小林 千寿
プロフィール
棋戦主要履歴
受賞歴
その他の活動実績
小林千寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 19:37 UTC 版)
小林 千寿(こばやし ちず、1954年(昭和29年)9月28日 - )は、囲碁の棋士。日本棋院所属、木谷実九段門下、六段。日本棋院常務理事(2010年6月 - 2012年6月、2016年6月 - 現在)。日本将棋連盟非常勤理事(2011年5月〜)。女流選手権戦優勝3連覇、女流鶴聖戦優勝3回など。海外囲碁普及活動を積極的に行っている。小林四姉弟の長子で、孝之準棋士、健二七段、覚九段は弟。娘あり。
経歴
長野県松本市に生まれる。4歳で父から囲碁を習う。同時にピアノ、合気道、書道も習ったが、父の熱意で囲碁だけが続けられた。6歳で木谷実の内弟子となる。入門時に「呉清源先生を負かすまでは松本に帰ってきません」と言ったという。しかし両親の心配により、2年後に松本に帰郷し、その後3年間は3人の弟とともに自宅で囲碁を続ける。1966年に全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で4位になって、木谷から再入門促す手紙を受け取り、両親とともに上京して、4姉弟は木谷門下となって日本棋院院生となる。当初は土曜木谷会で指導を受けていたが、翌年から内弟子となり、4人で一部屋をあてがわれた。その2年後にはまた通い弟子となる。
1972年に入段、4姉弟では最初の入段となった。1975年三段時に女流選手権戦で挑戦者となり本田幸子に1-2で敗退するが、1976年には2-1で勝って初の女流選手権者となる。以後3連覇するが、1979年に小川誠子にタイトルを奪われる。1978年五段。1989、93、97年には女流鶴聖戦で優勝。
高校卒業後に日本棋院から普及のためにヨーロッパに派遣され、次いで21歳でヨーロッパに3ヶ月、アメリカに半年滞在するなどして英語を覚え、囲碁普及に尽力。ヨーロッパの才能のある子供の日本留学の支援に功績があり、ハンス・ピーチ六段もその一人。活動を支援する組織千寿会も結成されている。2007年には文化庁文化交流使の指名を受ける。2010年に日本棋院常務理事(出版部、海外室)就任し、2012年に退任。2011年5月より、日本将棋連盟非常勤理事に就任。2011年8月に松江観光大使。
2016年6月、日本棋院常務理事(棋戦企画部、2020年東京オリンピック・パラリンピック担当)に就任。
タイトル歴
その他の棋歴
女流棋士タイトル獲得数ランキング | ||
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(2024年04月17日時点) | ||
順位 | 獲得回数 | 棋士名 |
1位 | 27期 | 謝依旻七段* |
2位 | 24期 | 藤沢里菜女流名人・女流本因坊* |
3位 | 13期 | 上野愛咲美女流立葵杯* |
4位 | 12期 | 青木喜久代八段* |
5位 | 11期 | 小林泉美六段* |
6位タイ | 10期 | 杉内寿子八段* | 小林禮子七段 |
8位 | 9期 | 知念かおり六段* |
9位 | 8期 | 伊藤友恵七段 |
10位タイ | 7期 | 本田幸子七段 | 楠光子八段 |
・獲得回数には男女混合棋戦、参加資格限定棋戦も含む。 *は現役棋士。 |
著作
- 『女流プロにチャレンジ 実力アマ血涙十戦譜-プロ・アマ読み筋くらべ』(小川誠子と共著)独楽書房 1986年
- 『コミックでおぼえる囲碁』(作画 松田輝一) 日本放送出版協会 1997年
外部リンク
「小林 千寿」の例文・使い方・用例・文例
- 小林さんは我がグループの新しいリーダーです
- 私は小林です。
- 私、有限会社松下不動産の購買部の主任の小林と申します。
- 小林はその音楽に夢中だ。
- 小林君はハワイで大変楽しい思いをして, すこぶるご機嫌で帰って来た.
- 小林氏を中軸としてこの仕事は推進されてきた.
- ご主人に青森の小林が来たと取り次いで下さい.
- 小林君のやったことではあるまい.
- 小林市という市
- 小林檎という植物
- 最年長は60歳の小林伸明選手だ。
- 俳優の哀(あい)川(かわ)翔(しょう)さん,女優の小林聡(さと)美(み)さんはトップテン内に初めて入った。
- 日本の最初のメダルは,バイアスロン女子12.5キロ視覚障害で小林深(み)雪(ゆき)選手によって獲得された金メダルだった。
- 昨年の夏,小林選手はエスカレーターから転落し,右足首に重傷を負った。
- 先日,俳優で歌手の小林旭(あきら)さん(68)が日本プロゴルフ協会の名誉会員に選ばれた。
- 小林さんは1993年からシニア大会に出場して良い成績を収めていることから,同協会は小林さんを名誉会員第1号に選んだ。
- 同協会の会長で小林さんの親しい友人でもある松井功(いさお)さんは,「小林さんは今68歳だが,ドライバーで280ヤードまでボールを飛ばせる。」と話した。
- 小林さんは,「一時はプロゴルファーになろうと考えたこともあったが,当時俳優としての収入が多かったので,その考えを断念した。」と話した。
- 1年生の小林夏(なつ)希(き)投手は,2004年から2006年まで硬式野球の日本代表チームのメンバーだった。
- その受賞者は,シカゴ大学名誉教授の南(なん)部(ぶ)陽(よう)一(いち)郎(ろう)氏(87),高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠(まこと)氏(64),京都産業大学教授の益(ます)川(かわ)敏(とし)英(ひで)氏(68)である。
固有名詞の分類
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