青葉 かおり
プロフィール
棋戦主要履歴
受賞歴
その他の活動実績
青葉かおり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 06:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動青葉 かおり(あおば かおり、本姓は和田(わだ)[1]、1978年7月11日[2] - )は、日本の女流棋士。愛知県出身[2]。日本棋院東京本院所属[2]。羽根泰正九段門下[2]。
経歴
小学校2年生の時に父から囲碁を学ぶ[3]。小学校3年生で全日本女流アマチュア囲碁選手権戦に愛知県代表として出場、選手宣誓を務める。小学校4年生で院生となる[1]。愛知県立旭丘高校[1]、早稲田大学卒業[2]。高校2年生の1996年に入段し[2]、在学中は棋士としての活動と学業を両立させた[1]。
2002年から2006年までNHK杯テレビ囲碁トーナメントの記録係と聞き手を務める[4]。2007年4月に結婚。夫は高校時代の同級生で弁護士[1]。入段から日本棋院中部総本部所属だったが、2008年5月20日付で東京本院に移籍した。その後、海外での囲碁普及に取り組み、アメリカノースカロライナ州、香港、台湾などに赴き、2013年に帰国した[5]。
2014年、新設の女流棋戦である会津中央病院杯を創設するために、プロデューサーとして活動した[6]。「囲碁棋士にプロデューサーなんてできるのか」といった声を後目に企画を進めたという。地元会津を盛り上げたいという関係者の思いや、囲碁ファンを一人でも増やすため、同棋戦には様々な企画を盛り込んだ[7]。同年、第18期女流棋聖戦で挑戦者決定戦に進出したが[6]、小西和子八段に敗退。挑戦手合初出場はならなかった。
囲碁の対局、解説のほかに、囲碁ゲームソフトの監修も手がける。
昇段履歴
- 1996年(平成8年)入段[2]
- 1998年(平成10年)二段[2]
- 1999年(平成11年)三段[2]
- 2002年(平成14年)四段[2] 通算100勝達成
- 2016年(平成28年)五段[2] 対象棋戦通算70勝
受賞履歴
- テレビ囲碁番組制作者会賞 1回(2005年・第20回)
監修
- 青葉かおりの囲碁百科(KTインタラクティブ)
脚注
- ^ a b c d e “私の高校時代―女流棋士・青葉かおり五段の高校時代とは”. WEDGE Infinity(ウェッジ) (2019年1月16日). 2021年12月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “青葉 かおり(アオバ カオリ / AOBA, Kaori)”. 日本棋院. 2021年12月22日閲覧。
- ^ “青葉かおりさん(1)母の言葉を胸に頑張りたい” (日本語). 読売新聞 囲碁コラム. 2021年12月22日閲覧。
- ^ “(1)“一石三鳥”お得だがね” (日本語). 読売新聞 囲碁コラム. 2021年12月22日閲覧。
- ^ NHK囲碁講座2015年2月号
- ^ a b “(2)相手を厚みに近寄らせる” (日本語). 読売新聞 囲碁コラム. 2021年12月22日閲覧。
- ^ 囲碁界のサラブレッド・藤沢里菜の優勝なるか ── 会津中央病院杯
外部リンク
「青葉 かおり」の例文・使い方・用例・文例
- 青葉
- 私は仙台市の青葉区に住んでいます。
- 私は仙台市青葉区に住んでいます。
- 青葉アルデヒド 1 万分の 1 の濃度の水溶液で水虫の菌が瞬時に死ぬことが実験で分かっている.
- 青葉の匂い濃やかなり
- 茂れる青葉
- 青葉茂れる山々
- 米国南西部および隣接したメキシコの香りの良い丸い低木で、砕けやすい幹、小さい密集した青葉、および黄色い花がある
- 灰色がかった青葉が房状に根元から出ており、葉のない茎にそれぞれ、単生で幅の広い黄色の頭状花をつける香草
- 米国南東部の植物で、ピンク色のさした白い単生の漏斗形の花が咲き、大きく光沢のある青葉が秋に赤味がかったブロンズ色に変わる
- 青葉木菟という鳥
- 青葉の陰
- 青葉に降りそそぐ雨
- 青葉の季節に吹くさわやかな風
- 青葉の茂った木陰
- 初夏に青葉を吹く東風
- 吉川かおりと言いますが予約しています。これが予約確認書です。
- 薔薇はかおりが好い
- 花のかおり
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