ムガル‐ていこく【ムガル帝国】
ムガル帝国
ムガル帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:00 UTC 版)
ムガル帝国の創設者でありバーブルは、チャルディラーンの戦いで同盟者イスマーイール1世が敗れた後に火薬兵器や野戦砲、またその戦術を積極的に取り入れた。彼がローディー朝のラホール太守ダウラト・ハン・ローディーを助けてインドに侵入し、スルターンのイブラーヒーム・ローディーと戦った時点で、すでにバーブルは火薬兵器をよく運用できるようになっていた。彼はオスマン帝国の技術者ウスタッド・アリー・クリーを雇い、大砲機動や銃歩兵を中央において荷車で守りつつ両翼に弓騎兵を配置するというオスマン型の戦術を吸収した。この新技術導入は、1526年の第一次パーニーパットの戦いでの大勝利につながった。圧倒的多勢なローディー朝のアフガン人・ラージプート連合軍に、バーブル率いる小規模なティムール朝残党が圧勝できた一因は、君主のバーブルが実際に戦闘に参加した点にもあった。これはムガル帝国史上ほとんど無いことであった。 ムガル帝国のマスケット銃兵
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