『ボードゲーム・スタディーズ』 お薦め記事
- 2019/05/21
- 00:16
本記事は、2019春ゲームマーケット 5/25(土) S-10 「タルトゲームズ」さんから販売される、『ボードゲーム・スタディーズ』の紹介、第3日目です。
なお、下記リンクの予約・通販申し込み期限は5/22(水)とのことですので、どうぞお早めにご利用下さいませ。
今日は、カズマさんが執筆された記事から「ゲームの楽しさ、そのSM的様相」、「ガチとエンジョイ、パラノとスキゾ――『逃走論』変奏」、「セッションの構造」の3本について、ワタクシ的見所(読みどころ?)をご紹介します。
1.「ゲームの楽しさ、そのSM的様相」
この記事において、カズマ氏はゲームの楽しさについて、次のように定義する。
2.「ガチとエンジョイ、パラノとスキゾ――『逃走論』変奏」
この記事は、浅田彰の『逃走論』を下敷きとした議論である。カズマ氏は、パラノイアック/スキゾフレニアックという概念と、ガチ/エンジョイという概念とを対比しつつ、ガチ/エンジョイという言葉で語られていることの中味を検討していく。その議論の先で述べられた次の言葉は実に示唆的だ。
3.「セッションの構造」
この記事では、現実平面(現実上のもの)と仮想平面(ゲーム上のもの)とが常に同時に二重に成立し、その両者が相互に干渉し合うことによってセッションが機能している、という議論が展開される。仮想平面上のやりとり(ゲーム)と現実平面上での影響(交流)との関係もまたその図式の只中に置かれる。当の関係は、度々ボードゲーマーの間で採り上げられる問題であるが、これに対し、当の議論の先でカズマ氏が述べる次のような見解は圧巻と言う他無い。
なお、下記リンクの予約・通販申し込み期限は5/22(水)とのことですので、どうぞお早めにご利用下さいませ。
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— カズマ/Kazuma@GM春 土-S10 (@_kazuma0221) 2019年4月21日
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今日は、カズマさんが執筆された記事から「ゲームの楽しさ、そのSM的様相」、「ガチとエンジョイ、パラノとスキゾ――『逃走論』変奏」、「セッションの構造」の3本について、ワタクシ的見所(読みどころ?)をご紹介します。
1.「ゲームの楽しさ、そのSM的様相」
この記事において、カズマ氏はゲームの楽しさについて、次のように定義する。
ゲームの楽しさとは《行為と快が適切な規模でミニマルに循環する状態》である。
そしてこの前提の下に、ゲームプレイにおけるサディズムとマゾヒズムとを見事に、そしてどこか妖しい魅力を伴って描き出す。読後、ゲームプレイはあなたにこれまでとはひと味違った悦びをもたらしてくれるかもしれない。『ボードゲーム・スタディーズ』 8頁
2.「ガチとエンジョイ、パラノとスキゾ――『逃走論』変奏」
この記事は、浅田彰の『逃走論』を下敷きとした議論である。カズマ氏は、パラノイアック/スキゾフレニアックという概念と、ガチ/エンジョイという概念とを対比しつつ、ガチ/エンジョイという言葉で語られていることの中味を検討していく。その議論の先で述べられた次の言葉は実に示唆的だ。
ここでいう「大きな構図」とは(若干の飛躍を許してもらえれば)「理想のゲーマー」がどこかにモデルとして存在するという思想であって、実はそこには遊び(play)の余地がなく、体系(システム)として閉じており余白を残していない。
ひとことで言えば、人の属性としてのガチ勢/エンジョイ勢を止揚するという図式をとることは、他者に対して硬直化した視線を押し付けてしまう、他者をスタティックなプレイヤーと見なしてしまう、ここに問題があると私は考える。
静的な在り方に陥ることなく、生成変化の主体たる常に動的な在り方によってこそ、ゲームのセッションは機能する。この辺は、私の議論ともつながるところである。是非、私の記事と読み比べてみて欲しい。ひとことで言えば、人の属性としてのガチ勢/エンジョイ勢を止揚するという図式をとることは、他者に対して硬直化した視線を押し付けてしまう、他者をスタティックなプレイヤーと見なしてしまう、ここに問題があると私は考える。
『ボードゲーム・スタディーズ』 22頁
3.「セッションの構造」
この記事では、現実平面(現実上のもの)と仮想平面(ゲーム上のもの)とが常に同時に二重に成立し、その両者が相互に干渉し合うことによってセッションが機能している、という議論が展開される。仮想平面上のやりとり(ゲーム)と現実平面上での影響(交流)との関係もまたその図式の只中に置かれる。当の関係は、度々ボードゲーマーの間で採り上げられる問題であるが、これに対し、当の議論の先でカズマ氏が述べる次のような見解は圧巻と言う他無い。
「ゲームと交流とはどちらを重視すべきか」という問いは、それらが二者択一でしか成立しないことを含意する点において、問いの立て方そのものが誤っている。ゲームと交流のどちらをとるか、ではなく、それらを両立するためにはどのように行為すべきか、と問わなければならない。
この結論を導き出すカズマ氏による議論、是非その全文にじっくりと当たって知的な悦びに浸っていただきたい。『ボードゲーム・スタディーズ』 52頁