2025-07-27

劉仲敬訪談 090 @ 20200528 再論東歐與巴爾幹的民族發明

https://anond.hatelabo.jp/20250727144129

要約:劉仲敬「東欧バルカン民族発明

19世紀後半の民族発明特にバルカン半島での事例が中心。西洋は主にオスマン帝国近東)を東方として認識しており、ギリシャ人トルコ人文化民族主義帝国民族主義で争う中、多くの小民族形成された。

バルカン東欧の違い:バルカン近東に属し、19世紀の当時はギリシャブルガリアルーマニアヨーロッパの一部とは見なされていなかった。第一次世界大戦から徐々にヨーロッパの一部として認識されるようになる。

オスマン帝国統治構造イスラム教徒と非イスラム教徒身分差があり、イスラム教徒武士階級、非イスラム教徒は税を納める庶民(「費拉」)として区別された。多くの支配層は文化的に改宗名前の変更を行いながら多民族であった。

軍閥と「民族英雄」:ギリシャ独立戦争実質的軍閥同士の争いで、革命派は少数。バルカンでは軍閥が「親王」などの称号自称し、これが民族発明の一部となった。

近東と遠東の違い:近東欧州の近親であり、欧州列強の直接的な介入や影響が強かったため、バルカン諸国は徐々に近代国家として成立していった。一方、遠東(中国など)は遠隔地とみなされ、こうした近代国家形成の機会が限られた。

民族発明過程文化的装い:バルカン諸国は自らのアイデンティティ歴史文化で再発明し、例えばドイツフランス王族招聘して国王に据えたり、歴史的な英雄神話を作り上げることで国民統合を図った。

現代への影響:バルカン半島の民族発明は100年以上かけて完成し、現在国家体制へとつながっている。逆に近東地域シリアレバノンなど)では軍閥紛争が続き、同じような民族発明未完成である

文化的誤解と西洋視点西洋の著名作家知識人バルカン近東民族政治状況を理想化・誤解して称賛した例があるが、実際は複雑な軍閥抗争であり、現実理想とはかけ離れている。

東方主義自己認識のズレ:トルコ人自分たちローマ帝国継承者と見なしており、西洋人が「東方人」として見下す感覚とは異なる。遠東の知識人西洋視点鵜呑みにしすぎて自己評価を誤っていることが多い。

https://vocus.cc/article/5edf3e4bfd89780001192b2a

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