リオデジャネイロ2016

January 13, 2017

Q:陸上男子の短距離において 100m9秒台の選手、200m19秒台の選手、400m43秒台の選手の数は、どれが最も多いでしょう。

答え:100m
100mの9秒台は102人、
200mの19秒台は61人
400mの43秒台は14人しかいない。

 

昨年のリオデジャネイロ五輪で最も印象的だった金メダリストの一人が、南アフリカのウェード・ファンニーケルク
400mであのマイケル・ジョンソンが持っていた世界記録43秒18を17年ぶりに更新、43秒03をマークした。
五輪前年の2015年の世界陸上北京大会でも、43秒48の世界歴代4位(当時)の好記録で優勝していた。
ファンニーケルクの何がすごいかというと、
100m、200m、400mの3種目ともに大台を破っているところだ。
これは人類史上初の快挙だ。

100 m 9.98 (2016年)
200 m 19.94 (2015年)
400 m 43.03 (リオ五輪2016年)

陸上競技では100mから400mまでが短距離として括られているが、専門化が進み、3種目ともにすごい記録を残している選手はほとんどいない。

400mの前の世界記録ホルダーとなってしまったマイケル・ジョンソンは、

100 m 10.09 (1994年)
200 m 19.32 (アトランタ五輪 1996年)
400 m 43.18 (セビリア世界陸上1999年)

200mと400mでは歴史に残る活躍をしたが、100mではアメリカの短距離選手としては平凡な10.09が自己ベストにとどまる。

一方、北京五輪から3大会連続3冠のウサイン・ボルトも400mでは45秒台の記録しか残していない

100m 9.58(ベルリン世界陸上2009年 世界記録)
200m 19.19(ベルリン世界陸上2009年 世界記録)
400m 45.28

なお、ボルトは今年の世界陸上ロンドン大会をもって引退することを表明している。

日本の100mの日本記録保持者の伊東浩司、200mの日本記録保持者の末續慎吾、400mの日本記録保持者の高野進の3氏の短距離3種目のベストは以下のようになる。
3種目すべてに日本記録に迫ることがいかに難しいか判る。

伊東浩司
100m 10.00(1998年 日本記録)
200m 20.16(1998年)
400m 46.11(1996年)

末續慎吾
100m 10.03(2003年)
200m 20.03(2003年 日本記録) 
400m 45.99(2002年)

高野進
100m 10.41
200m 20.74(1986年)
400m 44.78(1991年 日本記録)

リオデジャネイロオ五輪男子4×100mリレーで日本チームが銀メダルを獲ったが、二走を走ったのが飯塚翔太。
飯塚は2010年の世界ジュニア選手権200mで金メダルを獲得(20.67)しているが、その時に4位だったのが、ファンニーケルクだった。

正月の東京新聞に飯塚翔太のインタビュー記事があった。
「彼(ファンニーケルク)とは世界ジュニアからよく話をしていて、刺激をもらいました。僕も20年までに100mで9秒台、200mで19秒台、あわよくば400mで日本記録(44秒78)。その3つを出したいんです」
100mの自己ベストは10秒22。400mでは、14年アジア大会の1600mリレーで3走を務め、金メダルの実績がある。20年までに、さらなる強化を図るつもりだ。
「18、19年は100か400をメイン種目でやりたい。年ごとに分けて記録を狙おうかなと思っています」

 

1970年~80年代にピエトロ・メンネア(イタリア)という選手がいた。
1980年のモスクワ五輪の200mを制した選手で、彼が来日したときは国立競技場に見に行った。
この時のイタリアには、女子走り高跳びのシメオニとか結構好きな選手がいた。
メンネアは2013年に亡くなってしまったが、自己ベストはかなり凄い。

100m 10.01 1979年
200m 19.72 1979年
400m 45.87 1977年

但し、100m・200mの記録はメキシコユニバーシアードで出した記録で高地記録である。

 

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October 09, 2016

オリンピックコンサート2016

昨日は東京国際フォーラムで行われたオリンピックコンサートに出かけた。

五輪の映像がフルオーケストラに合わせて映じられた。
終始鳥肌が経ちっぱなしの内容だった。

Img_20161009_080917

敢えて苦言を申し上げるならば、日本人選手のみを取り上げた、あまりに内向きな内容だった。
52年前の東京五輪は、日本人に世界を知らしめた扉だった。
五輪の緩やかなナショナリズムは嫌いではないが、スポーツが世界を見るきっかけであるのは今の時代も同じであると思う。

例えば、リオ五輪で活躍した外国人選手を何人挙げられるだろうか。
ボルト、フェルプス・・・多くの人はここで終わってしまうだろう。
テレビの報道が、日本人選手万歳に偏重しすぎているのだ。



今回のオリンピックコンサートでナビゲーターを務めたのは、藤本隆宏氏。

今年の大河ドラマで堀田作兵衛を演じている俳優だが、元々は競泳選手で、五輪出場経験を持つ。

藤本は競泳・個人メドレーの選手でソウル、バルセロナと2大会連続で五輪に出場し、バルセロナの400mでは決勝進出、8位入賞を果たした。

個人メドレーは、萩野公介が出て来て、ライバルの瀬戸大也とともに最もメダルの有望な種目になったが、元々は比較的地味な種目で、たびたびメドレーリレーと混同された。

藤本が活躍したこの時代、個人メドレーには ハンガリー人のタマス・ダルニュイという競泳史に残る大選手がいた。
ダルニュイは、ソウル・バルセロナと200m、400mの2種目で2連覇 4個の金メダルを獲った選手だ。
その偉業故、20年以上昔のことながらバルセロナの400mはyoutubeにも映像が残っている。
若き日の藤本氏の勇姿を見たい方は探してみて欲しい。


Fujimoto
▲バルセロナ五輪400m個人メドレー決勝
古くは木原光智子さん(故人、選手時代は美知子)、森末慎二さんなど五輪選手からタレントに転向した人物は結構いる。
が、舞台俳優になったのはこの人くらいではないだろうか。
 
もうひとつ、東京国際フォーラムが4年後の東京五輪のウェイトリフティングの会場であることは言って欲しかった。


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September 19, 2016

パラリンピック日本選手団初めて金メダルゼロに終わる

リオデジャネイロパラリンピックが閉会した。
選手の皆さんには大変お疲れ様でしたと言いたい。

日本では、これまで同じスポーツであっても、五輪競技は文部科学省、障害者スポーツは厚生労働省、施設関係は国土交通省のように監督する官庁が異なっていた。
これが、パラリンピックで日本が十分な成績を残せない言い訳になっていた。

こうした複数の府省にまたがるスポーツ行政の窓口を一つにまとめて縦割りを直し、お金も一カ所に集め、選手強化や振興策を練るために作られたのがスポーツ庁である。
2014年4月より障害者スポーツも文部科学省に移管され、スポーツ庁が窓口となっている。

日本の2016年度のスポーツ関連予算は前年度比34億円増で過去最高の324億円となった。
2020年東京五輪・パラリンピックなどに向けた競技力向上事業は13億円増の87億円で、五輪が70億5千万円、パラリンピックが16億5千万円だ。

ご存じのようにリオ五輪で日本は、金メダル12個を含む41個という過去最大のメダルを獲得した。
一方のパラリンピックではついに金メダルはゼロ、銀メダル10、銅メダル14の合計24個のメダルに留まった。
金メダル争いという視点でみれば何と世界64位である。

男子テニスの国枝慎吾は、シングルスで3連覇を果たせず8強止まり。
国枝慎吾の車いすはアルミ製の市販車を使用した45万円ほどの車いすだと言う。
世界ランク1位だったステファン・ウデ(フランス)の車いすは、カーボン製の特注品で、1500万円以上の値段であると言われている。
4大大会では、度々国枝とダブルスを組んで出場しているそのウデでさえも、英国のゴードン・リードに敗れ4位でメダルに届かなかった。

どの競技も、驚くほどに進化し、レベルが上がっている。

リオデジャネイロパラリンピックは、12日間に22競技528種目が行われ、159ヵ国・地域4342人の選手が競い合った。

ここは重要な点だが、528種目ということはメダルの数は単純に3倍して1584。
4342選手を1584のメダル数で割ると約2.7。

参加した2.7人に1人がメダルを獲った計算になる。
しかも、柔道など銅メダルが2人出る競技もある。

今大会に130人以上が参加した日本選手団が、いかに不振であったか判るだろう。

五輪の場合、陸上競技の100mというともちろん1種目のみ。
文字通り世界で一番速い男を決めるレースだ。

ところがパラリンピックは陸上男子100mだけで
T11、T12、T13、T33、T34、T35、T36、T37、T38、T42、T43/44、T45/46/47、T51、T52、T53、T54と障害の程度によってクラスが分かれ、16種目も行われていることもパラリンピックの大きな特徴だ。

 

●2016年リオデジャネイロパラリンピック 国別メダル獲得数

1
中国
107 81 51 239
2
英国
64 39 44 147
3
ウクライナ
41 37 39 117
4
米国
40 44 31 115
5
豪州
22 30 29 81
6
ドイツ
18 25 14 57
7
オランダ
17 19 26 62
8
ブラジル
14 29 29 72
9
イタリア
10 14 15 39
10
ポーランド
9 18 12 39
11
スペイン
9 14 8 31
12
フランス
9 5 14 28
13
ニュージーランド
9 5 7 21
14
カナダ
8 10 11 29
15
イラン
8 9 7 24
16
ウズベキスタン
8 6 17 31
17
ナイジェリア
8 2 2 12
18
キューバ
8 1 6 15
19
ベラルーシ
8 0 2 10
20
韓国
7 11 17 35
21
チュニジア
7 6 6 19
22
南アフリカ
7 6 4 17
23
タイ
6 6 6 18
24
ギリシャ
5 4 4 13
25
ベルギー
5 3 3 11
25
スロバキア
5 3 3 11
27
アルジェリア
4 5 7 16
28
アイルランド
4 4 3 11
29
メキシコ
4 2 9 15
30
エジプト
3 5 4 12
31
セルビア
3 2 4 9
32
ノルウェー
3 2 3 8
33
モロッコ
3 2 2 7
34
トルコ
3 1 5 9
35
ケニア
3 1 2 6
36
マレーシア
3 0 1 4
37
コロンビア
2 5 10 17
38
アラブ首長国連邦
2 4 1 7
39
イラク
2 3 0 5
40
香港
2 2 2 6
41
クロアチア
2 2 1 5
41
スイス
2 2 1 5
43
インド
2 1 1 4
44
リトアニア
2 1 0 3
45
ラトビア
2 0 2 4
46
シンガポール
2 0 1 3
47
ハンガリー
1 8 9 18
48
アゼルバイジャン
1 8 2 11
49
スウェーデン
1 4 5 10
50
オーストリア
1 4 4 9
51
チェコ
1 2 4 7
51
デンマーク
1 2 4 7
53
ナミビア
1 2 2 5
54
アルゼンチン
1 1 3 5
55
ベトナム
1 1 2 4
56
トリニダード・トバゴ
1 1 1 3
56
フィンランド
1 1 1 3
58
カザフスタン
1 1 0 2
58
スロベニア
1 1 0 2
60
ジョージア
1 0 0 1
60
バーレーン
1 0 0 1
60
クウェート
1 0 0 1
60
ブルガリア
1 0 0 1
64
日本
0 10 14 24

 

 

 

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September 07, 2016

IOC会長パラリンピックをボイコット!

この夏、新たな英単語を覚えた。
その言葉は

 ban

禁止(令)とか 法度=はっと などと言う意味だが、「追放」、「締め出し」に近い意味もある。

Russia’s athletes escape blanket IOC ban for Rio Olympic Games.

ロシアの選手は、IOCによる包括的なリオデジャネイロオリンピックからの追放から逃れた。

ご存知のように組織的なドーピング違反のため、ロシアの陸上選手のリオ五輪への出場はできなかった。
ロシアの陸上以外の競技については、IOCの判断ではなく、個々の国際競技団体の判断となり、陸上だけでなく、メダル量産が期待されていた重量挙げで選手の参加が認められず、当初、389人で構成されていた選手団は271人に縮小された。

それでも金メダル19個を含む合計56個のメダルを獲得した。

一方、ロシアが国家主導のドーピングを行っていたとする報告書が先月提出されたことを受けて、国際パラリンピック委員会(IPC)は8月7日、リオデジャネイロ・パラリンピックからロシア選手団を締め出しすることを決めた。

トマス・バッハIOC会長は、8月24日に亡くなった元ドイツ元大統領ヴァルター・シェール氏の追悼式典に出席するため、パラリンピックの開会式に出席しないと表明した。

パラリンピックの主催団体はIPCであり、IOC会長が必ずパラリンピックの開会式に出席しなければならないことはない。
が、過去32年に渡って歴代のIOC会長はパラリンピックの開会式に出席していることから考えると、これはバッハ会長が、IPCがロシアを締め出したことを不快に思ってボイコットしたと見るべきだ。

・・・

IPCによれば、ドーピング検査で陽性とされる選手は毎年1、2%だという。
2013年には10の人資格が停止されたが、その他の年は一桁に留まっている。
重量挙げと陸上競技の選手が多いことはオリンピックと同様だ。

ロシアは地元開催だったソチパラリンピックで、80個のメダルを獲得したが、処分された選手は出ていない。
これが、全く潔白なのか、隠蔽工作の結果であるかは不明。

但し、世界反ドーピング機関(WADA)は「2011年から15年にかけて夏季、冬季の30競技で、ロシアの44選手に隠蔽があった」と報告している。

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September 02, 2016

体操の技にはなぜ人の名前が付いているのか?

体操の白井健三がリオデジャネイロ五輪で成功させた跳馬の新技がシライ2と名付けられ、白井の名前のついた技はこれで5つとなった。
すでに跳馬の「シライ/キム・ヒフン」、ゆかの「後方伸身宙返り4回ひねり」の「シライ/グエン」と、「前方伸身宙返り3回ひねり」の「シライ2」、「後方伸身2回宙返り3回ひねり」の「シライ3」の4つがあり、跳馬の「シライ2」は5つ目の技となる。

古くは「山下跳び」に始まり、カサマツ、ツカハラ、モリスエ、エンド―、ヤマワキ…、体操の技にはかつての選手の名前が付いたものが多くある。

そもそも体操の技は、「後方棒上かかえ込み二回宙返り腕支持」「後方伸身2回宙返り2回ひねり下り」といったように、基本的に演技内容を述べたものがそのまま技名となっている。これらの通称として、選手の名前が付けられているのだ。では、どうやって選手の名前を付けるのだろうか。

結論から言うと、体操の技に付いている人の名前は、一般的には最初にその技を開発した選手の名前だ。
五輪や世界選手権など大きな国際大会での演技を参考に、国際体操連盟が、技の難度を決める時などに話し合って決めている。
人の名を付けるにあたって、実は明確な基準はない。技が複雑になるにつれ、どうしても長い表記になってしまう。
それをわかりやすくし、新しく技を開発した選手に敬意を表する意味も込めて、人の名前に置き換えている。


リオデジャネイロ五輪男子体操個人総合で内村航平が金メダルを決めた鉄棒の内容は以下のようになる。

①屈伸コバチ E難度 コバチ・ペーテル(ハンガリー)
②カッシーナ G難度 イゴル・カッシーナイタリア
③シュタルダーとび1回半ひねり D難度ヨーゼフ・シュタルダー(スイス)
④アドラーひねり D難度
⑤コールマン F難度 アロジュ・コールマン(スロベニア)
⑥アドラー1回ひねり D難度 ?
⑦ヤマワキ  D難度 山脇恭二
⑧エンド―  B難度 遠藤幸雄
⑨ホップターン C難度 別名ラルフ・クースト(ドイツ)
⑩伸身新月面 E難度 別名ワタナベ(渡辺光昭)

いずれも個人の名前が付いているが、アドラーはそのような名前の体操選手はいなかったので、おそらく鷲を表すドイツ語の一般名詞から来ているのではないか。

ちなみに、塚原光男氏がミュンヘン五輪で披露し成功させた、鉄棒の「後方二回宙返り一回ひねり降り」は「ツカハラ」という通称が付いているが、「月面宙返り(ムーンサルト)」という呼び名が一般的になっている。

そして「新月面」と呼ばれている技は、後方抱え込み2回宙返り2回ひねりは、ルーマニアのダニエラ・シリバシュの作で、内村が降り技に使った(伸身の新月面)は、後方伸身2回宙返り2回ひねり降りのことで、1980年代に活躍した渡辺光昭氏が編み出した技だ。

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August 28, 2016

陸上競技でアジア大会を制し、2年後に五輪金メダリストになった選手たち

ハンマー投げ金メダリスト、タジキスタンのナザロフが14年の仁川アジア大会で優勝し、2年後の五輪で金メダルを獲ったという記事を前回書いた。
世界に比べてアジアのレベルが高くない陸上今日でも、同様のケースはいくつかある。

●1998年バンコクアジア大会-2000年シドニー五輪
*高橋尚子(日本)女子マラソン
アジア大会2:21:47、五輪2:23:14
*オルガ・シシギナ(KAZ)100m障害
アジア大会12秒63、五輪12秒65

●2002年釜山アジア大会-2004年アテネ五輪
*劉翔(中国)110m障害
アジア大会13秒27、五輪12秒91
*室伏広治(日本)ハンマー投げ
アジア大会78m72、五輪82m91

●2010年広州アジア大会-2012年ロンドン五輪
*オリガ・リパコワ(KAZ)女子三段跳び
アジア大会14.53m、五輪14.98m

そして今回の
●2014年仁川アジア大会-2016年リオデジャネイロ五輪
*王鎮(中国) 男子20㎞競歩
*劉虹(中国) 女子20㎞競歩
*ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) 
アジア大会78m55、五輪78.68m


上記以外には男子マラソン黄永祚(韓国)が92年バルセロナ五輪-94年広島アジア大会ともに金メダル。
中国の灰色長距離ランナーの王軍霞が、94年アジア大会の10000m優勝-96年アトランタ五輪5000m金メダル、10000m銀メダルというケースもある。
ただし、王軍霞はほぼドーピングをしていたことは間違いないところで、彼女の持っていた10000mの世界記録は、リオ五輪でアルマズ・アヤナ(エチオピア)が29:17.45の記録で破るまで13年間不滅の記録として君臨していた。

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August 27, 2016

リオ五輪のハンマー投げは32年ぶりに80m超ならず

室伏広治氏が現役を引退し、リオ五輪のハンマー投げに日本人選手が一人も出場していなかったためうっかりしていたが、今回の男子ハンマー投げは80m以上投げた選手が一人も出なかった。
金メダリストは、タジキスタンの34歳ジルショド・ナザロフで記録は78m68。
金メダリストが80mを超えなかったのは、東側諸国がボイコットしたロサンゼルス五輪以来32年ぶりだった。

●ハンマー投げの金メダリスト 1984年以降
2016 ジルショド・ナザロフ(タジキスタン) 78m68
2012 クリスティアン・パルシュ(ハンガリー)80.59 80m以上1人
2008 プリモジュ・コズムス(スロベニア)82.02 80m以上5人
2004 室伏広治(日本)82.91 80m以上1人
2000 シモン・ジョルコフスキ(ポーランド)80.02 80m以上1人
1996 バラージュキス(ハンガリー)81.24 80m以上3人
1992 アンドレイ・アブドゥバリエフ(EUN)82.54 3人
1988 セルゲイ・リトビノフ(ソビエト)84.80  80m以上4人
1984 ユーハ・チアイネン(フィンランド)78.08


ジルショド・ナザロフは4回目の五輪で自身初どころか、タジキスタン初の金メダルとなった。
ナザロフは、実はアジア大会3連覇の偉業を継続中だ。

2002年の釜山大会に初出場し58.39mで9位になって以降、 2006年ドーハ大会74.43m優勝、2010年広州大会76.44m優勝、2014年仁川大会78.55m優勝とアジアでは敵はない。

引退した室伏広治も、2002年釜山のアジア大会に78m72で優勝すると、2年後のアテネ五輪に82m91で金メダルを獲った。
陸上競技において、アジア大会の優勝者が2年後の五輪で金メダリストになったケースは、ほかには女子マラソンの高橋尚子が1998年バンコクアジア大会優勝、2000年シドニー五輪金メダルなどほとんど例がない。

カタールの走り高跳びのムタズエサ・バルシムも、アジア大会は2010年広州(2m27)、2014年仁川(2m35)を制しているが、五輪は2012年銅メダル(2m29)、2016年銀メダル(2m36)と五輪を制するまでは至っていない。
その点からもナザロフは快挙であると言える。

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August 25, 2016

単純に喜べない史上最多 リオデジャネイロ五輪のメダル総数

先に閉幕したリオデジャネイロ五輪で、日本選手団は金メダルの総数で6位(12個)、メダルの合計で7位(41個)と健闘した。
特に総数の41個は前回のロンドン五輪を上回る史上最多である。

単純に喜んで良いのだろうか。

リオデジャネイロ五輪で実施された種目は306もある。
52年前の東京五輪は、日本選手団のメダルの総数は29個(日本選手団史上5位タイ)だったが、実施された種目は163に過ぎない。

当時は卓球も、バドミントンもテニスもテコンドーだってもちろん実施されていない。
メダル総数を実施種目で割ってみると、東京五輪は17.8%
(レスリングや柔道等は銅メダルが二人に与えられるので注意が必要。)
リオデジャネイロ五輪は13.4%に過ぎず、ミュンヘン五輪、メキシコ五輪、ロサンゼルス五輪よりも低くなってしまう。

ちなみに、やはり地元開催だった長野五輪の獲得メダル総数は10個だが、実施種目は68しかなく、割合は14.7%で3位になる。

Medal2020

地元開催がいかにメダル獲得に有利に働くか判るだろう。

2020年の東京五輪は、リオデジャネイロで行われた28競技に加えて、野球(1種目)、ソフトボール(1種目)
空手(8種目)、スケートボード(4種目)、スポーツクライミング(2種目)、サーフィン(2種目)の5競技28種目が追加実施されるので、合計320種目。

これのうち、日本選手団が1964年の東京五輪と同じ17.8%のメダルを獲得するには、なんと合計57のメダルが必要となる。

前回の東京五輪では、東京限りということで柔道が選ばれた。
事実、翌メキシコ五輪で柔道は実施されず、8年後のミュンヘン五輪で復活した経緯がある。

1964年と同じように2020年には日本発祥のスポーツ空手が正式種目に選ばれている。(2024年以降に実施されるかは未定)
空手は形(2種目)、組手(6種目)行われる予定だが半分のメダルを日本人選手が獲ったとしても5しか増えない。

組織委員会はメダル総数で世界3位を目指すとしているが、リオデジャネイロ五輪のメダル総数3位のイギリスが獲得したメダルは67個、この数字を超えるのはかなり厳しい。

*戦前に行われた五輪では、1932年のロサンゼルス五輪で日本選手団は、128種目中18個、1936年のベルリン五輪では128種目中19個のメダルを獲り、それぞれの割合は14.1%、14.0%とかなり高い獲得率だった。

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August 21, 2016

オリンピック放送における中国のあまりに大きな存在感

8月21日午前
リオ五輪女子バレーボール決勝、NHK総合では中国対セルビアの試合が生中継されている。
中国の人たちが五輪中継に見入るとどういうことが起きるか。
過去に書いた文章を再度掲載する。

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2004年のアテネオリンピック期間中、世界中で最もテレビ観戦されていた競技は何か。
普通に考えれば、陸上や体操、競泳、あるいはバスケットボールといった花形競技を挙げる人が多いだろう。
次に挙げる資料は、アテネオリンピックの公式報告書
(http://olympic-museum.de/o-reports/report2004.htm)による、競技別のテレビ視聴者数である。これをご覧いただくと分かるが、アテネ大会で最もテレビ観戦された競技、それはなんとバレーボールなのだ。

●アテネオリンピック視聴者数 (公式報告書http://olympic-museum.de/o-reports/report2004.htmより) 
305,500万人 バレーボール
270,700万人 バスケットボール
255,700万人 陸上
140,200万人 体操
138,500万人 卓球
128,200万人 サッカー
121,000万人 競泳
108,600万人 飛び込み
-80,300万人 柔道
-78,000万人 射撃
-54,300万人 バドミントン
-53,500万人 ハンドボール
-52,200万人 ビーチバレー
-48,800万人 ホッケー
-46,200万人 テニス
-43,000万人 重量挙げ
-42,800万人 ソフトボール
-42000万人 野球
-39,100万人 ボクシング
-34,900万人 自転車(トラック)
-25,900万人 レスリング
-25,900万人 フェンシング
-23,000万人 シンクロナイズドスイミング
-22,500万人 新体操
-21,300万人 アーチェリー
-19,900万人 馬術
-19,700万人 水球
-18,400万人 テコンドー
-18,300万人 ボート
-16,000万人 自転車(ロード)
-15,900万人 トライアスロン
-15,700万人 カヌー(カヤック)
-11,900万人 カヌー(スラローム)
-11,600万人 マウンテンバイク
-9,800万人 セーリング
-4,900万人 近代五種
-3,100万人 トランポリン

意外にもバレーボールが、アテネオリンピックでは視聴者数1位となった理由。
そこには中国の存在が大きく関わっている。

中国はアテネ大会において史上最高のメダル争いを演じており、多くの国民がテレビに釘付けとなった。アテネ大会の総放送時間は3万5000時間に及び、世界で延べ400億人が視聴している。中国だけを見ても延べ90億人が8時間、中継を見ており、国内での注目度の高さが伺える。中でも、ロサンゼルスオリンピック以来20年ぶりに金メダルを獲得した女子バレーは、多くの視聴者を集めた。

2004年8月29日に行われた女子バレーの決勝は、中国とロシアの対戦となった。中国全土で生中継されたこの試合は、中国時間で午前1時開始という遅い時間ではあったが、土曜日の深夜(日曜日未明)ということもあり、多くの中国人がテレビ観戦をしている。試合は、ロシアが2セットを先取する波乱の展開を見せたが、中国が後半3セットを連取して優勝を決めた。

20年ぶりの金メダルにマスコミの興奮はなかなか冷めず、「奇跡の金メダル」のシーンは、繰り返し全国ネットで流された。帰国した選手、監督は相次いでテレビに出演し、アイドル並のスケジュールをこなしていた。13億人もの人口を擁する中国の代表が世界最強となり人気を獲得したこと、これこそが、バレーボールの視聴者数を飛躍的に伸ばした理由と言えよう。

一方、男子バレーはブラジルがイタリアを破り、優勝を果たした。ブラジルの人口は約2億人強、もともとバレーボール人気の高いブラジルでは当然、多くの人が決勝戦を見ている。この時のテレビ占拠率は70パーセントにも達したという。ブラジルチームの金メダルもまた、視聴者数1位の要因であろう。

話を中国に戻すと、バレーボール以外の競技の視聴者数にも、中国の存在感が見える。
たとえば卓球が5位に入っているが、中国は言わずと知れた卓球王国である。またオリンピックをはじめとする国際大会を見ると分かるように、中国出身の選手が世界各国で活躍し、打倒中国に燃えている。他国でプレイする裏切り者の元中国人を、中国選手が叩く。この様子をテレビで見て、溜飲を下げた中国人が多いというわけだ。

ほかにも飛込みが8位、バドミントンが11位に入っているが、これらの競技も中国の得意種目である。中国人選手が次々と勝利をおさめていく様子を「自国の誇り」と応援する国民。中国の存在は、大会全体の視聴者数を大きく揺るがすだけの力があるのだ。

IOCやスポンサー企業が、北京オリンピック開催に並々ならない意欲を持っていたのは、こういった理由がある

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August 17, 2016

史上初 体操で金メダルが獲れなかった中国

体操の種目別が終了し、今大会の体操競技は終了した。
今大会は歴史的な大会だったのではないか。
というのも常に体操競技の中心にいた中国がひとつの金メダルも獲れなかったのだ。

中国がIOCに復帰したのは1979年。
モスクワ五輪に参加しなかったから、夏季五輪は1984年のロサンゼルス大会がデビュー戦と言っても良い。
ロサンゼルス五輪は、ソ連や東ドイツがブルガリアといった体操強国が参加しなかった大会であり、金メダルは中国5個、米国5個、ルーマニア5個、日本3個と4か国に集中した。

団体、床、あん馬など4つの金メダルを獲った中国の李寧は、引退後、抜群の知名度を生かして自らの名を冠したスポーツウエアの会社LiNingを創業、リオ五輪でも中国以外の国で採用されているのを見かける。

中国は、ロサンゼルス五輪以降、すべての大会で多くのメダルを量産し続けてきた。
特にすごかったのが地元開催の北京五輪だ。
体操は男女合わせて14の種目で争うが、金メダルを実に9個、全部で14個のメダルを獲った。

が、それからわずか8年。
リオデジャネイロ五輪の中国は、僅かに男女の団体で銅メダルをそれぞれ獲ったに過ぎない。

Chinajapan

何があったのだろうか。
団体金の日本チームは、3回目の五輪出場だった内村航平以下、加藤凌平、田中佑典、山室光史の3人がロンドン五輪の経験者。
初の五輪は19歳の白井健三のみ。

一方の中国でロンドン五輪の経験者は27歳の張成龍のみ。
鄧書弟24歲、尤浩24歳、劉洋21歳、林超攀20歳の4人は初めての五輪だった。
この差が大きいのだろう。

日本はただでさえ、2015年の世界体操選手権で37年ぶりに優勝し、リオ五輪でも優勝できると審判に印象づけられていた。

体操の予選で日本チームがミスを重ねて4位だったことは記憶にまだ新しいが、決勝では大きなミスは山室のあん馬のみにとどめた。

日本の最終種目だった床が圧巻だった。
演技をした3選手の得点は、白井健三16.133、内村航平15.600、加藤凌平15.466。
これは団体決勝の床に出場した24選手の1~3位を独占しているのだ。


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