選挙との関係
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「狭山まちづくりネットワーク」の記事における「選挙との関係」の解説
2006年12月23日付の産経新聞の地域面に、運動は2007年に予定された市長選挙への準備の側面もあるのではないかという趣旨の解釈が紹介された記事が掲載された。 2007年4月の統一地方選挙埼玉県議会議員選挙では民主党推薦、政治団体新風21(田中寿夫代表)推薦無所属の新人北村浩が立候補し、西口再開発事業見直しを前面に掲げ、見直し派の投票の受け皿を標榜して選挙戦を展開。当選した。続いて行われた統一地方選挙狭山市議会議員選挙では定数24(3議席削減)に対し推進派18名・見直し派9名が立候補。推進派17名・見直し派7名が当選した。地元ミニコミ紙「サニープレス」発行者田中寿夫も、政治団体新風21を結成し立候補、当選した。市議会の勢力はネットワーク結成時の推進派19名・見直し派8名とほとんど変わらない結果となった。見直し派候補には地権者(政治団体新風21事務局長)が1名いたものの落選した。 2007年7月22日投開票の狭山市長選挙には、西口再開発事業を推進する現職の仲川幸成市長が立候補を表明。推進派市議17名の支持と、自由民主党・公明党・連合埼玉の推薦を受けた。一方、民主党前衆議院議員五十嵐文彦は事前に水面下で「見直し派候補一本化」をネットワークから打診されていたが、元外資系製薬会社社員高部忠雄を擁立し、自ら選挙対策事務局長となった。市議中川浩と田中寿夫が高部を支持した。五十嵐文彦に見直し派候補一本化を阻まれたネットワークは、元市助役北田清の求めに応じその支援に回り、共産党市議3名と市議大島政教、自民党員の一部、民主党反五十嵐派が北田を支持した。見直し派は分裂選挙となった。 高部は2005年まで狭山市・入間市合併協議会委員として両市の合併を推進していた人物である。また北田は故・町田潤一前市長が任命し、仲川市長の代になってからも引き続き助役を務め、2005年9月まで市の担当者として狭山市・入間市の合併や西口再開発事業を推進していた人物である。市長選挙は西口再開発事業の是非をめぐる対立の構図となってはいるものの、これまでのネットワークの枠組みは崩れ、市長選新人候補者2名はそれまでの主張とは正反対の立場から立候補するという複雑な状況が生じた。 2007年7月22日投開票の狭山市長選挙において、現職の仲川幸成市長が再選され、西口再開発事業は引き続き推進されることになった。
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