バッハ:音楽の捧げもの
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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バッハ:音楽の捧げもの | Das musikalisches Opfer BWV 1079 | 作曲年: 1747年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例 | |
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1 | 3声のリチェルカーレ BWV 1078/1 | 5分00秒 | |
2 | 王の主題による:無窮カノン BWV1078/4g | 1分00秒 | |
3 | 2声の逆行カノン BWV1078/4a | 0分50秒 | |
4 | 2つのヴァイオリンによる同度のカノン BWV1078/4b | 1分10秒 | |
5 | 2声の反行カノン BWV1078/4c | 0分40秒 | |
6 | 2声の反行の拡大によるカノン BWV1078/4d | 1分50秒 | |
7 | 2声の螺旋カノン BWV1078/4e | 2分50秒 | |
8 | 5度のフーガ・カノニカ BWV1078/4f | 1分50秒 | |
9 | 6声のリチェルカーレ BWV1078/2 | 6分40秒 | |
10 | 2声のカノン BWV1078/4i | 1分00秒 | |
11 | 4声のカノン BWV1078/4k | 2分20秒 | |
12 | フルート、ヴァイオリン、通奏低音のためのトリオ・ソナタ(4楽章) BWV1078/3 | 16分20秒 | |
13 | 無窮カノン BWV1078/4h | 2分00秒 |
作品解説
1747年5月7日、バッハはプロイセン王フリードリヒII世の招きを受け、ポツダムの王城へ伺候した。(夏の離宮だったサン・スーシ宮殿ではないと考えられている。現在、この謁見が行われたとされるポツダム城Stadtschloss は残っていない。戦災を受け、旧東独が財政上また政治上の理由から建物の再建を放棄して、1959年に解体撤去された。以来、跡地を示す立て札を残して空き地となっている。)自らも優れた音楽家であったフリードリヒ大王はフーガ主題をひとつ与え、バッハはこれを即興で展開して人々の喝采を浴びた。謁見後、3声のリチェルカーレと7曲のカノンを印刷して7月7日に献呈、さらに9月末にはカノンを2曲と6声のリチェルカーレ、王が得意としたフルートの参加する4楽章のトリオ・ソナタを書き足し、『音楽の捧げもの』と題して出版した。
分冊で出された出版譜は最終的に12曲となったが、バッハがここにどのような配列を意図していたかは結論が出ていない。そもそも通しで演奏されるように構想されたかどうか自体、確証はないのだ。新バッハ全集(VIII/1)では、2つのリチェルカーレ(BWV1079/1, 2)とトリオ・ソナタ(BWV1079/3)をこの作品の柱とみなし、カノン群をこれら3曲のあとに置いた。使用すべき楽器、編成についてもほとんど指定されていない。確実にチェンバロ1台で演奏可能なのは、2つのリチェルカーレと2つのカノン(BWV1079/4a, 4i)の計4曲である。ただし、これらが当時の最新の楽器だったフォルテピアノのために書かれたとするのは、早計だろう。確かに当時の記録によれば、大王はバッハにジルバーマン製フォルテピアノの試奏を求めた。が、王の宮廷鍵盤奏者を長く務めたカール・フィリップ・エマーヌエルは、1740年代にすでにフォルテピアノ作品を残しており、そこには多数の強弱記号が書き込まれている。対してバッハは、『音楽の捧げもの』に強弱記号をまったく付していない。もちろん、これら4つの曲を現代のピアノで演奏するなら、チェンバロや複数の楽器による編成とは違う豊かな効果が得られることは間違いないだろう。バッハが楽器を指定したのは、「2つのヴァイオリンによる」同度のカノン(BWV1079/4b)と、「フルート、ヴァイオリン、通奏低音のための」トリオ・ソナタのみである。また、カノンにせよ唯一絶対の解答が得られているわけではなく、新バッハ全集に示されたのは一つの可能性でしかない。(なお、新バッハ全集の校訂報告にはこれまでに提案された解決がいくつか収載されているが、誤っているものも多い。)――この作品は、さまざまなレベルで探求すべき謎を我々に残している。それは裏を返せば、どのような形での再現もありうる、ということである。
3声のリチェルカーレ(BWV1079/1) ハ短調 4/4
バッハは『音楽の捧げもの』に極めて手の込んだ副題を付けた。「王の命令による楽曲、およびカノン技法で解決せられるほかの楽曲 Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta」、このラテン語の単語の頭文字を繋ぎあわせると、「RICERCAR」、すなわちリチェルカーレとなる。これは厳格な対位法で書かれた作品に用いられる古い名称のひとつだが、トッカータに類する即興的な前奏を指すこともあった。この3声のリチェルカーレは、バッハが実際にポツダム城で行った即興演奏を基にしていると考えられている。それはたとえば、ときおり走り出すように登場する三連符の対旋律、いささか単調な摸続進行の多用などに表れている。もちろん細部まで完全に書き起こしたものではない。シンメトリックな前半の構成や、厳格な動機労作と対位法を駆使した後半の細部は、バッハが帰宅してから綿密に手を入れた成果であろう。
6声のリチェルカーレ(BWV1079/2) ハ短調 2/2
バッハは6声フーガの即興を求められたが、大王の御前ではすぐに果たせなかったという(『個人略伝』(1754)、およびフォルケルの『バッハ伝』(1802)にも同様の記述がある)。それで改めて課題を仕上げた。いわば、宿題を果たしたのがこの楽章である。6段の総譜に記されており、いっけん抽象的な対位法作品のようにみえるが、演奏はチェンバロ1台でも可能である。また実際に、出版後の改定稿として鍵盤楽器用の大譜表に書かれた自筆譜が伝わっており、バッハ自身も鍵盤作品として構想していたことが判る。
なお、大王へ献呈された印刷譜では3声のリチェルカーレに付けられた副題が、出版譜においてはこの6声の楽章に振り替えられている。さらに付言するなら、バッハが自作品に「リチェルカーレ」のタイトルを用いたのは、この《音楽の捧げもの》のみである。
逆行カノン ハ短調 2/2
正方向ではソプラノ譜表の単旋律として書かれている。が、最終小節にはさかさ向きのハ音記号が第5線上にあり、つまり冒頭と末尾から同時に演奏して音楽になるように工夫されている。
「求めよ、さらば見出さん Quaerendo inveietis」のカノン ハ短調 2/2
カノンの解決法が与えられていない、いわゆる謎カノン。正方向ではアルト譜表単旋律、また冒頭小節にさかさ向きのバス記号が置かれており、第2小節最終拍から反行でスタートする。
音楽の捧げもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/26 14:13 UTC 版)
『音楽の捧げもの』(おんがくのささげもの、ドイツ語: Musikalisches Opfer, あるいはDas Musikalische Opfer)BWV1079は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲した、1つの主題に基づく16の作品からなる曲集。フーガ2曲と4楽章からなるトリオソナタ、ならびに10曲のカノンが含まれる。
概要
大王の主題
バッハが1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際[注釈 1]、以下のようなハ短調のテーマ (Thema Regium) を大王より与えられた。
バッハは、これを用いてその場でジルバーマンのフォルテピアノにより即興演奏を行い、2ヵ月後には曲集を仕上げ、「王の命による主題と付属物をカノン様式で解決した」 (Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta) とラテン語の献辞を付けて大王に献呈した。献辞の頭文字を繋いだ言葉 RICERCAR (リチェルカーレ)は、「フーガ」様式が出来る前の古い呼び名である[1]。
大王の主題が全曲を通して用いられたこの曲集はその後「音楽の捧げもの」として知られている。当時の新聞記事や証言が伝えるところによれば、王の与えた主題を用いて即興演奏を求められたバッハは3声のフーガを演奏した。6声のフーガの演奏も求められたがさすがに即興では難しく、自作の主題による即興演奏を行った。のちにその場で果たせなかった6声のフーガを含むこの作品を王に捧げたと言われる[2]。
王の主題にはヨハン・ヨアヒム・クヴァンツやヤン・ディスマス・ゼレンカの作品を参考にしたという説が挙げられている[2]。アマチュアの研究家であるハンフリー・サスーン (Humphrey Sassoon) は2003年、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのフーガ(HWV609)の主題が「王の主題」と類似しており、王が主題を考案する際やバッハが「リチェルカーレ」を作曲する際に下敷きにしたと主張した[3][4]。
曲の構成
曲集の正しい配列は確定しておらず、出版社や演奏者により順序に違いが生じる。
- 2曲のフーガはリチェルカーレと題されている。一曲は3声のフーガで、これが王の前での演奏に近いのではないかとも言われる。もう一曲が6声のフーガである。
- 10曲のカノンのうち9曲は「謎カノン」と呼ばれる形式で書かれている。即ち単旋律に記号が付されており、演奏者はその記号に基づいて曲を完成させねばならない。
- また、4楽章からなるトリオソナタが含まれ、これにのみ楽器の指定がある。
1つの主題に基づいて複数の対位法的作品を作るという同一のコンセプト、および主題の類似性から『フーガの技法』との関連が指摘される。
編曲
有名な編曲にアントン・ウェーベルンによる管弦楽用編曲『6声のリチェルカーレ』(1935)がある(NHK-FMの『現代の音楽』のテーマ曲として使われていた)。またイーゴリ・マルケヴィチも管弦楽用に編曲を行っている。
ソフィア・グバイドゥーリナのヴァイオリン協奏曲『オッフェルトリウム』や尹伊桑の無伴奏ヴァイオリン曲『大王の主題』はこの曲の王の主題を元にしている。
脚注
注釈
- ^ バッハの息子であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(ベルリンのバッハ)は、彼の父とフリードリヒ2世の謁見の前年、1746年に、プロイセン王国の王室楽団員としての職を得ていた。 ヨハン・セバスティアン・バッハがポツダムに訪れたのは、この縁がもとであった。
出典
- ^ Marissen, Michael (2017). J.S.Bach: Musikalicshes Opfer (pdf) (Media notes). Bach Collegium Japan, Masaaki Suzuki. BIS. BIS-2151。
- ^ a b Schulenberg, David (2006), The Keyboard Music of J.S. Bach (2nd ed.), Routledge, pp. 390-395
- ^ Walker, Paul (2017), Leaver, Robin A., ed., The Routledge Research Companion to Johann Sebastian Bach, Routledge, p. 387
- ^ Sassoon, Humphrey (2003), “JS Bach's Musical Offering and the Source of Its Theme: Royal Peculiar”, Musical Times 144 (1885): 38-39
外部リンク
- 音楽の捧げものの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- カノンへの目覚め
- 音楽の捧げもの(音源)
- 音楽の捧げ物(楽曲解説)
- 音楽の捧げもの BWV 1079/Das musikalisches Opfer BWV 1079 - バッハ - ピティナ・ピアノ曲事典 朝山奈津子(解説、音源、演奏動画)
- Musikalisches Opferに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
固有名詞の分類
- 音楽の捧げもののページへのリンク