気になって仕方がなかったというのが何よりも記憶鮮明。 いろいろお話を伺って、こちらも何とか受け答えは年相応には出来たと思っていましたが、メールで残念なお知らせが入りました。 まあこんなもんでしょ。 息子とわたしの仕事に
今年の雨期はものすごくよく眠れます たくさん眠ることに罪悪感を持っていたころには、最近のように寝たいだけ眠る。ということが出来なかったので、あまり比較対象が多くないのですが、ここ数年だけとってみても、今年は本当によく眠れる。 一日20時間睡眠を今月だけで3回もやってしまいました。 まあ、たくさん夢が見られて幸せいっぱいです。 たくさん眠ったあとの体調もまずまずで、いい感じで現実も生きています。 頭の回転は少々ゆっくり目なような気がしますが、まあ、家事労働にはそんなに差しさわりがない。 しなければならないことに追いかけられているときには、そうは言ってられませんから、何かを諦める生活をしますけど、ここしばらくは、予定もゆっくり目の予定ばかりなので、大丈夫そうです。 とりあえず苦手な梅雨の時期、何とか過ごせそうです。 梅雨に入る前に読んだ本の話 発達障害関係の書籍を三冊ほど読みました。 どれも、
わたし自身が発達障害で子どもも発達障害 マジョリティである普通のお母さんからすると、発達障害の子はとても育てにくくて大変だという話を良く聞く。 正直なことを書くと、我が家の場合育てにくさを感じたのは、保育園に入ってから。つまり家という小さな社会から、少し大きな保育園という社会に入ってはじめて、普通と呼ばれる子ども達との違いを感じ、見、聞かされ、その保育園という初めての社会での我が子の生き方が多くの普通と呼ばれる子どもたちとかなり違っていることを知ってからのこと。 わたし自身がASD(自閉症スペクトラム)ということもあり、自身の幼児時代の数々の勲章物の出来事を覚えているだけに、違うことが問題のあることとは少しも思っていなかったのもある。 他の子どもと違って問題なのは、命令(号令)にしたがって、みないっせいに同じことをやらなければならないときにそれが出来ない、ということが、社会を営む中で大きな
母の日ですね 子どものころ、母の日に何かを贈るのは義務という名の強制だったので、良い思いでは皆無。 自分が母親になってからも、こういうイベント事に鈍感なわたしはいつも知らないうちに通り過ぎていくか、気付いていてもめんどくさくて何もしないか、もしくは、自分のために美味しい物でも作ってみたりするくらいのことしかしていない。 息子が小さな頃は、父の日と母の日の間の期間に、おうちの人あて(だれでもいい、色々な事情のある子どもたちにも自然と参加できるように)に、ちょっとした絵手紙などをもらったような気がする。 だから、母の日だからといって特別なことは何もない。 今日は冷蔵庫の残り物の整理で夕食を作る予定でいるし、ごちそうもなし。 息子も母の日を意識したことはまったくないんじゃないだろうか? 誕生日はちゃんと祝ってくれるので、それで充分。 わたしにとっての母の日 これはもう、先に書いたように強制でしか
のんびりしたゴールデンウィーク のんびりというよりも、ゆっくり寝てばかりのゴールデンウィークでした。 今日は5月5日のこどもの日なので、あと一日。 今週のお題「ゴールデンウィーク2015」 いちおう乗っかってみました。 寝てばかりでしたが、それなりに家事が出来ました。 衣替え半分 秋冬物の手洗い洗濯(洗濯機におまかせ) 大物の洗濯(シーツや毛布) ベランダの片付け こんな感じです。 ほとんど洗濯関係。 わたしはよほど洗濯が好きみたいです。 意識したことはなかったけれど、一番うつも線維筋痛症もそのほか体調面すこぶる悪いときでも、洗濯だけは唯一できる家事だったから。 たぶん苦にならないのでしょう。 ベランダの花たちが一斉に咲いて、咲きすぎてあっという間にもう花をカットしなきゃいけない状態になってしまって、わずか一週間の間に、ベランダの風景ががらりと変わってしまいました。 たったの二鉢なのに、バ
自閉症啓発週間毎日何らかの記事を書こうという野望は簡単に崩れました ASD者にとって体力の温存、体力のキャパ拡大、上手な体力の使い方を学ぶ。 これとても大事だと思います。 体力がなくなるとやっぱり頭が働かなくなるし精神的にも当然不安定になるし、良いことはほとんどありません。 わたしも意気込んで自閉症に関する記事を書こうと思っていたのですが、己の体力のなさに簡単にその野望は崩れ去りました。 わたしの場合、線維筋痛症というこれまたマイノリティの身体的難病を患っていますので、一応寛解しているのですが、気を許すとあっという間に、全身動かなくなる(痛みで)。この病気の原因などはハッキリしていないことから私が勝手に想像(妄想)するには、ASD者はこの疾病にかかりやすいのではないかということ。 緊張の強いタイプの自閉者たくさんいますよね。この状態が長年続いたりすると、筋肉のあちこちが筋肉同士がかばいあっ
世界自閉症啓発デー わたしは自閉症児の親であり、自閉症者でもあります。 一人息子は知的障害を伴わない自閉症。 だからといって問題なくすごせるわけがなく、小学校二年生という幼い年齢から二次障害に陥ってしまいました。 それからは学校との関係(様々な協力のお願い)医療機関への通院、二次障害を治すための心のケアであるプレイセラピーやカウンセリング。 日々の時間こういったことでほとんどが過ぎていきました。 毎年春に世界自閉症啓発デーがあることは知っていました。大きなイベントや勉強会なども催されていたような気がします。 それでも子どもの日々の問題に振り回されて、自閉症そのものの啓蒙や啓発には程遠いところにいました。 春というのは子どものためにしなければならないことの山積みの季節。 進学や進級。毎年毎年繰り返される息子の障害への理解とサポートのお願い。 これはどの親御さんでもとても神経を使う大変なこと。
何とか仕上げました。 のべらっくす【第6回】短編小説の集い、テーマは「桜の季節」 novelcluster.hatenablog.jp 少しだけエロいです。そして字数500字程オーバー 。 もっと推敲したかったけど、残念。 サクラの散る日 列車の窓から見える風景が、だんだんと緑が深くなっていく。 雄一郎はそんな緑を目で追いながら一つ大きくため息をついた。 彼是、十数年はたつだろう。 学問という言い訳をこしらえて、彼は少年期を過ぎると早々に家を離れた。都会から半日はかかる田舎。その距離を言い訳にして、彼が実家に足を踏み入れることはなかった。 出来ることならば永遠に家には戻りたくはない。 彼の心中はそればかりだったが、今度ばかりは戻らない訳にはいかなかった。 気丈で頑健なあの父が病で倒れたと言う連絡が入ったのだ。 雄一郎は幼いころ身体が弱く、近所の子どもたちとの遊びも喧嘩も好まず、それから逃げ
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