

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん2 善意の指針は悪意 [★]
うーむ、1巻の印象が強すぎて2巻がなんかだいぶ小さくなったように思える。
相変わらず二人のやり取りには笑わせられたりハラハラしたりはしますけどね。お話がお話だからかなー。
それにしてもみーくんは実はすげえ女たらしなんじゃぁ。
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 善意の指針は悪意 2 (2)(電撃文庫 い 9-2)

入院した。 僕は殺人未遂という被害の末に。 マユは自分の頭を花瓶で殴るという自傷の末に。
二人が入院した先では、患者が一人、行方不明になっていた。
その事件は当初、僕にとって問題となるべき事柄ではなかった。
数日後に起きた出来事のほうがよっぽど衝撃的だったからだ。
数日後。 マユは、頭部と花瓶を再度巡り会わされた。 自傷じゃなく、誰かの手によって。
マユは病室で血塗れになり、今回も気絶することなく自前の足で歩き、医者に治療を依頼した。
そして、治療から帰ってきたマユは、本題とは関係の無いことを僕に発表した。
死体を見つけた、と。
また、はじまるのかな。 ねえ、まーちゃん。
善意の裏に栄える、人の悪意――。
1巻の殺人未遂の被害で入院したみーくん。それを追うように自らの頭部を花瓶で殴打して入院してきたまーちゃん。そこで起こった患者の失踪事件と、治りかけていたまーちゃんへの傷害事件。お見舞いに来た元彼女の長瀬透、同じ病院に入院するその妹。まーちゃんが見つけた死体。調査を開始するみーくん。
一見バラバラなストーリーの断片が、一つに収束して見える人の悪意。そのえげつなさがこの2巻の売りでしょうか。
まーちゃんのみーくん依存度が五割り増しくらいになっています。いつでも一緒に居たいからといって普通は追うように入院なんてしませんわな。死体にまで嫉妬するまーちゃん怖いです。まあ端から見ればただのバカップルですけどね。
そんなところにみーくんの元彼女の透が出てくるもんだから、嫉妬深いまーちゃんがもし透とバッティングしてしまったらと思うとぞぞぞーときますね。一瞬で死体が一丁出来上がります。
にしてもみーくんの鬼畜具合がすごい。
前回でみーくんが「みーくん」を演じているのが分かりましたけど、まーちゃんをこれ以上壊さないがためにここまで嘘をつきとおせるものなのか。いくらまーちゃんの頭はみーくんでいっぱいだからと言っていずれバレてしまうのが嘘と言うもの。まあみーくんの巧い立ち回りがあってその均衡は儚くも未だに保たれていますがどうなっちまうんでしょうねえ。
あと渡会さんをうまい言い回しで追い詰めるところがなんとも。児童虐待の次は老人虐待ですか。ちょっとは労わろうよ!
相変わらずまーちゃんや透とのバカップルよろしく小気味いい会話の応酬は楽しいのだけれど、地の文にちょっと無駄が多すぎやしないかな。
今回は事件の真相を確かめるべくみーくんが動く物語なので、まーちゃんの出番が少なかったのが残念。だったのですが、まーちゃんを利用した人の悪意というものが浮かび上がってくるとあら不思議、背中がゾッとしますわ。
二人には直接関係ない事件だったので物足りないっちゃ物足りませんが、この悪意に満ち満ちた感じとか素敵に狂った物語は依然として変わらんとです。面白い。
1巻に比べるとやや見劣りするかもしれませんが、全然OKです。オススメ!
→『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん3 死の礎は生』の感想へ
←『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん 幸せの背景は不幸』の感想へ
「一人称小説の地の文」=「主人公の語り」ですから。
主人公が壊れた人間なら、地の文がまともなはずはないわけで。
一人称の地の文を読みにくくすれば、それだけ主人公の変人っぷりも引き立てられます。
一般的な三人称小説なら無駄は省く方がいいとされますが、一人称の場合は特殊なわけで。
読み安さや一般論より、「この主人公ならどう考えるか」をそのまま文字にすることに意味があります。
なので私的には、あの読みにくい地の文は、あの主人公での一人称としては妥当かなと思いますね。
ついでに、無駄が多くなると伏線やミスリードがどれだかわからなくなって、余計に話をややこしく演出できるという効果があります。
これは無駄を基本的に削る三人称にはあまりむいていない手法かと思いますが。
考えて使いこなせれば、「無駄な表現」も立派な武器になると思いますよ。
言われてみると確かにそう思うんですが、やっぱりクドすぎるのもいただけないかと感じるんですよ。読みやすさってのも大切だと思いますしね。