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大変ご無沙汰しています。

2017/11/17 Fri 23:34

皆様、たくさんのコメントを頂きながら、お返事もせずにblogを放置してしまい、申し訳ありませんでした。

大変お久しぶりです、モモグラモです。

私のイギリス生活も、12年目に入ろうとしています。様々なことがあり、しばらくblogをかけない時期が続きましたが、私達は元気です。

また、更新をできたらと思っておりますが、今現在は、Twitter、インスタグラムにて、毎日の様子を配信しております。

twitter :@momogramo
インスタグラム:momogramolondon


よろしければ、私に元気が戻るまで、そちらでお付き合いをいただけましたら幸いです。

愛を込めて


ぱちぱちてつお&モモグラモ

国際結婚 | トラックバック(0)
皆様こんにちは、いつも私のつたないブログにお越しくださってありがとうございます。

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いつものあけましたも今年はばたばたーってありませんでしたね。BAFTA試写会ラッシュでしたよ。

イギリスから笑いを届けたくて、どれだけ日本がすばらしいかをイギリスに住んでいる環境を通じて伝えたくて、いつも元気や優しさをくれる家族や友人に近況報告もかねてだらーと更新してきましたが、とてもたくさんの方が訪問してくださっているのに驚いています。本当にありがたいです、ありがとうございます。

私が本当にだらーな性格なので更新がイギリスの某有名店ののウェブサイト修復スピード並でごめんなさい。あれ、もう直らないんじゃないかしら。

実は今度の12月6日でまるっとイギリス生活も9年に入ります。信じられませんがYOUTUBEなどでみる動画で日本のタレントさんや流行の言葉が分からずに、「わたし浦島。。。」と呟いたりしながらも何とかやっております。どうかこれからもぱちぱち男爵てつおとモモグラモをよろしくお願いいたします。また、イギリス情報、イギリス英語のライターの記事もこちらのウェブサイトで連載させていただいています。よろしければちょっと真面目なモモグラモものぞいてやってください。


★★★★★★★★★★★★

夫が「耳が痛いんです。。。」と夜中に赤子のように泣き出した。

「痛いんです、痛い、しくしく。」

本当にこのようにひーんと泣くので私はすっかりあわててしまった。

「耳が痛くて眠れません、何にも聞こえません、もうどうしよう!」

どうしようと言われてもここはイギリスなのだ。夜中の3時になにができよう。い、いや、むしろ、明日の朝になったとしてもなにができよう。

何度も書いているが、この国では自分の登録しているGPという町医者に、まず予約を取ってからしか診てもらえない。
そして、その予約を取るのがまた大変なのだ。朝に電話をしたところで取れる確立はほとんどないのだ。

月曜日だったとしよう、そうすると「来週の火曜日はどうかしら?」などとサラッと言われてしまうのである、明日の火曜日ではないのだ、来週なのだ。うわーーん。

あまりに痛がるので鎮痛剤をのませて、背中をさすっていたがまったく本人がびっくりしてしまったようで、

「痛くてねむれません、しんぱいです、もうなんじゃこりゃ。」

ぶつぶつぶつぶつ日本語でびびりながら小一時間、ようやく明け方に少し眠れたようだ。私もどっと疲れてしまった。

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★赤子が赤子をあやさせてもらって、しあわせー。

翌朝GPに何の期待も抱かずに電話をしたら、

①「忙しいので自動メッセージです、そのままお待ちください、なお20分経過しても繋がらなかった場合は自動でガチャンと切れますからよろしく。」

②「忙しいので自動メッセージです、ただいまの電話応答待ちの人数は23人です、そのままおまちあれー」

③「この電話は使われておりません。」

登録してあるGPをはじめ思いつくところ、アドバイスだけでももらえるかと緊急医療サービスにもかけてみたが、

「なんじゃこりゃ!!!」と、今度は私がぶちきれた。期待していなかったのにぶち切れてしまうほどなので、その対応は本当に皆様の想像を超えるのではと思うのである。

「お願いだからプライベートに言って頂戴、もう絶対に放っておかないでプライベートにいって!」

「はい、いきます。痛いんです。」

ちなみにお金さえたっぷりあればプライベートの医者に行くことも可能なのだ。診療代だけで目玉が飛び出るほどなので滅多にいけないが、これほど痛がっているのだから仕方がない。

しくしくしながら出勤していった夫から、「ランチタイムにプライベートに予約しました。こわいです、こわすぎます。」と報告が来たのでドキドキしながら家で結果を待ちわびていると、

「いってきました。」

お、きた。

「どうだった?中耳炎?なんだって?」

「なにもみえませんでした。」

「??」

「耳垢がたまりすぎて何も見えないと先生に言われた。」

もう、この時点で私脱力、なんて情けないんだろう!!!!

「でも何万円も払って見えませんじゃないよね?お掃除してくれなかったの??お医者さんでしょう?!」

「自分でイヤードロップかって何日か耳の垢を柔らかくして、取りやすくしたらまたきてくださいといわれました。ランチを食べられませんでした、はらへた。」

「○×怒凹なんじゃそれ!!!」

数万円も払ってわざわざ診てもらったのに、いったいどういう情けないことだろう。メッセージを見て思わず涙が出てきてしまったほどである。

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★さあ、日本の時間です!

日本にいた頃は風邪を引いただけですぐに病院にいった。「万病の元!」とばあちゃんに心配され、なんと素晴らしくありがたく温かな環境にいたのであろう、耳が痛ければすぐに耳鼻科にかかれたし、膀胱がおかしくシクシクなりがちだったピアニスト時代(緊張するとすぐに膀胱炎)はステージ前に駆け込みすぐにみてもらえた。

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「虫」のばあさまはレベル99でゴードンは「ラストボス」と読んでいます。

こっちでは「風邪をひいたから予約したい。」とGPに訴えても「風邪くらいパラセタモールのんでねてちょう。電話もしないで。」となる。診てくださいといってるのではない、予約なのだ。それでも「蜂蜜しょうが紅茶のんで50P(日本で言う50円感覚)のパラセタモールかって寝ていたら治るからそもそも電話しないでよっ。」なのだ。

9年前初めて日本を離れてきたイギリスはあまりに不便で暗くて寒くて辛かった。その冬にすぐに大変な風邪をひいた。そのまま中耳炎になってしまい、何度も「倒れるまね」、「耳が聞こえないまね(本当にそのレベルであったが)」、「痛くて痛くてお風呂にも入れずに臭いでしょう!」感を装い何度もGPに専門医に紹介状を書いてもらうように泣き落としで頼んだが、「オリーブオイルをたらせ」、「ミントティーをのむか、オイルをお湯にたらして鼻呼吸しろ。」、などともはや南アのウィッチドクターか?並みのアドバイスしかもらえずに死ぬ思いでようやく帰った3年後の日本、駆け込んだ耳鼻科で「。。。。。これはどうしたらこうなりましたか。お体は大事にしてくださいよ!」と怒られながらも優しい温かな日本人の先生にぱーっとみてもらったおかげであっという間に良くなった。

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★そんなに甘いもの食べたら絶対に虫いるね。

夫はその私の苦しみぬいた鼻たらし3年間を知っていたので、「・・・・わたしも歯医者にいってもいいかもしれません!」と、その奇跡の復活、私が生き生きとしだして鼻たらし妻ではなくなる過程、「味噌煮込みの香りがするの!お出汁の香りがようやくするのよ!」と涙ぐむのに感動し「行ったが最後、間違った歯を抜かれたイギリスのNHSの歯医者の話」に怯え、「虫はいません!むしはいない!」とイギリスでは断固として医者に行かなかった彼すら歯科検診に行くという結果になった。

ちなみに一度だけ強制的に私が連れて行ったイギリスでの歯科検診では、私が大きな麻酔注射を歯に刺されるのをみて「死んだ」と倒れてしまった夫、目薬もさせない南ア人だったのである。それが日本で「歯科検診受けたい」といってくれて私も大喜び、早速予約をし、ガクガクブルブルの夫を「先生、やってやってください!」と診療室に送り出したあと「ぎょえー」と声がするのを期待して待合室で待っていたのだが、

「ほーっほっほ、私虫いませんです!先生がピカピカに磨いてくれました!痛くないし泣きませんでした!」とまるでどこかの国とりに成功したかのような風体で、しかし子供にだけもらえるキャンディーをしっかり握り締めながら夫がぴかぴかの笑顔で生還したときには本当に手を合わせて拝みたくなった。

素晴らしい、素晴らしすぎる、日本。

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★大好き、大好きなんです、日本。

あれから6年、NHSの制度もなんとなく改善されてきたかに思えるが9年で一度だけしか専門医に診てもらったことがないイギリス生活、なんとか生き延びている。


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★どんなにね、BAFTAの試写会とかあってもガンダルフやマグニートに会えてもね、「味噌煮込み」あったらすぐにキャンセルして名古屋いく。

私たちにとって「頼みの綱」である日本、大事な私の祖国、飛び込んでくるニュースに不安や悲しみを覚える事件もあるが、それと同時に「子供が一人で電車やバスに乗れる国。」、「たった一人の乗客のためにずっと電車を運行させたやさしい国。」、そんな日本にすっかりほれ込んでいる夫であるが、やはり誰だって生まれた国は恋しい。さらにそこで16年も暮らしていたのだから、どんなに不自由な南アでの生活であっても「シンバチップス」や「オーマのラスク」、「ミントクリスプス」が恋しい、大好きでいつか帰りたい国であったことに間違いはないのだ。そして彼、夫は物凄くアフリカの大地を愛している。自然を愛して動物や鳥を仲間だと思って、その耳で、目で、しっかりと朝に聞こえる鳥の声や焼け付く太陽を刻んで生きてきたのだ。

誰よりもアフリカが大好きな夫、本当にいつか帰れる日を楽しみに信じていたのだ。

だが、昨日義父が家に来た際に、

「借金だけ残った、南アの家を売ってしまったが返せない。」としれっと発言しだしたのだ。

夫が「・・・・・DAD,それいつのこと。」と搾り出すようにようやく質問すると、

「半年前」だと言うのだ。

夫はそれを聞いて「そう、そうなんだね、わかった。」と言いながら黙り込んでしまった。

彼らが帰ったあと、夜中の3時を過ぎてもまったく寝る気配がないので私も気になり一緒におきていた。そおっと彼の部屋をのぞくと、

静かに泣いているのだ。アフリカで撮影した写真や動画をみて、なくなってしまったじいちゃんばあちゃんの笑顔を見て、懐かしい大好きな家の写真を見て、夫が泣いていた。

見てはいけないものをみてしまったと思った。いつも頑固で強がっている夫であるから見られたくないに違いない、そおっと部屋をあとにしようとすると、「・・・・・帰る場所が本当にいってしまったよ、なくなっちゃった。重いでも全部、全部置いてきた、16年前に南アを出てから2回しか帰っていなかったんだ、いつかあの家にまた帰ってみんなで笑えると信じていたけれど、なくなっちゃったよ。」

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★なくならないものは、あなたの心の中に

どう言葉をかけてよいかわからなかった。突っ立っている私に、


「・・・・・今年も桜は美しいだろうか。」と夫が突然言うので、私はそうだとばかりに「当たり前じゃない、日本の桜はね、それははかなくて繊細ででも力強くてね、ぶわーっと列島がピンクに染まってね、みんながしあわせーって思うのよ。綺麗って思うのよ。私が小さなころばあちゃんの家の近くの桜並木を自転車で駆け抜けたけれどね、桜がまって髪にさらさらーって落ちてくるのよ、もう夢みたいに綺麗で懐かしくて、私も実家をなくしたけれど心にずっとその光景は残っている。あなたのアフリカはあなたの心にあるはずなんだから、なくなったりしない。そして帰る場所も日本がある、みんながゴードンをまっているんだからね。」

夫はじーと写真を眺めながら、「赤い乾いた土に大きな花、それから真っ赤な太陽が急に隠れて恐ろしいくらいに綺麗な厚い雲がやってくるとね、ばりばりって雷がなるんだよ。動物も人間も太刀打ちできない、身動きできないくらいの雷なんだ、どしーんってなるんだ、空はピカピカ光ってね、それが終わると雨がざーって降る。庭のサルもインパラも急にほっとしたみたいにみんな雨を浴びるんだよ。後はまた熱い大きな太陽が照って、乾いた赤い土地に戻るんだよ。」

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★大丈夫だよ、帰る場所はあるからね。あなたが手を引いていると思っていたあの子はあなたの手を引いて、ゴードン大好きといっていたよ。

続けて夫が、「小さなころ御菓子を買いたくても、友達にあいたくても、父に頼んで銃やナイフを積んだ車を出してもらうしか、村を出ることすらできなかった。日本に初めていったとき、初めて一人で夜中に歩いて、ゲームセンターで大好きなゲームを好きなだけ楽しんで、御菓子がいっぱい並んだコンビニで全部の種類を試したくてワクワクしたんだ。子供のころにできなかったころが全部夢のようにそこにあったんだ。そんな国はこの世の中のどこにも見たことがなかった。どうして南アは日本みたいになれないんだろう、どうして帰れない祖国になってしまったんだろう、どうして俺は日本人に生まれることができなかったのだろう、それでも恋しいアフリカをどうやったら断ち切れるのだろう。」

私は何も言えなかった。そのままずっと二人で日本と南アの写真をみた。朝の鳥の鳴き声が聞こえても見続けた。


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★帰る場所、私たちの大好きな人たち。

ようやく夫が寝たので私は今このブログをこうして書いている。そして心から思う、家なき子になってしまった夫がいつまでもぼけーとのそーと安心しきって歩ける日本、日本の皆さん、日本がいつまでも美しく平和でありますよう、本当に心からそう願います、夫は日本に行くとイギリスの10倍くらい歩くスピードが遅くなるんです。亀のようなんです。それは体も心も安心しきって力が入らなくなるから、あったかくて幸せで優しい国に降り立った瞬間から本当にそうなるんです。

どうか、日本がいつまでもそのままでありますよう、本当に心から願います。次に夫が日本に降り立った際に「ただいま」と思えるいつもの優しい日本でありますよう、私のワガママなお願いがどうか神様仏様に届きますよう、はじめて自分の足で夜中に酔っ払いながらドーナツ買って友人につきあってもらってボーリングデビューしだよね、隣人が殺されてしまって人に対して心を閉ざしていた夫がそこまで「のそー」となれる国が、大好きな人たちがいる日本がいつまでもそこにありますよう、

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★はじめてだったね。なにもかも、なにもかも初めてだった。

家なき子になってしまった夫がいつか帰れる場所が、希望があることに感謝します。温かな光や人の優しさがそこにあることに本当に感謝します。

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★そして私の祖国、私の大好きな場所、家族や友達やみんながいる日本。

次に日本にいけるまで、みなさまもお元気で、私たちも地味ながら平和にそれまでがんばっていこうと思います。

それではまた、イギリスから今度は元気に笑いをお届けできるといいな。

読んでくださってありがとうございました。





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THE RYGAKU モモグラモイギリス情報連載」・・・・留学の知恵や工夫がいっぱい詰まった、英語や面白話も満載のサイトです。
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最近夫に「もちんはぜんぜん日本人じゃありません!」と怒られてしまうのだ。

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★いや、私は日本人、どんなに長くどこにすんでも日本人、日本から友人が来てくれたよ。

昨日はいつものごとく雨が降っていて慌てていたので靴をそろえずについついそのまま土足で家に入った。
渡英したての8年半前は夫やハウスメイトに口うるさく「土足は嫌だ!靴はそろえてくれ!」とガミガミ言っていたのに、昨日は夫に「あ!日本人違う!くつそろえてください、くつ!」と怒られてしまう有様。

物凄く恥ずかしい。なんてことだ。その他にも、「いただきますわ!」と言われたこともある。

あんなに大事にしていたことを適当にしてはいけないと本当に穴があったら入りたい毎日、夫はますます日本に詳しくなり、日本が好きになり、「今日はこんなことが日本でありましたよ。日本で新しい自動販売機ができました、スゲイよー。」、「キシリクリスタルに新しい味ができました、グリーンレモンというそうです。前はぶどう、ミルクとミントもおいしですよ。早く食べたいスゲイよー。」、「ついったでおもしろいお寿司みました、ごはんだけ、何も乗っていないお寿司でした。本物みてみたいなー。」

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★今年も地元のバラが咲いてくれました。

ロンドンで暮らし始めてからあっという間に気がついたら8年半、毎日「鳥、リス、夫」と戯れるだけの毎日が過ぎてしまった。

最初はヨーロッパで住むなんてなんだか華やかなのか?とうきっとしていたが、今では8年間何があったかと聞かれると、華やかな部分は

「日本に帰ったあのときに物凄い美味しいお寿司を食べた。」
「日本で初めて食べたロールケーキに死ぬほど感動した。」
「真っ白な雪の白川郷をみて震えるほど感動し、その後入った温泉で雪見酒をしてすっかり情緒に心を奪われてしまった。」
「阿倍野ハルカスができてわくわくするほど楽しかった。」

とか、もうそれはそれは日本の話しかでてこない。

それではイギリスでのことはと必死にうーんうーんと考えても、「狐にごみを荒らされた。」、「郵便、宅急便が雨の中に何度も玄関前か、もしくはゴミ箱の中に放置されるので、最初は必死で写真をとっていたがあまりに多すぎて写真集が出来上がってしまい悲しくなってやめた。」とか、「今日も電車が動かなかった。」など、そんなどうでもいい話ばかりになってしまうのである。

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★だって、なんかあると鳥に愚痴ってリスと走って発散してるんです。

最初は「ロンドンで工夫して豊かに生きる素敵な私。」なんて格好つけて名づけた夢見がちな私のブログのタイトルも、まったく機能していない、そぐわない。

最近などは「日本のみんなが工夫して遠いロンドンの頼りないモモグラモとその夫を助けているお話。」としかどう考えても落ち着かないので、もういっそブログのタイトルもそうしてしまおうかとすら思うのである。

本当にみんながいなかったら夫も私もとっくに根を上げてひえーとこの生活から逃げ出していたと物凄く感謝をしている。

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★大好きなしょうゆ味の高山ラーメンをもう一度食べたいんですよ。

8年半で本当にいろいろあったが、どんなときも私たちのそばには日本のみんなが常に「遠くないで!ここにいるからね!」と手を差し伸べて助けてくれていたと思う。もうだめだ、と思ったときに届く心のこもったあったかい手紙とか、懐かしい名古屋の味噌煮込みとか、ひえーとひっくり返る送料の末に届いた母からの5キロのお米とか、夫の大好きなおうどんにカレーせんべい、ココナッツサブレ、そうだ、8年の末には「キシリクリスタル棚」などというお菓子の棚の1段すら出来上がってしまった。

みんなが新作が出るたびに「ゴードン」と思い出してくれるのだろう、イギリス旅行のたびに「ゴードン=キシリクリスタルの人」とはっとしてくれるのであろう、日本にいたとき以上に私もキシリクリスタルに囲まれた日常を送ることになるほど、うちにはきちんといつも欠かさずそれがあるという甘やかされた状況、、優しいみんなにどんだけお礼を言っても足りないのだ。

夫はいつもその棚をニコニコ眺めながら「ロングジャーニーになるから4つもてきます。もちんにはあげませんよ!」
と、たかが電車で20分、いや、最悪徒歩で5分の場所にも大事に大事にそれをもっていくのだ。

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★だって迷ったら困るモンね。おなかすいちゃうからね。この林まで歩いて10分なんだけどさ。

さて、去年の秋に日本に一人で2ヶ月間潜伏してからもうあっという間に時間がたってしまった。

優しい長野の自然や、懐かしい名古屋の代わり行く姿の中で、はっと漂ってくる地下街の変わらぬほうじ茶の香り、毎日食べても食べきれないほどの種類やバリエーションに富んだお総菜にスイーツに目移りし、綺麗な清潔なお化粧に髪型、さりげなくお洒落な女性達のヒールの細さにため息をつき見とれながら、かつては私もああだったのかなあ、そう言えば夫の誉め言葉は年に一度か二度しかいかないレストランにいく際の、私のドレス姿を見て「もちん!日本にいたときみたい!」これだもんなあ、なんて今や芋にミルクを雨の中がしがし背負い豊かに筋肉がつきまくった自分の足を見て、はあとまた違った意味のため息。

観音さんのふもとの商店街のエビフライ定食や、香ばしいみたらし団子の香り、自転車にスカートで器用にのる学生さん達の可愛らしさに驚き、ドラッグストアの品揃え、そりゃあ日本のみんなが清潔できれいなはずだと納得、あれ、食品もこんなにあったんだっけ。納豆こんなに種類あるんだうわあ、豆腐もやわらかくてとろとろでふわふわだ、うわ、夜の10時までお店やってるの?うわあ。

うわあうわあ言いまくって、あまりにボタンがおおすぎてどうやって使いこなすかわからない自動販売機やドリンクバーのコーヒーマシンの前でううむと立ち往生していたら、あっという間に二ヶ月過ぎてしまった。ちなみに未だ使い方が分からないがイギリスに戻ってきてしまい、さらに進化を遂げるであろう日本のテクノロジー、いや、コーヒーマシーンが最早怖くて使うのが恥ずかしい。

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★白川郷の美しいゆきを見た君もうわあうわうわあどころじゃなかったね、もうそのまま凍えても帰りたくなさそうだった。

覚悟を決めてイギリスによしと戻ってきたが、気が張っているうちはよかったものの、何となく何時もの日常が戻ってきた半年経った辺りから日本で溜めてきたお日様もエネルギーも早くも使い果ててしまっただろうか、未だかつてなく体がダルくて動けなくなってしまった。

あんなに気晴らしになっていたジムですら、一ヶ月パスがまるっと埃を被ったまま、引き出しの奥に放置された状態で、せっかく日本で取り戻した、普通に食べ、普通に友達と笑い、泣く喜び、時差なしに手で触れあってありがとうと言える温かさ、また明日ねといえる喜び、懐かしい家族と会え幸せの涙、ぜーんぶ、ぜんぶしっかりためてきたつもりがあっという間にからっからに早くもなってしまった。

いや、8年半でこんなに悪くなったのは久々、日本のじいちゃん、おじちゃん、おばちゃんもどっといっちまって南アのじいちゃんばあちゃんも同じようにいっちまって、グラム家は騒動により崩壊しかけるし、そりゃあ色々あったもんなあと動かない体と頭を布団に沈める。

やっぱり、私弱いんだ、弱いんだなあ、甘ったれてまたこんなになってるし、糠漬けも3日かき混ぜていない、イギリスにいても、どこにいても、私は文句たらたら進めないで変わらないのかなあ等と涙も出てくる始末。

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★すっかり鳥にもリスにもあいにいけなかったのですよ、ごめんね。

そんな自分に嫌けがさし、また食べ物も怠けているから食べるんじゃないと自然に自分を責める悪い癖で食欲もすっかり落ち、それをちろっと東北の友人に打ち明けたところ、

「今はいいんだよ、休んで、美味しいもの食べて、体を休めるときなんだからね、しっかり寝て、しっかり食べてね。」

優しい言葉に我慢していたものが溢れ、関を切ったように雪崩れ込むかのようにわあわあ不調を訴える私に、

「うん、いいんだよ、わかってるよ、そんなにがんばってるんだから、もういいんだよ。もっちゃんのことが大好きだよ。」

安心してその日は眠りについても、これもイギリスに戻ってからさんざん悩んでいた中途覚醒で夜中で何度も目が覚めてしまう。もう、私に朝は来ないのかと休んだはずなのに朝はぐったり、薄暗いイギリスのグレイな光の下で血の気のない顔をし、ぼんやりと外を見ていたある日、

がんがんがん、
またせわしなく玄関の扉を壊す勢いで誰かがノックした。

音にも敏感になっていたため、震え上がってそおっと恐々顔を出すと、いつもの我が家の歯が欠けたポストマン、タバコ片手に
「今日も筋肉痛、君のお陰で筋肉痛だから。」

彼の足元におかれた箱を見てヒエっと思わず叫んだ。

大きな、大きな赤ちゃんのオムツが数個も入るほどの段ボールに、優しい友人の筆跡、でっかくJapanと書かれたなくすなよ、なくしたらコワイゾーと念が入っているその荷物はとてつもなく、とにかくまるで犬小屋でも送ってきたのではと思うほどでかかった。

「なんだか、血の気ないなあ、二日酔いか?」
「違うよ、ホームシックで体調悪くてくさってんの!」
「君は毎年会うたびに元気になったり、そうやって血の気をなくしたり、同じこと繰り返して落ち着かないねえ、茶にきちんとミルクに砂糖入れてるか?砂糖は二杯だぞ?やってるか?」
「甘いお茶は苦手だからやらないし、アーモンドミルクなら入れてる。」
「けっ、最近は訳わかんねえミルクが増えてそんなの聞いただけで嫌だね、普通のミルクをミルクマンからかえ、たっぷりいれて飲むと体がホカホカしてちっとは血の気戻ってくるぞお、それじゃゾンビみたいだぞ、わはは。」
「うるさい!サインしたからあっちいけー」

お化けの真似をしながらおどける彼にイライラしながら荷物を受けとる、もう放っておいてくれよ、すると、

「重すぎるから仕方がないから今日は靴を脱いで運んでやるよ」

雨に泥でぐちゃくちゃの彼の靴、それを不器用に脱ぎ始める。慌てていい、いい、やるからいい!と止めると、

「そうか、分かったけど、なんか食えよ、あの角のfish&chips試したか?先代のじいさんばあさん引退しちまって新しくなったけど、冷やかしにいったら以外とう悪くないぞ。茶、飲めよ、砂糖は二杯だぞ。」

茶化しながらも実はいつも親切な彼の存在に、そうだ!イギリスでこの人にも助けられてきたなあとはっとしつつ、砂糖は2杯だからなーとしつこくいいつつ去っていく背中を暫し眺めたあと、そうだと足元の荷物を家に運びいれる。いや、引きずる。

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★イギリスには他にもいっぱい私を助けてくれるものがあるのに、忘れちゃうんです。


いったい何が入っているのだ?

ずずっと引き釣りながらやっとのことでキッチンで箱を開けると、

思わず息を飲んで、そのあとわあわあ泣き出してしまった。

私が食べれないのを心配しただろうか、愚痴った例の東北の友達が私の大好きなものを山ほど詰め込んでくれたのだ。

お日様はもっていけないけど、日本のお日様一杯あびた食べ物送るからねと、白砂糖が苦手な私に黒糖やはちみつの飴、大好きなホシイモに黒豆絞り、きな粉餅、どら焼き、甘栗、お蕎麦に黒豆のお茶、鉄分不足だからとひじきのふりかけに恋しい山菜、私が安心して食べれるものばかりどっさり。

それに寒いからと着る毛布、もうここには書ききれないくらいありとあらゆるものが詰められていて、店が1軒開けてしまうのではというほどであったのだが、一番びっくりして涙腺がぶっ壊れたと思るほど涙が止まらなかったのは、なんと彼女の東北のご家族が私の話を聞いて、

「とぎにいるけんど、はやぐままくって元気なってな。」
と、自家製の干し柿や大変貴重な瓶詰めのジュンサイ、とんぶりにペットボトルいっぱいの柚子の絞りたて果汁、東北の銘菓にしょっちゅる、つやつやのお米などを送ってくださったのだ。

とぎにいるけんど、はやぐままくって元気なってな。

この言葉を彼女から「おじさんがそういってたよー。」っていって聞いたときには、私はあまりのその言葉の温かさと美しさに心が震えてとまらなくて、涙をいっそうぼとぼとこぼしてしまった。

遠くにいるけれど、これおくるから早く美味しいもの食べてげんきになって。

そんな彼女のご家族の温かさがこの一言にぎゅっと詰まっていた。これほど美しくて優しい言葉を聞いた事がなかった。

わたしはこれも彼女が贈ってくれたシルクカシミア柔らか心地の日本のすばらしいティッシュで贅沢にずずーと鼻をかみ、美しい田園風景がなくなっていくのを信じられない思いでロンドンからテレビを通じてみていたあの日のことを思っていた。(当たり前だがイギリスのごわごわとのは違い、何度かんでも鼻が向けることがないので、捨てるのが惜しくていっそとっておこうかと思ったほどだ。)

東北で大きな恐ろしい地震が起きて、たくさんの人がなくなって悲しい思いをして数年がたち、いまだにその傷跡の中で苦しんでいらっしゃる人がいるのに、私のこのぶーたらとした悩みなどどんなに甘ったれたものだろう、私の馬鹿たれが、そう思った。

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★美しいものは他にも近くにいっぱいあるのに、わたしはどうも見逃してしまうらしいのです。

そして、彼女が言うのだ。「あの時は本当に世界中の人からいっぱい助けてもらったんだよ。今でもとても感謝をしています。だから、お礼を言いたい、もっちゃんを通じてお礼を言う機会があってうれしいよ。でもまずはそのもっちゃんが元気にならなきゃねー。」

どうしたらそんなに優しくあれるのだろう。強くあれるのだろう。

彼女とそのご家族に手を合わせながらレーベルも何も張ってない、ずっしりと重いその干し柿をそっと口に含んだ。
優しく暖かく、そして力強い日本の風が太陽が体を照らして吹き抜けて、私を元気にしてくれるような気がした。甘くて、とても甘くて、本当に命の実の味がした。

生きなきゃ、前を向いていこう、夫と一緒に前を向いていっぱい転びながらまたがんばろう、彼女と日本でいつも私を支えてくれる友人家族、イギリスのみんな、お空のじいさん、おばおじたちにそう誓った。

あれからわたし、うんと元気になって、今これを書いている。うんとうんと元気になった。

さて、イギリスの今年の夏。うちの近所のイギリスの女性の方が

「今年は夏はどこに、どこにいったのよ!もう体内でビタミンD生産が追いつかなくて冬が越せないばっきゃろー!」と喚きながらゴミ箱を「がん」って蹴っ飛ばして、それを「おまえ、マイラブ、そんな暴れるもんじゃないよ」っていったかどうか、やさしく咎めた旦那さんにまで噛み付くような勢いで、「そんならアンタが太陽もってこい!!それかスペインの南に連れて行けー!」となんだかそこだけ炎が気温が上がっていたのを見ない振りして通り過ぎた、それほど寒くてウェットな夏なのだが、私はあれ以来みんなのおかげで体力をゆっくり取り戻して、今ではジムにもしっかり復活し、先日などは張り切りすぎて家事の際に貧血を起こし、そのままぶっ倒れ、ブロックで頭をぶつけて流血するなどという血の気が今度は多すぎる生活を送っている。

「もっちゃん、ジムは当分禁止だよ、今はゆっくり精気をまだまだ蓄えるときなのだからね、一気にやってはいけないよ。」そう心配して苦笑する彼女だが、私がとまらないことも知っているらしい、大きな荷物の中には山ほどのシップも入っていた。

空は曇りでも心は晴れ、みんなのおかげで温かい。

「ロンドンみんなの工夫でモモグラモとその夫が崖から何度も落ちかけながらも救い出してもらうサバイバル生活」これからもみなさんどうぞ、頼りない私たちをどうかよろしくお願いします。そして、たくさんの皆さんに笑っていただくことで、日本から太陽、お日様を私たちにも分けていただけそうな、そんな気がします、読んでくださってありがとう。

それではまたお便りします。
モモグラモ




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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ぱちぱち男爵てつお&モモグラモ

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★久々のイギリスでのホリデー、地元でまったりしました。パブにスタバ持ち込む自由なぱちぱち男爵。

毎年家族や友人に送るカードで「あけました」をやらかしてしまう夫、今年は時間がなく私が書いたので起こりえないだろうとほっとしていたら、TWITTERでやっちまった。

「あけましたおめでとうございます!」

ひっくり返った2015年のスタートである。

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★イギリス帰ったらすっかり冬でした。

前回はなんだか、私の面白くない話をうだうだと書いてしまったので、日本での貴重な体験と平行して帰ってきてからのイギリスの日常もお届けしていこうかと思う。

まずヒースローに迎えにきた夫を見て、2ヶ月ぶりに思ったこと、

なんか、やせてないか?いや、引き締まってるのか?

なんせ、高校生のときに買ったサーフパンツをいまだに部屋着で穿いている夫なのだ。
元々痩せ型で、あまり変化に乏しい彼が一番ぷくうとしたのは、3年前に二人で長めに日本に滞在して、「ぎゅうどんは朝ごはんです。」、「おうどんはおやつですから!」、「はーーーなんでいつも日本にいるとおなかがすくんですか、もっかい肉まん食べていいですか。」、「いまのはカウントしないでください、おやつですから、3食まだ食べてません。」

などといいながら、更にポッキーやらミスタードーナッツやらをむさぼっていたあの時期であろう。

それでも、イギリスに帰ってきてからはまた「しゅう」と痩せた。

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★日本のお友だちからもらったお菓子が美味しすぎます。嬉しすぎます。

その夫が、なんだか空港で更にやつれて別人のように見えたのである。おったまげた。

そういえば、わたしが日本にいる間、ちゃんと食べているかと聞くと、

「はい、ブロッコリーたべました。おいしかた、」

などと返事が来たので、お野菜ちゃんと取れてえらいじゃないか!と感心してはいたのだ。それが、次の日に、

「何を食べた?」、と聞くと、

「ブロッコリーたべました。おいしかた。」

更にそのまた次の日に、

「ブロッコリー、おいしかたよ。」


彼がブロッコリーをすきなのは知っていたが、そこまで執着していたか?とふと不安になり、

「では他に何を食べたの?」と聞くと、

「なにも。ブロッコリーだけ。」

ひえーーー、思わず電話を片手にひっくり返った。

「パンは?お米は?パスタは?!!!」

「たべてないですよ、おうどんはたまに食べます、すてきねー。」

「たまにじゃなくていい、この際心配だから全部食べてもいいから、しっかり食べなさい!」

「しっかりブロッコリー食べてます。」

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★が私はイギリスに帰り病気しましたが、看病中のご飯もブロッコリー山盛りでした。

私がイギリスに来たとき、夫の家族や友人があまりに食事に無頓着なのにびっくりした記憶がある。
私は少しずつ色々な種類のものをいただくのが好きだし、日本人として当たり前だと思っていたので、夫がソーセージにゆでた芋、缶詰から出して温めただけの出来合いのBAKED BEANSをディナープレートに盛り、冷凍グリーンピースをでんとおいて、やはりディナープレートにそれをみなでとりわけ、グレービーをかけたり、塩コショウも各自で、今思えば個人を尊重する文化ならではかと思うが、当時は分け合うことがない食事が味気なく悲しかった。

義理の弟のフラットに遊びに行ったときは、夕食というより、「ソーセージと芋」だけしかなかった。

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★うちご飯も在英8年目で、だんだん似てきたけどね。

私の友人のロンドナーは、パブで延々と飲み、(つまみなし)おなかがすくとマックに飛び込んで、またパブに戻ってきては飲むのである。

それが嫌でいやで、私はお酒が好きだからつまみなしで飲む事にも慣れずに、もういっそのことお酒も飲まないでいいと最初の1年は食に関しては魂が抜けてしまうほどに何も感じなくなった。

元々家族、特にばあさんが食通だったので、正月にはこのわたにこのしろで日本酒をちびちびやり、小さなころからマグロを買いに魚市場までついていき、季節になればせいこ蟹おっかけ北陸へ。

お肉はみすじじゃなきゃとわがままなばあさんのおかげでいっぱい勉強させてもらった私、1年目のイギリスは本当に苦しかった。

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★今は顔ほどでかいフィッシュ&チップスや、近所のカフェのかわりばえない朝食、全く流行らないケーキ屋の恐ろしいディスプレイにもなれました。いや、美味しく感じます。さらば、私の日本舌。

どうしても我慢できないと、中近東料理、レバノンやトルコ料理などはMEZZAという前菜の種類もおおくて野菜もたっぷり、お豆もたっぷりなので、メインをシェアして前菜をいっぱい頼んで居酒屋気分で発散したが、友達もまったくいなかったし、夫は見たことがないものに手をつけるタイプではなかったので、二人で行ってもちっとも盛り上がらずに余計にストレス。

中華などもあるが、とにかく量が多いので残すことが嫌いな私には苦しくて無理だった。

そんなことを、夫の「ブロッコリーたべました。」を聞きながら、ふと思い出していた私。

今でこそ、「おにくのおばあさん」や、家族友人のおかげで納豆にモツ煮、御節(ことしは男爵オリジナルを作った、またご紹介したい)、銀杏、おでんも大好きな彼だが、少しほうっておくと本当に「ミスターブロッコリー」、やはり食への関心は日本人とはやはりぜんぜん違うのだ。

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★私たちの住む街です。ウィンブルドンの会場にも歩けます。安パブとかあります。

さて、二ヶ月ぶりにイギリスに帰り、空港から家についてその日は夫が夕食を作ったのだが、私の大好きなラム肉のステーキ、それにマッシュルームのソテー、そしてやっぱり、出た、

ブロッコリー。

今日もこんにちはブロッコリー。

もう、もう、今日くらいはいいのでは。

しかし、そのディナーの席で、

「もちんが帰ってきたから、一緒にサンデーのちょっとご馳走な食習慣を一緒に共有したい、付き合ってちょう。」

そういっていたので、いいや、ブロッコリーでもいい、日曜日は素敵な一日を送れるっぽいからとわくわくしていたら、


日曜日、まずは朝たたき起こされ、

「まず、朝はジムにいきます。」

ほほう、まあいいや、時差ぼけで辛いが健康的だからいく。

「そして、卵を2個食べます。それにスモークサーモンを食べます。」

スクランブルエッグがなんかかと期待したが、ゆで卵に、サーモン。あ、あれ。

「夜はうどん、おわりです。ゆじこしょ、いれます、おいしいねー、」

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★なんか、こう、マーケット巡りとかしませんか?


私は「どこかのカフェでブランチして、一緒に買い物にいって・・・・。」などと、そういうことを期待していたのだが、彼の新たな大事な習慣は、

「卵2個にスモークサーモン」、「夜はうどんゆず胡椒入り」

すごい、すごい涙が出るくらい豪華。うん、たぶん。

なんでも私がいなくて、暇で暇で、ブロッコリー食べてはジムに行ってばかりだったらしい。

仙人にでもなるつもりだったのだろうか。


話はガラッと変わるが、私が日本にいる間にゴードンのおばあちゃんが亡くなった。
まだ60歳代だったのだ。すごくお元気で、一度南アでお会いしたときには、

「がはははは、なんとなく、こんなかんじじゃない?」と、ウィスキーをぐわっとグラスについで、

「これ、シングル。」と、絶対にそうは見えない量を一気に飲み干して、「孫が帰ってきた!嬉しいなあ。」と笑っていらっしゃったのを覚えている。

おばあちゃんといっても、ゴードンの母のミシェルは小さなころ本当のお母さんを亡くしているのだから、ミシェルのお父さんのスチュワートが後に再婚した方であった。それでも、ゴードンが生まれる前にすべて起こった出来事であったので、ゴードンにとっては本当のおばあちゃんとなんら代わりのない、大切な存在だった。

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★思いでのgem squashも、今日は涙が出て味がわかりません。

ミシェルがゴードンを身ごもったとき、「いやだわ!わたしはこんな若くしてバーさんになりたくないわ!」と、猛反対していたのに、夫が生まれて真っ先に病院にばたばたと駆けつけて「なんてゴージャスな子なの!」とでれでれしていたのも祖母、リンだった。

「階段から落ちたんだ、脳出血して、そのまま意識がない。」

沈んだ声で言っていた夫、その数日後におばあちゃんはあっけなく天国に召されてしまった。

おじいちゃんであるスチュワートがなくなったときも、リンがなくなったときも、南アへは帰れなかった。頼る人がいなければ、あの国では車もなしにどうすることもできないのだ。

ちなみに、ミシェルの実の母親はミシェルの目の前で銃で撃たれてなくなった。

私は沈んだ夫の声を聞きながら、もう夜だというのに学生さんがスカートで自転車にのり家路を急ぐ光景や、明るいコンビニの前で話しながら笑う方たち、会食のあとなのだろうか、お子さんの手を引っ張りながらとても綺麗なエレガントな服を着て、品の良いバッグを下げながら、お子さんと歌を歌いながら道を行かれる方たちを、遠くイギリスからも南アからも離れた日本のフラットのベランダから眺めていた。

「もう、みんないなくなりました。わたし、おじいさん、おばあさん、日本のおじいさんも、だいすきな日本のおじさんおばさんも、みんなみんないなくなりました。」

すすり泣くように電話の向こうで夫がそうつぶやいた、その話を日本の最後のボスで生き残りである祖母にしたら、

「なにいっとんじゃ!まだお肉のおばあさんがいると、早く会いに来いとゴードンにいっておけ!」

というので、「おばあさんがこういっていました。」とLINEをその後送ったら、

いっぱいのいっぱいの泣き顔のスタンプとともに、

「優しい。」

と、一言返ってきた。

17歳でアフリカを出て大好きなじいちゃんばあちゃんのお葬式にも、お墓参りにもいくことができず、イギリスでどんなに辛く悲しかっただろう。

「日本があるからね、イギリスの生活が辛いと最近言うけれど、ゴードンの家はここだけじゃない、私たちが住むとこ、いっしょにいるとこ、全部、私たちの家なんだ。それに、日本は故郷だよ。ゴードンと私の故郷、君を待っている人も、温かく迎えてくれる人も日本にはまだいっぱいいる、一人じゃないよ。」

そう返事をしたら、どでかいスライムが3段になってわんわん泣いているスタンプが帰ってきた。

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色々生きてりゃあるが、「優しい。」そう書かれたLINEのメッセージをながめながら、私もあることを思い出していた。

前回のブログで書いたように日本に2ヶ月逃げ帰った間、大好きな長野を旅した。
たちよった奈良井宿の駅で私がイギリスから一時帰国していること、長野が大好きで義父が生まれ育った大事な場所だとつらつら話しているうちになぜか、本当に突然涙が込み上げてきて止まらなくなった。

父よりずっとご年配であろう優しい目の駅員さんは、そんなわたしに戸惑っただろうか奥に引っ込んでしまった。申し訳なかったと思っていると、

「お召し上がりください、よかったら。」

顔をあげると、駅員さんの笑顔、手にはきちんと手拭きが添えられた可愛い一房のぶどうが。

「塩尻でとれたばかりのぶどうです、とても美味しい。ゆっくりすわって、あったまって、食べていきなさい。長野によく来てくださいました。ゆっくり、ゆっくりしていってください。」

私は止まらない涙を押さえられず、小さく風情のある待合室でそっとブドウをつまんだ。口一杯に香り高い、優しい甘味が広がった。

私には帰る場所がある、夫にはどうだろう、私は日本で彼を放りっぱなしで何をしているのだ。

早く彼におかえりと言ってあげなければ。

2ヶ月日本にいる間、こうした人々の温かさ、思いやりの度にわたしの心は癒されて、暗闇のトンネルを少しずつ「ほら、明るいところに来なさい」と、本当に一杯の手に引っ張られながら抜けていった。

そして今、わたしはイギリスにいる。平和で何てことない毎日だが、穏やかだ。

夫には帰る場所が又戻ってきた。私と、日本。
今わたしの横には安心して穏やかに笑う夫がいる。

日本のみんな、本当にいつもありがとう。

ゴードン、今度は一緒に帰ろうね。




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人生何が起こるか分からないのは小さなころから身に染みていたつもりだったが、
今回ばかりはたまげた。

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★7年間色々ありましたね。

たまげたが、私は幸いイギリスで7年過ごして「まあいいや、しょうがないもんね。」とやり過ごす能力、それは私のポストマンがどんなに頼んでもEMSをあの手この手で雨の中放置していくのを、「またゴミ箱の中!」、「うわっ、リサイクルボックスがかぶせてあるけど丸見え?!」、「いやだいやだ、玄関の前にまっさらし?ばっきゃろー!」



「あー。今日もサインしなくて楽だった。垣根のところにおいてある、盗まれなくてラッキー。」

このくらい、7年のサバイバル生活は人間を変える。いや、変わらなくては痛む。やられる。

そのおかげか、今回家庭内でとんだたまげたことが起こったが、結局は「しょうがないもんね、人生一度きりだしね、心に聞いてみよー。」

となり、また平和なグラム家、ダークなイギリスの中1年ぶりにカタカタブログを再開したのである。

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★だってゆずこしょうとご飯がチーズよりすき。

いや、本当はそんな簡単ではなかった。苦しくて迷って、動けなくて、ここに帰ってくるまで本当に時間がかかってしまった。

だけれど、そんな話は私もつまらなくてしたくないので、前回から何を話していたかまったく覚えていないのだが、都合よく新たに適当なところから話を始めるとする。

どれだけブログを放置してしまっただろうか。

前回の「おやまのおじいさん」の続きを書きたいのだが、その前にいっぱいいっぱい書かなければいけないことがある。


まずぱちぱち男爵、みしまてつお(ぱちぱち)、私をおいて一人で今年の初めにびゅーんと日本に帰ってしまった。

桜を見たい、日本が恋しい、もう限界ですとつぶやいていたので、「行きたいなら行ったらいいよ。私はビザの更新もあってパスポートがないし、去年家族の不幸で2回も帰らせてもらったからね、いいよ。」

しおらしく良い妻っぷりに、「そうか、なら一緒に帰れるまで待とう!」という返事を期待していたが、

「ひこうきのチケットとりました。」

「は!」

・・・・・わ、わすれていた、南ア人である自分の国籍すら、出身すら、「にほん、げろおんせん」と勝手に変えてしまう、マイペースで名前も改名済み、日本大好き「てつお」

「出身はどこですか?」

「にほん、です!」

「アメリカ人ですか?」

「ぜんぜんちがい!!にほんじんです!」

それが私の夫であった。

「おおさかにいきますよ、たこ焼き食べておうどん食べて、肉まんもおいしんです。はは。」

やたらくわしいんですが?

ふつう、ふつう、おいていくか?日本人の妻、イギリスで一人留守番、おもしろいか?

自称日本人の南ア人の夫は「はい、にほんにかえります、さくらみます、やたー。」

ジョークですか?

わたし、桜7年見ていませんが。

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★そうです、日本人です。


さて、このように、前の春は夫にイギリスに置き去りにされた。こんちくしょー。

「日本に桜をみにいってこよー。」

そういって旅立って行った薄情もの夫、それならいってやる、わたしは・・・ええと、さんまだ、秋刀魚食べに行く!

ずっと根に持っていた私、ちょうど良い機会が訪れたと今回なんと1ヶ月一人で日本帰国を果たしたのだ、わっはっは。

いや、一ヶ月のつもりだった、わっはっは。

それが、気がついたら、ずるずると、いや、本当に、居心地が良すぎて、帰りたくなくて、ふと日付を見たら10月末。

パスポートの入国日、9月4日。夫の誕生日じゃないか。

やってもうた、楽しすぎて、自分がイギリスに住んでいることすら忘れていた。


実は家族に心配をかけたくなくて、最初の一ヶ月はマンスリーを借りていたのだ。

私はブログに「楽しいロンドン」、「素敵な国際結婚」、「おしゃれな海外生活」なんてものを書く能力はない、まっさら直球人間なので率直に書くが、家庭内のごたごたで色々心がさびついていたので、本当に最初に関空に一人で着いた時にはわんわん泣いた。

それを見て、どうやら私を迷ったほかのアジアの人だと思ったらしい関空のスタッフの方が英語で声をかけてくださったのだ。

「大丈夫ですか?何かご案内できますか?」

私は思わず、その人の手を握って泣いた。なんてやさしい国なんだろうと思った。日本の地を踏んでようやくすべての力が抜けたようだ、しばらく立ち尽くしながら流れるアナウンスの丁寧さや、活気ある人々、懐かしい香りの中でボーとしていた。

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★日本の友人から送料2万円越えの救援物資が届いたときには腰が抜けました。

大阪にもゆっくりしたかったのだが、すぐに名古屋へ向かいたかった。
懐かしい友人にあいたかった。懐かしい町に会いたかった。

バスのチケットを買おうとするのだが、機械がハイテク過ぎてわからない。情けないが本当に分からない。
じっくり読まなければ分からないのだ。後ろには人がまっている、焦る。

「はい、名古屋だね、ここにね、お金をね、はいっ。」

私よりずっと年上のお父さんが助けてくださった。

バスの乗り場で待っていると、私の重たいスーツケースを係りの人がバスに積み込んでくださるのだ。私よりずっとずっと、お年を召された方なのだ。

「重いから自分でやります。」
「いいんですよ、乗ってくださいね。やっておきますからね。」

軽々といとも簡単に、笑顔でスーツケースを扱う。そして、とても機敏なのだ。そこには「やってやる」というエゴも、「やらされている」という疲れも微塵も感じさせない強さがあって、私はたまげてしまった。

日本にいたころはこれが普通の光景で、普通のことであったに違いないのだが、私は思わず感動して深く頭を下げたくなった。本当に感動してしまった。

そしてバスが出発する際にもたまげた。

運転手さんが「ありがとうございます」というのだ。

こっちがありがとうなのではとびっくりしたのだが、乗車、降車の際に「ありがとうございます。」というのだ。

それに、まさかと思って時計を見ていたが、きっちり一秒の狂いもなく、本当に定刻道理に出発したので、思わず動画に収めてしまった。

そのあとのアナウンスで「場合によっては急ブレーキをかけることがございます。道路状況によっては遅延もございます。」と言うのだ。
当たり前なのだ、乗り物だ、完璧なロボットではないのだから、それを申し訳ございませんというアナウンスに私は本当にぶったまげた。もう、関空を出発して3分くらいで自分が原始時代から来たのではないかと疑うくらいにびっくりしてしまった。

ごみひとつない快適なシートに、ドリンクホルダーがあって、傘をかけるところがあって、カーテンがあって、テーブルすらあって、私はここで暮らせるのではと一瞬思ってしまった。

周りを見ると、みな当たり前のようにくつろいでいて、私はなんだか自分が遠くから来た異性人のようで物凄く恥ずかしくなった。そして、少しだけ寂しくなった。

すこしだけ、ほんの少しだけ、だが、窓から見る日本の景色は本当に美しく、私はそれを見てまた泣いた。
「急ブレーキをかけることもございます、ご了承ください。」とのアナウンスであったが、まったくバスはスムーズで私はそのままがーがー名古屋まで寝込んでしまったのだ。バスはきっかり、定刻に着いた。


ようやくマンスリーに到着し、夫に無事ついたことを報告しようと電話をかけると、

「・・・・南アで生まれてね、最初に日本に行った時に、こんなすばらしい国が世界にあるのかって心のそこから思ったんだ。ロンドンで暮らして不満はないよ、ありがたいと思っている。だけれどね、日本は特別なんだ。やっぱり、それが君の国なんだよ。君はそこから来て、イギリスでいっぱい苦労をしながらがんばってきた、今思えば何もかも日本においてきてどれだけ辛かったか、不便だったかと思う。

ゆっくりして、美味しいものを食べて、早く元気になってほしい。本当にごめん。」

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★イギリスも美しい国なんです。

携帯を持ちながらベランダの窓を開けた。鈴虫の声がまだ聞こえた。何年も聞いていなかった、懐かしい日本の残暑、夫にもきっと懐かしく、帰りたい風景があるに違いないとふと思った。

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★あの日からどれだけたっただろうね。また一緒に日本へ帰ろう、ゴードン。



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