ほう、カクランって、こんな字だったんだ……
って、そんなことに感動している場合ではありません。
世界同時株安が……あ、いや、これは無関係。
このところ更新が滞っているのは、体調が芳しくなくて……
先週の土曜日、次男のソフトテニスクラブの強化練習で、
山梨まで行ってきたのですが、まあ、そこが寒くて、寒くて。
西に目を向けると、真っ白な雪を頂いた南アルプス、そして八ヶ岳。
そこから、直滑降で降りてくる北西の季節風にやられました。
絶景なんだけど、さ、寒くて。
帰ってきて翌日、熱が出ました。
「ふとんがびしょびしょよ。」
おねしょじゃありません。寝汗です。
「なんだか、ふとんのシミが黄色っぽいよ。」
断じておねしょじゃありません。
ええっつ、なに?カミサンの、その目。
それから今日まで、なんとなく熱っぽくて、
でも、年度末で仕事も休めなくて……
ああ、まさに鬼の霍乱。
で、カクランって、撹乱と霍乱、どっちがただしいんだ?
- 2007/02/28(水) 21:52:05|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:6
映画「バブルでGO!」は、個人的に興味津々。
なんたって、思いっきりバブル世代ですから。
良かったなあ、あの頃、バイトの時給高かったし。
でも、今日の話題は、バブル時代の黄金の思い出ではなく、
サッチャー首相のニュースです。
イギリスでサッチャー首相のブロンズ像が立ったとか。
サッチャーと言えば70年代後半から80年代末まで、
イギリスの行財政改革を断行し、”鉄の女”と呼ばれた政治家です。
彼女とイギリス国民が、行財政改革と戦っていた80年代後半、
日本では、ギャルたちがお立ち台の上で踊っていました。
その落差に、思わず苦笑してしまいます。
さて、今、イギリス経済は史上まれに見る好景気ですが、
その遠因は、やはりサッチャー政権時代の厳しい行財政改革に求められます。
そして、イギリスと同じく、好景気の日本。株価も18000円台を戻しました。
安倍総理も、サッチャーさんと同じく、小さな政府を目指し、国民に痛みを求めます。
似てますね、いろいろな状況が。
……あ、いや、待てよ、最近の我が国の総理は、
「美しい国」とか「愛国心」とか、やたらと情緒的で、
何をやりたいのか、よくわかりません。
サッチャーさんと一緒にしたら、可哀想だな。
総理に限らず、日本の過去への振り返りは情緒的なのです。
同じ80年代を振り返る視線が、イギリスと日本ではまるで違う。
日本は「あの頃は良かった」的な、しんみりじんわりノスタルジー。
高視聴率の「東京タワー」だって、
ちょっと前にはやった「3丁目の夕日」だって、みんなそうだ。
(断っておきますが、「バブルでGO!」は少し視点が違います。
バブル時代は、文化的には一つの画期的な時代であったという、
前向きな視点で作られた映画です。)
イギリスは逆に「あの頃は辛かった。」……ですが、
しかしその先に今があることを国民は知っています。
(もちろん、今でも、アンチ・サッチャー派もごまんといますが)
今日除幕されたサッチャーさんのブロンズ像は、
改革の痛みを闘い抜いたイギリス国民による、
歴史への毅然とした振り返りであり顕彰碑でもあるのです。
除幕式で、サッチャーさんはこういったそうです。
「ブロンズの方がいいわ。だって、錆びないもの。」
”鉄の女”は81歳になってもチャーミングです。
蛇足ですが、もう一言、サッチャーさんの言葉。
「もし誰かに言ってほしい事があれば、男に頼みなさい。
でもやってほしい事があるときは女に頼みなさい。」
行動力、実行力、そこなんだよなあ、今の日本に欲しい力は。
- 2007/02/22(木) 23:59:38|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
歌番組を見ていたら、以前記事に書いた「
純恋歌」が流れた。
「俺、この歌、ゲットした。」と、中1の長男。
最近息子が、ネットを通じて、
友達と音源の交換をやっているのはダイサンも知っている。
ちょっと前なら、CDそのものを貸し借りしたのだろうが、
今は、添付ファイルでやりとりする。
ダイサン世代なら、レコードもしくはカセットテープの貸し借りだな。
ああ、そういえば、エアチェックなんて死語もあったな。
時代は変わったものだ。
話がそれた。
「純恋歌、良い歌だよね。お父さんは、この歌好きだなあ。」
すると、息子はちょっと意外そうな顔をして、
「……うん、僕も好きだよ。」
ラップなんて、全くわからないダイサンだけど、
良い歌は、世代を超えて共感を得る、ということはだけはわかる。
膝を抱えて、親子二人で「純恋歌」を聞く。
その時だけ、12歳と39歳は、同じセイシュンのただ中にあった。
- 2007/02/20(火) 21:07:08|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
文科省の研究会がらみの出張で、東大に行ってきました。
実は東大構内に入るのは初めてで、赤門が意外と大きいのに驚いたり、
安田講堂の偉容に圧倒されたりと、完全にお上りさん状態です。
さて、研究協議会の会場は、その安田講堂でした。
団塊の世代には懐かしい戦場ですね。
ダイサンは昭和40年代生まれなので、ゲバ棒も火炎瓶も知りませんが、
当時の学生さん達が安田講堂に立てこもった戦術的理由が、
現地に立ってみて、よくわかりました。
高い塔、地下の巨大ホール(中央食堂)、議場をぐるりと囲む回廊。
守るにせよ、攻めるにせよ、学生にとってこれほど良くできた要塞はありません。
まだ若かった日本が、急にお金持ちになってしまって、
どうしていいのかわからず悩んでいたころ。
その先頭で悩んでいたのが、バリケードを守った彼らだったか。
その彼らの多くもやがて定年を迎えます。
今度は老いてしまった日本が、どうして良いのかわからずに悩んでいます。
ずっと日本の姿を見つめてきた安田講堂。大切な、近代史跡の一つです。
追伸:東大グッズ、ゲットしました。
子ども達のおみやげに、東京大学ノート、そして東京大学まんじゅう。
「このノート、学校には持って行けない!」と、二人の息子は苦笑いです。
- 2007/02/20(火) 00:38:42|
- 日記
-
| トラックバック:1
-
| コメント:0
今日は、例会日です。
第3金曜日は、師匠陣による指導日。今日は碁石師匠とノッポ師匠が面倒を見てくださいます。
冬の稽古は、どうしても参加人数が減ります。今夜も寒かったしね。
すると、立ちの回転が早くなります。
五人立坐射で稽古するのですが、休む間もなく射位に入る感じです。
たった五立ちの稽古ですが、まあ、これがきつくてきつくて。
弓を引くことはきつくないのですが、跪座が……。いつまでたっても慣れませんね。
ノッポ師匠から、矢つがえの作法の間違いを怒濤のごとく指摘されました。
「矢をばたばたさせない。」
「だら~っつと、二つ以上の動作を同時にしない。一つ一つ丁寧に。」
「乙甲の確認のあと、手元に視線を戻すのを忘れている。」
「打ち込みが深すぎる。一節だよ。そうだなあ10㎝ぐらいか。」
かーっ、わかっていたつもりで、気がつけば変な癖がついていたみたい。
でも、一番ショックだったのは、自分が思っていたよりも口割が低かったことです。
「もっと上、上!」と指摘され、決めた所は、鼻の下。
ほんとに、ここでいいの?っていうくらい、鼻の下。
「そこでちょうど良いんだよ。おかしくない。」
つられて弓手も上がっているのか、矢所が少し上にずれていきます。
なんだか、変な気持ちですが、しばらくはこの位置を意識しようと思います。
引き分けから会にかけての肩(というか背筋か)の使い方が少しわかってきました。
妻手の肘を的と反対方向に伸ばす感覚も、少しつかめました。
おかげで、弓手の肩も痛くないし、妻手の肘も痛くない。
なるほど、弓は背中で引くものなのだなあと、妙に納得しました。
とりあえず、手の内を何とかすれば、もう少し的中率もあがるかな?
その前に、矢数も上げたいな。
- 2007/02/17(土) 00:05:08|
- 弓道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2
添削。
この文字は、何故か赤い字で書きたくなりますね。
某通信教材の影響でしょうか。
さて、今日の話題は、添削についてのお話。
ダイサンの今の職場では、ひとさまが書いた文章を添削することが多いのです。
短いものでは所内の起案文章、長いものでは報告書に載せる文章など、
毎日のように、文章の添削・校正をやっています。
どのような文章であれ、県が公表する文章ですから、
誰が読んでもわかる内容であることが肝心です。
誤字脱字や文法上の誤りを正すことはもちろんのこと、
文言の一字一句の定義づけや文章全体の流れなど、
普段は気にもとめないような些細な部分にまで目を配ります。
つまり、重箱の隅をつつくような、不毛で意地悪な仕事をしているのです。
たとえば……これは、社会科の指導案の一部です。
「……地域の祭りを調べ、郷土に対する理解を深めさせたい。」
一見、何の問題もなさそうですが、良く読むとおかしい部分に気がつきます。
文章の途中で、主語が変化しているのです。
「地域の祭りを調べる」のは、生徒です。
「郷土に対する理解を深めさせたい」のは、教師です。
もちろん、原文のままでも十分意味は通じます。
しかし、なんとなく違和感が残ります。
もしもダイサンが書くならば次のように書くでしょう。
「……地域の祭りを調べる活動を通して、郷土に対する理解を深めさせたい。」
少し堅い文章になりましたが、すっきりしました。
こうした誤りは、筆者自身が推敲しても気付きにくい部分なのでしょう。
他人が読んで初めて気付くレベルだと思います。
そこに添削者の存在意義があるのでしょう。
ところで、最近、ダイサンには特技(?)が身に付きました。
添削対象の文書を、さっと目を通しただけで、
「これはすぐ終わるな。」とか、「これは手がかかりそうだ。」とか、
添削の見通しが立てられるようになりました。
それはまるで、企業の面接官が、第一印象で採用不採用を決める様にも似ています。
手にした原稿のむこうがわに、書き手の顔がぼんやり浮かんできそうです。
文章というものは、書き手の子どものような存在だと思います。
子を見れば親がわかる、などと言いますが、先ほどのダイサンの感覚もそれに通じます。
親が、子育てに責任を持たなくてはならないのと同じく、
書き手は、自分の書いた文章を責任持って育てねばなりません。
推敲とは、さしずめ家庭教育のようなものなのです。
推敲が家庭教育なら、他人の手によってなされる添削は、学校教育のようなものです。
添削という仕事は、不毛で意地悪な仕事ですが、書き手の生み出した子ども(文章)を、
よりよいものへと高めていくお手伝いをしていると思えば、
これもまた教育の一環なのかなと、少しは救われる気もします。
明日もまた、たった数行の文章を前にして、同僚たちと議論することになるでしょう。
しかし、たった数行の文章が、世界の歴史を変えることもあります。
目の前の添削原稿と誠実に向き合っていこうと思うダイサンです。
- 2007/02/15(木) 01:13:56|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:3
このところ、書斎コーナーの模様替えに執念を燃やしているダイサン。
前回の関連記事は木曜日だから、かれこれ5日間もかかり切りです。
こんなに時間がかかっているのは、書斎コーナーを丸々DIYしようと、
大それた事を考えてしまったからです。
机を改造して、本棚を作って……
頭の中には、外資系企業のブース型オフィスができあがっています。
さっそく、作業開始!
うぃーん、がりがり……あれ?長さが足りない!(再加工に1時間)
あれっ?ドリルの歯がないぞ?どこどこ?(捜索に1時間)
えっ!うそ!ネジが足りない!(ホームセンターへ買い出しで1時間)
ここで時間切れ。
「片づけないと、寝られないよ。」
と、怒気を含んだカミサンの言葉。
ああ、自分はなんて手際が悪いのだろう。
散らかった寝室を片づけながら、ふと、故・本田宗一郎氏の話を思い出しました。
かのホンダの創業者である本田宗一郎氏は、
ずいぶん清潔好きな人だったようで、
工場が汚れていたり整理整頓ができていなかったりすると、
スパナが飛んできたといいます。ライダーの間では、有名な話です。
確かに乱雑な工場から、精密なエンジンが生まれるとは思えません。
今回のダイサンは、作業環境に無頓着すぎました。
寝室という特殊な環境で作業をしなくてはならないのですから、
屋外でのDIY以上に、作業空間の確保や移動した荷物の整理整頓に気を配るべきでした。
足下に本が散乱するような乱雑な空間で、
計測やら据え付けやらしたものだから、
微妙に読み取り数値がずれていたり、造作の精度が落ちたりして、
それらが手際の悪さの一因だったと思います。
もちろん、工具類の整理整頓は言うに及びません。
せっかくの3連休だったのに、ただ疲れただけで、
作業はほとんど進みませんでした。
大きなため息。
ま、納期があるわけでなし、焦ることはありません。
まずは道具箱の整理から、ぼちぼち取りかかろうと思います。
これもまた、DIYの楽しみの一つ、かな?
- 2007/02/13(火) 01:07:39|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は、訳あって平日休み。
せっかくなので、書斎コーナーの片づけをすることにしました。
急に片づけようと思い立ったのには理由があります。
最近、長男がブログに目覚め、
居間にあるメインパソコンを占拠する時間が長くなりました。
そのため、ダイサンは、しぶしぶ書斎コーナーのサブパソコンに。
久しぶりに踏み込んだ書斎コーナーは、そここにうっすら埃が浮いており、
机の上には、本棚からあふれた文庫本が山積みになっています。
いつのまに増殖したんだ、こいつら。
よし、文庫専用の本棚を作ろう。
その前に、今ある本棚を移動させて……と。
そこからが大変です。たいした大きさの本棚ではないのですが、
すべての本を出し終えたら、寝室の床が半分埋まってしまいました。
作業開始から約1時間で体力と気力が限界を迎え、本の隙間で小休止。
おや?これは子ども達が小さい頃のアルバムだ。
おお、かわいかったなあ、あの頃は。
お兄ちゃんなんか、3歳の頃から顔が変わっていないじゃん。
片づけの最中で、アルバムにつかまってしまう事って結構あります。
でも、最初はおもしろがって見ているのだけれど、
そのうち、じわじわと、涙があふれてきます。
なぜでしょうね。
アルバムの中は、幸せな思い出ばかりだし、
今だって、同じくらい幸せなはずなのに、
なぜ、泣けてくるんでしょうね。
もうあの頃に戻れない、と思うからかな?
それとも、老いさらばえた我が身を振り返るからかな?
本棚の片づけをしながら、切なくなってしまったダイサンでした。
- 2007/02/08(木) 23:59:37|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
これは、昨日の朝のお話し。通勤途上の出来事。
ダイサンは、とある交差点で信号につかまった。
すると、前の車の助手席から、男性が一人降りてきて、
突然、ダイサンの車の助手席をノックする。
「すいませ~ん。乗っけて行ってくれませんかあ?」
え?これって、ヒッチハイクってやつ?
おー、昔、アメリカ映画でみたぞぉ。親指挙げて、車、止めるやつ。
細身の中年男性。年齢は50代ぐらいかな?
いや、額が後退しているので老けて見えるけれど、意外と、若い。
印象として、鳥のような男性。
でも、やばい奴だったら嫌だなあ。
突然、ナイフとか出されたりしたら怖いしなあ。
どうしようかなあ、どうしようかなあ……
と、ここまでたぶん、コンマ5秒以内の思考。
窓の向こうでは、丸メガネが小さい顔の真ん中で笑っている。
次の瞬間、信号が青に変わる。車、出さなきゃ。
相変わらず無邪気に微笑んでいる鳥男。
「んー、まあ、とにかく、乗って。」
「ありがとうございます!」
ああ、乗っけちゃったよ。ヒッチハイカー。生まれて初めてだよ。こんなの。
あらためて助手席の鳥男を観察すると、
灰色のダウンジャケットに、チノパン、そしてミニザックと、
旅人にしては軽装で、しかも、こざっぱりしている。
「で、どこまで行くつもりなの?」
「名古屋まで。いやあ、助かりましたよ。」
「うっ、あんた、酒臭いよ。」
「ええ、今朝まで飲んでまして。」
……なんだ、あんた、ただの酔っぱらいか?
「あっ、臭かったですか?臭かったですか?じゃあ、ガム噛みますね。」
……いや、ガムの問題じゃあなくって……
「いえね、S岡市で飲んでいたら、もっと飲みたくなって、それで名古屋へ。」
「名古屋に、自宅があるの?」
「いいえ、自宅はS岡市です。」
この鳥男、自宅とはまったく逆の方角へヒッチハイクか?
「家に帰らずに、なんで、名古屋へ?」
素朴な疑問の裏にある疑いの念を感じ取ったのか、あわてて釈明し始める鳥男。
「や、怪しいものではありません。けっして、怪しいものではありません。
ほら、お金だってこんなに持っている。」
鳥男は、なぜか突然、財布を取り出して、中身を見せる。
悔しいが、ダイサンの財布よりは裕福だ。
「あー、わかった、わかった、財布はしまって。」
運転中に、目の前で財布を見せられたら、危なくてかなわない。
「今日、仕事は休みなんです。ええ、それで名古屋へ。
あ、いや、私、名古屋の出身なんですよ。
こう見えても、小さい頃はお坊ちゃんとして育てられたんですよ。」
支離滅裂。
名古屋という故郷の地名がキーになって、生い立ちを語り始める鳥男氏。
「ものすごい財産家だったんですけど、両親が病死すると、
財産はすべて親戚に奪われて……息子の私には一文も残されなかったんです。」
……はあ。
「私なんかねえ、会社にいても、どーでもいい存在なんですよ。
あっ、この紙飛行機、昔の日本の戦闘機ですね。」
ダイサンの車には、立体紙飛行機の「震電」が、ダッシュボードに飾ってある。
それをめざとく見つけた鳥男氏は、こんどは模型の話に話題を飛ばす。
「いいですねえ、プラモデル(と、思っている)。昔、作りましたねえ。
最近は、ガンプラって言うんですか?はやってますねえ。
あの、緑色のガンダム、何て言うんでしたっけ?」
「ザク?」
「そうそう、ザクです。ザク。あれもねえ、作ってみましたけれど、
やっぱり、しっくりきませんでしたねえ。赤いやつも作りましたよ。」
……こいつ、なんで、ガンプラなんかつくってんのか?
「それにしても、この車、ちいさいですねえ。」
ええっ、その無茶な毒吐きは、大魔王様か?
「前に載せてくれた方の車は、エスティマでした。
フィリピンの方でねえ、いい人でしたよ。なんだか、国際的ですねえ。
あ、いや、小さい車だなんて、失礼な言い方でした。すみません。
やー、小さいけれど、よく走る車だ。」
……今更、取り繕っても遅いよ、あんた。
「S岡市から、3台の車に乗っけてもらいました。
やー、世の中、捨てたモンじゃあないですね。みんな親切だ。
あなたも親切な方だ。神様だ、仏様だ。」
……はいはい、持ち上げても乗っけてあげられるのは、ちょっと先までだよ。
「実は、私、神の子なんです。仏様の子なんです。
こうして、あなたと私を結びつけたのも、神様・仏様の縁です。
一生のうち、ヒッチハイカーを乗せるなんて、
滅多にある話じゃあないでしょ?きっと、いい思い出になりますよ。
あなたは幸せになりますよ。なんてったって、神の子を乗せたんですから。」
……あんたねえ、イマドキ、どんなに怪しい新興宗教団体でも、
そんなべたな勧誘しないよ。
「じゃあ、ここで。気を付けて名古屋まで行ってください。」
結局、25キロほど西へ行った道の駅で、鳥男氏を降ろした。
「お礼でもと思うのですが……。」
「そんなこと、いい。とにかく、酔っぱらっているんだから、怪我に注意して。」
「あなたにはきっと、良いことありますよ。神の子を乗せたのですから。」
最後まで、笑わせてくれる鳥男氏。
でも、鳥男氏の言うとおりかもしれない。
ヒッチハイクなんて、滅多に出会えないのは事実だもの。
ダイサンも、かつては全国をバイクで旅した旅人だったから、
気ままな旅人に、理解もあれば憧れもある。
二輪を降りて、四輪に乗り換えてからも、
もしも、そんな旅人が道ばたで親指を挙げていたら、
拾ってあげたいと、密かに思っていた。
鳥男氏は、単なる酔っぱらいだ。
名古屋まで寄った勢いでヒッチハイクだなんて、
相当、ばかげた酔っぱらいだ。
でも、ダイサンは、鳥男氏がうらやましかった。
酔っぱらいではあるけれど、彼は、旅人だった。
目的も不純で、意味のない旅だけど。
そもそも、旅に崇高な目的なんて、いらない。
「名古屋で飲みたいから、行く。」
それ以上の目的が必要だろうか。
ああ、旅に出たい。
そうだ、旅に出よう。
旅人としての心を思い出させてくれた鳥男氏は、
本当に神の子だったのかもしれないと、
今は、なんとなくそう思っている。
- 2007/02/06(火) 22:00:26|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:8
例会の日です。
いつもながら定時に退庁しても、道場に滑り込みギリギリになります。
寒くて、寒くて。
でも、調子はいいのです。
先日、碁石師匠に見て頂いた妻手の背中方向への回転と、
広島師匠(仮名)が教えてくれた浅めの手の内を試したくて、うずうず。
広島師匠いわく、
「手の内のことだけど、親指の根本と中指の先は、
無理して付けなくてもいいんだよ。」
ええっつ!そうなの?
達人高校の師匠には、「ぜったい、離すな!」と指導されたから、
びっくり。
「最後に手の内が決まったときに、くっついていればいいのだよ。
車のハンドルといっしょで、アソビがなければダメなんだよ。」
はあ、なるほど。
広島師匠の言うとおりに、少し浅めにして、
虎口の下にある固い部分で弓を支えてみます。
胴作りでは、ゆったり目に弓を握り、
手の内を決める最後に、親指の根本と中指の先がつくように締めます。
すると、あら不思議、約半年ぶりに360度の弓返りが復活!
ああ、気持ちいい!
やっぱり、握りすぎていたみたいです。
達人高校の師匠の指導も、広島師匠の指導も、
最終的にできあがる手の内のカタチは一緒だから、
きっと、どちらも正しいんだろうなあ。
妻手の背中方向への回転は、まだまだです。
意識しすぎて、残心(残身)で、斜め後ろに妻手の先があります。
つまり、斜め後ろに切っている。
だから、どうしても矢色がつく。矢所も、的の前、下にばらけます。
「ああ、だめだめ。後ろに持ってくるだけじゃあなくて、
後ろに回したら、今度は妻手の肘を的と反対方向に伸ばすように。」
わかっちゃいるんですけど。
「離れのときは、肩胛骨がこつんとぶつかるイメージで。」
どうも、背筋の使い方が良くないようです。
それで、肩を痛めるらしい。
今日は妻手も弓手もそれほど痛くない。
やっぱり、背筋は大事です。
さて、射会の記録。
12射4中。ハズレはすべて、的下もしくは四時方向へ失速。
残念は出さなかったけれど、
やっぱり、羽分けが最低合格ラインだよなあ。
日々精進。
- 2007/02/02(金) 23:12:05|
- 弓道
-
| トラックバック:0
-
| コメント:2