大粛清とは? わかりやすく解説

大粛清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 03:49 UTC 版)

大粛清(だいしゅくせい、: Большой террор)とは、ソビエト連邦(ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリン1930年代後半にソビエト連邦および衛星国モンゴル人民共和国等で実行した大規模な政治弾圧を指す。スターリンからすれば、粛清とは党の浄化を意味した[1]




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大粛清

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ラヴレンチー・ベリヤ」の記事における「大粛清」の解説

1938年8月スターリンNKVD議長代理としてベリヤモスクワ送り込んだNKVDソヴィエト連邦治安警察権力統轄する組織であった当時NKVDは、内務人民委員部1934年GPUはここに統合された)の長官ニコライ・エジョフのもと、数百万人もの人々及んだ大粛清として知られるソヴィエト連邦人民の敵(とみなされた者)」の告発活動従事していたが、粛清余りに過剰であったため、ソヴィエト国家経済軍隊基盤ダメージもたらしたスターリンによる大粛清の最中スターリン粛清実行者であったエジョフ遠ざけるようになり、代わってベリヤ1938年8月22日エジョフ内務人民委員代理任命され徐々にエジョフに代わって粛清指揮をとるうになる11月25日には正式にエジョフ内務人民委員解任されベリヤ内務人民委員となり、エジョフやその配下の機関員たちを粛清して、大粛清の総仕上げあたったスターリンは、(エジョフによる)粛清行き過ぎ抑える決定下し同年9月ベリヤNKVD内の連邦治安管理局(GUGB)の長官任命され、ついで11月にはエジョフ後任としてNKVD議長となったエジョフ1940年ベリヤ部下尋問され銃殺刑処された)。またNKVD人員たちも粛清され人員半数コーカサス出身ベリヤ忠実な人物入れ替わったベリヤの名は大粛清に密接に結び付けられているが、彼が実際にNKVD議長となったときは、弾圧緩和された頃であったベリヤ着任後に10万人以上の人々が労働キャンプから解放されると共に、大粛清に不正と行き過ぎがあったこと、その責任エジョフ帰せられることが公式に認められた。ただし、この粛清緩和はあくまで相対的なものであり、その後逮捕と処刑継続された。1939年3月ベリヤ政治局員候補となり、最高指導者1人となっていた。 1940年粛清ペースが再び加速され始めた。この時期ベリヤポーランドバルト三国占領及び同国人々強制移住指揮した1941年には内務人民委員部議長となっており、当時ソ連警察官僚システムにおいて最高の地位にあった同年2月に彼は人民委員会議副議長となり、同年6月ナチス・ドイツソ連侵入すると、連邦国防委員となった第二次世界大戦中の彼は主に国内問題に当たり、NKVD労働キャンプ収容されていた数百もの人々を、戦時生産活動使役した。彼はマレンコフと共に武器航空機航空機エンジン生産監督したが、これがベリヤマレンコフとの同盟始まりであり、後に大きな意味を持つことになる。 1941年2月には人民委員会議副議長副首相)に就任し独ソ戦中もこの職にあった彼の配属にあった部隊前線脱走兵処刑スパイ摘発などで力を奮った。また、北カフカス地方赤軍NKVD派遣しクリミア・タタール人その他国内の対独協力嫌疑かけられドイツ系少数民族強制移住実行。その過程多く死者出し足手まといになる住民問答無用殺害してスターリンから要求され期限厳守した。さらに、彼は悪名高いカティンの森事件首謀者であり、シベリア抑留など外国人捕虜収容する収容所管轄する最高責任者でもあった。対ドイツ戦終結後1945年7月9日ソ連邦元帥階級得て、翌1946年3月には党政治局員となる。 1944年ベリヤドイツ軍協力したとされる、または協力する疑われ様々な少数民族の処理にあたった。これらの多く人々ソ連領の中央アジア移住させられた。同年12月ソ連原子爆弾開発プロジェクト監督に当たることになった。この関係で彼はアメリカ核兵器プログラムへの諜報活動開始しその結果ソ連核兵器開発技術得て1949年には核兵器開発実験を行うに至った。 しかし彼の最も重要な貢献(そして恐らく彼がこのプロジェクト課せられた主な理由)は必要な労働力捻出であった実際核開発プロジェクトは、有能な核物理学者グループだけではなく、しばしば危険を伴う様々な作業のために膨大な労働力を必要とした。強制収容所ウラン採掘ウラン加工施設建設稼動核実験施設建設のために数十万人もの労働力提供したNKVDもこのプロジェクト安全性機密保持確保あたった1945年ソヴィエト警察階級システム軍隊システム変更されたことに伴いベリヤ階級ソヴィエト連邦元帥相当するものとなった。彼は軍隊指揮権を持つことは無かったが、戦時生産組織化通じて第二次世界大戦に於けるソ連勝利重要な寄与をすることとなった。さらに東ヨーロッパ系の警察組織もベリヤ支配下組み込まれベリヤ警察権力絶頂迎えた

※この「大粛清」の解説は、「ラヴレンチー・ベリヤ」の解説の一部です。
「大粛清」を含む「ラヴレンチー・ベリヤ」の記事については、「ラヴレンチー・ベリヤ」の概要を参照ください。

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