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冬籠り中の英国ドラマ ルイス警部

もう2月。

今年は球根を多めに買ってしまって、その植え込みで貴重な時間を使ってしまって・・。
もう何年ぶりに、チューリップを沢山植えました。
でも思うようにほかの作業がはかどっていません。
毎年かな?
寒がりになったのかしら?庭に出るのが寒ーい とさぼってしまう日があります。

忙しいんだよね と、たまに来る母に言うと、子供が小さければ、忙しいのが普通やに と言いました。
確かにそうですね。でもそれじゃ昔と変わってない気が・・

でも一人の時間が14年ぶりにできた今年の初めは、その時間を有効活用しなければ!と、せかせか、くるくる、何かしていて。
近所のMさんに、あのな、もうちょっとぼーっとしなあかんよ。と、言われたことがあります。

あれから10か月。最近少し、ぼーっとできるようになりました。

幼稚園には自分の車で送り迎えしています。
親しいママや、おばあちゃんと話すのは、楽しいです。
しかし、事あるごとに立ち話、というスタイルにはついていけないことも多く、帰宅した後とても疲れていることに気づきます。女性はおしゃべりが好きな人種だと思っていたのですが、私は植物や動物といる(話しているのかな?)時間が長いので、ワイワイしゃべるのはあまり向いてないようです。園庭や駐車場は、この地域特有の山からの風が吹き付け、それは寒いんです、割り切って帰る日を増やしました。
次男もそれは何となく気づいているようで、申し訳ない気もします。


昨年から観ているのが ケーブルテレビ局の、CSチャンネルにある、AXNミステリー。いろんな番組があります。
もともと、海外ドラマは”アリーmy Love"あたりからなんとなく観ていました。
AXN、 FOX などチャンネルもいくつかあるのでアメリカのを観ていました。ただ、犯罪ものも多くて、グロテスクなシーンもあるし、描写やストーリー自体が一寸激しく感じたりして・・。

ひょんなことで”バーナビー警部”を観ました。あれなにこの、景色。綺麗なのになんだか懐かしい!私はれっきとしたアジア人ですが、英国ドラマにはまって、いろいろ観た中で、地味に面白いのが”オックスフォードミステリー ルイス警部”。
導入部分の映像がまず美しくて、引き込まれます。
謎解きも面白いのですが、それ以上に面白いのが二人の会話。
ちゃんと突っ込みを入れているというのか・・。くすっと笑ってしまう時もあります。二人のコンビが素晴らしいです。
ルイス警部を観だしてから、その前に作られた、主任警部モースも観始めました。
二人ともスーツが決まっていて、素敵です。ちょっと熱いルイス(よく怒っている)、長身のハサウェイの重低音の喋りもたまりません。あと検視官のホブソンもいい感じで、ひそかに気に入っています。
そのうちこのストーリーにはまり、今もまた再放送中で、楽しんでいます。
もっぱらサッカー、の主人も、このドラマは、まじめな顔をして観ています。
子供たちは、”ブラウン神父”が面白いそうです。







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生きている、ということ

先日、中学・高校時代の同窓生が突然亡くなったと友人から連絡が入りました。
あまりに突然の話で、戸惑いましたが、告別式に出るか教えて、とのこと。
子供たちは1時間半くらいなら留守番できるよというので、通夜に参列しました。

私たちは一学年90名くらいのメンバーでそのまま高校3年まで一緒でした。だから大方の名前も顔も鮮明です。

その日は思ったより多く、同じ学校で育ったなかの30名くらいが顔を出しました。
会社の同僚の方々も数多く来ておられました。

喪服を着て集まった仲間たちの横顔をそっと眺めました。

みんなもう別々の暮らしをしている。大きく普段の生活で顔を合わすことは少ないけれど、こうやって人は動くのだと思いました。
こんな形でみんなが集まるのは悲しいね。と、連絡をくれたIちゃんが言いました。式の後、別の男の子も同じことを言いました。
確かに・・。でもこうやって動いてくれるみんなの中で過ごしたんだなと、思いました。

涙のとまらない女子も多く、私はそんな中で、どうしても泣くことができず、なぜこうなったのだろうとそればかり考えていました。
すべてのことに意味があるっていうけど、なぜいま彼女が。よく事情が呑み込めない感じでした。
でも棺の中の友人は、綺麗な顔でただ眠っているようで、亡くなったような気がしませんでした。
叔父さんの挨拶からは、ひたすら姪の死に対する無念さが伝わってきて、胃がひりひりしました。

とても理解しがたいことですが、死ぬっていうことは、終わりではないんだなと最近思います。ただ、見える世界であれば終わりのように見える。
肉体を持っていた期間が終わるということだけど、肉体を持っていたから機能していた部分も多いから、悲しいし、祖父や祖母が亡くなったときは私もただ涙がこぼれるばかりで、喪失感が半端なかったです。
特にそれまで動いていた、元気に話せた存在が突然いなくなるのは、心の準備ができないです。祖母もそんな感じでした。

私はよく、亡くなった後も、祖母に話しかけていました。大体、悩み的なことがあったりして、かつてばあちゃんとみかんを食べながらしゃべったような感じで、心の中で話を振るのです。私は霊能力などは特にないのですが、そういう時は何が解決したわけでもないけど、ちょっと心がほっとするというか、ざわざわしていた心が落ち着いたようなそんな感覚がありました。亡くなっても、ちゃんと家族だった人は、見て居たり、聞いてくれているんだろうなって思います。

帰り際、ご両親と、まだ若い娘さんが参列者に挨拶をするたびに口々に励まされていて、けなげな姿に胸が詰まりました。亡くなった友人は、残された娘さんをずっと守っていくんだろうな。と思いました。

当たり前のように毎日を過ごして、出かけて家に帰る、玄関を開けるとみんながお帰り~と言いながら何事もなくリビングにいる。小さなことに目がいって、何とも思わないことが多いけど、それは当たり前ではないのだと改めて思います。
ここまで生きられたことも、朝目が覚めることも、帰宅できたことも、もっとさかのぼれば、この世に生まれたことも、確率の低い、たぶん奇跡に近いことなのだと。





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運動会を終えて

ようやっと、秋の運動会3回が、終わりました。
中学の運動会は5月にありました。
あとは秋の、小学校が1回と、幼稚園がなぜか2回。幼稚園はすぐ近くの別の学区の小学校でも出場するので2週続けて、計3回となりました。

週末ごとに微妙な天気の続く秋でしたが、こんな天気でも!と、学校からの配信メールを頼りに、出掛けました。
幼稚園の運動会はお昼で終わるので気楽な部分もあり、私はもっぱら、写真を撮るのが楽しみで行っていました。

昨年は走るのを嫌がった次男も、今年は父親(主人)と楽しそうに走っていました。写真を撮ると、同じく幼稚園だったころの次女の時の、主人の写真をふっと思い出しました。写真はよく撮っていて、まだその時分はフィルムを使うカメラで撮っていたみたいで、いちいち現像しに行っていたのです。次男を撮った写真をその場で確認しながら、記憶と重ねてみている自分がいました。だいぶ年を取ったような気もしますが、数えてみると9年くらい前。子育てをしていると、9年って意外にあっと言う間なんだと思うと共に、その間にいろんなことを経験して、お互い少しは大人になれたのだろうか・・とも思います。
住居をここに移してからは、長男の眼の怪我など、つらいこともあった。けど辛いことも、越えられるから与えられるハードルなのだと誰かに聞いた気がする。二人で励ましあいながら歩いてきた日々は、無駄にはなってない、きちんとつながって今日に続いている。今日それをふと思いました。


運動会とは関係はないのですが、よく観てしまうこの動画・・。スコットランド出身の歌手、スーザン・ボイルさん、素晴らしい歌いっぷりの彼女がその才能を見出された予選での映像です。なんでしょうこの、司会の方々と出場者のスーザンとの話の掛け合いも、観客の皆の反応も、熱狂ぶりも面白いし、歌の素晴らしさも言うことなしで・・。スーザン・ボイルさんのキャラクターがいいなあと私はまず思いました。見た後はなぜか笑顔になってしまう、一日の終わりによく観ています。

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パターンを手放す

今、感情をはじめ、もろもろの浄化の時期に来ているとよく耳にします(目にします、かな)。昔、とうの昔に記憶の隅に追いやったはずのものが、ふわ~っと浮いてくる感じです。私は大体育った家のことです。見ないことにして忘れたことにしていたものがまだまだあるんだろうなと思います。

母についてはいったん考えるのはやめます・・。どんなマザコンなんだ。
大学生になった時は拒食症にもなったし、どこかで、足りない感があったのでしょう。
若いころは、自分が存在すること自体にすごく罪悪感があったなあと思います。なんて若者だ・・。

前の記事、気分を悪くされた方がいたらごめんなさい。最終的には消すつもりです。私が繰り返し見てしまう、私に絶対OKを出さない、私、夫、子供にダメ出しする母や、薔薇を植えることにしても、とげが危険だ、そんなのなぜ植えるの~という周囲の人もしくは母(昔多かった)は、結局は自分で自分にOKを出せてないことの投影なんです。外をまず見て、そこから自分の内面を見てみろとたまたま読んだブログに見つけ、おお、そうだと思いました。
そして嫌な思いを繰り返すことに関しては、自分がそれを望んでいる(笑)・・・・究極のマゾなんだと思う。
苦労好き?神様は1円拾っても、宝くじで数千万円当てても、同じくらいの金運の良さとカウントするそうですね。大けがしても、手先をはさみで小さくけがしても、神様はそれも同等のけがとカウントすると。私は森田健さんの著書で読みましたが、最近は癒師よしひろさんの文章にもこのようなエピソードがあり、また、おおっ!と。つまり私のマゾは、このままではエンドレスではないか。


施設に入って長い、90歳の祖母がまた、体調を崩し、さすがに今回はあかんかもと両親が神妙な顔をしています。もう、ハハどころではなくなりました。
なんとか、持ち直したのですが、久しく会っていなかった祖母に触れて感じたのは(同じ敷地に住居があります)祖母も住んでいたこの土地のこと。せっせと畑を耕して、頭の光るおじいちゃんと、いろいろふるまってくれたっけ。ぼけてしまっても作業着だけはきちんと着て、サクサクと畝を立てていた姿をふっと思い出しました。祖母は、私のような想いじゃなくて、ここがとても好きだったように感じ取れました。お姑さんと母屋にいたときは辛かったでなあといつか言ってました。ここは分家なのです。

いろいろあって、折角家を建てたのに、この界隈は住みにくいなあ~、隣ともダメだし・・とブルーになることが多かったのですが、なんか、吹っ切れました。

それだって実は、体験したかったのかもしれないですしね。

いつまでも同じものを見てちゃだめ、私はもうこのパターンから抜け出そうと思います。もういっぱいしんどい思いしました。
人には、もう昔みたいなことは巡って来ないよ、大丈夫だよって言えるのに、自分となるとすっかり無限ループにはまってしまっていたようです。
そこじゃない、好きなもの、素敵なもの、を見なくては。


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雛の写真・・

昨年飼い始めたインコですが、あっという間にひとつがいが卵を産みはじめ、2回繁殖し、夏には大家族になりました。
そろそろ小屋を建てたいな~というくらいなのです。でも、蛇が出る、イタチが出る、なかなかの自然の豊かなところでちょっと自信がありません。細かい金網を張ればいいのかな・・・籠をいくつも置いて飼っています。

生後15日くらいで親から離します。もちろんそのままでもいいんです。
ただヒナはあほみたいに餌を食べるので、一度食べて吐き出して与える親鳥には結構負担かと思い(苦しい言い訳)
スプーンを道路工事のようにつついて餌をついばむ姿は、何とも言えない可愛らしさあり、生命力を感じる一瞬でもあります。

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初めは綿毛がまだ多く、本来の羽はもう少しして揃います。
タマゴのような形。

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恐竜のようにも見えます。エサ袋がパンパンになるまで餌をがっつき、満腹になると船漕ぎをしながら居眠ります。まだまだちいさいころの写真です・・。携帯のあちこちに写真が点在していますのでぼちぼち載せていきます。
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