とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『二宮尊徳一日一言』寺田一清

二宮尊徳一日一言二宮尊徳一日一言
(2007/08/10)
寺田 一清

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二宮尊徳の本を紹介するのは、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」などに次ぎ、8冊目となります。

本書は、二宮尊徳の言葉が、366日分にコンパクトに編集されている本です。この中から、気に入った箇所を、要約して紹介させていただきます。



・人道で大事なことは、私欲に克つこと。私欲といえば、田畑に生える雑草のごとく、これを絶えず除去することが日々の勤めとして肝要

・立場立場によって、考え方感じ方が異なるものであるから、長たる者は大局観全体観を持つこと

・国家衰弊のもとは二つある。富者の費貧者の費、である。富者の費は奢侈、貧者の費は怠惰である

・我が道は勤倹譲の三つにある。勤とは、衣食住になる物品を勤めて産出すること。倹とは、産み出したる物品を費やさないこと。譲とは、この三つを他に及ぼすこと

・書を読んで自分で行わない者は、鍬を買って耕さないようなもの。耕さなければ、何のために鍬を買う必要があろうか。行わなければ、何のために書を読む必要があろうか

行って教え、学んで行う。今の教える者は、言って教え、書いて教える。故に効果がない

・天下の政治も、神儒仏の宗教も、実は、衣食住の三つのことに集約される。庶民が飢えないこと、凍えないことが王道である

遠くの先を考える者は富み、近くだけを考える者は貧しくなる。遠くの先を考える者は、百年先のために松や杉の苗を植える。また、春植えて、秋実るものを植える。だから、富裕になる

・樹木を植え替えするときと同じように、生活に変動があるときは、暮らし方を大いに縮小すべきである

神道は興国の道である。儒教は治国の道である。仏法は治心の教えである

・心の内に関を置き、自分の心で、自分の心を吟味する。そして、通すべきことを通し、通してはいけないことを通してはいけない

・死ぬということを、前に決定していれば、生きている日々が利益となる。それが私の悟りである。生まれ出たからには、死ぬことをを忘れてはいけない

・鋼鉄は、焼き、冷やし、打ち、たたき、焼き、冷やし、打ち、たたいた後、はじめて折れ曲がらないものになる。人もまた同じである

・借金があることを隠すと、ますます借金が増えてくる。借金は、神棚に飾って、返済できるように念じるべきである

・「日々に積る心のちりあくた 洗いながして我を助けよ」

・「富貴貧賤は、ただ人々の一心にあり」という一語こそ、まさに痛切な戒めである

・身分が高く裕福な人が、人をすすんで助けなかったら、身分が低い、貧しい人は、どうして人を助けようという思いを持てるだろうか

・「春植えて秋のみのりを願ふ身は いく世経るとも安き楽しさ」

富者と貧者の差は、根本的にわずかな心構えの違いによる。貧者は昨日のために今日を働き、昨年のために今年を働く。ゆえに、一生苦しんでいる。富者は明日のために今日働き、来年のために今年を働く。心も安楽になり、すべて成就する

・荒地の開発は大切なことだが、さらに大切なことは、心田の開発である

・いかに才知があり、弁舌があっても、至誠と実行がなければ、ことは運ばないし、成立しない

・ご飯とみそ汁、それに木綿の着物、この三つの原点を守り抜く決心覚悟が何より大事。この原点を忘れて、贅沢な暮しをすると、身を損ねることになる



二宮尊徳の教えの根本は「勤倹譲」です。つまり、「勤勉に働き、質素倹約して暮らし、貯まったお金を有効に投資し、それで儲けたお金を、世のため人のために使いなさい」ということです。

「勤倹」までできても、最後の「譲」ができないのが人間です。日本のデフレが続いているのは、まさに、この「譲」が原因かもしれません。地に足ついた二宮尊徳の教えは、現代にも、適用できるところが多いのではないでしょうか。


[ 2013/10/18 07:00 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(0)

『混迷日本再生・二宮尊徳の破天荒力』松沢成文

混迷日本再生 二宮尊徳の破天荒力混迷日本再生 二宮尊徳の破天荒力
(2010/10/14)
松沢 成文

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著者は、前の神奈川県知事で、昨年の東京都知事選に立候補された方です。二宮尊徳が小田原市出身で、神奈川県に大きな足跡を残したというだけでなく、著者自身が尊徳の「現地現場主義」に感銘し、それを実践しようとした固い意志があったと思われます。

多忙な知事業務の傍ら、非常にしつこく、二宮尊徳の思想や人生を追って、本書を刊行にこぎつけられています。本書を読み、新たな二宮尊徳の一面を知ることもできました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・「要は、金の性質。これまでのように殿様からお金をいただくと、人はそれに馴れ、自分の手で何とかしなければならないという自立の心をなくす。結果的に、勤勉の気力を失う。百姓たちは、借りて必ず返済する覚悟があって初めて、生きた金の使い方ができる」

・尊徳の表彰制度の副賞は、現金であったり、農具であったりした。しかも、表彰の多くは、村民同士が投票して、表彰対象を選ぶというユニークで民主的なものだった

・お上による指名表彰ではなく、村民が投票して善行者を選ぶというのは、表彰そのものが教育的だったと言える

・尊徳が重視したのは、村の寄合い。寄合いにおける話合いを尊徳は「芋こじ」(里芋を水と一緒に桶に入れ、かき混ぜ棒でゴロゴロとこじり、汚れを洗い流していくこと)と名付けた。この現代版タウンミーティングで農民を指導していった

・尊徳は、領内の目端の利いた若者に命じ、米相場を張らせた。米相場担当の若者と尊徳は情報を収集し、打ち合わせを重ねた。こうして育てた若者が、天保の飢饉の際に、飢饉の訪れを早めに予測し、冷害に強い稗を作付けし、事前に米を買い求める役割を担った

・尊徳は、新田開拓のために、農家や百姓の数を増やした(次男三男の分家独立、逃散百姓の呼び戻し)。さらに、移民として、越後や加賀からの一向宗(浄土真宗)の門徒を多く勧誘した。一向宗は堕胎間引きを禁じていたので、自然と子だくさんになるから

・尊徳が到達した哲学「一円融合」とは、仏教的な世界観である。善と悪、苦と楽など、世の中のありとあらゆる対立するものを、対立物として見ないというもの

・尊徳が詠んだ「見渡せば 敵も味方もなかりけり おのれおのれが心にぞある」の歌は、「一円融合」の心境を余すところなく語っている

・尊徳の死後も発展が続いたのは、尊徳の思想が「必要なのは仕法そのものを受け継ぐことではなく、その根底に流れる思想を受け継ぎ、尊徳と異なる仕法を実施しても、それを咎めるような狭量なものではなかった」こと。これが尊徳の思想の神髄

石田梅岩は町人(商人)思想の代表者。二宮尊徳は農民思想の代表者。分野は違うが、この二人はほぼ同じことを考え、実行した

・尊徳は、学者と坊主が嫌いだった。坊主は現実を無視して来世のみを説く、学者は人の説を右から左に受け売りするだけの徒と決めつけている

・福沢諭吉の「教育の根本は数理と独立にあり。教育の理念においては、独立心の養成はむろんであるが、実利においては、合理的(=数)かつ科学的(=理)でなければ意味をなさぬ」という言葉は、まさに尊徳の報徳仕法(数理重視、実学実践)に通じる

・尊徳の「心田開発」の思想、「わが道は、人の心という田畠を開墾することなり、心の田畠さえ開墾できれば、世界の荒地を開くことは難しからず」は独立自尊の精神

・「経済を伴わない道徳は戯言である。道徳を伴わない経済は罪悪である」という尊徳の言葉は、「道徳経済主義」であり、現実とのかかわりの濃い哲学であり、自由主義や民主主義思想の根底にあるものとほぼ同じ

・「商売は、売って喜び買って喜ぶようにすべきだ。売って喜び買って喜ばないのは道ではない。買って喜び売って喜ばないのも同じだ。売って喜び買って喜ぶを法則とすべきである」

・行政改革の鬼、土光敏夫は「尊徳先生は、『至誠を本とし、分度を体とし、推譲を用とする』報徳の道を実践された。その手法は科学的であり、経済の論理に適っていた。行政改革の先駆者、尊徳先生の思想と実践方法を多くの人にも会得してほしい」と語っている

・二宮尊徳という一人の人間が多くの改革を成し遂げることができたのは、卓越した資質と能力を備えたリーダーであったから。その資質と能力とは、「数学力」「技術力」「教育力」「決断力」「実行力」「経営力」「人間力」の七つの力


二宮尊徳を紹介するのは、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」「二宮金次郎正伝」「二宮尊徳の遺言」「「二宮金次郎名言集」に次ぎ、本書で6冊目になります。それらも含めて読むと、二宮尊徳という人物をより深く知ることができます。

二宮尊徳は、自立を目指す人の心の支え、心の師に、きっとなるのではないでしょうか。


[ 2013/04/01 07:03 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(0)

『男の品格-二宮金次郎名言集』清水將大

男の品格―二宮金次郎名言集 (コスミック新書)男の品格―二宮金次郎名言集 (コスミック新書)
(2007/06)
清水 將大

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二宮金次郎(二宮尊徳)の本を、このブログにとり上げるのは、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」「二宮金次郎正伝」に続き、4冊目です。

二宮金次郎には、膨大な資料が残されており、まだまだ、勉強になることがたくさんあります。本書において、新たに、勉強になった箇所がありました。その一部を紹介させていただきます。



・二宮金次郎は、「勤労」「分度」「推譲」「至誠」「積小為大」「心田開発」「一円融合」「仕法」「報徳」の哲学を確立した。二宮金次郎は単なる勤勉の人ではない。真の民主主義的な思想を伝えた人である。これらの富と幸福につながる哲学は、現在でも十分に通用する

・「自分が早起きして他人を起こすか、あるいは他人に起こされるか、その差は、例外なく及んでくる。富を得るのもこのとおり、貧に陥るのもこのとおり」

・「いま、富める者は、その前から徳を積んだ者。子孫が繁盛するためにも、今日よりの精進が何よりも大切」

・「蓮の花を愛して泥をいやがり、大根を好んで下肥をいやがる。こういう人を半人前という」

・「人たるものは、知恵はなくとも、力は弱くとも、今年のものを来年に譲り子に譲り他人に譲るという道をよくよく心得て、実行すれば、必ず成功する」

・「道も譲らねばならぬ、言葉も譲らねばならぬ、功績も譲らねばならぬ」

・「報徳」の善の理念とは、「貸して喜び、借りて喜ぶ、売って喜び、買って喜ぶ」こと

・金次郎は、世を渡る道が「勤倹譲」の三つにあるとした。「勤」とは、衣食住になるべき物品をまず勤労より生み出すこと。「倹」とは、産出した物品をむやみに費やさないこと。「譲」とは、衣食住の三つを他に及ぼすこと

・金次郎は農民たちの話し合いを「芋こじ」と名づけ、「村長を村民の投票で決めた」「手本となる農民を投票で決め、利息なしでお金を貸した」「地域のことをみんなで話し合った」

・二宮尊徳は、貧困層を救う行動を起こし、貧富和合をしていく初めに、人の生きる道を示し、自ら実践して農民の自立を促し、貧困と飢餓から救った。二宮尊徳の生涯は、釈迦やキリストを思わせるものがあり、世界に誇ってよい品格ある思想家である

・「今年の衣食は昨年の産業にあり、来年の衣食は今年の艱難にあり、年々歳々報徳を忘れるべからず」

・「種とみるまに草と変じ、草とみるまに花は開き、花とみるまに実となり、実はみるまに種となる。これを仏教では不止不転の理といい、儒教では循環の利という。万物は、すべてこの道理からはずれることはない」

・大生命、大父母である天地自然とその恩恵を、金次郎は「元の父母」と呼び、それに恩を感じ報いる心があれば、日々善行を考えて徳を積むようになる。その結果が、お金と幸福を得ることになると述べている

・実践派の思想家だった二宮金次郎は、世を離れ、欲を捨てた、口だけの仏教の僧や儒学者に対して、好意をもっておらず、「水を離れた水車で、ちっとも回らない」と喩えている

・「文字だけを研究して学問だと思ったらまちがいだ。文字は道を教える機械であって、道そのものではない。道は書物にあるのではなく、行いにある

・「本来、外の色あいから自分の色が知れる。一切万々、自分の善し悪しは他人が見ているもので、自分は案外、知らないもの」

・金次郎は、指導者への忠告として、上の者こそ自己の分限を守り、慎んだ生活態度をとり、余財を譲する「推譲」をして、「至誠」をもって、事にあたるべきとしている

・「いま貴賎があり貧富があるときに、身分の高い者富んだ者が人を救うことを好まなければ、身分の低い者、貧しい者はどうして人を救う気持ちになれようか。世間が互いに救い合わなければ、どうしてお互いの生活が遂げられようか」

・「人が寒さに苦しむのは、全身の温かさを散らしてしまうからで、着物を重ねて体を覆えば、すぐに温かくなる。これは着物が温かいのではなく、温かさを散らさないからだ。分度が立ちさえすれば、分内の財が散らないから、つぶれた家も立て直すことができる」



二宮金次郎と言えば、薪を背負って本を読む姿を想像しがちです。しかし、彼が遺した言葉は、教育者、宗教家、思想家といったものです。

そのレベルは、今の日本だけでなく、世界にも通用する普遍的なものです。今こそ、二宮金次郎を見直す時のように感じます。
[ 2012/06/22 07:01 ] 二宮尊徳・本 | TB(-) | CM(0)

『二宮尊徳の遺言』長澤源夫

二宮尊徳の遺言二宮尊徳の遺言
(2009/02)
長澤 源夫

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二宮尊徳の本は、過去にこのブログでも、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」「二宮金次郎正伝」の3冊をとり上げてきました。

本書は、二宮尊徳の実像に迫り、二宮尊徳がどれだけの人に影響を与えてきたのかを検証するものです。いわば、「二宮尊徳の歴史」を読み解くものです。

二宮金次郎の人となりに関して、参考になった点が、数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・明治の宗教家である内村鑑三は、著書「代表的日本人」で、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を取り上げた。なかでも、二宮尊徳を尊敬し、尊徳を古代ギリシャの哲学者ソクラテスに比肩しうる世界の偉人の一人であると述べている

・薪を背負った尊徳だけしか知らないのであれば、それは本当の尊徳の姿ではない。お金の使い方生活信条組織運営の方法、こういったものすべてを見事に実践した尊徳こそ、本来の姿。日本人一人一人には、必ず二宮尊徳のDNAが受け継がれている

・二宮尊徳は、「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」という道徳経済一元論を唱えた、まさに世界に通じる日本の誇れる思想哲学者であり、経済人

・二宮尊徳が思想哲学として唱える「報徳」の教えとは、「1.道徳経済一元論」「2.天道人道論」(自然に手を加え利益を生み出す)「3.勤労・分度・推譲」(利益維持・相応生活・安定幸福)

・二宮尊徳の遺言は、「我を葬るに分を越ゆるなかれ、墓石を建つることなかれ、碑を立つることなかれ、ただただ土を盛り上げて、その傍らに松か杉を植え置けば、それにて可なり」

・二宮尊徳の思想や生き方に共鳴した人物は、渋沢栄一、安田善次郎、鈴木藤三郎、御木本幸吉、豊田佐吉、後藤新平、本多静六、石橋湛山、松下幸之助、土光敏夫、ジョン・F・ケネディ、ライシャワー、サッチャーなど錚々たる顔ぶれが並ぶ

・尊徳の勉学の特色は次の三点。「1.外から押しつけたものではなく、自発的なもの」「2.目的が、貧苦しから抜け出し、生活を豊かにし、幸福になるための英知を開発すること」「3.時間が持てないので、働きながら勉学したこと」

・尊徳は、犠牲を美徳であると賞揚することはなかった。それは、自他両全でなかったから。この考え方は、極めて今日的発想であり、現実的な発想

・重商主義の時代にあって市場原理にまかせておくのがいいとしたアダム・スミス、米相場という市場原理に着目して蓄財した二宮尊徳、貯蓄を投資にまわした本多静六には、その時代の裏側を見抜いたものがあり、それは先見性となって開花していった

土光敏夫が臨時行政調査会長に就任した際、「1.補助金の廃止」「2.国鉄、公社への助成廃止と独立自助の経営」「3.政府は権限を発揮して答申を実行」「4.誠実と愛情に溢れた公正な政治」の四条件を提示。これは尊徳の「桜町復興の四条件」と全く同じ内容

・土光敏夫は「尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする、報徳実践の道を唱えられ、実行に移された。今日、行財政改革の先駆者である尊徳先生の思想と実践方法を研究し、会得、応用していただきたい」の言葉を残した

・二宮尊徳の精神は、リンカーンのスピリットに通じる。二宮尊徳もリンカーンも同時代に生き、貧窮、逆境の中から歴史に遺る偉人となった

・二宮尊徳の教えは、「利己的な立身出世主義ではなく、社会人として踏み行うべき一つの大道。天と地と人のおかげに報いる手段として、人は生ある間、勤勉に努めねばならぬ」というもの。口先だけで説いたものではなく、思想はつねに実行の裏づけを持っていた

貧富の本は、利をはかることの遠近にある。遠い先の利益をはかる者は、木を植えてその生長を楽しむ。だから富裕がその身を離れない。ところが、手近の利益しか考えられない者は、木を植えるなどなおさらで、目前の利益を争う。だから貧困がその身を離れない

・昔の種は今の大木、今の種は後世の大木。大をうらやまず、小を恥じず、すみやかにしようと思わず、朝から晩までよく努めて、小を積む効果を成し遂げるべき



著者は、二宮尊徳勉強会「一円塾」を主宰されています。実際に、二宮尊徳を会社経営に活かし、成功された方です。二宮尊徳の効果を自身で実証されているので、自信を持って、皆にすすめておられます。

実際に、組織の活性化や団体を再建する際に、二宮尊徳の教えほど、役に立つものはないように思います。停滞気味の今の日本が注目しなければいけない人物ではないでしょうか。


[ 2012/05/07 07:09 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(0)

『二宮金次郎正伝』二宮康裕

二宮金次郎正伝二宮金次郎正伝
(2010/08)
二宮 康裕

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著者は、二宮金次郎の子孫です。二宮家には、46000頁に及ぶ金次郎自身の文献が所蔵されています。

このブログでも、「二宮尊徳90の名言」「二宮翁夜話」などの書物を紹介してきました。本書は、本家本元の書です。

江戸時代の再建コンサルタントであった二宮金次郎の本当の姿と考え方が、この本を読むとよくわかります。印象的な箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。


・金次郎は、「講」「米相場」「金融」に関し、若年の頃から深い関心を寄せていた。奉公時には、仲間や女中衆を相手に金銭貸借を行った。二十代半ばには、農民の米を委託販売したり、米相場への投機を行った。天保の飢饉には、各地の米の売買差に着目して売買した

・金次郎は、自己の勤労で得た賃金や開墾地からの作徳米を浪費せずに、倹約生活で貯え、かつ貸付金の利子で財を増やし、それらを元手として田畑を買い増していった。この繰り返しで、1810年(23歳)には地主として一家再興を成し遂げた

・金次郎は、「家」を再興させ、「富貴」な生活を求め、「私欲」(自己の所有地を小作に出し、武家奉公の給金、米の売買益、薪の販売益、貸金の利子など多角的収入を得ていた)のみを一途に考えていた当時の心境を、後年になると批判的に回顧している

・金次郎の「分度」とは、己の心に内在している「怠け心」と「勤労意欲」の加減を度すること。金次郎は「勤労」「倹約」「推譲」を方法とする「分度」論を展開した

・金次郎の表彰策は、「村民をいたわり、民生の向上を図る」「戸数と人口の増加を目指す」「耕作地を拡大し、取穀の増加を目指す」こと。金次郎は荒地と化した田畑を復興させるのは農民の労働力であり、彼らのやる気を起こさせることが何よりも肝要と考えた

・金次郎はインフラ整備(下枝刈り、道普請、用水路浚いなど)に重点を置き、この費用を公的負担で行う原則を貫いた

・金次郎は、復興のためには、人口の増加が必須の課題と考え、生活困窮者に、小児養育料を与えた

・金次郎の七誓願「禍いを転じて福となし」「凶を転じて吉となし」「借用変じて無借となし」「荒地変じて開田となし」「瘠地変じて沃土となし」「衰貧変じて富栄となし」「困窮変じて安楽となす」

・金次郎は、新たな「分度」を求める理論として、「君の衣食住は、民の労苦なり、国民の安居は、君の仁政にあり」と記した。やがて、この認識が集大成される

・対立という立場を捨て去り、「一円融合」の境地に達したとき、人間界には、様々な果実がもたらされる。この「一円融合」の精神に立ってこそ、人は穏和な環境と、永遠の幸を保証されるものだと金次郎は考えた

・領主が己の利を優先した政治を展開すれば、闇政→惰農→廃田→貧民→下乱→犯法→重刑→臣恣→民散→国危→身弑→不孫という悪い循環になると金次郎は説いた

・領主が「仁徳」に基づいた政治を展開すれば、明政→励民→開田→恵民→下治→守法→省刑→臣信→衆聚→国寧→上豊→孫栄という好循環がもたらされると金次郎は説いた

・金次郎は、村内の富裕な者が貧窮者の面倒を見るという村内互助を求めた。あくまで村内のことは村内で解決するという村内自治を目指し、村落の経済的自立を促した

・貧窮に苦しむ農民に目標を与え、向上心をもたせた。そのために、農民の貢納額を一定に定めれば、農民は荒地開墾や農作業出精によって、増収分を自己のものにすることを金次郎は藩に認めさせた

・領主に「分度」を求め、報徳金を原資とし、農民に賃銭を払って、荒地を復興させ、収穫米の中から借財を返済していく金次郎の仕法は一定の成果を挙げた

・「安民」が達成されてこそ、「富国」がある。「国の元は民にて、民安かれば即ち国固し」と「安民富国」論を金次郎は展開した

・財政の悪化を増税に転嫁している内は根本的な改善を図ることができない。増税は一時的な効果をもたらしても、民を枯渇させるだけであり。民の枯渇はやがて領主の困窮につながることを、「分度」の定まらない仕法はザルに水を注ぐが如くと金次郎は喩えた


本書には、二宮金次郎の人生の軌跡が描かれています。働き者でしたが、若いときから銅像のような聖人君子ではなかったことがよくわかります。

若いとき、懸命に働き、親の借財を返しますが、その後、米相場などに手を出し、金儲けに走ります。しかし、晩年は、欲を捨て、みんなが幸せになるように懸命に動き回ったというのが、二宮金次郎の一生です。

この本を読み、偶像化されていない、二宮金次郎の本当の姿を知ることができ、より一層尊敬と親しみを感じることができました。
[ 2012/01/27 07:02 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(1)

『現代語抄訳・二宮翁夜話』二宮尊徳・福住正兄

現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉現代語抄訳 二宮翁夜話―人生を豊かにする智恵の言葉
(2005/01)
二宮 尊徳福住 正兄

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二宮尊徳(金次郎)を紹介するのは、「日本の道徳力~二宮尊徳90の名言~」に次いで2冊目です。

二宮尊徳は、今で言えば、農業経営コンサルタントのような存在です。その書物には、実践で生まれた、生きる知恵やノウハウがいっぱいです。

お金の儲け方、お金の増やし方、お金の使い方についても数多く言及されています。

明治以後、さまざまな立志伝中の人物たちの愛読書にもなってきました。現在でも、十分に役立つ内容です。

「夜話」には、農民たちに説いて、実践し、指導し、成功させるに至った、道義が多く書かれています。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・金次郎は、復興事業に取り掛かる際に、農民たちの怠惰や狡猾さ、藩士たちの反感や軽侮、責任回避と優柔不断という官僚主義に直面し、戦わねばならなかった

・金次郎は、心の田を開発した善人を褒め、徐々に抵抗する者を感化していく方法をとった。一日も欠かさず夜明けから村を巡回し、教えを聞かなくても怒ったり見捨てたりせず、がんばって働いた者を投票推薦させ表彰し、村人たちの心を奮い立たせた

・人の道は中庸を尊ぶ。天理に従い種を蒔き、天理に逆らい草を取り、欲に従い家業を励み、欲を制御して義務を考える

・己の中には私欲がある。私欲は田畑にたとえれば雑草。「克つ」とは、この田畑に生える雑草を取り除くこと。「己に克つ」とは、自分の心の田畑に生える草を取り除いて、自分の心の米や麦を繁茂させることに励むこと

・失敗する人の常として、大事をなそうとして小事を怠り、難しいことを心配して、やりやすいことを勤めないから、結局大事をなすことができない。「大は小を積んで大となる」ことを知らない

・禍と福は同体で、一つの円をなしている。吉と凶も兄弟で、一つの円をなしている。禍福吉凶、損益、得失、生死みな同じである

・村を復興しようと思えば、必ず抵抗する者がいる。これに対処するのもまた、道理。これに囚われて気にしてはいけない。放っておいて、自分の勤めに励むべき

・どんな良法、仁術といえども、村中で一戸も貧者を出さないというのは難しい。人には勤惰、強弱、智愚があり、家には善行を積み重ねている家も、そうでない家もある。貧者には、その時々の不足を援助してやって、どん底に落ちないようにしてやること

・お金や穀物だけでなく、道も畔も言葉も譲らなければならない。そして、功績も人に譲らなければならない。この譲りの道を勤める者には、やがて富貴栄誉がやってくる

・家船を維持するには、「舵の取り方」と「船に穴が開かないようにすること」の二つが大事な勤め

・収入を計算して、天禄の分限を定め、音信、贈答、義理、礼儀も、みなその範囲内であするべき。できなければ、みなやめるがよい。これをケチだという者がいても、気にすることはない

・鳥が田を荒すのは、鳥の罪ではない。田を守る者が、鳥を追わないのが過ちである

・果物の木が今年たくさん実れば、翌年は必ず実らないもの。これを「年切り」という。「年切り」にならないためには、枝を刈って、蕾をつみとって花を減らし、数回肥料を使う。人の財産に盛衰・貧富があるのは、この「年切り」と同じ現象である

・「交際の道」は将棋の作法を手本にするのがいい。将棋の作法では、実力のある者は、対戦相手の力に応じて持ち駒を減らし、相手の力と釣り合う条件にしてから将棋を指す。「豊かな財産」「恵まれた才芸」「学問」のある人はそれらを外して交際すること

・奢侈は、欲望によって利を貪る気持ちを増長させ、慈善の心も失わせてしまう。そして自然に欲深くなり、ケチくさくなって、仕事の上でも不正を働くようになり、その結果、災いも生じてくる

悪賢い人間は雑草のようなもの。生い茂ると田園を荒廃させる。悪賢い者を退けなければ、善良な人はやっていけない。善良な人々をいたわること



この文章を読むと、二宮金次郎がいかに苦労して、現場と格闘してきたかがわかります。

企業、学校、各種組織で、教育係をしている方なら、二宮金次郎の言葉が身に染みてよくわかると思います。

知行合一、言行一致の思想家は少ないものです。校庭で、二宮金次郎の銅像を見ることもなくなってきましたが、もう一度、脚光を浴びることがあってもいいのではないでしょうか。
[ 2010/10/01 07:23 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(0)

『世界に誇る日本の道徳力-心に響く二宮尊徳90の名言』

世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言
(2006/10)
石川 佐智子

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二宮尊徳(幼名金次郎)は戦時中、軍事教育にも利用されたためか、現在はあまり人気がありません。二宮金次郎の銅像も学校からほとんど消えてしまいました。

しかし、二宮尊徳の書物を読むと、大変素晴らしいことが書かれています。実践で生まれた、生きる知恵やノウハウの宝庫です。

お金の儲け方、お金の増やし方、お金の使い方についても数多く言及されています。

江戸時代末期に活躍したにもかかわらず、勤勉、質素倹約などの精神は、キリスト教のプロテスタンティズムの倫理に通じるものがあります。

この本は、二宮尊徳の語録や夜話を90に絞って、書かれています。二宮尊徳の教えが簡潔にまとめられています。

「本の一部」ですが、ためになったところを紹介したいと思います。



・大事をなしとげようと思う者は、まず小さな事を怠らず努めるがよい。それは、小を積んで大となる(積小為大)から

・自分が早起きをして他人を起こすか、あるいは他人に起こされるか、その得失は一割掛ければこのとおり

・米の多い原因によって、貸し金をつくり、貸し金の原因によって利息を得る

・富をみて直ちに富を得んと欲する者は、盗賊鳥獣に等しい。人はすべからく勤労して、しかる後に富を得ること

・貧者は昨日のために今日つとめ、昨年のために今年つとめる。それゆえ終身苦しんでも、そのかいがない。富者は明日のために今日つとめ、来年のために今年つとめるから、安楽自在ですることなすことみな成就する

・むやみに倹約するのではない。変事に備えるためだ。貯蓄が目的なのではない。吝か倹かは、いわずと明らか

・衰えた村を復興させるには、篤実精励の良民を選んで大いにこれを表彰し、一村の模範とし、それによって放逸無頼の貧民が化して篤実精励の良民となるように導く

・今日のものを明日に譲り、今年のものを来年に譲るということをつとめない者は、人であって人でない。宵越しの銭は持たぬというのは、鳥獣の道であって、人道ではない

・奪うに益なく譲るに益あり、これが天理

禍福吉凶というものは、人それぞれの心と行いとが招ところに来る

・徳に報いる者は、今日ただいまの丹精を心掛けるから自然と幸福を受けて、富貴がその身を離れない

・身分の高い者、富んだ者が、その分を守って余財を推し、これを身分の低い者、貧しい者に及ぼしたなら、天の気が下にはたらき、地の気が上へはたらき、両々相まって世の中の生活は日に豊かになり、国家は必ず治まる

・勤業して分を譲り、人のためにするものは倹約である。私欲から財を惜しみ、己のためにするものは吝嗇である

・聖人は無欲ではない。実は大欲であって正大。賢人がこれに次ぎ、君子はその次。凡夫のごときは、小欲のもっとも小なるもの。学問は、この小欲を正大な欲に導く術。大欲とは、万民の衣食住を充足させ、人々の身に大きな幸福を集めようと欲すること

・大道は水のようなもので、世の中を潤沢して滞らない。そのような大道も書物にしてしまうと、水が凍ったようなもので、少しも潤いにならず水の用をなさない

・善心が起こったならば、すぐ実行するがよい。およそ、世は実行によらなければ事は成就しないからだ

・愚かな者でも、必ず教えるべきだ。従わなくても怒ってはならない。また捨ててはならない

・本来ことごとく外の色あいから自分の色が知れるのである。一切万々、自分の善し悪しは人が見ているもので、自分は案外知らないものである

・世人の好き嫌いは、半面を知って全面を知らない。これまさに、半人前の知識。どうして一人前ということができよう



銅像の二宮尊徳のイメージとは、少し違ったように思われたのではないでしょうか。宗教家兼コンサルタントのような存在だったと思います。

しかし、口先ではなく、自ら現地に暮らし、手本を示し、農民とともに歩んだ実践コンサルタントだったので、皆から慕われたのだと思います。

実践から得た言葉は重みがあります。真面目に読む価値はあると思います。



[ 2009/08/10 08:38 ] 二宮尊徳・本 | TB(0) | CM(0)