「標準語の成立事情」

真田信治「標準語の成立事情―日本人の共通ことばはいかにして生まれたか」について。

michikusa-store_a1-05782-crop.jpg 先日、図書館へ行ったら、廃棄図書が並べられていて、自由に持ち帰って良いとなっていた。ざっと見回したなかに、この本があった。言葉というものに関心が強いので、これを持って帰ることにした。

他にもう1点、山本浩「フットボールの文化史」というのも。こちらは未だ読んでない。


標準語の成立については、昔、NHKでコメディタッチでドラマ化(井上ひさし・脚本「國語元年」)されたことがあった。「じょじょはいたとと」とかとんでもない御所言葉なんかも飛び出して面白く見た記憶がある。

このドラマは、政府の命令で統一言葉を作ることに奮闘する人間模様が描かれたのだが、本書はそういうお上からの努力を追うものではない。実際に「國語元年」のようなことがあったのかはともかく、本書によると、標準語というものは、エスペラントのように人為的に作ったというより、自然に形作られてきたという側面があり、それを学校教科書が取り入れたことで固まったという流れのようだ。
たしかに無理やりこれが「標準語」だと押し付けるだけでは国民の間に定着しそうにはない。言葉は文化の最たるものであるから。

まえがき
 
第一章 共通ことば感覚の誕生 [中世末期〕
1 宣教師たちの日本語感覚
2 女房詞は使えない
3 京都ことばが「正しい日本語」
 
第二章 町人たちの日本語談義〔近世〕
1 伊勢屋、稲荷に犬の糞
2 訛りがあるのは下司・下郎
3 きどった言い方・普段の言い方
4 江戸時代の「ことば辞典」
 
第三章 「標準語」の登場〔近代〕
1 文明開化は「漢字の廃止」から
2 「デアル」「デス・マス」論議
3 「標準語」のはじまり
4 ブームになった東京語
 
第四章 方言の分布と標準語
1 標準語はどのように広がっているか
2 標準語のルーツを探る
3 ことばが伝わる平均速度
 
第五章 歴史の流れとことばの変遷
1 歴史に消えた標準語
2 外来語の入り方
3 「ステーション」が「駅」になった理由
 
第六章 標準語の将来戦後と〔戦後と現代〕
1 「共通語」の登場
2 「共通語」と「標準語」
 
付 章
 
あとがき
ただし、「標準語」を話すことが正しく、方言を否定する教育もかつて行われたことも事実だが、戦後は、そういう統制的な教育は嫌われ、結局、正しい規範としての「標準語」ではなく、いろんな日本語がある中で、コミュニケーションが可能な共通理解のある言葉として「共通語」という概念に変わったとされる。
 共通語は現実であり、標準語は理想である。共通語は自然の状態であり、標準語は人為的につくられるものである。したがって、共通語はゆるい規範であり、標準語はきびしい規範である。言いかえれば、共通語は現実のコミュニケーションの手段であるが、標準語はその言語の価値を高めるためのものである。

『国語学大辞典』(昭和五十五年)(柴田武執筆)


その標準語乃至共通語と言われるものは、東京の中流階級で使われていた言葉がベースになっていることは良く知られている。そしてこれは江戸時代から、諸国の武士がコミュニケーションをとる必要から生み出されてきたものがもとで、既に江戸時代にはほぼ成立していたはずである。

「國語元年」では、明治新政府の中央集権的政治を行うのに、各地のお国言葉が入り乱れてコミュニケーションがとれない様子を描いていたが、少なくとも幕府や諸藩の武士の間では共通語のようなものでコミュニケーションはとられていただろう。


だが、そういう共通語というのは、所詮コミュニケーションの用に足る必ずしも豊かな言語表現ではなく、分厚い伝統を誇る京・上方の言葉に比べて貧しいものだ、と私は思ってきた。
しかし、そういう共通語という言語体系でも言語である以上、新しい表現が発生して、それに加わるから、次第に豊かになることは自然の流れだろう。

hyoujungo-no-seiritsu_fig12.jpg そして本書によると、そのベースとなった標準語乃至共通語の語彙には、実は多くの京・上方由来の言葉が含まれているのだそうだ。つまりネイティブ江戸っ子は使わない言葉が共通語には多くあり、それには関西由来のものが多いという。
 なお、図12は、標準語形の集中的な分布傾向を調べたものである。大小の円は、それぞれの都道府県において90%以上の分布率となる標準語形が何項目あるかを表している。その数の最も多いのは東京を中心とした関東地方であり、やはり関東に基盤を持つ標準語形の多いことが確認されるが、一方、関西地方にもかなりまとまった勢力のあることがわかる。
例としてあげられているのは、「おそろしい」・「こわい」という言葉で、これはネイティブ江戸弁では「おっかない」なのだそうで、「おそろしい」・「こわい」は関西を中心として広がっているという。

またやはり標準語には含まれない「~ジャン」という表現は、横浜あたりから来たという話もあるが、本書では、神奈川県より先に静岡の東海道筋では昭和の初期から使われていたらしいとしているが、他の地域はいざしらず、関西圏ではこの言葉には強い抵抗がある。
 いずれにしても、~ジャンカは簡略形~ジャンとなり、東京に流入して、「いいじゃん」のような形でマスメディアにものって全国に放射しつつあるようである。井上史雄が全国の中学生を対象に調査した結果によれば、この形式の使用範囲は、北海道から沖縄までほとんどの地域におよんでいることがわかった(『新しい日本語』)。
 しかし、そこで注目されたのは、関西だけがこの形式の空白地帯となっていることであった。関西地方にはこの形式に対応する、前掲の~ヤンカが強い勢力を張っているのである。
 :
 ともかく、大阪においては~ジャンがまったく入り込めないでいることを指摘したいのである。この現象は、おそらく関西の若者の東京弁に対する意識構造の面から解かれるであろう。比して、東日本では一般に、心理上、東京弁になびきやすい傾向があるのではないか。ことばの伝播速度を考察するにあたっては、このような、地域ごとの心理面における〝落差〟を考慮に入れる必要があるように思う。

先日「ブラタモリ」を見ていたら、タモリに同行するアナウンサーが~ジャンを使って、タモリが冷やかすシーンがあった。NHKのアナウンサーともあろう女性が電波に乗る場面で使うべき言葉ではないという意識は明確に存在するようだ。


言葉として同じように使われていても、必ずしも全く同じ意味やニュアンスではないという事例も拾われている。
おもしろいのは、「ショベル」と「スコップ」。どちらの言葉も、東京でも関西でも使われているが、
東京では、シャベルはふつう土いじりをする時に使う小さいもののことを指し、工事現場などで使う大きいものをスコップというが、関西などでは逆に、小型のものはスコップで、大型のものがシャベルと呼ばれる傾向にあることを指摘しておきたい(関西の方が原語の意味に近い)。
とのこと。この一節を抜き出したのは、「チコちゃんに叱られる!」で取り上げられていたから。

ただし、どちらが原語に近いかの説明はなかった。穿った見方をすれば、ことさら東京が間違ってるような印象を与えないためか。


前述の~ジャンが、東日本では使われているのに、関西では強い抵抗感がるという心理に通ずると思う話が「あとがき」に書かれていた。
 あるとき、あるところで、「現代の日本では、改まった場においては、いわゆる標準語が使われる」といった趣旨の発言をしたことがある。しかし、その折、関西の人からクレームがついた。関西では、いくら改まった場であっても、まわりが関西の人たちばかりであれば、関西流の上品なことばづかいをすることはあっても、けっして標準語は使わない、標準語を使うときは、その場に他の地方の人、特に東京の人がいるときであって、これはいわば外国語のようなものとして使うのである、と。
 その関西に住いするようになって五年になる。この地の、いわゆる標準語にこだわらない闊達な言語生活を見聞きするにつれ、改めて、この地には、長い伝統につちかわれた独自の「標準」が確かに存在することを思いしらされるのである。現代標準語の成立過程を再確認する仕事をはじめたのは、このあたりがきっかけである。

著者先生もようやく関西人の心情がわかってきたようだ。そしてそのことによってご自身の研究を深められたようだ。(著者は富山県の越中五箇山郷の小さな集落で15歳まで育ったとか)


本書で取り上げられていないことがある。アクセントである。東西のアクセントの違い、特に東と西で逆になるということは良く取り上げられる話題だと思うが、本書の標準語形調査などでは、アクセントについては触れられていない。
「空に浮かぶのは何ですか」と訊いたら、東でも西でも「雲」と答えるだろうけど、アクセントは明確に違う。このあたりの調査・分析はどうなっているんだろう。

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

六二郎。六二郎。

ついに完全退職
貧乏年金生活です
検索フォーム

 記事一覧

Gallery
記事リスト
最新の記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

飲食 ITガジェット 書評 マイナンバー アルキビアデス Audio/Visual 

リンク
アーカイブ
現在の閲覧者数
聞いたもん