「風立ちぬ」
先日、テレビでスタジオジブリの「風立ちぬ」が放送された。有名なアニメだが、今まで見たことがなかったので録画して見た。
このアニメーション映画については、もちろん存在は知っていたし、飛行機に関係した話だということも知っていた。
映画の冒頭で、「風立ちぬ」は、Paul Valéryの詩の一節 "Le vent se lève, il faut tenter de vivre." の訳(by 堀辰雄)であることが示される。また、映画の中でも、二郎の風で飛ばされた帽子を菜穂子が捕まえて二人の出会いとなるわけだが、このときに菜穂子が "Le vent se lève" と二郎に言い、二郎が "il faut tenter de vivre." と返すシーンもある。
そして事前知識を全く持っていない私は、この後、主人公の名前が堀越二郎と分かって、「えっ、ゼロ戦の設計者!?」と驚き、この映画は実在の堀越二郎を描いているのだろうかと思い、そして俄然、集中してみるようになった。
そして映画が進むにつれ、これは伝記というものではないんだなぁと思いながら、Wikipediaの堀越二郎の記事もちらちら見ていた。
映画が終わり、トレーラーが映されたときに、そこに堀辰雄の名前を見て、そういえば堀辰雄に「風立ちぬ」という小説があったなぁ、読んでいないけれど。
そしてあらためてジブリの「風立ちぬ」と堀のそれとを比較してみようと思って、青空文庫所収の堀辰雄「風立ちぬ」をダウンロードして読みはじめた。
ああ、これはジブリの「風立ちぬ」で、二郎と菜穂子が再開するシーンに再現されているなぁ。
そう思って、堀辰雄を読み進めていくと、なんとなく小説とアニメのシーンの空気感とでもいうようなものに共通性を感じる。
思うにこの空気感を共通させながら、小説はサナトリウムの節子のまわりで進行する一方、アニメでは、菜穂子はサナトリウムを出て、二郎とともに生き、二郎は仕事に励む。
そして二郎が設計した飛行機
私は、この二郎が仕事に集中しながら、そしてそのことを菜穂子と共有して生きる姿に、自然なリアリティを感じた。
実際にそういう状況になったなら、仕事もし、病人にも寄り添うだろう。そしてその二郎の気持ち・やさしさはしっかりと描かれた。
二郎の妹が、仕事ばかりで菜穂子をほっておくと二郎を責めるシーンもあるが、二郎は自分の夢を菜穂子と共有することで、そして菜穂子はそれによって二人で生きているという実感を持って、充実した生を享受しているにちがいない。
本記事を書くにあたってネットでいろいろ情報を得た。中でも「風立ちぬ あらすじ」の記事はよくまとまっていて、それによると、本当の堀越二郎には菜穂子のような人はおらず、小説の設定を取り込んで二郎を創作することには、遺族の了解も得ているという。
実在の人物を創作し、私小説の空気を重ねた本アニメ、名作だと思う。
このアニメーション映画については、もちろん存在は知っていたし、飛行機に関係した話だということも知っていた。
以前タバコと映画の記事に書いたとおり、この映画に喫煙シーンがあるということで、一部禁煙運動家からクレームが付けられたということで記憶にある。
もっとも、こういう禁煙原理主義的なことをして気勢を上げるのは、あまり感心できない。禁煙運動に対して反感を惹起するだけのように思う。
ただ、映画を今まで見てこなかったので、喫煙シーンは1コマ程度だろうと思っていたが、見てみるとたしかにかなり多い。病人が寝ている部屋でもタバコを吸っている。もちろんこの時代、その喫煙習慣は普通のことだし、アイデアが出ないときにタバコを吸うというのはお定まりの映像表現だとも思うが、禁煙運動家が怒るのもわからないわけではない。
映画の冒頭で、「風立ちぬ」は、Paul Valéryの詩の一節 "Le vent se lève, il faut tenter de vivre." の訳(by 堀辰雄)であることが示される。また、映画の中でも、二郎の風で飛ばされた帽子を菜穂子が捕まえて二人の出会いとなるわけだが、このときに菜穂子が "Le vent se lève" と二郎に言い、二郎が "il faut tenter de vivre." と返すシーンもある。
そして事前知識を全く持っていない私は、この後、主人公の名前が堀越二郎と分かって、「えっ、ゼロ戦の設計者!?」と驚き、この映画は実在の堀越二郎を描いているのだろうかと思い、そして俄然、集中してみるようになった。
そして映画が進むにつれ、これは伝記というものではないんだなぁと思いながら、Wikipediaの堀越二郎の記事もちらちら見ていた。
映画が終わり、トレーラーが映されたときに、そこに堀辰雄の名前を見て、そういえば堀辰雄に「風立ちぬ」という小説があったなぁ、読んでいないけれど。
そしてあらためてジブリの「風立ちぬ」と堀のそれとを比較してみようと思って、青空文庫所収の堀辰雄「風立ちぬ」をダウンロードして読みはじめた。
そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
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風立ちぬ、いざ生きめやも。
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(堀辰雄.風立ちぬ(Kindleの位置No.10-17).青空文庫.Kindle版.)
ああ、これはジブリの「風立ちぬ」で、二郎と菜穂子が再開するシーンに再現されているなぁ。
そう思って、堀辰雄を読み進めていくと、なんとなく小説とアニメのシーンの空気感とでもいうようなものに共通性を感じる。
思うにこの空気感を共通させながら、小説はサナトリウムの節子のまわりで進行する一方、アニメでは、菜穂子はサナトリウムを出て、二郎とともに生き、二郎は仕事に励む。
そして二郎が設計した飛行機
まだゼロ戦ではないようだ。逆ガル翼の機体だから九試単座戦闘機の試作一号機だろうか。
⇒Wikipedia/堀越二郎
私は、この二郎が仕事に集中しながら、そしてそのことを菜穂子と共有して生きる姿に、自然なリアリティを感じた。
実際にそういう状況になったなら、仕事もし、病人にも寄り添うだろう。そしてその二郎の気持ち・やさしさはしっかりと描かれた。
二郎の妹が、仕事ばかりで菜穂子をほっておくと二郎を責めるシーンもあるが、二郎は自分の夢を菜穂子と共有することで、そして菜穂子はそれによって二人で生きているという実感を持って、充実した生を享受しているにちがいない。
本記事を書くにあたってネットでいろいろ情報を得た。中でも「風立ちぬ あらすじ」の記事はよくまとまっていて、それによると、本当の堀越二郎には菜穂子のような人はおらず、小説の設定を取り込んで二郎を創作することには、遺族の了解も得ているという。
実在の人物を創作し、私小説の空気を重ねた本アニメ、名作だと思う。