それは、私が自室のベッドで耳かき音声を聴き終え、イヤホンを外した際のことだった。
時刻は深夜4時。いつもなら時計の秒針を刻む音が気になるくらい静かな部屋に、聞いたことのない音が入り込んできた。
なんだ、この音は?
喘ぎ声だった。
認識したうえで改めて聞いてみると、やっぱりめちゃくちゃ喘ぎ声だった。
音の正体は双子の兄が部屋に連れ込んだ彼女の喘ぎ声だった。兄の部屋は私の部屋の真下にある。
通常の家だったらこんなに聞こえはしなかったろう。普通は1階の天井と2階の床板の間には空間が設けられてして、これが断熱や防音の効果を発揮する。
しかし我が家は築85年の古民家である。古民家には断熱・防音という概念は無い。だから1階の天井は2階の床板でもある。つまり音がダイレクトに伝わる。
しかも、兄の部屋は四方全てがふすまで囲まれてる和室なので、壁がない。
だからすんごいんだ。喘ぎ声が。
この世で最もエグいものとされている家族の性事情を、最も生々しい形でリアルタイムに感じさせられるこっちの身にもなって欲しい。
おそらく私が物音を立てずにベッドで耳かき音声を聴いていたので、寝たもんだと勘違いしたのだろう。
私が寝ていたにしても、兄弟2人でシェアハウスをしている家で快楽性交するのはどうかと思うが。
とにかく、私が自室で耳かき音声「180秒で君の耳を幸せに出来るか? ゲッコーちゃんの耳かきすぺしゃる」を聴いている時に、下の部屋では顔も年齢も変わらぬ双子の兄が彼女と快楽性交に勤しんでいた訳である。
床板1枚挟んでこの落差。
しかし、喘ぎ声をよくよく聞いてみると、一応声を抑えようと努力はしているようだ。
上の階に私が居るのだから、ある程度声を抑えなきゃならないのは当たり前なのだが……
そこで私は気がついた。
あれ?
これは要するに、AVとかでよくある「声を出しちゃいけないシチュエーションだけど声が出ちゃう〜」っていうアレだ。
私はいつものように自分の部屋で生活していただけなのに、いつの間にかAVでよくある「彼氏を姉に寝取られているのに気づかずに隣で寝続ける妹」と同じ役割をあてがわれてしまっていた。
自分がそう言ったAVを見る際、私はどうしても「彼氏が寝とられるのを気づかず寝続ける」役の女優さんが気の毒でならなかった。
あの役は、「バレちゃうかも」というハラハラドキドキの興奮を与えるためだけにそこに居続ける存在だ。
黒ひげ危機一髪でぶっ飛ぶ黒ひげと同じで、プレイヤーを盛り上げるためだけに用意される存在。
そんな人としてでなく、装置として起用された女優さんがなんだか気の毒に思えてならなかったのだが、まさか自分がその装置にされるとは思わなかった。
しかも残酷なことに、この舞台装置の一部になってしまった人間には、最後までその役目を全うする以外の選択肢が存在しない。
事実、私はベッドの上で息を殺してじっとしている。喘ぎ声がこだまする自分の部屋で。
本当はベッドから出て水を飲みたい。トイレに行きたい。中断してた仕事の作業をしたい。でも、セックスがスタートした時点で「バレちゃうかも装置」の人間はじっとする以外の行動が取れない。
考えてみて欲しい。ここで私がトイレに行ったり、部屋のデスクテェアを動かしたら。
そんなことしたら、音が鳴ってしまう。音が鳴ったら、下の部屋で交わってる彼らに知られてしまう。私が喘ぎ声を聞いたことを。
いや、こっちは被害者だし、気を使うべきなのはあっちのはずなんだけれども。
だからって今ここで音を出して「バレちゃうかも装置」である私が「バレてますよ」ってメッセージを出したら、翌朝こっちも気まずくなるのだ。
私が喘ぎ声を聞いただけならまだいい。しかし、「私が喘ぎ声を聞いたこと」を本人たちに知られてしまうと、私も「きまずさ」の当事者になってしまう。
最も合理的な行動を取ろうとすると「音を出さずにじっとする」以外の行動ができなくなるのだ。
なんだこれは。
本来はバレちゃいけない側であるセックスしてる人間が声を出し、本来ならそれをたしなめる側の私が声を押し殺しじっとするという謎の逆転現象。
「バレちゃうかも装置」にされた私は、セックスの興奮材料として巻き込まれた被害者であるにもかかわらず、樽の上でじっとしている黒ひげのように、最後まで役目を全うする他なかった。