董承
董承
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董 承(とう しょう[1]、? - 200年2月11日(建安5年1月9日壬午)[2])は、中国後漢末期の武将。
- ^ 吉川英治の『三国志』では、とうじょうとなっている。
- ^ [1] 後漢書 孝献帝紀 第九「五年春正月,車騎將軍董承、偏將軍王服、越騎校尉种輯受密詔誅曹操,事泄。壬午,曹操殺董承等,夷三族」より。西暦換算は兩千年中西暦轉換にて。
- ^ 『三国志』蜀書2先主伝の裴松之注は「董承は霊帝の生母の董太后の
姪 (、甥のこと)である」とする見解を示している。 - ^ 『先主伝集解』および盧弼『三国志集解』巻32蜀書8を参照。また、『三国志』魏書6付・李傕・郭汜伝の注に引く『献帝起居注』では、皇甫酈が「(董卓は)外に董旻・董承・董璜があり鯁毒(ちくま学芸文庫版は、「軍隊の統率者」の意に訳している)としていた」と述べている箇所があり、董旻・董璜がそれぞれ董卓の弟・甥であることを考えると、あたかも董承も董卓の親族であるかのようにされている。ただし、皇甫酈の言う董承については、本記事の董承とは同姓同名の別人の可能性もある。
- ^ 『後漢書』列伝62董卓伝に「(董卓の女婿の)牛輔の部曲(武将)である」と記されている。
- ^ 『後漢書』董卓伝本伝、同伝注袁宏『後漢紀』。
- ^ 当時、衛将軍だったようだが、正確な任命時期は不明。
- ^ 『三国志』魏書1武帝紀。
- ^ 『呉志』孫策伝が引く『江表伝』では、董承は衛将軍として曹操に従軍し、益州の劉璋と揚州の孫策とともに、袁術・劉表を討伐しようとしていた記述がある。
- ^ 『三国志』蜀書先主伝 獻帝舅車騎將軍董承辭、受帝衣帶中密詔、當誅曹公。
- ^ 子蘭は字であると思われるが、この時にしか名が見られず、どういう人物だったのかという略歴も、現在のところは不詳である。
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