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今年の「#文学」
blog.livedoor.jp/idobatamach
友人の旦那がやらかした。 友人夫婦は赤ちゃんが生まれたばかりで、それを祝いに遊びに来たらしい友人旦那従兄弟が 赤ちゃんにとタバスコを渡してきたんだそうだ。 友人はそれを悪質な冗談だとブチギレて、従兄弟を非難した。 すると友人旦那は「冗談も通じない嫁でごめんな」と発言。 友人は更に怒って実家に帰ってしまった。 友人は普段はアハハハと受け流すタイプなんだけど、さすがに赤ちゃんの事となると頭に血が上って相等ヒスってしまったらしい。 友人旦那は断固として謝らないと主張している。従兄弟の方はすぐに謝罪したみたい。 私は友人の旦那とは同じ高校の先輩後輩の関係なだけなんだけど、Twitterで友人を説得して欲しいとしつこい。 私のプライベートのツイートに何度も何度もリツイートしてくるから困る。 友人の話を聞く限りでは貴方(友人旦那)と従兄弟さんが悪いように思えるけど?と返してやったら、反応が無くなった。
まさか平穏な日常がこんなにも呆気なく終わるものだなんて思いもしなかったわ。 俺の場合、勤務中にいきなり嫁の会社の社長夫人から電話が入ったのが修羅場の始まりだった。 嫁の会社とは関連だから一応顔見知りではあったけど、だからと言って特別に親しくしていたわけでもない。 それが会社に直接電話を入れて来るのだから、相当な事情があるのだろうという事だけは何となく察しがついた。 でもまさか嫁の浮気話だなんて思いもしなかったわ。 とにかく時間を作ってくれないかと言われ、慌てて(会社の)近所の喫茶店で話す事になったわけ。 のっけから何の挨拶もなしに茶封筒に入った調査報告書なるものを手渡された。 COPYと判が押してあったから多分複製だったんだろう。 時系列にしてプロの仕事らしく丁寧にファイリングされていた。 内容の全容が明らかになるに連れ、持つ手が震えだしたのを覚えてる。 心臓がバクバクして視界が急に狭くな
もう五年ほど前のことなので記憶が曖昧、名称等不確かなんですが、18歳の頃、自転車で走行中車に激突した時の話 10月頭の夜、歩道を走行していて、目の前を脇道から出てきた車に突如塞がれ激突 警察を呼んでくれたので至極まっとうな人なのかなと思ったら、少ししてから私が当たり屋だと噂が広まった 車の持ち主の奥さんが流したらしいが、こんなものは序の口だった 当たった当初は何故か体に違和感がなく、警察の勧めで対物で処理してもらった 後日診断書があればいつでも対人に切り替えると言われての判断だった しかし翌日目を覚ましたら起き上がることもできず、左腕はいうことをきかなかった 母親に病院まで担ぎ込んで貰い診断書も貰ったが、警察は何故か対人に切り替えてはくれなかった 「事故当初に体はなんとも無いと言ってたでしょ」 「対人に切り替えたらあんたも相手の車の修理費払わないといけないんだそ」 「事故当時元気だったのに
娘の名前が『偉大(じいにあす)』になりかけた。 嫁がマタニティハイでラリってしまい、「立派に生きて欲しいから、偉大な名前にしないと!」と考えて、 「それならいっそ偉大って名前にしちゃえば!」というどういう思考連結なのか理解できない展開で『偉大』と名付けたいと。 一番謎だったのはなんで偉大でジーニアスなんだ、と。 恐ろしい事に、義父母がそれに大賛成ムードで俺の味方は義弟ただ一人だった。 二人でどれだけ説得しても「今時の子供には今時の名前でしょ!嫌なら離婚!」とムキになるだけで会話が成立しねェ。 義弟に至っては「ガキが生意気にほざくな!!」と義父に殴られてしまった。 色々アドバイスを受けて、上司を食事を呼ぶ事に。 上司に前以て名前の事で揉めていると伝えていたので、快く説得作戦に乗ってくれた。 嫁に上司が来るからご馳走を用意して欲しいと伝え、日程を決めて上司を家に招く手筈を整えた。 嫁も大ハリキ
勝手に語らせてくれ。 21歳のとき、大学3年生なんだが2個下の短大生と付き合った。 同じバイト先の子で男子から人気がある子だった。 まあ俺もかわいいなーくらいだったんだが、なにしろ人気嬢だったことと どうせ告白してもフラれると思っていたから内心興味ないように黙っていた。 そんなある日バイト先で一番女子からキモイといわれている男が片思いしてな。 これをどうにかうまくいかせないかと考えた俺に豆電球がついた。 全力で彼を応援することにした。 彼を全力で応援しつつ、彼女の彼に対する相談を受けるようになった。 今でいうストーカーみたいのになっていたし。 そして彼女に「バイト先のイケメン男子と付き合えばいいじゃん」と言っては 飲み会を利用しては2人は付き合うことになった。 もちろんブサメンの彼がかわいそうだからということで内緒で付き合ったんだが、 そこは俺が俺がバイト先の連中全員に言いふらしたあげく、
人間って怖いなと、トメにも自分にも思った話 ものすごい長文だから苦手な人はスルーしてください DQN要素とアレルギー、アトピー話がありますのでそれも注意してください 長女は少しアトピーが出る子だった 赤ちゃんの頃は、おへそを細い綿棒でお掃除しないと中が炎症起こすことが多かったけど 成長するにつれ、耳ぎれとか、肘や膝の内側の柔らかいところにプツプツできるとかくらいで、広範囲にカサカサって程ではなくなってきた 医者にも軽いほうだから大人になったら治るんじゃないかって言われてて、顔や頭がカサカサブツブツならなくて良かったって思ってた 旦那も小さい頃アトピーだった 乾燥肌に近い感じの症状で、今でもベビーローション塗らないとすぐカサカサする 私は疲れてたり生○前なんかに青背の魚や生の貝を食べると顔にプツプツができて痒くなる、これも多分軽いアレルギー 遺伝しないで欲しかったねえって言いながら、体調や食
現在進行中で冷めかけの話。 出張先のホテルにいるんだが、寝付けないので相談に乗ってほしい。 俺は今年の秋に結婚を控えている。 彼女も俺も30台半ばの初婚。 同じ会社だが部署が違う。 結婚報告をしたので現在は周りも知っている。 現在は結婚準備のため社宅で同棲中。 彼女の精神的な浮気を知ってしまって悩んでいる。 先日彼女が会社の飲み会で飲み潰れて帰ってきた。 トイレで履いてて頭が痛いからバッグから薬を~と言ってて バッグごと取ってほしかったらしいが、俺は中を探って薬を探していた。 化粧ポーチらしきポーチがあった。中を開けると更にポーチ。 その中もポーチ。マトリョーシカか。 その中にiPodとイヤホンが入っていた。 iPodを手にした俺を見つけた彼女は血相を変えて取り上げた。 彼女に好きな芸能人を訪ねた時、「いない」と言われた。 彼女はCDを1枚も持っていなくて、好きなミュージシャンもいない。
うちの旦那は二男なんだけど、実家にいちばん近いせいでいつも損ばかり。 義父が10年くらい前に自転車の乗ってるときに車ではねられて首から下がマヒした時 介護の手伝いをさせられたのはうち。 私も旦那も会社員だから、本当に大変だった。 義父が死んだときはほっとしましたよ。申し訳ないけど。 でも相続の時は、面倒みなかった長男と長女が出てきて義母に相続させるからということで、 相続放棄させられてしまいました。 私としては、もらえるもんならもらいたかったし、うちばっかり負担してたってのもあって、 旦那の決めることとはいえ、何のねぎらいもなくうちが相続放棄して当然という義家族の態度には、 かなりムカつきました。でも、旦那が決めてしまったことなので、相続を放棄する代わりに、 義父の介護はうちがやったんだから、義母の面倒をうちに見ろということはやめてくれということは 旦那にはっきりと言いました。旦那が義家族
俺の両親が介護が必要になったときに、嫁が子供連れて逃げたのが修羅場。 俺両親、同時期に介護が必要になる。 1年ほど俺だけで介護してて、 仕事と介護でフラフラに。 ↓ 当時仮面夫婦歴10年近い専業嫁が介護を 恐れて、子供を連れて離婚を請求してくる。 のちに離婚成立。 ↓ 俺両親、知人の紹介により施設に入る。このあとに俺再婚&出世。 ↓ 介護がなくなったことや俺が出世したことを元嫁が知り、 子供をネタにした金銭要求や接触が激しくなる。 子供も子供で、離婚に対する恨み節や、 あれ欲しいこれ欲しいばかりで 普段の仕送りへの感謝の一言もない。 ↓ あまりの糞ぶりにブチキレて、 善意で払ってた大学の学費と一人暮らし費用の振込みを取り止め。 奨学金を借りろと伝える。 ちなみに俺には法律的にも払う義務は一切ない。 今さら謝ってきてるが、 元嫁も娘もバカすぎるわ。 こんな奴らにもう払いたくない。
自分が知らないうちに弟夫婦の代理母認定されてるのに気付いた時は驚いたw 気付いたっていうか母に言われて知ったんだがw 「結婚前提でお付き合いしてる人が近々挨拶をしに来たいって言ってるんだけど。」って言ったら「まさか妊娠でもしたの!?ちゃんと弟夫婦に予定聞いてるの!?」って言われて、妊娠はしてないけど弟夫婦に予定聞くってなんのこっちゃ??と思ったらw 母から連絡行ったみたいでその日の夜に1人暮らしの我が家に父母弟夫婦来襲w そこで初めて自分が弟夫婦の代理母認定されてる事を知ったわw 弟の子供は欲しいけど妊娠出産して体型が崩れるのは絶対嫌な弟嫁 元モデルで8歳年下の可愛くて自慢の嫁の要望を叶えてあげたい弟 大学時代に世話をしてくれた大恩のある先輩に良い顔したい父(弟嫁が先輩の姪っ子) 同居を餌に釣られてる母 この4人の利害が一致して、じゃあ私に産ませればみんな幸せ!って事になったらしいw 「俺
まだ20代前半の頃のはなし 私は上京して一人暮らしをしていた。 そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。 久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。 まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。 A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DVだと察しはついた。 話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風俗へ行くように命じた。 A子拒否。怒り狂った夫に暴力で脅され、監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。 年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ 穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。 手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。 庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持
私の結婚と同時に、我が身を犠牲にしつつ母をウォーターさせて離婚を決意させた時のことが修羅場。 すごく長くなった。ごめんなさい。 父は無駄にプライド高いモラハラ野郎で、俺の金なんだから~とテンプレを言ったり、過呼吸ぽい詐病を使ったり、思った通りにならないと大声を出して物や人にに当たり散らすようなクズ。 母は母で共依存で、どんなに私や周りが言っても、お母さんも悪いしでもでもだってちゃん。そして20年近くストレス性(原因は父)の病気持ちで、軽度の鬱病。 そんな両親を見て育ってきたから、私は結婚に夢もする気もなかった。一生両親のかすがいとして生きていくものだと思ってた。 でも、縁あって父とは正反対の人と結婚することに。 彼とも相談して、親戚も年寄りが多いから呼びにくいこともあるしと、大々的な結婚披露宴ではなく親兄弟のみ呼んで小さな結婚式のみ執り行いたいと両家に伝えた。 彼親も面倒事は嫌と言って諸手
ぶった切ってすみません、長いのですが 婚約者に不倫された挙句にお腹の子を殺された話を 語りたいと思います。 個人的に修羅場ってやつなんだろうなと思ってこちらに来ました。 スレチでしたらすみません。該当スレがあれば移動します。 ちょっと思う所があって勝手に語っていきます。 思い出した傍から書いているのでまとまりがなくて長いです。 見直してないので誤字脱字はスルーでお願いします。 改行がおかしかったらこちらもすみません。 鬱陶しかったら読み飛ばして下さい。 三流映画よりつまらない私の人生最大の修羅場。 ■当時の前提。知っておくと後の話が分かり易いかと。 ■フェイク有り。まぁ、バレても構わない。 ・私(私子) 28歳。工場での倉庫作業員と本屋の店員を掛け持ち。 転職前:役職持ち、月給。実家住み(職場まで車で10分の為)。 転職後:派遣で倉庫作業員(朝5時~夕方17時)。 バイトで本屋店員(夕方1
旦那が単身赴任中に女を作られて同棲までされ、こっそり帰郷もして旦那の親に再婚相手として紹介されてた事がある 旦那親も女が私より学があって、貧しい生まれ育ちの私と違って家も裕福な浮気相手との再婚に賛成してた 私は生まれたばかりの子供と幼児二人の計三人の子供を抱えてたのに 何だかんだと生活費も一円も送金してくれなくなって、乳飲み子抱え途方にくれて母に子供たちを預け働いたけど、家賃払って何とか生きるだけのお金しか稼げなかった 毎日バス代を抑えるため往復20キロ以上かかる宅と実家、パート先への道を歩いてた お金が作れなくて、音信不通になった旦那の赴任先にようやく行けたのは連絡が無くなってから3ヶ月近くたってから アパートへ行ってみれば、旦那は女と幸せそうに暮らしてたよ。ちょうど夕食時で、今も覚えてるハンバーグと唐揚げってメニューだったな 子供たちに優先して食べさせてたから、毎日お腹がすいてたしお肉
私が離婚したのは12年前。 元夫が勤めてた会社から一部業務を暖簾分けという形で譲り受け独立した事がきっかけだった。 工場新設とか色々と立ち上げに際して資金繰りにも苦労していて元夫は3年近く殆ど家にも寄り付かない状態だった。 私は二人の娘を親に預けたりしながら前に務めていた会社に復帰して何とか家計をやりくりしていた。 結果的に私はそこの同僚と男女の仲になってしまった。 向こうも妻子もちだったけど既に別居中で離婚のタイミングを模索してる状態だった。 好きになったのは向こうから。 馬が合う人とは思ったけど不倫してまでとは最初は思わなかった。 子供もいるし。 でも何度も好きだって言われれば誰だって悪い気はしない。 自然と元夫よりそういう目でみてくれる今の夫の方に心惹かれるようになっていった。 でもダラダラと不倫生活を送っていくつもりはサラサラなかった。 付き合いだして三ヶ月目でこの先どうするつもり
初めて書き込みます。 不馴れな上にとても長くなっております。 読みにくかったらすみません。 わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。 夕方に出張から父が帰ると、冷蔵庫と藤製の電話台以外の家財道具が一切なくなっており、ぐったりしたわたしと、同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。 何故母がいなくなったのか。 事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので(船で遠出をする仕事)、わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の父方祖父母に預けました。 これが第一の修羅場です。(主に父が、ですが) 時は流れて1年後。 わたしは父方祖父母宅(以降自宅)近くの幼稚園に通っていました。 幼稚園バスが迎えに来る場所は、自宅から400mほど真っ直ぐ進んだところで、大きな道路に面した場所でした。 その道を、わたしと祖母と、祖母に抱かれた弟と歩くのが日課でした。 ある朝いつも通りにバスが来
Aは、地方の工場に配属になって、そこで嫁と恋愛をして結婚した。 結婚して3年経って、会社が地方の工場を閉めて全社員は本社に異動となり、A実家に戻る事になった。 実家はA母だけがいるので先に結婚していた姉夫婦に資金援助して 姉夫婦の家をリフォームをしてA母と同居し、Aの実家には、A夫婦が住むことになった。 嫁両親は、祖父母もなくしており、嫁が一人っ子という事もあって 将来の事も考えてA実家で同居することになった。 異動までには3ヶ月の時間があったので Aと元嫁で休みの日にはお互い世話になった人に挨拶に回っていた。 AとA両親は、地域のつながりが強い地元と言うことも有り、お別れ会をやっていた。 特に、祭り関係のお別れ会は何度もあって、地元人じゃない俺は呼ばれることはなかった。 元嫁一家は祭りの重要な役をやっていたので、何度も残留を頼まれていた。 異動までに一ヶ月になった時に、Aの不倫疑惑が出て
フェイクありで結構前だけど 母方祖父70越え 両親40半ば 兄 私 弟 の6人暮らし。 祖母は他界 私の20の誕生日祝いでちょっと豪華な夕食を食べていたとき 祖父がいきなり「ちょっと聞いてくれ」 両親含め家族全員いきなりなんだと注目したあと 「私子も成人になったのだからそろそろいいだろう。実は私子、お前は俺の娘なんだ」 全員ぽっかーん。私の修羅場その1 その顔が絶望を感じた顔だと思ったのか母があわてて 「私子はちゃんと父と母の子どもよ!!」 その言葉に何か引っかかりを感じてたのか、日ごろ何かを感じてたのか分からないけど父がそれに 「私子はとか、ちゃんとってどういう意味だ」と激昂 父と母の修羅場1 その後DNA鑑定やらなんやら調べて分かったんだけど 祖父の隠し子?は私と同い年で実際にいて定期的に金を渡していたらしい 成人時にそのことを打ち明けようとしてたんだけど 年齢による軽度のボケで私と勘
浮気発覚して3年の贖罪生活で何とか許してもらった 天罰って本当に存在する 目には見えない何かに監視されていて悪行には天罰が下るようになってる 私はそう確信した 何であんなことをしちゃったんだろう、って今更言っても後の祭だけど 何かのTV番組で女は精神的に追い詰められると反射的に自分に不都合な情報を脳内から消去して都合の良い物語に作り変えて信じ込む習性があるってやってたけど、あれ本当 見つかった瞬間不都合な情報が頭からスパッと消えた あれ?何で私はこんなに怒られなくちゃならないの?私今迄家庭の為に頑張ってきたのにってなる 自己防衛本能が働く 危ない それでも辛うじて許していただけた理由は頭が真っ白になっても脳内を自分に好都合な物語が占拠しても言い訳せず、ただひたすら御免なさいで通した事に尽きると思う あそこで一言でも言い訳がましい事を言ったら即アウトだったと思う 捨てられた後の自分の人生考え
うちの父親は自営だった。 バブル期だった事もあって、自営の会社は順調に成長。右肩上がりだったらしい。 と……表向きは華やかだったが裏では、父親は従業員と浮気をしまくりだった。 支店を開いた時も、その時の浮気相手に店を持たせたかったから……という脳の腐った理由。 その結果、浮気相手の女は客とくっついて逃亡。 店だけは残った。 周りからの説得で、半ば強引に母親がその支店の店長に。 しばらくは業績も良かったらしい。 しかし、バブルが崩壊。 どんぶり勘定だった店の業績は急激に悪化。 どんどん借金がかさむ。 しかし父親の浮気は止まず、むしろ加速していたぐらい。 母親は、父親に浮気を止めるよう説得。 仕事の規模を縮小して家族で協力して借金を返済していこうとも言っていた。 父親は、そんな母親の説得に耳を貸さなかった。 ちなみに父親の両親(俺から見た祖父母)は、 『父親のやる事が全て正しい、母親は黙って尽
みんなに比べると屁でもない話だけど夏になると思い出す修羅場 今住んでるアパートに引っ越してきて初めての夏が猛暑で 色々と対策を調べていたらハッカ油が検索結果に出たので 物は試しだと思って買ってみる事にした ある日、飲み会の帰り道が凄く蒸し暑くて体中がベタベタしてしまい 帰宅後にシャワーを浴びようとした時に何となくハッカ油に目がとまり 「どうせだったらこれで涼しくなって寝よう」と思ったまではよかった たまたま何日か前にハッカ油を半分入れて悶絶していた人の話をネットで見たので 何をとち狂ったか「半分なんてつまらねー事しねーで全部だろpgr」と ユニットバスの狭い湯船にハッカ油の中身を全部投入した 最初は涼しくて気持ちよかったんだが、段々と寒気が勝りやがては悪寒レベルに 歯がガチガチ言い出したので湯船から上がるも湯気が体に当たると寒さが襲ってくる状態に 大慌てで部屋に戻り布団に潜ったはいいんだが
自分が今より世間知らずだった時代にあったこと 大学生最後の夏、祖父の別荘の近くのお店で、若い男性に声を掛けられた。 今から思えばどう考えてもナンパなんだけど、自分は生まれてずっと女子高で、 男性に憧ればかりがあって、少し話しただけで「これは運命の人!!」と思ってしまった。 交際はすぐに家にバレて、祖父にも両親にも大反対され会えなくなったが、 「私たちの愛を守ろう」と大学卒業を同時に彼と駆け落ちした。 入籍して彼のアパートで一緒に暮らし始めて、最初は楽しかった。 でも「今会社忙しいんだ」と、どんどん彼の仕事の帰りは遅くなっていって、一人寂しくなった。 ある日、大家さんが話しかけてきて、 「お宅の旦那さん、いっつも女の運転する車で帰ってくるけど大丈夫?あの女ね、旦那さんと絶対長いアレの女よ」 と言われた。 色々悩んだが、金曜日の夕方に彼の会社の前で待ってみると、彼は定時に会社を出て、 すぐにそ
元嫁が幼馴染だった、明るくて頭が良くて一緒にいるだけで楽しかった。 元嫁の言う通りにしているとうまく行くし、 言う通りの結果になる事が多くて いつしか、元嫁の言う通りにすることが当たり前になってた。 育った地域も地元に残る人が多くて、小学校から知り合いだらけの中で生きてきた。 同じ業種に就職して結婚したけど、優秀な元嫁はどんどん出世していった ある日元嫁が俺に今のままじゃ俺がダメになると言いだした。 結構きつい言葉も言われてへこんだ。 元嫁に、私と別れたら俺は負けず嫌いなところがあるから、 仕事に打ち込んで成長していい男になれる。 離婚して3,4年頑張っていい男になったら、再婚してあげるとか言われて 俺のいう事も聞かずに出て行った。 元嫁は言い出すと聞かないと知っていたから、しぶしぶ離婚した。 離婚した後は、仕事しかやる事が出来なかったので 資格取ったり研修行ったり出来ることを頑張った。
そんな道を歩いてた私の真正面から、大きいかばんを持ったお姉さんが早足で歩いてきた そしてそのお姉さんと別にカートを引いたお姉さんが横からやっぱり早足で歩いてきた そしたら、横から来たカートのお姉さんのカートにかばんのお姉さんがひっかかり、躓いた 互いに早足で、なおかつ、路面が滑りやすくなってせいなのか 躓いた瞬間、かばんのお姉さんは軽く空中ダイブして 少し離れた場所に居た私の左足の小指と薬指の辺りに、かばんごと乗っかる形で落ちてきた 何が入ってたかは知らないけどかばんは非常に重く、それに加えお姉さんの体重… 物凄い激痛が走ったけど、とにかくかばんのお姉さんを助け起こし かばんのお姉さんはすぐに「ごめんなさい」って言って立ち去って行った カートのお姉さんはこっちをチラっと見たけど、そのまま立ち去った お姉さんを見送り、歩き出した訳なんだが、左足の靴の中がぬるぬるする しかも一歩歩くたびに酷い
携帯からなので簡潔に。 何年も前の話だけど、女友達のA子からA彼氏が浮気してるという相談を受けた。 相談を受けてから数ヵ月後、浮気というか実はA彼氏は既婚者だったらしく A子が騙されたと落ち込んでいた。 婚約までしてA子の両親にも会っていたらしい。 A彼氏との話が進まないので、業を煮やしたA子は何も知らない奥さんや子供を巻き込む事にした。 そうでもしないとA彼氏はまともに話しあいしてくれないからついてきてくれと言われ、 作戦を練って近くの駅でA子と待ち合わせてA彼氏家に向かった。 着いたのは私の家だった。
こっちの修羅場は離婚してしばらくした後の話。 離婚の理由は嫁の浪費癖と浮気。 俺の財産の半分以上が間男と元嫁に持っていかれた。 離婚当初は、別れる際の慰謝料等と言った知識や額もまったく無しで 子供は置いていくから代わりに貴方の今もってる財産の半分をよこせと。 それで子供を諦めてくれるのなら安いものだと、元嫁の意見に応じた。 実家で家族たちと平和に過ごし、離婚した時は娘も小さかったのもあって 母親無しでも温厚で優しい娘に育った。 子育てに仕事、一生懸命働いて嫁にやった分の金も稼ぎなおした。 娘の進学とかそういうのに割り当てたいからお金が溜まってすごくうれしかった。 続きます んでしばらく経って元嫁から連絡一度だけでいいから俺に会いたいと連絡してきた。 娘のほうは猛反対。一度家族を裏切った人間なんかと会ったって良い事はない。 ただ俺は嫁にまだ未練があるし多少の情があったので嫁と会うことにした。
まだ私が小学校に入学したてだった頃の話 アル中だった父(私には優しく手をあげられた事は無かった)と母はよく喧嘩をしていた 理由はよく覚えていない ある日我慢の限界が来たのであろう母が 祖父に先立たれた祖母が1人暮らししている実家に帰った ある日父が私を連れて母の実家に離婚の話し合いに行った 結果私は父について行く事になった 私はその状況が悲しくて違う部屋に移動してしばらくしたら 祖母と母の悲鳴、父の「これでもか!」と言うような声が聞こえた びっくりして3人がいる部屋に行ったら 「やめてー!」と叫びながら倒れこむ母に覆いかぶさる父とそれを止めようとしている祖母が居た そして畳に広がる真っ赤な血だまり 父は包丁で母を何回も切りつけていた 私は部屋の入り口で声も出せず動けなかった ただ見ていた しばらくして父がこっちに来た 祖母は母に何か叫んでいたがよく聞きとれなかった 母は動かない 私が固まっ
2年くらい前の旅行中の時のこと。 当時学生で自分はフラッと一人で1泊旅行とかすることとかそれなりにあった。 写真が趣味だったからいろんなとこに車レンタルしていったりするのが好きだったんだ。 旅行代はもちろんバイトで働いたお金で。 だがしかし、学生だから毎回ホテルに泊まるのは無理。 だからネカフェでいいやと思ってたんだ。 でもある時ネカフェでまったりしてて漫画本物色してたら声をかけられた。 ちょっと爽やかな好青年だった。 「あの、すいません・・・、実は俺溜まってて・・・」 この時私はストレスかな?って最初思ってた。 あ、因みに私女です。 「相手、してもらえませんか?」 って言われた瞬間ゾッとした。速攻で 「無理無理無理無理です!」 って必死に全力拒否して全力逃走。 自分の個室ブースに戻って 『うわぁ、あんな人いるんだぁ』 って思ってたらトントンってノックされた。 店員かな?って思って返事して
この時期になると思い出す、修羅場というか何というかなんだけど。 昔、10年も前かな、スーパーの事務職で働いてた。 年末年始は高額商品が増えるので万引きチェック体制が厳しくなる。 必然的に、普段なら見つからない万引きも見つかったりする (逆に人が多いので成功する場合もあるらしい) 30日か31日だったか、万引きGメンのおっちゃんから内線連絡があり、 万引きを一人確保したから事務所まで連れていくとのこと。 その日はクソ高い刺身や肉や寿司を万引きしてたオバさんが確保されてたもんだから、 皆「あーまたオバはんかー」と思い込んでた。 でも、Gメンが連れてきたのは、おじいちゃん。 その時点で私含めた事務所の女性陣はちょっと同情的だった。 応接室は使えないし会議室はまだ店長と前述のオバちゃんが使ってる。 なので仕方なく、事務所内の簡易応接ソファセットで、仕切りもないまま 専務(その日は出勤してて暇だった
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