両市の合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 22:01 UTC 版)
アルトシュタットとノイシュタットは、1436年に1つの都市に合併した。Groter Breff(直訳すると「偉大なる書面」)では、体制が確定されており、両市の印章が押されている。印章は、二重の市壁をもつ2つの防衛塔、市門の下に司教杖を持ったパーダーボルン司教区が描かれ、周囲に「Sigillium burgensium in wartborch」という文言が書かれている。膨大な法律文書である Groter Breff は、ドイツのハンザ同盟の言語である中低ドイツ語(ドイツ語版、英語版)で記述されている。 市議会は、アルトシュタットの市庁舎とノイシュタットの市庁舎で半年ごとに交互に開催された。また 2人の市長がおり、半年ごとに公職に就いた。両市の統合市庁舎(ラートハウス・ツヴィッシェン・デン・シュテッテン)は、合併から132年後の1568年になってから建設された。 Groter Breff では、政治的な取り決めの他、経済活動に係る規則も扱われている。ヴァールブルクの、商人、羊毛織りおよびパン職人のギルトのツンフトマイスターは新たな法律により議会での発言権が与えられた。ヴァールブルクは中世の間、貨幣鋳造権を保持した。貨幣鋳造所はアルトシュタットのマルクト広場沿いにあった。鋳造された貨幣は、1327年頃にヴァールブルク・デナリ、1366年頃に旧ヴァールブルク・プフェニヒおよびより高額のマルクやプフェニヒがある。1622年にヴァールブルク市は、オーバーヴァルト地区(おおむね現在のヘクスター郡にあたるが、コルヴァイ修道院領であったヘクスターの市域を除く)で流通する 4000帝国ターラー相当の銅貨を鋳造することを許された。
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