最初は近未来宇宙SFということで楽しく読んでたし、主人公や田辺(だっけ?)のキャラ造形なんかも嫌いじゃなかった。
ところが途中から主人公の精神世界の話になってしまって、これがまずエンターテイメント面で、自分の中で無いなと思った。
こういうのって難解というより、作者にしか意味を成さない表現、あるいはハッタリ表現に堕してしまい、自分はこういうのを見るともう読まなくていいかと思う。
当時セカイ系なんて流行ってたし難解を以って好しとする風潮があったから、こういう方向に行ってしまうのも仕方がないかと今としては思う。
最終巻は内容面で残念だった。無垢であるのが正しいというモラトリアムの結論になってしまっていて、これには失望した。
無垢というのは馬鹿と同義だ。大人というのは一見して穢れた存在だが、それは矛盾を統合して現実に処しているから。無垢のまま大人になって社会不適合者のレッテルを貼られても、いまさら同情も何もない。(それでもイノセントを大事にするんだという決意とも取れるが、作中でも描写されている通り、周りにいる人間にとっては迷惑も甚だしいよね)
少女漫画なんか無垢である(ありたい)自分と、容れることのできない現実との狭間でこれまでずっとやってきたのに、いまさらこんな次元の低い話に落とし込まれても。あんだけ難解そうに見えるハッタリ表現使っといて。
挙句最後の最後になって、人は一人では生きられない、なんて言い出すところには呆れるどころか笑ってしまった。
この作品は作者の若書きで、そういう文脈上の未成な作品として評価される分には全く異論はないし、その価値は最大限評価したい。ところがこれをして名作SFだと言われると声を大にして否定したくなるのだが、多勢に無勢かな。
>大人というのは一見して穢れた存在だが、それは矛盾を統合して現実に処しているから どうも世の中、処しきれてない大人が大半のような気がするんだけど
おまえは自分のポリシーで木星(だっけ?)に行けると思う? 現実に即するなら月でもいい 行ける?
名作でありSFでもあるけども、名作SFではないってことね。 SF作品だけどSF要素部分が名作なわけでは無いって事よね。 わかるよ。でも名作だよ。
ここでいう忸怩たる思いってのは誤用でおk?
「をして」~の部分も日本語になってないですね いっちょまえにSFを語る前に日本語を勉強した方がよいのでは
プラネテスあかんというなら、何が名作SFマンガなのかをはっきり提示しないとなー。
お前は愛を知らない わかろうともしないので面白さがわかるはずもない
プラネテスの登場で、星雲賞ノミネート候補だった「おまかせ!ピース電器店」が日の目をみることが無くなったほうが 大きい損失だと思うがね。 当時の星雲賞は「完結作品に限る」...
星雲賞にこだわるカスwww
謝れ。「SFとはスペキュレイティブ(思弁的)フィクションである」と語ったハインライン先生に謝れ。 SFというのは何も、科学的なガジェットや設定を垂れ流すだけの娯楽ではない。 「...
そうそう SFの枠組みではハインラインやアルジャーノンが高評価を得てしまうわけで プラネテスの前にそっちを槍玉にあげるべき 元増田がハインラインに「忸怩たる思い」を抱いていな...
多くの「惑い人(プラネテス)」達を描くことで何度も「人生とは」について考えさせられる。 別にそれは宇宙でゴミ掃除しなくても描けるわけで、そこに、ドラマとして名作で、 SF描...
なるほど。自分は「スペオペはもちろんSF」と思う派なので,「プラネテスがSFじゃない論」が不可解だったのだけど,「スペオペがSFじゃない」という考え方をするなら,「プラネテス...
逆に「スペオペもプラネテスも含まないSFってどんなの?」という疑問が。 アルジャーノンはアウトっぽい気がする。「星を継ぐ者」だって考古学ミステリだし「楽園の泉」は建築ド...
そこは「マルドゥック・スクランブル」とか挙げておくべきだろ。要はサイバーパンク枠じゃね。
別にそれは宇宙でゴミ掃除しなくても描けるわけで それはそうだけど、「一人で生きて一人で死ぬんだ、それが完成された○○だ」って台詞に説得力が出る世界設定くらいは必要でし...
なんですぐに白か黒か決めたがるんだろうな。 元増田にとっては、名作SFというのはどうなんだろうという意見で、それはそれであってる。 いやいや名作だろSFだし、面白いじゃん、と...
意見に対してバカだと言ったり間違ってると言うだけで存在を否定したことにはならないだろ 全員が同じ意見になれなんて全く思ってないぞ バカだと思うけどバカがいるのは仕方がない...
幸村誠氏の対談見に行ったことがあるけど本人は題材が宇宙であることにそんなこだわりがなかった模様。 だから回りが勝手にSFの色眼鏡で見てるだけだと思うんだよなぁ、そりゃ本人...
一度作品が書かれて読まれてしまってから 作者の意図通りに読まれるべきなんてのは傲慢でしかないよ 読解の土俵では作者も読者の一人でしかないよ