北京2008

January 26, 2017

北京五輪の陸上400mリレー ジャマイカが失格、日本が銀メダルに

国際オリンピック委員会(IOC)は25日、2008年北京五輪のドーピング再検査の結果、陸上男子短距離のネスタ・カーター(ジャマイカ)が禁止薬物に陽性反応を示したため、失格処分にしたと発表した。
カーターが1走を務めて400mリレーで優勝したジャマイカも失格となる。

北京五輪のジャマイカが失格し、下位の順位がひとつずつ繰り上がる。
日本チームが銅メダルは銀メダルになる。

ネスタ・カーターは、五輪ではもっぱらリレー要員だが、北京、ロンドンとジャマイカの2連覇に貢献した選手だ。
陽性反応は北京五輪だけで、ロンドン五輪のものは問題ないという。


2000年以降の五輪の陸上競技のリレーで、ドーピングが発覚して順位が変わった例が2回ある。
1回目は2000年のシドニー五輪。
100m(金)、200m(金)、4×400mリレー(金)、4×100mリレー(銅)、走り幅跳び(銅)の5つのメダルを獲ったマリオン・ジョーンズ(米国)が、2007年になって自らドーピングを告白し、2008年1月にすべてのメダルがはく奪された。

こうした場合、順位は元々下位だった選手が繰り上がるのだが、100mは、当初銀メダルだったエカテリーニ・タヌー(ギリシャ)もドーピングの疑いが濃く、金メダルは現在も空席のままになっている。
リレー2種目については、2008年4月にリレーの他メンバー7人についても一度はメダル剥奪処分が決められた。が、CAS(スポーツ仲裁裁判所)は、2010年7月に失格処分は無効と裁定、マリオン・ジョーンズを除く米国チームの7人についてはメダル剥奪は撤回された。

一方、5年前の年ロンドン五輪男子400mリレーでは、2位に入った米国チームのメンバーのタイソン・ゲイが、2013年7月にドーピング違反で資格停止となり、ロンドン五輪での米国チームは失格、全員の銀メダルがはく奪された。
これに伴い、5位だった日本が4位に繰り上がっている。

400

▲北京五輪4×100mリレー決勝

日本のメンバーは塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治。

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December 09, 2008

メガネのエルボー 現役引退

北京五輪の陸上女子走り高跳びで、ベルギー陸上女子初の金メダリストとなったティア・エルボー(30)が5日、妊娠を理由に現役引退を表明した。コーチを務める夫と相談のうえ決めたという。
同選手は北京五輪で2m05を跳び、昨年の世界選手権を制したブランカ・ブラシッチ(クロアチア)に勝利。メガネを掛けた容貌が話題になった。

Megane
▲メガネのエルボー(AP)

個人的な感想だが、五輪における海外選手の報道が以前に比べて減っていると思う。
新聞はともかく、テレビは「日本人選手一色」であり、「数字(視聴率)が全て」だ。
女子走り高跳びのエルボーとブラシッチの対決も、非常に面白く、印象深かった。
が、翌日の閉会式でエルボーのメガネをかけた顔がアップになっても、中継のアナウンサー氏(女性NHK)からはエルボーのエの字も出なかった。
かつての五輪中継なら「あっ走り高跳びで接戦を制したエルボーですね」と言ったはずだ。
メインキャスターともなると日本人選手以外の競技は見ていないのだろう

近眼の選手も、コンタクトレンズまたはレーシック手術等により、メガネで競技をすることはほとんどなくなった。
海外で“グラスセイコ”と呼ばれた若い頃の橋本聖子、双子でメガネだった宗兄弟、メガネを掛けた大型センター小田勝美(バレーボール)、日本人選手には何人もメガネがトレードマークだった選手が思い浮かぶ一方、外国人にはなかなかいないと思っていた。
が、北京五輪ではメガネが目立った気がする。

先述のエルボーもそうだが、野球の韓国代表の韓基周、日本戦で9回に出てきたものの、一死も取れなかった投手。
劉翔のいなくなった110m障害で金メダルを獲ったダイロン・ロブレス(キューバ)。
中国には胡凱という精華大学に学ぶ秀才の100mの選手がいた。
メガネの選手が中継に映ると思わず「おっ珍しいな」と思ってしまう。

夏冬のパラリンピックで活躍した土田和歌子さんが、「車いすはメガネと同じようなもの」と発言したのを聞いたことがある。
ともすれば特別な目で見てしまう障害を持った方のスポーツを、これほど端的に表した言葉もない。
普通にスポーツとして見てほしい。 
結婚をし、普通に子供もいる土田さんならではの言葉だ。

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September 04, 2008

室伏広治 銅メダルに繰り上げ

陸上男子ハンマー投げの室伏広治の北京五輪銅メダルが決定的になった。
室伏は8月17日の競技で5位になったが、同種目で銀、銅メダルを獲得したベラルーシのワジム・デビャトフスキー(銀)、イワン・チホン(銅)の2選手のドーピング違反が発覚した。

関係者によれば、違反を確定するための予備検体の検査でも陽性反応が出ており、近日中にもドーピング違反による両選手の失格が決まる見込み。009月に2年間の資格停止処分を受けたデビャトフスキーは今季7月になってから急激に記録が伸びた。また、アテネ五輪銀、昨年まで世界選手権3連覇のチホンは05年に世界記録に1センチと迫る86メートル73をマークしたが、これも記録公認に義務づけられるドーピング検査を回避するため、わざと1センチ足りなく「調整」したともいわれた。以前から疑惑があった両者だけに、関係者も「やっと捕まったということだ」と話しているという。(日刊スポーツ)

昨年の大阪世界陸上では、チホンが優勝、室伏は6位。
競技終了後は2人でウィニングランをする場面(写真下)もあっただけに、信じられない。
アテネ五輪では、アヌシュが失格し、室伏が銀から金へ、チホンが銅から銀に繰り上がっている。

大会

室伏

記録

チホン

記録

ワジム

記録

1997

アテネ世界陸上

10

74.82

6

75.74

1999

セビリア世界陸上

7

75.18

2000

シドニー五輪

9

76.60

4

79.17

失格

2001

エドモントン世界陸上

2

82.92

12

74.43

停止中

2003

パリ世界陸上

80.12m

83.05m

7

78.13m

2004

アテネ五輪

82.91m

79.81m

4

78.82m

2005

ヘルシンキ世界陸上

83.89m

82.60m

2007

大阪世界陸上

6

80.46m

83.63m

4

81.57m

2008

北京五輪

5

80.71m

81.51m

81.61m

Murofushi_2
 
●参考記事
ハンマー投げの永遠に破ることのできない世界記録

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September 02, 2008

内村航平 2位に終わる

体操のインカレ全日本学生選手権の1部個人総合決勝で、北京五輪銀メダリストの内村航平は2位に終わった。
北京五輪の個人総合と同じくあん馬で落下し、計90・100点の2位で連覇を逃した。優勝は90・350点で植松鉱治(仙台大)。
なお北京五輪代表の坂本功貴(順大)は、調整不足のため棄権した。
現在内村は2年生。これで順天堂大時代に冨田洋之が達成した3連覇だけでなく、史上初の4連覇も不可能になった。

五輪閉幕から僅か1週間、お疲れ様でした。
富田のインカレ3連覇は2~4年生にかけてのこと。
学生時代に五輪出場はないので、単純比較は出来ないだろう。
参考までに北京五輪とインカレの得点の比較は下記のようになる。

所属

ゆか

あん馬

つり輪

跳馬

平行棒

鉄棒

得点

北京五輪

日本

15.825

13.275

15.200

16.300

15.975

15.400

91.975

08インカレ

日体大

15.350

12.900

15.100

16.000

15.600

15.100

90100

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August 27, 2008

JOC報奨金 金メダリスト23名に300万円

北京五輪のメダリストが26日、報奨金を受け取った。
都内で行われた北京五輪解団式で、合計25個のメダルを獲得した選手に、JOC竹田会長から金メダル300万円、銀メダル200万円、銅メダル100万円の報奨金が授与された。

JOCが取っていた予算は、1億6000万円、実額は1億800万円だった。
その内訳は

金 300万×23名=6900万
銀 200万×11名=2200万
銅 100万×17名=1700万

金メダルが9個なのに23名とはなぜか?
もちろん団体競技のメダルは、人数分が授与されるためだ。
金メダルのソフトボールは15名で、4500万円也。

銀の体操団体は、
200万×6名=1200万

銅の陸上4×100mリレー、競泳男子4×100mメドレーリレーはそれぞれ

100万×4名=400万

となる。
予算を下回った大きな要因は、やはり野球とシンクロチームがともに4位に終わったことだろう。

●JOCの報奨金予算と実額 報奨金制度は1992年バルセロナ五輪から

大 会

予 算 

 

 

 

実 額 

2008北京

16000

9

6

10

1800

2004アテネ

18000

16

9

12

15600

2000シドニー

14000

5

9

5

8100

1996アトランタ

12000

3

6

5

7500

1992バルセロナ

1

3

8

11

5800

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August 26, 2008

テコンドー存続に再びピンチ

北京五輪テコンドー男子80kg超級の3位決定戦でアンヘル・マトス(キューバ)が、判定を不服として主審の顔に回し蹴りを入れた。
シドニー五輪の同級金メダリストであるマトフは、カザフスタンの選手にリードしていたが、2ラウンドの途中に足を負傷し、治療を受けることになった。
1分間の制限時間内に試合を再開しなかったため失格となった。
するとマトフはこれに激怒、主審の顔を蹴り、主審は口の中を切る負傷を負った。

この前日の女子67㎏級2回戦では、中国選手の判定が覆るという一幕も起きている。
テコンドーは4年前のアテネ五輪でも、国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長御前試合で、選手が審判の判定を不服としもめるという事態があった。
野球とソフトボールの除外を決めた05年のIOC総会では、韓国政府の努力もあり、2票差で正式種目として残った経緯がある。
世界テコンドー連盟(WTF)は北京五輪開会前に、「判定の公正さとフェアプレーのために最善を尽くした。アテネ五輪のような事態は絶対に起こらないはず」としていた。

テコンドーは、他の格闘技と比べても審判の判定がはっきりせず、テレビの人気もない。これで2016年五輪の正式種目から外れる可能性が、再び出てきた。

●参考記事
テコンドーはどうしてオリンピック種目に残ったのか

Photo162186

Photo162187

 

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August 25, 2008

中国が金メダルを独占する競技に制限を掛けることは出来ないか

昨日閉幕した北京五輪は、204の国・地域が参加して、28競技302種目で競われた。
金メダル獲得争いは、中国が同国史上最多の51個で初の1位となった。
1952年のヘルシンキ五輪に旧ソビエト連邦が初参加して以来、アメリカ、ソビエト(EUN含む)以外の国が第1位になるのは初、51個という数字も、事前に予想されていた数字を大きく上回り、往時のソビエト並みの獲得数となった。(ボイコットの応酬のあった80年、84年を除く)

中国の凄いところは、得意種目においては、圧倒的に勝利するところだろう。
卓球、バドミントン、飛び込み、重量挙げ、体操(男子)の中国のメダル獲得状況は次のようになる。

卓球は、シングルは男女ともメダル独占、団体も男女とも金メダル。卓球シングルの中国のメダル占拠率100%
男子シングル ①中国 ②中国 ③中国
女子シングル ①中国 ②中国 ③中国
男子団体 ①中国 ②ドイツ ③韓国
女子団体 ①中国 ②シンガポール ③韓国

バドミントン 5種目の内、中国が3種目を制した。
中国の金メダル占拠率 60%
男子シングル ①中国 ②マレーシア ③中国
女子シングル ①中国 ②中国 ③インドネシア
男子ダブルス ①インドネシア ②中国 ③韓国
女子ダブルス ①中国 ②韓国 ③中国
混合ダブルス ①韓国 ②インドネシア ③中国

飛び込み 8種目の内、男子の高飛び込み以外は、中国が制した。
中国の金メダル占拠率 88%
男子 板飛び込み ①中国 ②カナダ ③中国
男子 高飛び込み ①豪州 ②中国 ③ロシア
男子 シンクロ板飛び込み ①中国 ②ロシア ③ウクライナ
男子 シンクロ高飛び込み ①中国 ②ドイツ ③ロシア
女子 板飛び込み ①中国 ②ロシア ③中国
女子 高飛び込み ①中国 ②カナダ ③中国
女子 シンクロ板飛び込み ①中国 ②ロシア ③ドイツ
女子 シンクロ高飛び込み ①中国 ②豪州 ③メキシコ

体操(男子) 日本と中国の2強どころか、中国の圧倒的勝利。中国は団体金のために、種目別の跳馬のメダルをハナカラ捨てていたが、残る7種目全てに金メダルを獲った。
男子体操の中国金メダル占拠率 88%
男子 団体 ①中国 ②日本 ③米国
男子 個人総合 ①中国 ②日本(内村航平) ③フランス
男子 種目別床運動 ①中国 ②スペイン ③ロシア
男子 種目別跳馬 ①ポーランド ②フランス ③ロシア
男子 種目別平行棒 ①中国 ②韓国 ③ウズベキスタン
男子 種目別鉄棒 ①中国 ②米国 ③ドイツ
男子 種目別つり輪 ①中国 ②中国 ③ウクライナ
男子 種目別あん馬 ①中国 ②クロアチア ③英国

重量挙げ かっては東欧圏の強い競技だったのだが、完全にアジアの強い競技になった。女子は中国の金メダル占拠率 47%
男子 56kg級 ①中国 ②ベトナム ③インドネシア
男子 62kg級 ①中国 ②コロンビア ③インドネシア
男子 69kg級 ①中国 ②フランス ③アルメニア
男子 77kg級 ①韓国 ②中国 ③アルメニア
男子 85kg級 ①中国 ②ベラルーシ ③アルメニア
男子 94kg級 ①カザフスタン ②ポーラン ③ドロシア
男子 105kg級 ①ベラルーシ ②ロシア ③ロシア
男子 105kg超級 ①ドイツ ②ロシア ③ラトビア
女子 48kg級 ①中国 ②トルコ ③台湾
女子 53kg級 ①タイ ②韓国 ③ベラルーシ
女子58kg級 ①中国 ②ロシア ③北朝鮮
女子 63kg級 ①北朝鮮 ②カザフスタン ③台湾
女子 69kg級 ①中国 ②ロシア ③ウクライナ
女子 75kg級 ①中国 ②カザフスタン ③ロシア
女子 75kg超級 ①韓国 ②ウクライナ ③カザフスタン

中国の得意とする5競技のみで29個の金メダルを獲った。
29個という数字は、ロシアの全金メダル数23個を上回り、日本と韓国の金メダル合計22個も上回る。

少し中国人選手に、出場制限でもできないものか。

実は、特定の国が強すぎる競技に出場制限を設けているものもある。
テコンドーだ。

テコンドーは1994年のIOC総会で正式種目に決まり、シドニー五輪から採用された。
男女合わせて8階級が行われているが、出場枠は各国とも男女合わせて4階級までという決まりが、シドニーから現在に至るまである。
発祥の国韓国が、圧勝しないようにとの配慮らしいが、このルールを撤廃する動きは、現在のところない。

韓国は出場した全ての4階級で金メダル
男子 58kg級 ①メキシコ ②ドミニカ共和国 ③台湾・アフガニスタン
男子 68kg級 ①韓国 ②米国 ③台湾・トルコ
男子 80kg級 ①イラン ②イタリア ③米国・中国
男子 80kg以上級 ①韓国 ②ギリシャ ③カザフスタン・ナイジェリア
女子 49kg級 ①中国 ②タイ ③ベネズエラ・キューバ
女子 57kg級 ①韓国 ②トルコ ③米国・クロアチア
女子 67kg級 ①韓国 ②カナダ ③フランス・クロアチア
女子 67kg以上級 ①メキシコ ②ノルウェー ③ブラジル・英国

韓国が仮に全階級に出場したら、8割~9割金メダルを独占できるだろう。

日本が圧倒的に強い競技といえば、柔道ではなく女子レスリング。
女子レスリングの普及が、逸早く進んでいた日本、特に日本レスリング協会福田富昭会長の奔走で正式種目になった。
日本はアテネとならび2階級の金メダルを含む全4階級でメダルを獲った。
が、中国を初め、他の国も随分と強くなっている。
ロンドン五輪は今までのようには行かないだろう。

女子 48kg級 ①カナダ ②日本(伊調千春) ③ウクライナ・アゼルバイジャン
女子 55kg級 ①日本(吉田沙保里) ②中国 ③コロンビア・カナダ
女子 63kg級 ①日本(伊調馨) ②ロシア ③米国・カザフスタン
女子 72kg級 ①中国 ②ブルガリア ③日本(浜口京子)・ポーランド

●金メダル獲得1位の国と開催国 1952年以降

ヘルシンキ(1952年)

 

 

 

 

 

アメリカ

 

40

 

19

 

17

 

8

 

フィンランド

 

6

 

3

 

13

 

メルボルン(1956年)

 

 

 

 

 

ソビエト連邦

 

37

 

29

 

32

 

3

 

オーストラリア

 

13

 

8

 

14

 

ローマ(1960年)

 

 

 

 

1

 

ソビエト連邦

 

43

 

29

 

31

 

3

 

イタリア

 

13

 

10

 

13

 

東京(1964年)

 

 

 

 

1

 

アメリカ

 

36

 

26

 

28

 

3

 

日本

 

16

 

5

 

7

 

メキシコ(1968年)

 

 

 

 

 

アメリカ

 

45

 

28

 

34

 

15

 

メキシコ

 

3

 

3

 

3

 

ミュンヘン(1972年)

 

 

 

 

1

 

ソビエト連邦

 

50

 

27

 

22

 

4

 

西ドイツ

 

13

 

11

 

16

 

モントリオール(1976年)

 

 

 

 

1

 

ソビエト連邦

 

49

 

41

 

35

 

27

 

カナダ

 

0

 

5

 

6

 

モスクワ(1980年)

 

 

 

 

1

 

ソビエト連邦

 

80

 

69

 

46

 

ロサンゼルス(1984年)

 

 

 

 

1

 

アメリカ

 

83

 

61

 

30

 

ソウル(1988年)

 

 

 

 

1

 

ソビエト連邦

 

55

 

31

 

46

 

4

 

韓 国

 

12

 

10

 

11

 

バルセロナ(1992年)

 

 

 

 

1

 

EUN(旧ソ連合同)

 

45

 

38

 

29

 

6

 

スペイン

 

13

 

7

 

2

 

アトランタ(1996年)

 

 

 

 

1

 

アメリカ

 

44

 

32

 

25

 

シドニー(2000年)

 

 

 

 

1

 

アメリカ

 

40

 

24

 

33

 

4

 

オーストラリア

 

16

 

25

 

17

 

アテネ(2004年)

 

 

 

 

1

 

アメリカ

 

35

 

39

 

29

 

15

 

ギリシャ

 

6

 

6

 

4

 

北京(2008年)

 

 

 

 

1

 

中国

 

51

 

21

 

28

 

 

 

 

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August 23, 2008

ところで、何でプロ野球の選手がオリンピックに出ているんだっけ?

非常に後味の悪い北京五輪の野球だが、一体誰がプロの参加を容認したのだろうか。
野球は1986年のIOC総会で五輪正式種目に決まり、1992年のバルセロナ五輪から採用になった。

この頃のIOC会長は、サマランチ氏。
サマランチ会長は「五輪は最高の選手の大会に」という意向のもと、バスケットボール、テニス、自転車などがオープン化(プロ選手参加の容認)を果たした。ところが、決定は各国際競技連盟(IF)にゆだねられており、国際野球連盟IBAはその1995年の総会では、3票差でプロ参加を否決していた。
が、一転1996年のIBAは総会では、規定の3分の2を大きく上回る56か国・地域の賛成で、プロに門戸を開く規約改正を承認した。 

わずか1年での急変ぶりの裏には、五輪正式種目除外への危機感があった。
テニス、卓球、バドミントン、野球、ソフトボール、女子サッカー、女子水球、新たな正式種目は増える一方、人気のない競技が五輪から外されるという噂が急速に広がった。
逆にいうならば、サマランチ氏は、五輪から外すことをちらつかせ、オープン化を迫ったのだ。

IOCは、五輪正式種目を統括する競技団体には、助成金を払っている。
この当時IOCからIBAに年間150万ドルの助成金が払われており、プロ参加により五輪のテレビ放映権料の増大させ、IBAを通じた各国・地域への助成金の増額を約束したのだ。
言わば、プロの一流選手の出場によって野球競技に対するテレビなど主要メディアの注目度を高めよ、ということだった。
IBAは、プロ選手の参加によって、世界的な野球人気が高まって、ヨーロッパでも代表チームを整備するようになり、かなりの強化が進むと思っていたようだ。

このIOCの敷いた戦略にまんまと乗ったのが日本や韓国であり、日本はシドニー五輪から一部プロ選手が参加、アテネ、北京とプロの代表チームが五輪参加を果たした。


ところが、アメリカはメジャー選手の五輪参加を渋り、難解なルール、地域性の偏り、さらにはメジャー選手に蔓延するドーピング疑惑、IBAの無策などが要因となり、IOCはソフトボールとともに野球を、北京五輪を最後に五輪の舞台から降ろすことを決めたのだ。

今回、最後の五輪で金メダルどころかメダルなしに終わった日本代表。
野球人気が著しく低迷している中、人気回復への起爆剤どころか、さらにダメージとなったのだ。

●参考記事
続・野球とソフトボール五輪種目外へ
 
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400mリレー銅メダル雑感

昨日の400リレーで印象的だったのは、走った4人もさることながら、ウィニングランをする4人を見つめていた為末大の涙だ。
直接種目は重なるわけではないが、同じ時代に世界を目指したひとりとして感極まった涙だったのだろう。

その為末も、この日のマイルリレーに急遽出場した。
金丸が故障ということで、走る30分前に2走を走ることが決まったという。
マイルリレーは、アテネでは4位入賞している有望種目、自身の専門の400Hは初戦敗退している中、よく気持ちが高められたと思う。

テレビで解説していた伊東浩司さん。
解説の中でも話されていたが、伊東さんも似たような経験がある。

アトランタ五輪 この当時伊東は、100mで10秒00を出す前だが、200mで準決勝まで進んでいた。
400リレーは、2大会連続で入賞を目指していたものの、予選を土江寛裕、伊東浩司、井上悟、朝原宣治の4人で走ったが、アンカー朝原の出るのがわずかに早く、タイミングが合わずに決められたバトンパスのゾーンをオーバーしてしまった。
朝原は、「走って負けたならともかく、走れなくて負けたのが悔しい」とがっくり肩を落とした。これが1996年8月2日の午前中のこと。

一方のマイルリレーは同日午前、苅部・小坂田・大森・田端のメンバー、3分02秒82のタイムで準決勝進出を決めた。
ところが、田端健児の故障が発覚、急遽伊東がマイルに呼ばれることになった。
8月2日の夜 マイルリレー準決勝を勝ち抜き、8月3日の決勝は、苅部俊二、伊東浩司、小坂田淳、大森盛一のメンバーで64年ぶりとなる5位入賞、3分0秒76の日本新記録を出した。
この記録は12年後の今も日本記録として残っている。

70年代は、日本は世界に通用するスプリンターが不在で、なかなか五輪のリレーにエントリーできなかった。
100mの不破弘樹をメンバーにしてマイルリレーに出たのが1984年のロス五輪。
以来24年 五輪、世界陸上、アジア大会・・・ほとんどのリレーは見てきたが、昨日の銅メダルは集大成と言える銅メダルだった。

とはいうものの、来年はベルリン世界陸上がある。
ポスト朝原のアンカーは、いったい誰が務めるのだろうか。

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August 22, 2008

速報 男子400リレー 日本銅メダル!

速報

北京五輪男子400リレー 日本は38秒15のシーズンベストで銅メダルを獲った。

金 ジャマイカ 37秒10 世界新
銀 トリニダードトバゴ 38秒06
銅 日本 38秒15
4 ブラジル 38秒24
5 ドイツ 38秒58
6 カナダ 38秒66
7 オランダ 45秒81
中国 失格

ジャマイカのウサイン・ボルトは、100m、200m、400mリレーを世界新で金メダルを獲るという史上初の快挙となった。
日本人の陸上トラック種目のメダル獲得は、1928年アムステルダム五輪800m銀の人見絹枝さん以来80年ぶりの快挙となった。

男子400mリレーの日本記録は、昨年の大阪世界陸上決勝で(塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治 5位)のメンバーで出した38秒03。
この前日の予選でも38秒21の日本記録を出していた。

五輪における日本チームのリレーのタイムは以下のようになる。
なお、メキシコ五輪以降ミュンヘン、モントリオール、ロサンゼルス大会は、この種目にエントリーしていない。

★2008年決勝 38秒15 塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治 銅メダル
①2000年準決勝 38秒31 川畑伸吾、伊東浩司、末続慎吾、朝原宣治  決勝進出
②2004年決勝  38秒49 土江寛裕、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治 4位入賞
③2000年予選 38秒52 川畑伸吾、伊東浩司、末続慎吾、朝原宣治  準決勝進出
③2008年予選 38秒52 塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治 決勝進出
⑤2004年予選 38秒53 土江寛裕、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治 決勝進出
⑥2000年決勝 38秒66 小島茂之、伊東浩司、末續慎吾、朝原宣治 6位入賞
⑦1992準決勝 38秒81 青戸慎司、鈴木久嗣、井上悟、杉本龍勇 決勝進出
⑧1992年決勝 38秒77 青戸慎司、井上悟、杉本龍勇、鈴木久嗣 6位入賞
⑨1988年準決勝 38秒90 青戸慎司、栗原浩司、高野進、山内健次 準決勝敗退
⑩1988年予選 39秒70 松原薫、青戸慎司、栗原浩司、笠原 準決勝進出
⑪1968年予選 40秒0 阿部直紀、飯島秀雄、小倉新司、山田広臣 予選敗退

*1992年の予選の記録は不明

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