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CES 2025
atom-age.hatenablog.com
■小磯健二の話。主人公のケンジは、外部の視点で些か過剰で普通じゃない陣内家において、冷静ではなくとも、普通のアングルを齎しています。これは、終始ケンジ視点で描かれることから、とある田舎の物語に"巻き込まれる"形のアドベンチャーという骨格になります。 正直ケンジが普通か?と言われれば普通どころか、平均的な高校生にしてはかなり数学が得意であるといえます。が、ここでいう普通は「視聴者の目線であること」であって「一般的といえる数学の能力を持っている」ということではありません。あなたよりも数学が出来るということと、ケンジの視点を介して旧家のお屋敷を覗き見るという(その為かケンジのアングルに入らないものは徹底的に描かれません。ただ一つラストの花札バトルを除いて)、憑代としての役割であることは矛盾しません(例えば映画マルコビッチの穴のイメージです)。 人には好きな事や得意なことがあるかと思いますが、その
以前書いたしもねた - velvetdeathの続きと思っていただいて結構です。 ゾーニングについての問題点は、ゾーニングの徹底がなされている欧米諸国で噴出している問題点を参考にするのが妥当だと思う。欧米諸国のゾーニングの徹底によって生まれている問題は、ゾーニングによって行われる文化の横断の断絶だって言われてる。つまり見たくないものを見ないことにより、互いの文化への寛容さが損なわれていると言う事。そういった社会でおきているのは、見せたくないものを管理されたまま育つ人間にとって、見たことが無いものは存在しないものとして扱われるって問題。そもそもゾーニングされた自分達のコミュニティ以外の文化を知らない。知らないって事は教育もされないので、村八分、差別、いじめ、細かいところだと家族に精神病院に行かされるって話は想像以上に溢れてる*1 例えばホラーの定番、自分達の街や旅行先でジェイソンやレザーフェ
ギャル文字は、友情や仲間といった少数単位の連帯感を概念的に設定している故に起こりえるもので、アニメで話題のフレーズやネットであっても同列にあり、同等に冷やかな印象を持ちます。同種の集まりが、人への迷惑があってでも、絶対的なモノへの信頼が尊重され、公の場であっても自分を見失わざる終えない行動を取る。私はそんな精神的な貸し借りで尊重された連帯感はいりません。 と以前自分は書きました。 そしてこちらは、ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル内、シネマハスラーというコーナーのROOKIES評です(文脈を編集して此方の意図に合わせているので、宇多丸の感情とブレがあります) こいつらが身内どうして怒鳴りあったり泣き合ったりしてる間、相手チームは徹底して映さないんです。見ないことになってる演出なんですよ。つまりこれは、ニコガクチームの絆が強まれば強まるほど、他者とか外部とかの存在感がどんどん希薄
こどものじかん。何度も言っていますが、このアニメは幼児の体に商品価値があると言う事を前提にしている。更に自分の価値に本人が気がついていると言う事が、しれっと行われている。これはある一定の事実と共に、恥ずかしいものでも在る為、具象化は難しいと思われていたのだけれど、このアニメにおいてはスラップスティックコメディとしてその価値を遺憾なく発揮する。 その一方で、この概念がいずれどこまでいけるのかという事について考えてみたいのだが。例えば、コンビニで10歳前後の幼児が水着で写っている DVDを30過ぎのおっさんが野面で買っても定員のギャルが眉一つ動かさずに、バーコードを打つような世の中になった時、そのおっさんの衝動(?)は本当に完結するのだろうか。これは、俗に言われる犯罪の抑制としての供給の是非の話だ。過剰供給の齎す犯罪。 私は、世の中のロリコンの大半…いや全員が、その欲に罪悪感を感じていると考え
http://d.hatena.ne.jp/ATOM-AGE/20070201/1170316516 おたく笑いにおける、個人的に最も顕著だと思われる稚拙さは、楽屋落ち、身内ネタに通りがいいと思います。そもそも楽屋落ち、身内ネタは、その内部にコミットする必然性があるので、外部及び、おたくやサブカルに属さない人間が持つ笑いから乖離しているので、島宇宙化して見えると思います。 しかし、友達内でのみ分かる話。ネタ。等という意味においては、おたく以外の人であっても自然に用いるネタの種類だと思われますし。それに一番顕著なのは、おたく・サブカルからもっとも距離をとっているように見えがちな、女子高生文化に当ると思います。その意味では、女子高生ギャグとおたく笑いの類似性は簡単に見出せるでしょう。 つまり楽屋落ち、身内ネタ。というのは、スキルに関わらず、自虐ネタ位には、簡単にクリエイトする事の出来る、オーデ
ここに来て、ライフがポッドキャスト更新。 そこで話していた ・づんd2unのはてなダイアリー http://d.hatena.ne.jp/d2un/20061225/1167015745 ここのサイトが物凄く面白い。この間語らなかった、ヴィジュアルシーンのテクノ方面の切り口と、それに影響を与えた、1980年代後期イギリスで起きたムーブメント『セカンド・サマー・オブ・ラブ』の話が最高。サマーオブラブは、ヴィジュアルにこんな影響を与えていた。 Colorが、1994年にテクノを取り入れたダンスミュージックに音楽性を変えてイギリスでアルバムを発売した SPEED-iDが、1994年ごろのインタビューでヒッピー文化の影響を語ってる それまでバンドサウンドだったMalice Mizerが、1995年にGacktさん加入後の第一弾シングルとして出した「麗しき仮面の招待状」がダンサブルなサウンドになって
http://d.hatena.ne.jp/negative-naive/20070328#1175118988 確かにBUCK-TICKの立ち位置って独特だ。 ここで言われている英国系/米国系という括り以外にヴィジュアルと言うからには、写真が与えた影響と言う視点から考えてロッキンf系/FOOL'S MATE系という風に分けると、BUCK-TICKは、FOOL'S MATE系だったように思う。 例えば、ロッキンf 1991年2月20日発売の、[ロッキンf別冊 ストリートロックシーンの恐るべき子供達]ってのが、うちにあったので見てみると、BUCK-TICKが全く載っていない。 しかし、1991年のBUCK-TICKはというと、2月21日に5thアルバム『狂った太陽』のリリースをしている。しかも『狂った太陽』は、オリコン2位まで行っているアルバム。にも関わらず、このシカトっぷりは凄い。 これは
シン・ゴジラはあまりにも庵野の映画でした。そしてとても面白い特撮映画だったと思います。同時に、台詞とカットによって会議に次ぐ会議をテンポよく、或いは気持よく見せてくれると聞いていたので期待していたのですが、それは思ってたよりは(アニメの時よりは)キレッキレとは思いませんでした。動いていないものを撮っているとしても、撮影はアクションで、静止画と動かないものを撮っている動画が違うのを、誰に教えられたわけでもなく、見れば誰もが分かります。俺ぐらいの歳だとエヴァンゲリオンで始めて、(静止していても)カットが編集で超カッコイイものになってるのを見たんだし。最初に実写を撮った庵野監督が、子供がおもちゃを与えられたかのように手持ちカメラや長回しを乱用するのも分からんでもない。それも一周して、アニメも実写も編集でかっこ良くするってのは変わらない。また、カッコよさに酔っ払ってよく分かんなくなったまま、多くの
あっちで"非モテはどうなりたくて 自分で自分を非モテとか言ってるの?"*1 とか言ってる人たちの、話を聞いてよく分かったよ。 モテを決めるのは、非モテの人たちなんですね。 これは、毎日毎日お忙しい仕事でしょう。 ってことは、世の中のどこかに存在するらしい モテの人たちは、 自分がモテかどうかを決める手段を持たないので 自分が、モテている事を知らない。 非モテの人は、自分で、モテを決めているので その仕事を退職するまでは、 一生非モテ(モテではない側)でいれるって事だ。 この偽善詐欺者め。 そうでもないか、常に背後を狙われている戦争状態か。 と言う事は、主導権を握っているのは 自分達(と思っているOr思いたいから)なのですね。 つまり、空気サバイバルゲーム。 >結局非モテってどうなりたいんですか? って質問は、 何の為にサバイバルゲームやってるんですか? と言う事で、好きでやってる人には、超
非モテへの「イジメ」という流れを聞いた時は 迂闊にもトキメイてしまって、見てやろうと思っていた。 あいのりって、恋愛バカ日本代表の番組。 ってイメージが、非モテの人にはあるんだろ? ってイメージが、あったんでw 非モテにどんなパンチを放つつもりなのか と思ったら…これ「イジメ」? やってる本人に自覚が無いものは 「イジメ」とはいいませんよ。 こんな言葉遊びで、過大解釈してたら 深刻な「イジメ」を受けている人が、辛いんじゃないかな。 例えば >何も悪くないのに傷つけたことに反省している って、適当に謝ってるけど、時と場合によって 『沈黙は罪』って人も、中にはいるでしょうて。 それを否定するような行動にイライラする人が あいのりの中にいてもおかしくないでしょう。 話しかけてるのに、シカトされて それでも切れないのは、相手が内気な子だからでしょ? それでも、自覚せずにイジってるのでは 身の程を知
死に忘れましたわ - ヴィジュアル系と歪んだ身体感覚を読んで。 一々、突っ込みます。ヴィジュアルマニアなんで。 非モテ、類型的な初世代のおたく、ヴィジュアル系 各々の「身体感の希薄さ」 まず、非モテとおたくが近すぎるでしょ。 そこにヴィジュアル入れたら、そらおかしくもなる。 それでもこの三つに入る、根拠となるべき 通り相場ってのが非常に古いため、 HM/HR(←肉体性は、ここが源流だと思われる為)の流れから、 著しく逸脱した現行のヴィジュアルには、 必ずしも当てはまらない(当てはまるバンドも沢山居る)。 非モテと、おたくを分けるくらいなら、 ヴィジュアルも、細分化してくれよ。 おたくがそもそも広すぎだから(ヴィジュヲタとか言うでしょ) 非モテ、ヴィジュアル系、医学部 とかじゃないと、バランスがとれない。 その後、大槻ケンヂ氏の発言が言及されるのだが、 ここでの参考例が『X』。まさにHM/H
私は、風俗嬢が『人生経験』の為*1に 風俗産業へ参加する事に、強い抵抗があるんですね。 それは、 「ニ・三ヶ月、風俗やったぐらいで 浮世を見たつもりンなってんじゃねーよ」 「うちで、社会科見学のつもりか?あ?」 「おめーみたいのが、社会派気取りつつ 『うちは人生経験豊かやで、よー分かんねん』 とかヌかしたら、ぶっ飛ばすぞ!」 って気持ちが、どっかにあるからだと思います。 『人生経験』の為に、風俗で働くのって 風俗で働いている人に、一番失礼なんじゃないかな。 また『夢はかわいいお嫁さん』とか言いつつ、 抜き抜きポンやってちゃ、ダメだろ! それ『かわいいお嫁さん』になる為に、一番遠回りだよあンた! 後、タイトルは最近『はてな界隈』で 議論(?)されているらしい*2 男女の友情もテーマにしたつもりなんだけど セックスフレンドとセックスレスフレンド*3 の境界線って、尤もらしい所等へんが 現時点で
ずっと前からなんだけど 同性に好かれたいとか、 女性から、かっこいいって言ってもらいたい とか、聞く度に「おえっ」ってなってます。 だって男性って、かっこいい女性に興味無いじゃない。 女性から見てかっこいい。 女性から見て尊敬できる。 ってわざわざ『女性から見て』もらわないと 誰からも見てもらえないからでしょ。 アホらし そういうプライドの高い人って さとう玉緒とか小倉優子をキャラって 割りきらないと笑わないじゃないですか。 あれって、そうしないと嫌な女を 演じないといけないから、そうしてるんですよね。 だからわざわざ「女性から」「同性から」 って言いながら、理性を保ってるんですよね。 なにも言わなけりゃ"人類全て"からなのに 限定するって事は、それだけ 「男の視線に媚びてないですよ」 って言いたいって事ですもんね。 男と女で分ける必要がそもそも無いんですから。 その結果が、嫌な女に見える
やーーっと、文化系女子の話が落ち着いて アルファブロガーさん達は、誰ももう書いてない…よね。 こっから小声で。 ずーーっと、気になってたことがあったんだけど 「文化系女子ってサークルクラッシャー」でしょ って言ったら、セクハラ? じゃあ、じゃあ…ごめんなさい… でも言います。 文化系女子って、多少不細工なくらいなら、 ほとんど、サークルクラッシャー(以下サークラ)じゃん だって、文化系女子ってのは「自らの女性性を嫌う心」 っていう部分に、男の子が萌えてるんだと思うの。 肌を露出した服を、あまり着ないとかさぁ。 例えば、サークラ・ホビットになりがちな 非モテの人のアンテナに引っかかるのは、女性性じゃない? どばどばフェロモンが零れちゃってる人は、論外としても 非モテの人が、怖がったり、むかついたりするのは 女性性をアピールしたり、演出する女性でしょ。 それは、その心を通した先の想像に畏怖して
岡田"オタキング"斗司夫が、 おたくの死を語りその際に感極まる。 という話があらゆる所で、語られているので 一応、「おたく」についてアレコレ騒いでいた身として 語っておいた方がいいのかな、と思いました。 (http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060524#p1) (http://d.hatena.ne.jp/kasindou/20060525#p1) (http://d.hatena.ne.jp/ADAKEN/20060525/1148484907) タイトルは、オタキングのイズデット宣言で 『おたく』が『オタク』の手から離れましたよ! やったね!『おたく』復活祭だ!! 余り長く書いても、昨日書いた事より 興味が沸くことは無いと思うので、ザックリといきます。 これは完全に、宗教家の自己愛マッチポンプだと思います。 同時代性を担保に、おたくをアカデミックに捏造し
次世代Web倫理を有するニューウェーヴ陣は『言葉使いがなってない』。だが、現Web倫理内での『それは、あなたのやり方なんだから、とやかく言うつもりは無い』といった姿勢の上で、これは切り離しては行けない様に思う。 現Web倫理上では、必要無いと感じるのかもしれないが、ニューウェーヴ相手に、私信と公言を分ける事は出来ない。だって『ごめんなさい』や『間違えました』が言えないんだもの。そして『ごめんなさい』と言う変わりに閉鎖してしまう。これは厳しい*1。もしかすると、Web上で好き勝手な事を言う変わりに、被害を蒙るリスクを払うつもりはないのだろうか。俺がこう書いている事も、いつか急に裁判沙汰になる可能性もあるのだが。 そして、自分の言わせたい言葉に要約して*2「○か×かのどちらかと言った話しでしょう」と議論を矮小化し*3、自分にとって重要な話(個人的主題)を*4展開させ、論理性を排除した感情を込め
(http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonio) (http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060331/tonio2) (http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060331/sumeragirir6) 様々なコメント欄で度々見かける両氏が、御本人だとして。 人の言葉を借りなくなったら、 ここまで、言葉が稚拙になるとは思わなかった。 id:using_pleasure氏の記事&コメント欄と このid:kanose氏の記事&コメント欄は これからBLOGや日記CGI等を始める人にとっての ガイドラインになるのかもしれない。 この話が、広義において共有され得るWEB倫理を アップトゥデイトしたと言う意味に置いて BLOG世代*1とテキストサイト世代*2とを結ぶ 有意義な、WEB倫理感の軋轢だった(BLOG世
アバウト非モテ童貞 非モテ、童貞についてのBLOGに置いて 叫びや、呟き、恨み節を拝見させていただく時、 異性への恐怖を口にする人は少なくありません。 しかし、恐怖と言う言葉を正確に使われているかは、甚だ疑問です。 身の程を知る為に、正確な恐怖を表現する事は コミュニケーションの問題や、相対的な自己評価、 画一的な発想力を鍛え直し、多面的な社会性を営む為に、 頭に入れておきたい事柄だと考えています*1 fear(心配、畏敬、知識的嫌悪) terror(恐怖、肉体的嫌悪) horror(突然、精神的嫌悪) fright(戦慄、精神的嫌悪) dread(心配、不安、知識的嫌悪) 恐怖症、神経症、精神疾患では 単一恐怖(高所、潔癖、蟲) 社会恐怖(対人、赤面) 広場恐怖(パニック障害) 等と分けられるそうです。 こうして見ると、分かると思いますが、 異性への恐怖とは、社会恐怖の中の対人恐怖症 英
id:rir6とid:ishmaelの議論があって、 詳しくは、(http://d.hatena.ne.jp/K416/20051219/p1) を読んでもらうとして、特に何も無ければスルーで。 直接的には、関係無い話をへむへむ言うので。 正解と不正解は論点にならんよ 僕は、揉め事が嫌いだけど、 これは、揉め事じゃなくて、議論だったと思うのだけど そう受け取る第三者もいて、まぁ、いるんだろうけど。 こういう終わり方は、とても後味が悪い。 本当に揉め事だったみたいに。 なんなんだ、終了って? 意識的にしろ、無意識的にしろ自殺だろう、これじゃ。 僕には、この終了と言う文字が、 屋上で並んだ、靴に見えて仕方が無い。 誤解を与えたくないのだが、 id:rir6が自殺に追い込むほどのストレスを与えた。 とかは、あんまり興味が無いんだ、 どちらかと言うと、俺は被害者、アイツは加害者 って分ける事が目的
ウザイ事と、自意識過剰と、もう一つ id:kanose氏が ネットをつまらなくしているのは自分語りを否定する奴だ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051201/mydiscourse ARTIFACT@ハテナ系 において、過去記事の補足をしているのだが 自分の弱い部分をネットで公開するのはセキュリティホールになることは意識したほうがいい http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051130/securityhole ARTIFACT@ハテナ系 id:kanose氏が、考えていた反応・反論?とは 少しのずれが生じている様に感じた。 本来は「自分語り」という、 フォーマットの説明をしていく上で 「自分語り」をワザと・アエて、BLOG内に忍ばせる事によって 読んでいる人に、自分(管理人・中の人)の印象やプロフィールを 意識的に扇動するという目的
おたくとオタクを区別するのは、選択的自意識。 元来、アニメ・漫画が好きな人が 「おたく」と呼ばれる事と 人を避けて歩いていたら、そこにアニメや漫画があった人が 「おたく」と呼ばれる事は違う*1 だとしたら、後者が「おたく」ではなく「オタク」と 「おたくの歴史」上*2定義し。 今回は、 能動的「おたく*3」と 受動的「オタク*4」に分け、 考えていきたいと思います。 そこには暗くて深い溝がある。 おたくが叫んだ時<オタク>が生まれた。 元来「おたく」と言う言葉には、「オタク」でしかあり得ない事も 要素として、多分に含んでいたにもかかわらず、 人格を分けなければいけない程のストレスが そこには存在したと、思われる。 そこで、イマジネーションで語らせていただくと 宮崎勤の事件が、おそらく凡その 分岐点では、なかっただろうか*5。 その時まだ、一つだった<おたく>は 犯罪者と同一視される事に耐えら
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