著者は、二宮金次郎の子孫です。二宮家には、46000頁に及ぶ金次郎自身の文献が所蔵されています。
このブログでも、「
二宮尊徳90の名言」「
二宮翁夜話」などの書物を紹介してきました。本書は、本家本元の書です。
江戸時代の
再建コンサルタントであった二宮金次郎の本当の姿と考え方が、この本を読むとよくわかります。印象的な箇所が数多くありました。「本の一部」ですが、紹介させていただきます。
・金次郎は、「講」「米相場」「金融」に関し、若年の頃から深い関心を寄せていた。奉公時には、仲間や女中衆を相手に
金銭貸借を行った。二十代半ばには、農民の米を委託販売したり、
米相場への投機を行った。天保の飢饉には、各地の米の売買差に着目して売買した
・金次郎は、自己の勤労で得た賃金や開墾地からの
作徳米を浪費せずに、倹約生活で貯え、かつ貸付金の利子で財を増やし、それらを元手として田畑を買い増していった。この繰り返しで、1810年(23歳)には地主として一家再興を成し遂げた
・金次郎は、「家」を再興させ、「富貴」な生活を求め、「私欲」(自己の所有地を小作に出し、武家奉公の給金、米の売買益、薪の販売益、貸金の利子など
多角的収入を得ていた)のみを一途に考えていた当時の心境を、後年になると批判的に回顧している
・金次郎の「
分度」とは、己の心に内在している「怠け心」と「勤労意欲」の加減を度すること。金次郎は「勤労」「倹約」「推譲」を方法とする「分度」論を展開した
・金次郎の表彰策は、「村民をいたわり、民生の向上を図る」「戸数と
人口の増加を目指す」「耕作地を拡大し、
取穀の増加を目指す」こと。金次郎は荒地と化した田畑を復興させるのは農民の労働力であり、彼らのやる気を起こさせることが何よりも肝要と考えた
・金次郎は
インフラ整備(下枝刈り、道普請、用水路浚いなど)に重点を置き、この費用を公的負担で行う原則を貫いた
・金次郎は、復興のためには、人口の増加が必須の課題と考え、生活困窮者に、
小児養育料を与えた
・金次郎の
七誓願「禍いを転じて福となし」「凶を転じて吉となし」「借用変じて無借となし」「荒地変じて開田となし」「瘠地変じて沃土となし」「衰貧変じて富栄となし」「困窮変じて安楽となす」
・金次郎は、新たな「分度」を求める理論として、「君の衣食住は、
民の労苦なり、国民の安居は、君の仁政にあり」と記した。やがて、この認識が集大成される
・対立という立場を捨て去り、「
一円融合」の境地に達したとき、人間界には、様々な果実がもたらされる。この「一円融合」の精神に立ってこそ、人は穏和な環境と、永遠の幸を保証されるものだと金次郎は考えた
・領主が己の利を優先した政治を展開すれば、闇政→惰農→廃田→貧民→下乱→犯法→重刑→臣恣→民散→国危→身弑→不孫という悪い循環になると金次郎は説いた
・領主が「仁徳」に基づいた政治を展開すれば、明政→励民→開田→恵民→下治→守法→省刑→臣信→衆聚→国寧→上豊→孫栄という好循環がもたらされると金次郎は説いた
・金次郎は、村内の富裕な者が貧窮者の面倒を見るという
村内互助を求めた。あくまで村内のことは村内で解決するという村内自治を目指し、村落の経済的自立を促した
・貧窮に苦しむ農民に目標を与え、向上心をもたせた。そのために、農民の貢納額を一定に定めれば、農民は荒地開墾や農作業出精によって、増収分を自己のものにすることを金次郎は藩に認めさせた
・領主に「分度」を求め、
報徳金を原資とし、農民に賃銭を払って、荒地を復興させ、収穫米の中から借財を返済していく金次郎の仕法は一定の成果を挙げた
・「安民」が達成されてこそ、「富国」がある。「国の元は民にて、民安かれば即ち国固し」と「
安民富国」論を金次郎は展開した
・財政の悪化を
増税に転嫁している内は根本的な改善を図ることができない。増税は一時的な効果をもたらしても、民を枯渇させるだけであり。
民の枯渇はやがて領主の困窮につながることを、「分度」の定まらない仕法はザルに水を注ぐが如くと金次郎は喩えた
本書には、二宮金次郎の人生の軌跡が描かれています。働き者でしたが、若いときから銅像のような聖人君子ではなかったことがよくわかります。
若いとき、懸命に働き、親の借財を返しますが、その後、米相場などに手を出し、金儲けに走ります。しかし、晩年は、欲を捨て、みんなが幸せになるように懸命に動き回ったというのが、
二宮金次郎の一生です。
この本を読み、偶像化されていない、二宮金次郎の本当の姿を知ることができ、より一層尊敬と親しみを感じることができました。