インスタント・ラーメン考

弁当を作ってくれていた家人が暫くいないので、そういうことになっている。
弁当代わりにするのはカップ麺だが、家で作るのは袋麺である。
袋麺の場合は、麺を茹でるお湯に、残り物の白菜やベーコンなどを入れてから麺を投入するようにしている。やはり一人暮らしだと野菜の摂取が気になるから、気休めかもしれないが一手間かける。
ところで、昔から私はラーメンとインスタント・ラーメンはジャンルとしては別のものと考えていて、インスタント・ラーメンはラーメンの味がする・しないで評価することはない。
高級なインスタント・ラーメンで「生麺のような」というようなのがあるけれど、これに価値を見出さない。それにだいたいこういう商品は前述の「一手間プラス」というような手間では済まないのが普通である。
麺を茹でるお湯と、スープを作るお湯を別にするなど、インスタントの風上におけない。
手間を惜しまずということになるなら、いろいろ出回ってる生タイプのものを使えば良い。値段も高級インスタントととそう変わらない。これにちゃんと焼豚やメンマを加えればよろしい。

袋麺のシリーズをカップにしたという商品、つまり袋麺の商品名を冠した商品はよろしくない。鍋で加熱するわけにはゆかないカップ麺を袋麺に近づけようという努力はむなしいのではないか(チキンラーメンは例外、そのまんまだから)。
一定の評価を得ている袋麺の名前で消費者を惹きつけようということなのかもしれないが、そこで袋麺の味を再現しようとするのは、制約でしかなく、カップ麺としての味が犠牲になるような気がする。
カップ麺は、熱湯を注いでできあがるカップの中味がすべてである。やっぱりカップ麺の嚆矢であるあの一品の方向で追究すべきだろう。
ところで、藤子不二雄のマンガに、いつもラーメンをたべているお兄さんが出てくるが、これって、ポパイに出てくるいつもハンバーガーを食べているおじさんからの発想なんだろうか。