雄飛とは? わかりやすく解説

ゆう‐ひ【雄飛】

読み方:ゆうひ

[名](スル)雄鳥大空飛び上がるように、大きな志をいだいて盛んに活動すること。「科学者として世界に—する」⇔雌伏(しふく)。


雄飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 10:20 UTC 版)

雄飛(ゆうひ)




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雄飛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:37 UTC 版)

曹操」の記事における「雄飛」の解説

初平2年191年)、黒山軍の反乱きっかけ曹操袁紹によって東郡太守任命上奏された。この時期曹操慕って多く勇将策士彼の下に集まったこの頃曹操は胡毋班の遺族とともに王匡殺害した初平3年192年)春、黒山軍の本拠地攻め眭固匈奴於夫羅大勝した同年4月董卓呂布暗殺された。また、兗州刺史劉岱青州から来た黄巾軍に殺された。そこで鮑信潜らは曹操迎えて兗州牧を引き受けさせた(朝廷より兗州刺史任命された金尚は追い返した)。曹操黄巾討伐詔勅を受け、自ら鎧をまとって黄巾軍を討伐し、黄巾軍の兵30万人非戦闘員100万人を降伏させ、その中から精鋭選んで自軍編入し、「青州兵」と名付けた。これ以降曹操実力大きく上昇した袁術配下孫堅豫州刺史であったが、初平2年191年)頃、袁紹は周喁を豫州刺史として派遣したので、孫堅孫堅の主である袁術は周喁・周昂周昕豫州奪い合うこととなった。これにより袁術袁紹対立することとなり、それぞれ群雄盟約を結び対抗した袁紹同盟したのが曹操劉表・周喁など、袁術同盟したのが孫堅公孫瓚陶謙などである。袁紹董卓により擁立された献帝対抗すべく、劉虞擁立計画したが、袁術はこれに反対し、劉虞自身皇帝になるのを拒否している。 初平4年193年)頃、袁術曹操兗州攻め込んだ袁術侵攻には朝廷により兗州刺史任命された金尚と馬日磾伴っていた)。袁術公孫瓚救援求め公孫瓚劉備徐州牧・陶謙派遣する曹操袁紹協力してこれらと当たり、その全て打ち破った(匤亭の戦い)。敗れた袁術は、劉表背後絶たれ本拠地南陽郡捨て寿春落ち延びていったこの頃曹操陶謙に父の曹嵩や弟の曹徳含めた一族殺されている 初平4年193年)秋、その恨みから復讐戦を行うことを決意し50兵力徐州侵攻陶謙から十数城を奪い彭城での戦いで陶謙軍に大勝し数万人を殺した『三国志』武帝によれば通過した地域多数の者を虐殺したという。このことは後世『後漢書』によれば、「曹操数十万人男女殺し曹操の軍の通過した所では、鳴く声さえ聞こえなくなり死体のため泗水流れ堰き止められと言われるほどの惨状であったと書かれており、この虐殺に因り曹操陳宮背かれている。 興平元年194年)夏、曹操は再び徐州侵攻し通過した地域多くの人を虐殺した。ところが、親友張邈軍師陳宮謀り呂布迎え入れ反逆したため、領地である兗州大半呂布のものとなった張邈呂布袁紹見限って去った後に呂布会い、深い親交結んだために袁紹嫉妬されていた。曹操袁紹そのこと言われるたびに張邈庇っていたが、張邈の方は彼が袁紹との友誼優先して自分を殺すのではないか不安になり、裏切ったとされている。張邈曹操とは古くからの付き合いで、互い死んだ時には互い家族面倒を見ることを約束するほどの仲だった。それほどまでに信頼していた人間裏切られ曹操は、愕然とする曹操兗州戻り呂布攻めた敗れ青州兵は大打撃受けた上に、曹操自身大火傷負った。幸い荀彧程昱夏侯惇などが本拠地守り抜き蝗害による飢饉起き兵糧尽き果てた呂布が軍を引いたため、曹操帰還を果たすことができた。 このような時、袁紹が機を見計らったかのように援助申し入れてくるが、程昱反対もあり、曹操はそれを断る。この年の秋、蝗害旱魃のため穀物値段は1石50万余銭にもなり、一帯では人が人を食らう状態になっていた。そんな中徐州では陶謙死に劉備がそれに代わっていた。 興平2年195年)春、定陶攻撃南城陥落させられなかったが、折り良く着陣してきた呂布軍勢撃破する同年夏には鉅野攻めて薛蘭李封撃破し救援現れ呂布敗走させた。呂布陳宮一万合流して再度来襲してきたが、この時曹操軍はみな麦刈り出向いて手薄だったので、曹操急遽軍勢かき集めると、伏兵用いて呂布軍大破した呂布劉備頼って落ち延び張邈もそれに付き従ったが、曹操は、張邈が弟である張超家族預けているのを知ると、張超攻撃する同年秋、根拠地兗州全て奪還した曹操は、兗州牧に任命された。同年冬、張超破り張邈三族父母・兄弟養子)を皆殺しにした。張邈部下殺された。 この頃長安では呂布らを追った李傕らが朝廷実権握っていた。しかし、李傕らは常に内紛続けていた。 建安元年196年1月荀彧程昱勧め従い長安から逃げてきた献帝迎え入れるために、曹洪献帝迎えに行かせたが、董承妨害された。同年2月豫州西部汝南潁川割拠していた黄巾賊黄邵劉辟何儀らを破り建徳将軍任命された。同年6月鎮東将軍昇進し、費亭侯に封じられた。同年7月洛陽に赴き、首都守護したため、韓暹逃亡した献帝曹操に仮節鉞を与え録尚書事とし、司隷校尉担当させた。同年9月董昭策略用いて献帝を自らの本拠である許昌迎え入れた献帝曹操大将軍とし、武平侯に封じた同年10月政敵楊奉討伐して、後漢政府から追放したため、楊奉袁術のもとへ逃走した曹操大将軍袁紹譲り、自らは司空車騎将軍任命された。またこの年曹操棗祗韓浩らの意見採用して屯田制開始している。 建安2年197年)春、宛に張繡攻めて降伏させた。この際曹操張繡叔父である張済未亡人を妾としたが、そのこと張繡腹を立てていると知って彼の殺害考えるも、事前にそれを察知した張繡先制され、敗れる。この敗戦流れ矢当たって右臂に怪我をし、長男曹昂と弟の子曹安民忠臣典韋失った建安3年198年)、張繡を穣に包囲した劉表が兵を派遣して張繡助けたので窮地陥ったが、伏兵用いて敵軍挟み撃ちにして散々に撃破した同年4月後漢王朝裴茂段煨らを派遣して李傕滅ぼした同年冬、呂布攻める。呂布下邳城に籠城したが、水攻めによって城兵士気挫き落城させ、豫州東部徐州制圧した建安4年199年)、袁紹公孫瓚滅ぼし河北平定した。袁術呂布曹操敗北し勢力衰え袁紹のもとに身を寄せようとしたが、その途中で病死した。曹操河北制圧した袁紹対決必至となると張繡は再び曹操降伏し曹操過去恨み呑んで迎え入れた関中には馬騰韓遂勢力保っていたため、曹操鍾繇司隷校尉任じ関中方面軍事統治任せた鍾繇馬騰韓遂説得して曹操に従わせ、馬騰韓遂の子供を人質として献帝参内させた。

※この「雄飛」の解説は、「曹操」の解説の一部です。
「雄飛」を含む「曹操」の記事については、「曹操」の概要を参照ください。

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