きょうど【×匈奴】
匈奴
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匈奴(きょうど、簡体字中国語: 匈奴、拼音: ションヌゥ[1]、英:Xiongnu)は、古代中国の文献によると、紀元前3世紀から紀元1世紀後半まで、東部のユーラシア・ステップに住んでいた遊牧民の部族連合体である[2]。紀元前209年以降、最高指導者であった冒頓単于が匈奴帝国を建国したと中国の文献に記されている[3]。
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- 1 匈奴とは
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匈奴
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詳細は「南匈奴」を参照 秦漢帝国と対峙した北方遊牧民族である匈奴は、漢の武帝の征討等によって次第に国力が衰微すると後漢代に分裂し、西走したものを北匈奴、呼韓邪単于(日逐王)の統制下で華北に移住したものが南匈奴と呼ばれる。後漢や三国魏の抑圧を受けながら南匈奴は漢民族と混在して農耕を受け入れ、定住化し、人口も西晋時代には100万を超えていた。 304年に南匈奴の劉淵が漢王を称して西晋から独立し、劉淵が建てた漢(前趙)は西晋を滅ぼして五胡十六国時代の幕を開けた。同じく五胡十六国時代に、407年に南匈奴の末裔を名乗る匈奴鉄弗部の赫連勃勃が夏を建国した。
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