温泉、モツ、苦手でした。
2012/03/12 Mon 20:57
こう、ぶつぶつ、呟きながら、帰ってきた夫。
どうやら、新しく覚えた日本語は、「つっかえる」だった模様。
ちなみに昨日は「湯加減、ゆかげん」と、繰り返しながら、部屋に入ってきた。
「ゆかげんおねがいします!」と、嬉しそうに言うので、風呂にでも入りたいのかと思ったが、「ちがい!お茶のみたいんです。」と、怒られてしまった。彼の辞書で「湯加減」は、「お湯」と訳されていたとの事。
★その辞書使うの、止めたほうがいいと思います。なんとなく。
最近は、あまりに色々覚えすぎて、
「ゴーちゃん、クラスルームを日本語で言うと?」
「へいじつ!」
「ぶー、教室、ですよ。それでは、サークルは何ですか?」
「もちゃもちゃ、ちがい!もろもろ!」
「ぜんぜん違いますよ、答えは、まる、です。」
「いやだ!もちん、にほんご、わすれました、にほんじん ちがう!」
と、たいそう混乱している様子、そんな彼のお気に入りの文字は、やっぱり「麦」である。
★すみません、なんで「麦」なんでしょうか。
さて、そんな、自称日本人「ぱちぱち てつお」にも、日本で苦手なものがいくつかあった。
その中の最強の二つが、「温泉」、「モツやホルモン」だったのではないか。
温泉は、以前日本に帰った際に、二人で訪れたことがあったが、
「ぜーーーーーったいに できません!」
と、公共の場で、裸になることを、頑なに拒んでいた。
私は、「ええ湯じゃのー。」「本当にのー。」と、温泉で気持ちよさそうに和む方々をテレビなどで観てしまうと、祖母や母とぬくぬくと過ごしたお湯のまろやかさ、露天風呂から見る空の美しさを思い出して、ホームシックになってしまう。
どっぷり、誇れる、日本人である。
それに対して、夫は、「恥ずかしくて、とても、できません。」と、今回の一時帰国で、家族みんなで温泉に行った際も、「しゅみましえん。」と、一人でもじもじしながら部屋のシャワーで済ませていた。
★だって、なんだか、はずかしですよ。
以前、二人旅で訪れた日本の小さな町には、混浴の、公共の温泉浴場が、街のど真ん中の川のほとりにあった。そこで人々が、真っ裸にタオル一枚で、のんびりする姿を、橋を渡る際に見た夫、それまで嬉しそうにまわしていたビデオをぴたっと止めると、
「どうしよう!もちん、どうしよう!」と、真っ赤な顔をして、バタバタ一人で、不思議な騒ぎ方をしていたので、
「あれは、温泉といいます。温泉のお湯による効能は様々で、肩こりが楽になったり、冷え性の体もとても温まったり、皮膚病にいいと言われたり、そのお湯によって違うんですよ。」と、うやうやしく説明したところ、
「でも、冬なのに、そとで はだか、そして、どうして、おとさん、おかさん、みんな いっしょに はいるですか?あ、あのひと、タオルも ありません!みえちゃう!」
と、全く、効能などは、どうでも良いところに、意識がいってしまっているようであり、その後もしばらく橋の欄干からそれを眺めては、お湯につかる人から、
「にいちゃん、一緒にどうかねー?!」
などと、声をかけられ、
「けけけけけっこうです!わたし けっこうです!」
「なんだあ、ビデオとってんのかー、ピース!(おっちゃん、真っ裸でVサイン)」
「ひーーーーー」
と情けない声を上げて、後ずさりしていたものであった。
★はい、ビデオカメラ、いつも動画とります。日本はわくわくです。
そして、「モツやホルモン」、これは、生まれ育った家庭に、それらを食べる習慣がなかったので、当たり前である。
夫のお父さんは、小さな頃を、南アの孤児院で過ごした。両親は健在だったが、「子供の面倒を見たくない」と、放棄した彼らのせいで、夫のお父さんら兄弟は、孤児院に入れられた。
そこで出された、様々な料理の、悪い思い出のおかげで、夫の父ハンスには、今でも、食べられないものがたんまりある。それを見て育っているわが夫も、出会った当時は、たいそうな偏食であったと思う。
私が夫と暮らし始めた当初、ハンスは、仕事の関係でイギリスにいることが多く、その間は、私たちと一緒に暮らしていた。
それなので、同じ食卓を囲むことが多かったが、彼は絶対に、自分の作ったもの、しかも、同じメニューしか食べなかった。だけれど、家族と食事を取ることにはこだわっていたので、私たちは、必然的に、夕食は、ハンスと同じものを頂くことになった。
夫は優しく、父は絶対であったので、逆らって違うものを食べることはしなかったし、私は、優しさではなく、気を使い、「またかあ」と思いつつも同じものを従って食べていた。
そのメニュー。
「ソーセージと芋、豆のトマト煮(缶詰)、グリーンピース、サラダ」
「豚ロースの焼いたもの、芋、グリーンピース、サラダ」
「カレーライス、サラダ」
「鶏の胸肉、グリーンピース、フライドポテト」
もともと、南アでは、妻に料理を任せているハンスのことなので、これ以外に食べられるものはあっても、作れて食べられるものは、これ位しかなかった。そのせいで、私たちは、彼がイギリスに滞在している間は、このメニューを延々と繰り返し、食べたものだった。
ゴードンは、何のストレスもなく、それらを普通に食べていたが、私は、数週間もすると、体調すらおかしくなった。それはまた、別の機会に書こうと思うが、このような環境で育ったせいで、夫には、「食べられないもの」がいっぱいあったばかりか、「おいしいものを食べる喜び」すら、持ち合わせていなかったような気がするのだ。
★私は、長野のおいしいおそばが大好きです。
さて、話は戻り、今回の一時帰国。
家族に温泉に連れて行ってもらい、それでも、裸で、大浴場に行く勇気のなかった夫、それを、とても気にしていたようである。
普段から、日本人になりたいと、強く願っている自分なのに、やっぱり、いざ日本に来てみると、文化の違いは様々で、それを超えられない自分を情けなく思っている様子が、そばにいて私には分かった。
私は、そんな夫を気にはしていたものの、敢えて無理をすることはないと、何も言わなかった。温泉に恥ずかしくて入れないなら、それでいいのではないか、そう思っていた。だが、
夫は、違ったのだ。やはり、日本人になりたかったのである。
温泉旅行から帰り、その足で、年越しと新年を迎える際に、父の実家である長野に向かった。
おばあちゃんにもご挨拶をし、家族の団欒を過ごし、さあ、寝ようという時になって、なにやら、携帯で英語のホームページを読んでいるので、
「?」
と、手元を覗いてみたが、そこには、日本で暮らす、とある西欧の人のブログがあった。
彼は、どうやら、家族で温泉に出かけたらしく、それからすっかり、温泉の魅力に取り付かれてしまったと、頭にタオルを乗せた、例の伝統的スタイルの入浴姿まで、写真で公開し、
「温泉は素晴らしい!」
と、ブログ上で大絶賛していた。
なんと、彼のプロフィールには、「温泉めぐり」とすらあったのだが、ブログの記事に「onsen」とタグ付けされたものを、夫はしつこく、しつこく、それこそ読みふけり、
「いやだ。」
と、ぽつり、と、呟いていた。
そう、また、例の、焼きもちである。自分より、日本人らしい、「外国の人」を見ると、「いやだ!」と、悔しくなってしまう、夫の「焼きもち」が、発生したのである。そんな事気にしても、本当にしょうもないのだが、それ程日本が好きなのであろう。
さて、その後、初めての「紅白歌合戦」、「笑ってはいけない」をリアルタイムで、コタツに「おせち」、日本のビール、焼酎でエンジョイし、みかんを食べ、大すきなカレーせんべいをぼりぼりし、「年越しそば」を無言で食べ、30歳にもなり「てつおさんへ お年玉」までもらうという、憧れのひと時をすごし、気分はすっかり日本人になった彼、
★鐘もついたデスよ。
新年を向かえ、お風呂にでも入りに行くか、父がそう言い出した時、家族は夫に、「大広間とかあるから、一緒に来て、ビールだけ飲んで待ってたら?」と、一緒に来るように、しかし、風呂には入らなくてもいいのだと、声をかけてくれた。
「ハイ、いく」
即答したゴードン、なにやら、バッグに、いそいそと何か詰めているので、気にはなっていたが、私はそのまま車に乗り込んだ。
着いた場所、ものすごく、ものすごく、地元の、ローカルの、田舎の、温泉浴場。
なんたって、うちの父は、長野の山奥の出身なのだ。家の近くには、車で15分の場所に「コンビニ」が一軒あるだけで、周りはアルプスに囲まれた、田んぼの美しい、筋金入りの田舎、本当に美しい、私が愛してやまない○○村。
「南アを思い出しますよ!」
そうゴードンをも喜ばせた、美しい田舎の、その、地元の人しか来ないような、小さな温泉施設の玄関で、私たちは靴を脱ぎ、
「ゴードン、あそこで待っていてね。」
大広間を指差した。
すると、なんと、彼は、
「いやだ、わたしも いくんです。」
と、言い出すではないか。
もうすでに、玄関先から、かなり目立ってしまっている、彼、お風呂を終えた子供に、「あ、がいじんだ」などと、指差されてしまった彼、
!!!!なぜ、ここで、勝負に出るか?ここじゃなくても良いのではないか?!!!!
その場にいた、みなが、いっせいにそう思ったであろう。
むしろ、例の川のほとりの温泉浴場級の、難関なのではないであろうか。
★本当に美しいところなんです。
「えっ?!」
急にどきまぎしだす父。当たり前だ。うちの父親は、まれにみない、シャイな人間なのだ。いきなり、「温泉デビュー」を果たしたいという「南ア人」の「義理の息子」を、面倒見なければいけなくなってしまったプレッシャーは、相当なものだったであろう。
そして、夫も、顔が真っ赤であった。なぜ、そこまで無理をして、温泉に入るのだと、私たちは口をあんぐり開けながら、玄関先で固まっていたが、夫が、
「たおるも もてきました!」と、バッグから、タオルを取り出したので、
ああ、ごそごそ、かばんに突っ込んでたのは、これだったのか、彼の決意はすでに、家を出た時点で決まっていたのかと、涙が出そうになったあほな私。
えらいぞ、さすが、ぱちぱち みしま 男爵 てつお!
「そんなら、いくか。」
「ハイ!」
父と夫、二人とも、なんだか妙にカクカクした、変な動き方で、温泉に消えていくのを見送った私たち、
母「大丈夫だろうか。」
妹「やばいんじゃない。」
姪「おじいちゃんもやばいよね。」
私はもう、初めてのお使いに行く子供を見送る気持ちで、どきどき、自分の風呂どころじゃなかった。
ずっと、長野の美しい山を、ガラス越しに見ながら、あったかな、懐かしい、日本のお風呂で、色々考えた。
この国は、美しいな。
そして、少なくとも、私の夫、南ア人の彼にも、夢を、勇気を、希望を、冒険を、温かさを、優しさを、友情、愛、語りつくせないいっぱいのことを与えてくれている。
本当にありがとうだな。家族、友人、恩師、みんな、ありがとうだな。そして、夫にもありがとうだ。
色々な思いがこみ上げた。その横で、「へーい」と、平泳ぎをする姪よ、君にもありがとう。
★ボーリングまで、体験しました。楽しすぎて二日間、通わされました。疲れました。
さて、心の洗濯をさせてもらって、気持ちよくお湯から上がったら、夫が嬉しそうに、大広間で、父とビールを飲んでいた。
夫の顔は誇らしげで、嬉しそうだった。すっかり、その場になじんでいた。
「どうだったの?お風呂。」
さりげなく聞くと、真っ赤な顔で、「うれしんです!すげいよー。」と、興奮している模様。「大きくて、おじいさん、いました。こどもも いました。みんな たのし、やさしんです。いっしょに おふろ しました。」
父にこっそり、「どうだった?」というと、「ガチガチだったがね。最初はね。でも、窓から見えるアルプスがきれいだで、嬉しそうだったぞ。」
★面白い飲み物も、もらいました。甘くて美味しかったデス。
めったにイギリスでは飲まない夫、日本ではやたらお酒が進む。聞けば、女性陣の風呂が長すぎて、すっかりジョッキ2杯目だという。「もういっかい のみます!おとさん いりますか!」
シャイな夫が、嬉しそうに、食券販売機に走る。食券を持って、カウンターに走る。「これください!」
「あんた、どっからきたの?背が高いねえ!」
「みなみ あふりか です。」
「それ、どこね?」
「すっごく とおい あふりかの いちばん みなみ です。」
「よう わからんけど、大変だったねえ、ゆっくりしてってねえ。」
「ありがと ございます!」
ああ、すっごく嬉しそう、嬉しそう。本当によかった、みんな、ありがとう、本当に、ありがとう。
★全部がわくわくです。
私には、見えていないものもあるだろう、聞こえていないこともあるだろう、かつての私が、世界に対して全く不関心で、不勉強であったように、たまに帰る場所になってしまった日本のこと、知らないことも増えているだろう。
でも、私が、こうして、ここで、見ている、人々の優しさ、実直さ、素朴さ、丁寧さ、温かさ、夫の笑顔、それは、疑うことのない真実なのだ。今、まさに、ここにあるのだ。
こういう思いを、日本に帰るたびに、何度もらっただろう。何度、夫の最高の笑顔を見られただろうか。
夫の背中から目を離し、ふとテーブルを見ると、そこには、「おでん」と並んで、「モツ煮込み」が2皿もあった。
モツ、だ。
モツ、ではないか?
「お父さん、これ、ゴードン食べた?」
「ああ、頼んだったら、嬉しそうに食べとったよ。」
「おでんも?」
「自分でおでん食べたいっていうで。大根がうまいって、こんにゃくも食べとったよ。」
ビールを両手に、カウンターのお母さんに「子供用のお菓子」までもらって、嬉しそうに帰ってきた夫、
「かんぱいー」
ビールを一口、そして、箸を持つと、モツを一口。
ひええええ、食べた。食べた!!
「ごーちゃん、それ、何か知ってるよね?」
「はい、おとさん、いいました、うしの オファール(内臓)です。おとさん、かってくれた、だから、たべました。」
「(びくっ)だ、大丈夫ですか。」
「はい、おいしです、びっくりしました、これ、おいし。そして、おでんも、おいしです。まえ、ロンドンで、ともだち おでん つくってくれました、りょうほう だいすき、これもおいしです。」
克服した!
ぱちぱち様、一日で、二つも苦手だったもの、克服した!
今日は君にぱちぱちだ!!!
★実はその後も、ホルモン食べました。びっくりしました。
長野の山は美しかった。雪帽子をかぶったアルプスに囲まれた、その小さな村で、私たちは、ゆったりと、見守ってもらい、日本という優しい国、家族、友人、みんなに抱かれながら、最高のひと時をすごした。
夫が、日本が好きな理由、最初は私には理解が出来なかった。なぜなら、常に、そこで生きてきた私には、当たり前に、そこにあったものの、何がそんなに素晴らしいのか、分からなかったからだ。
渡英して5年、今では、こうした瞬間に出会うたびに、夫の気持ちが良く分かる。私も夫も、日本が大好きだ。
夫はすっかりリラックスし、最後にこっそり、こう言った。
「もちん、おとさんは、(こそこそ)ワースト せんせい です、おんせん いったら、わたし、なにをする、ぜんぜん、わかりません、でも、おとさんは、すごく はやいです。これ、あれ、おふろ、そこ、そして、逃げました。」
どうやら、シャイな父は、夫に、どうやって温泉に入るかを、照れくささのあまり、ゆっくり説明しなかったようである。入るなり、必要最低限のことを言うと、湯船に逃げたようである。
予想はしていたが、相当可笑しくて、泣きながら笑った。
愛しい人が、日本にも、イギリスにも、世界中のあちこちにも、いっぱいいて、会いたくて泣きたい日もある、ホームシックの日もあるが、そんな人がいっぱいいる私は、なんて幸せなんだろう。
そして、夫にも、そういう人が、たくさん増えて、本当に良かった。寂しくて、一人で、荷物を抱えてウォータールー駅で一晩過ごした18歳の君に、もし、今出会えるなら、教えてあげたい。
30歳になった君は、善い人にいっぱい囲まれて、すごく幸せだからね。大丈夫だからね。
皆さん、私たちは、今日もイギリスの気まぐれな空の下、とても元気です!皆さんもよい日をお過ごしください。それでは、また。
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