ゆったりした休み―その4 薪神社
一休寺から200mほど坂(一休坂という)を上がったところに薪神社がある。
薪はこのあたりの地名だが、京田辺市には薪ではじまる地名は50もある。
その中には「薪狼谷」とか「薪狐谷」、「薪泥々」という地名もあって、以前、狼谷の住民が、地名変更を求めていると聞いたことがあった(今でもこの地名があるということは、地名変更は認められていないのだろう)。
さて、薪神社だが、なんともこぢんまりしたところなのだけれど、ここで異彩を放っているのが、「能楽発祥の地」という石碑。
こんなところが発祥の地?
ネットで調べると、能楽発祥の地というのは、奈良県もそういっている。より狭くは、田原本町や川西町あたりが、古くからの猿楽の座があったところで、そうしたところから能楽発祥の地ということのようだ。
奈良県には他にも、流派ごとの発祥の地があって、田原本町は金春流、川西町は観世流、桜井市は宝生流、斑鳩町は金剛流のそれぞれの発祥の地という。
(前に紹介した「月読神社」も宝生流発祥の地となっているが)
奈良県は各派の発祥の地というわけだし、奈良市には能楽堂も整備され、行政が能の振興に力をいれている。薪能もやはり有名なのは奈良の興福寺のもの。
発祥の地だというだけでは、「それがどうした」となってしまう。
なお、京都の新熊野も能楽発祥の地と言っているが、京都は何でも、ええとこ取りできる土地柄だし、それでみんなが納得してしまう。
さて薪神社だけど、金春禅竹が、一休さんに能を見せた場所だとかで、あろうことか薪能というのは、この薪という地名から来ているという説もあるという。
(私は薪能は、奈良のものを一度見たのが最初で最後。)
そういえば、かぐや姫の伝承地としても、京田辺市と、奈良の広陵町とか、他にもいくつかの市町が争っている。
他にも、継体天皇の筒城宮が同志社大学のキャンパスの中にあったり、京田辺市には由緒のあるところが多い。
(訪れる人は少ないけれど。)
薪赤池 | たきぎあかいけ |
薪赤坂 | たきぎあかさか |
薪薊 | たきぎあざみ |
薪石ノ前 | たきぎいしのまえ |
薪井手 | たきぎいで |
薪狼谷 | たきぎおおかみだに |
薪大欠 | たきぎおおがき |
薪大崩 | たきぎおおくずれ |
薪大塚 | たきぎおおつか |
薪小欠 | たきぎおがき |
薪斧窪 | たきぎおのくぼ |
薪貝元 | たきぎかいもと |
薪加賀ノ辻 | たきぎかがのつじ |
薪甘南備山 | たきぎかんなびやま |
薪岸ノ下 | たきぎきしのした |
薪北町田 | たきぎきたまちだ |
薪狐谷 | たきぎきつねだに |
薪桑ノ木 | たきぎくわのき |
薪小山 | たきぎこやま |
薪里ノ内 | たきぎさとのうち |
薪四反田 | たきぎしたんだ |
薪城ケ前 | たきぎしろがまえ |
薪城ノ内 | たきぎしろのうち |
薪狭道 | たきぎせばみち |
薪高木 | たきぎたかぎ |
薪巽 | たきぎたつみ |
薪溜池 | たきぎためいけ |
薪大仏谷 | たきぎだいぶつだに |
薪茶屋前 | たきぎちゃやまえ |
薪天神堂 | たきぎてんじんどう |
薪外島 | たきぎとじま |
薪堂ノ後 | たきぎどうのあと |
薪泥々 | たきぎどろどろ |
薪中垣外 | たきぎなかがいと |
薪長尾谷 | たきぎながおだに |
薪名松 | たきぎなまつ |
薪西窪 | たきぎにしくぼ |
薪西沢 | たきぎにしさわ |
薪西浜 | たきぎにしはま |
薪西山 | たきぎにしやま |
薪畠 | たきぎはた |
薪東沢 | たきぎひがしさわ |
薪東浜 | たきぎひがしはま |
薪東向 | たきぎひがしむかい |
薪平田谷 | たきぎひらただに |
薪堀切谷 | たきぎほりきりだに |
薪舞ケ辻 | たきぎまいがつじ |
薪水取 | たきぎみずとり |
薪百々坂 | たきぎももさか |
薪山垣外 | たきぎやまがいと |
由緒だけの廃墟ではなくて、ちゃんと地元に重点をおいた営業活動もしっかりされている。