ゲームデザインの魔導書【読書日誌】
- 2016/03/03
- 06:17
面白い本でした。詳細はこちら↓
以下、各章(各魔導)について、ごく個人的な感想を述べさせていただきます。(はじめはただツイートしようかと思いましたが、書いてる内に結構長くなったのでブログ記事にしました。)
ワンダールクス
私が度々口にする、「多様な水準」という具体性を欠けた話について、かなり整理された議論をされているように感じました。特に、各レイヤーの関係を各ゲームの具体的事例を挙げて説明していて、これが非常に面白かったです。
ただ、アナログゲームへの応用という視点で見た場合には、章の最後で触れられているとおり、ほとんど全てのアナログゲームで、反応のレイヤーは極めて弱く、遊戯のレイヤーに比重が置かれているため、本章では「こんな感じ」で終わっている遊戯のレイヤーの中味をより詳しく聞きたくなりました。個人的には、この層の内部もタイムスケール(ただしそれは、ゲーム内時間かもしれません)に着目してさらに分解できるのではないか、と思ってます。
ともかく、「全てのゲームを照らし出す統一理論」と言うのに相応しい序章、と思いました。詳細を描いた続きが気になります。
アークリベラシオン
ネガ感情vsポジ感情の落差で面白くなり、ここから黄金パターンが生まれる、というのになるほどと思いました。
ただ一点、文中でドラクエ1のゲーム開始からクリアまでの感情の起伏のグラフが全体として右肩上がりになっているのは本当にそれで良いのかな、とは思いました。ミクロなタイムスケールでのネガポジ転回と、マクロなタイムスケールでのネガポジ転回とがあるような気がするので。
とは言え、分かり易く、かつ実践上も極めて有効な素晴らしい魔導でありました。
ナラティブってなんだ!
物語もゲームシステムによって語るしかなかったような、昔のビデオゲームでの体験…のようなものが「物語」ではなく「ナラティブ」という言葉でしか言い表せないような「あの独特の体験」ということになるのでしょうか。多分この(物語≠ナラティブの)前提となるのが、文中の「ゲームのナラティブで紡げるのはせいぜい『物語』未満の『エピソード』までだろう」という言及だと思います。確かにそのとおりかもしれないんですが、それは一種の諦念なのではないか、とも思ってしまいました。ナラティブというテクニカルタームが必要かどうかは分からないんですが、ゲーム固有のシステムを通じてしか表現できない物語(≠エピソード)をもたらす作品が生まれたら楽しいなあ、と思いました。
スティルストリア
「ナラティブってなんだ!」に続き、物語に関連した魔導。非常に面白かったです。
リタルパトス
プレイヤーについての魔導。この魔導だけ対話形式なのですけど、どういういきさつでこうなったのかがちょっと気になったりして。良いアクセントになっていて面白いとは思いますが。
内容は、ゲームを善く楽しめている人間の在り方をインタビューによって描き出していく、という感じでしょうか。個人的には、故郷のような、世界観を感じる装置としてのゲームというのが面白い考え方だなあ、と思いました。
全体を通じて
続きを読ませろ!紙面が足りねーぞ!と思いました。
02号が出る予定(詳細は こちら )のようなので楽しみです。
あと。私は今やビデオゲームはほとんどプレイしてないので、かなり的外れな感想を言ってると思いますが、どうかご容赦下さい。逆に言えば、門外漢の私でも面白く読める素晴らしい魔導書だった、ということでもありますが。
以下、各章(各魔導)について、ごく個人的な感想を述べさせていただきます。(はじめはただツイートしようかと思いましたが、書いてる内に結構長くなったのでブログ記事にしました。)
ワンダールクス
私が度々口にする、「多様な水準」という具体性を欠けた話について、かなり整理された議論をされているように感じました。特に、各レイヤーの関係を各ゲームの具体的事例を挙げて説明していて、これが非常に面白かったです。
ただ、アナログゲームへの応用という視点で見た場合には、章の最後で触れられているとおり、ほとんど全てのアナログゲームで、反応のレイヤーは極めて弱く、遊戯のレイヤーに比重が置かれているため、本章では「こんな感じ」で終わっている遊戯のレイヤーの中味をより詳しく聞きたくなりました。個人的には、この層の内部もタイムスケール(ただしそれは、ゲーム内時間かもしれません)に着目してさらに分解できるのではないか、と思ってます。
ともかく、「全てのゲームを照らし出す統一理論」と言うのに相応しい序章、と思いました。詳細を描いた続きが気になります。
アークリベラシオン
ネガ感情vsポジ感情の落差で面白くなり、ここから黄金パターンが生まれる、というのになるほどと思いました。
ただ一点、文中でドラクエ1のゲーム開始からクリアまでの感情の起伏のグラフが全体として右肩上がりになっているのは本当にそれで良いのかな、とは思いました。ミクロなタイムスケールでのネガポジ転回と、マクロなタイムスケールでのネガポジ転回とがあるような気がするので。
とは言え、分かり易く、かつ実践上も極めて有効な素晴らしい魔導でありました。
ナラティブってなんだ!
物語もゲームシステムによって語るしかなかったような、昔のビデオゲームでの体験…のようなものが「物語」ではなく「ナラティブ」という言葉でしか言い表せないような「あの独特の体験」ということになるのでしょうか。多分この(物語≠ナラティブの)前提となるのが、文中の「ゲームのナラティブで紡げるのはせいぜい『物語』未満の『エピソード』までだろう」という言及だと思います。確かにそのとおりかもしれないんですが、それは一種の諦念なのではないか、とも思ってしまいました。ナラティブというテクニカルタームが必要かどうかは分からないんですが、ゲーム固有のシステムを通じてしか表現できない物語(≠エピソード)をもたらす作品が生まれたら楽しいなあ、と思いました。
スティルストリア
「ナラティブってなんだ!」に続き、物語に関連した魔導。非常に面白かったです。
「ゲームプレイ」を通じて、「非言語的(非テキスト、非ムービー)」に、「物語的な価値」を感じるようなものを、「物語的ゲームプレイ」と呼ぶ。
として、純粋な「ゲームプレイ」のもたらす「遊びの魅力」と、「物語的価値」とを分離して、エモな魅力の依って立つところを見事に描かれています。惜しむらくは、その(「物語的ゲームプレイ」を導入した)ゲームデザインの実践にはセンスが必要とされるところでしょうか。まあ、ゲームデザインには最終的に天才性が必要だよね、と私自身も言ってるので他人のこと言えないですが、少しでもその点を掘り下げた続きのお話が読みたくなりました。リタルパトス
プレイヤーについての魔導。この魔導だけ対話形式なのですけど、どういういきさつでこうなったのかがちょっと気になったりして。良いアクセントになっていて面白いとは思いますが。
内容は、ゲームを善く楽しめている人間の在り方をインタビューによって描き出していく、という感じでしょうか。個人的には、故郷のような、世界観を感じる装置としてのゲームというのが面白い考え方だなあ、と思いました。
全体を通じて
続きを読ませろ!紙面が足りねーぞ!と思いました。
02号が出る予定(詳細は こちら )のようなので楽しみです。
あと。私は今やビデオゲームはほとんどプレイしてないので、かなり的外れな感想を言ってると思いますが、どうかご容赦下さい。逆に言えば、門外漢の私でも面白く読める素晴らしい魔導書だった、ということでもありますが。