スイス★お山大好き、日本のおじいさんがすげかった。
2013/10/27 Sun 17:16

★のどぐろおいしいですよ。でも大将サンに「さばおくん」と呼ばれたさば好きです。
私はこちらでもご紹介したように今年はすでに2回も日本に行っているので(帰っていると書きたいけれど、おかんに怒られそう)みんなで囲むコタツも恋しいながらイギリスで当分踏ん張ろうと思っているのだが、夫などは涙をこぼしそうになりながら、
「なんでこんなにかなしんですか、いつもにほんのことかんがえて、わたしおかしですか」
なんて、近所のインド料理屋さんで「はー」とこぼすのだ。
目の前のタンドリーチキンを見ては、「焼き鳥がたべたいんです。」
チキンボルティを頼んでは、「ココイチのカレーがおいしんです。」
最後にサービスでミントチョコレートをもらい、「ドーナッツ氏、ドーナッツさんが食べたい!(注:ミスタードーナッツ)わたしのとうふりんぐわ!」
私が食べたい、私だって泣きたいわ!!

★夜中のコンビ二は南アで出歩けなかった子供時代を過ごした彼のお菓子の城、夢の国。
最初はあまりに日本が好きなので、「ふり」をして「酔っている」のではといじわーるに疑っていた私だが、先日私のPCの調子が悪く夫のを拝借したところ、検索結果に
「フライト TO 福岡」
「うなぎの蒲田」
「福岡 ホテル」
「FUKUOKA LONDON」
「NGOYA キットカット」
などと出てきて、あんぐり口をあけてしまった。
うなぎの蒲田。どこで見つけた、それどこ。
それに、なぜ、福岡。実家は名古屋なんだよおお

★だからね、飛騨とか大好きだしね。
夫の家族が大の方向音痴などは知っていた。義父のハンスなどはイギリスからフランスの家に車で移動する際に、道が間違っていることに気がつかずにスペイン国境近くまでいってしまった。
「あれ、スペイン?」
気づくの遅いわ!
スワジランド近くのサファリに南アで行ったときに、「もうどこがどこだかわからないから、象の落し物をたどって行く。」と言っていたが、今となれば無事に帰れてよかった。義父の親友が南アの政府で自然保護と民族関係の仕事をしているおかげで、電話で「いまどこだ、あそこにいけばライオンが見えるぞ」とナビゲートしてくれていたのに、「いや、もう、北も南もさっぱりわからん。」と答えていたっけ。
そんな義父の息子、夫であるが、実は義父がオランダの家系で彼自身もオランダと南アの2重国籍の持ち主であることから、すっかり自分はオランダ人家系であると思い込んでいたようだ。
フランスめざしスペインまで行ってしまうのんびりゆるい家族、サファリで象の落し物に頼る家族であるのでいまさら驚かないのだが、先日スイスに行った際に夫が義母に「スイスの山はきれいだよ、ヨーロッパの山やお城はきれいだね、なんだか懐かしい感じ。」とメールをしたところ、「あら、いまさら何を言ってるの。」と衝撃の事実を告げられてしまったのだ。
夫がホテルの部屋でなんだか緑の顔をしながら「もちん、大変、わたしはデーツとイギリスのてつおでした、あ、オランダもです、でもにほんちがい!!!」とじたばたわめくので、ワインを飲んでいた私は、
「デーツ人?はて?どこの民族だ?」
数分グラスを持ったまま夫を無視して考え込んでしまった。
デーツ、そういう食べ物ならスーパーでよく見るが、デーツ人とは、はて?
「デーツ人?なにいってるかわかりません。」
数分間考えて考えて正直にそう答えたが、夫は真っ赤になり「デーツ、デーツ人です、もちんと前にいった、ベルリンいきました、ビール飲んでおいしいカレーソーセージたべたとこ!」
はっ、も、もしかして
ドイツ?
ドイツのこと?
「そうですよ!そういってます、デーツ!!」

★今年のクリスマスはミシェル(義母)はとてもうれしそうでした。17で南アを出てからはじめての家族のクリスマスです。
夫は日ごろから自分の発音をやたら気にしているのであまり突っ込みたくないが、さすがにこれは読めなかった。
「りおうり(料理)」などはなんとなく前後の単語でわかるが、デーツとは、うむ。
「31年間知りませんでした。。。」
そうぼそっとつぶやいた夫、思わず「へー」と答えてその後に腰が抜けた。
31年間って、どんだけゆるいの!!!
生まれてずっと知らなかったってことだよね、おかんもおとんも夫も、いい加減にしやあ。
「日本のてつおとおもてました、でもちがい、デーツとイギリスもあた、イギリスがはいってる、なんでえええ!」
お、面白すぎる。
あんなに嫌がっていたイギリスの天気や、散々イギリスの友人に向けて飛ばしていたジョークの数々、カッパティー(A cup of tea)、メリーポピンズの人たち、君がその仲間だったとは。
「ぎゃー、おかしい!!!」
「じぇんじぇんおもしろくない!!!」

★モンブランもびっくりです。
そんなこんなで面白い夜が明けたスイスの旅行の一幕であったが、その中で訪れたシャモニー、モンブランで私たちはまた大変素敵な日本のご家族にお会いした。
夫はデーツ人とイギリス人とオランダ人の家系の南アフリカンであるため(わはは、今でも笑える)「南アでそんな雪を見たことありません。」と白川郷に行ってから「雪オタク」になってしまった模様、モンブランの写真を見て「絶対にいく!」と決めていたのだ。
それなのに、それなのに、性格はしっかり「NOW NOW」ののんびり南ア人、旅行二日前までに私が色々調べてリンクを送っているにもかかわらず、まったく開封していない、本気で行くのか、モンブラン。
「どうするの!!!やる気あるのか!」
そう怒ったところ、「あー、もう、わかんないですから、ツアー!バスとか電車とか複雑すぎていかんだぞう、もういいや、ポチッ。」
今まで倹約好きなオランダ系の彼のこと、自力で行けるところは自力で行くというモットーでカプリに行ってもブルーケーブ(青の洞窟)すらみないで帰ってくるという、京都に初めていったときは、「まっすぐ駅から北に歩いて亀と遊んで帰ってきました。」という突っ込みどころがない間抜けっぷりであったが、今回はツアー、あら、本気ね。
私は楽なら楽なほうがよいので、それならそれでいいやとホクホクしながら内心(そんなに複雑か?)と突っ込みながらも、夫の意向に従うことに。
当日、ツアーバスの中は様々な国からの観光客で満席だった。
ぎりぎりに乗り込んだ私たち、夫が先を行ったが、夫の背中が「話したいんです、話したいんです!」とぴくぴく訴えるたびに先を見ると、日本人のご家族が、ご夫婦がいらっしゃるのだ。
2組ほど日本からご旅行にこられた方々がいらっしゃる模様、いやいや、そこで立ち止まってもじもじしても困るので早く進んでちょう。
「もちん、あのしとたちにほんから、絶対そう、静かで穏やかなおじさんとおばさん、ぜったいににほんのしとです。いいだなー。」
・・・・・・・・・

★前回の帰国ではいっぱい話しかけてもらって真っ赤になって喜びました。いっぱいおともだちほしんですから。
ここまで書いて時間が切れてしまい12月28日の今日、このまま年末年始を迎えてしまいそうです。ブログ、2回にわたってスイスのお話をお届けすることになりそうです、ごめんなさい。
日本から友人が9日間滞在してくれていたので一緒に遊びほうけていたこと、クリスマス前に、
「おとさんのプレゼント買い忘れました。」
「わたしたちのワイン買い忘れました。」
「おかさんがチーズ忘れたから買ってきてくださいって。」
「あ、電車が動くしませんから早く帰ります、パンケーキが食べたくてなきそうです。」
などと、夫のなーなーのん気さのおかげでばたばたっとやることが増えたこともあり、一回で書き上げることができなくて申し訳なく思います。
それでも、私たち、ブログを読んでくださっている方々にどうしてもお礼が言いたかったんです。
今年も本当にたくさんのメッセージやコメント、ありがとうございました。遠く離れた日本で、私たちのしょうもないブログを読んでくださっている方がいるということに本当にいつも励まされています。
ブログではへらーとしていますが、それは色々あります。在英7年目になった今年12月までサバイバルのような毎日でした。その中で自分も「面白いこと探し」をしたくて始めたブログ、結局はみなさんのお声に私が一番励まされる、あたたかな宝物になりました。
(今日は用事でヒースローに行かなければ行けませんが、朝チェックしたら必要な地下鉄が止まっています、慌ててキャブを手配しましたが35ポンドの出費・・・高いお金で定期を買っているのにいつもこうです!)
イギリスの空の下から、新年が皆様にとって穏やかで温かな愛にあふれたものであることを夫とともに心からお祈り申し上げております。
スイスのお父さんのお話はまた次回、TO BE CONTINUEなどと生意気なことをしてしまい申し訳ありません。
素敵なお正月の様子、また聞かせてくださいね:)楽しみにしています。
今年も本当にありがとうございました。
愛をこめて、
LOVE,
GORDON&素子より


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ばあさん一筋60年
2013/08/17 Sat 14:46
「つまん!」
いったい何がつまらないのかと聞くと、「じぇんじぇん好きじゃない、うれしくないんデスよっ!」

※そういいながらも帰ったら必ず真っ先にあけるお菓子の棚、キョロちゃん食べて「さあ、おうちの時間です!」
お菓子モンスター。
ココナッツサブレやアーモンドチョコをあれこれがさがさしながら、「きょう、会社の人わたしのところにきました、そのひと日本にホリデーで行きました、そして日本が大好きになっちゃった、住みたいといてます。いかんだぞう!」
お猿さんに続き、さらなるライバル出現か?
「わたしの会社で無料の日本語のクラスあります、それに通ういいました。いかん!無理だぞう!!!」
「わたしみんなが日本好きうれし、でも私も住みたいんです、ぺらぺらになりたいんです、みなよりはやくすみたいんです、はい、がんばって勉強する、両手に花、にんにくトレーニング、今日から英語はなしません。」
それではどうやっても会社の人とコミュニケートできないと思うので困るのだが、そうやってぶーぶー鼻息荒く怒っているのだ。ライバル視して子供だな。しかも筋肉トレーニングだよ、にんにくじゃないよ。
夫いわく、奥さんが日本人だというと、
「すげえ、日本に行きたい。」
「日本に行きたいって前から思ってるんだけれど遠いよね。」
「日本に行ったことある、いつか住みたい!」
行きたいならお金をためて、日本語勉強してください。あまりに同じことばかりいわれるのであっさりそう返しているのだとか。中には、
「日本に行ったけれどご飯は高くて食べられるものはほとんどなかった。」
などという人もいて、「いったいどこで何を食べたらそんなことがいえるんだ?」とがっくり夫がきくと、
「マクドナルド」
「ホテルの中のレストラン」
「イングリッシュパブ」
なんで?居酒屋は?吉野家は?ラーメンは?ココイチは?そういう夫にみないっせいに
「だって英語が通じないしメニューが読めないから。」
「えーーー・・・もったいない。」

※私のしゅみは映画とゲームとお庭とうどんです。
夫なりにかなりのこだわりを持って日本を愛しているのだ。昔ローリング・ストーンズがすきっていうと、本気のストーンズファンに「お前はミックのことをどこまで理解しているのか!」と怒られたのを思い出す感じである。
そんな夫も私も愛する日本で年末は幸せなひと時を過ごし、私はその後も夫だけロンドンに送り返し日本で好きなものをたらふく食べて、飲んで、スーパー銭湯に行きだらーと幸せに心も体もふやけ体重3キロ増やしてイギリスに帰ってきたのが2月の頭。
まだ日本からの幸せな日々、写真の整理も何もしていない怠惰な私だったが、知らせは5月の頭に届いた。
私の大好きなおばちゃんが亡くなった。正確には私のばあさんの妹なのだが、子供がいなくて私もとてもかわいがってもらった。年末に帰ったときに一緒にデパートの地下で買い物をしてランチをした。それが最後になってしまった。
そしてそのまさに数日後に祖父が他界してしまった。
一番最初にゴードンに会ったときに「I AM MOTOKOS GRANDMOTHER,ウェルダン!」といってしまった彼、ばあさんになってしまった上にウエルカムではなくWELL DONEに焼いてしまった彼、さすがにお肉のばあさんの夫、愛すべきじいさんだったのだ。

※納豆ご飯もおいしですよ。
話はいきなり飛ぶが、私は小さなころ両親が離婚をした。母は必死で働いて私たち3姉妹を育ててくれた。家事にまで手が回らなかったのでよくじいさんとばあさんの世話になった。
それに加えて私は一時ストレスから生意気にもまだ子供だというのに1年間学校に行けないほど原因不明の病気になった。今思えばただのいやいや病だったのか、立てなくて微熱が続いて、コルセットもして、入院して、母やばあさんにものすごく世話をかけた。
そんな勝手な子供時代にじいさんばあさんの家にお世話になっていたときも多かった。
ある日、私が彼らと暮らしていたときに、ばあさんの具合が悪くなり入院が決まった。わたしはじいさんと二人になってしまい、じいさんはまったく一人でご飯を作れるような人ではないので、中学校で習ったばかりのハンバーグを作ったのだ。それがすごい出来で、「・・・・黒?炭?」としか形容できないような塊になってしまった。今でこそ料理は大好きだが、あのときの私にはシェフの才能のかけらもなかった、いや、主婦になるのも無理かと思われた。
張り切って作ったのになんじゃこりゃ、どうしよう、もうお米とお味噌汁はできてるのに・・・・と泣きたくなった。ばあさんはお料理がものすごく上手なので余計にあせり、本気で立ち尽くしてしまった。
そこに新聞を持ってじいさんが現れた。
「ほう!今日はモトコがご飯を作ってくれたのか。ありがたい、よしビール飲むか?」
(私このとき13歳)
「お、おじいちゃん、上手にできなかった。こんなのしかできなかった、ごめんね。無理して食べなくていいよ、病気になっちゃうよ。」
じいさんはフライパンの中をちらっとみて、顔色をぱっと明るくしていった。
「モダンなもの作ってくれたんだなあ、うまそうだ!」

※優しい人だった。おじいちゃん、ありがとう。
箸では切れないほど硬い黒焦げのハンバーグをじいさんは「うまい、うまい」と食べてくれた。お世辞にも本当においしいものではなかったのに。
不器用だけれど本当に立派な人だった、優しい人だった。
いつもばあさんのことが一番で、ばあさんが大好きで、私が子供のころはまだ銀行で働いていたので飲み歩く日も多かったが、リタイアしてからは毎日家で畑を耕し、スポーツ観戦をテレビやラジオでして、お気に入りの野球球団のスコアを毎年ゲームごとにきっちりつけ、読書をし、新聞を読む、ばあさんと晩酌をして、年始にはみんなの運勢をひ孫の分まできっちり調べる、そんなシンプルな人生を送っていた。
学校を終えていつもの坂をあがってばあさんの家に向かっていたら、竹刀を持ったばあさんがじいさんを追い掛け回しているところに遭遇したこともあった。一瞬喜劇かと思ったが、じいさんは必死で逃げていた。あれはなんだったのだろう。
ばあさんが入院中も私が学校帰りに毎日病院に寄るのをしっていて、「今日は床もぴかぴかに掃除したって伝えてな。」、「花にも水やったって伝えてくれな。」とにかく「一生懸命ばあさんのために家を守っている!」と必死でアピール、ばあさんはかなり血の気の多いそれはもう魅力的な性格でじいさんに対しても容赦がなかったが、じいさんはどんな攻撃にもいつもニコニコしていた。どんなことをいわれても、皿が飛んできても、めったに怒らなかった。
年末に夫と帰ったときに、「こんな正月、みんなが集まってくれるのは何年ぶりだろう、うれしいなあ。」
と上機嫌で迎えてくれて、昔みんなでよく集まったように懐かしい座敷の部屋でじいさんを上座に祝ったお正月、それが最後になってしまった。
隣に座ったゴードンが「ゆずこしょ、食べますか?」と差し出すと、それこそがっつり瓶から皿にとり、
「ひょう!これはうまいなあ!」と素っ頓狂な声を上げたっけ。

※じいさん、昔から何度も食べていると思うんだけれどね。ゆずこしょうね。
「ばあさんの秘蔵の酒が出てくるまで俺は今日は部屋に帰らないぞ!」
そう宣言して、ゴードンが「おさけ いかがですか。」と聞くと、
「本当はあんまり飲んだらいかんのだ、でももういっぱいだけ。」
それを延々と8回はリピートし、「ゴードン君、ばあさんの秘蔵の酒を一緒に飲もう。」と最後はだしにまで使われていた夫、「おじいさんは なんども いいました、はいもうこれでストップ、でも8回はおなじこといいました。」
「ひょう!この黒豆はうまいなあ、ばあさんのが一番うまいけれどこれもうまいなあ。」
妹たちががんばって作ってくれたおせち、いや、その黒豆はばあさんのを拝借しているんです、とてもいえませんが。

※無能な姉でもうしわけない。
本当に楽しかった、じいさんも楽しそうだった。
シンプルで、ばあさんが大好きで、何が人生で大事かしっかりわかっている、そんなやさしく立派な人だった。
今でも覚えている、春になると祖父母の家のあたりは桜のトンネルができて、ひらひらと花吹雪を散らせる甘い香りのその中を自転車で駆けぬけたこと、帰るとじいさんばあさんがギャーギャーやりあいながらも、そんな中でおいしいご飯をたっぷり食べたこと、酔っ払った二人がダンスをするのをげらげら笑ったこと、私の初婚の前の1年間は事情があって祖父母の家に住んでいた、最初の嫁入りもあそこから、あの桜が舞うやさしい家から行ったのだ。
私はイギリスに来て6年目、今まで散々愚痴を言って甘えてきたが、最近ようやくすべてを受け入れられるようになった。毎日同じことのくりかえし、天気は悪いし言葉も不自由、食べ物へのストレス、そんなことにぶーぶーいってきたが、どうでもよくなった。毎朝バラに水をやって、お庭でブルーベリーがかわいく実って、リスと一緒にジョギングして、普通に家事をして、お庭で本を読んで、無事に夫が帰ってきておいしいワインがあればそれ以上の幸せなんてないのではと思っている。
厳しく暗い冬もまたやってくるけれど、美しい夏もまたやってくる、爺さんのシンプルな生き方に私はものすごく色々なことを教えてもらった。
ゴードンは私と一緒に法要にも出てくれた。空港でごそごそしているので何かと思ったら、
「おじいさんにもおみやげいります、はいこれ。」
小さなお供えのウィスキーの瓶。
日本ではワンカップも買ってくれたっけ。
じいさん、ありがとう、私は今すごく幸せだからね。おばちゃんと酒盛りしていっぱい飲んでね。
帰国したときにじいさんの最後のグリーンピースを食べたよ。ゴードンも私もお豆が大好きだから本当においしかった、ありがとう。

※じいさんは農薬を使わずに手で虫を取っていたって、知らなかったよ。
妹が最後に教えてくれた。
「今年のじいちゃんからの年賀状にね、ラストって書いてあったの。ラストって一言。
わかっていたんじゃないかな。」
いつまでも、どこまでな偉大な祖父、おじいちゃんが大好きだよ!
今度は桜の時期に帰れるかな。


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こんなにおいしいなんてもうイギリスかえりません。
2013/05/23 Thu 18:05
最近ラップトップは2台壊し、カメラも壊し、携帯電話のチャージャーも壊し、夫いわく
「もちんはニューレコード作っています、こわすものキングです!」

★絶対に私のせいじゃないですが。
正確には「壊れ」と主張したい。
とにかくそんな不運に見舞われていたものだから、「もしかして何か憑いているのかも、か、体が重いかも、ひえー」
などとびくびくしながら目を開けたのだが、
そこにあったのは、なんであろう、「壷」
「壷」
「壷 ON THE BED」なのだ。
英語で書いてもさっぱりわからないこの状況、頭が回らずうーんとうなっていると、夫が部屋に大笑いしながら入ってきて、
「もちゃん、これみてみて!!」
手には今にも充電が切れそうな髭剃りシェーバー。
「おもしろいです、ひゅるーってなりました、この音、きいてください、ひゅるー。」
確かにへなへなと鈍い音で今にも止まりそう、うん、そうだね、それで?
「とまりますた!おもしろいぞう!またやります。」
いや、ぜんぜん普通、面白くない。そんなキャッキャいうようなイベントでもない。
シェーバーを持って小躍りしていた夫だがふとベッドに目を留めると、
「もちんと壷」
そうなのだ、そうなのである、この壷何?魔よけ?
「おもしろいですからおきました、起きてもちんびっくり、すげいよー。」
すげくない、ちっともすげくないぞ!

★このように、なんだか本当に31歳ですかって突っ込みたい毎日。
さて、私仕事でいろいろとばたばたしたり、ラップトップが壊れていたのもあって、前回の一時帰国からだいぶ時が経ってしまった上に、なにやら来月に緊急一時帰国することになりそうな我が家だが、忘れないように前回の思い出を書いておきたい。
それはもう満載で、突っ込みどころがいっぱいで、もうイギリスに帰って数ヶ月も経つのに降り立った中部国際空港のお話だけで今日も終わってしまいそうなのである。
以前ご紹介したように、夫も私も感涙に咽びながらセントレアについた。
私は日本人なので日本のパスポートがある。イギリスではいつもつっけんどんにされることが多いパスポートコントロールだが、ここは「おかえりなさい」といってもらえる私の祖国、日本。その言葉を聞くたびに涙が出るのだ。
しかし夫はここでも外国人である。
イギリスでは彼の場合オランダのパスポート保持なので、EUの法律によりパスポートチェックすらされないで素通りだが、日本では完全なる「外国人。」
私がさっさと入国審査を終えたというのに、彼はまだ列の途中である。その顔、
「はやく日本に入りたいんです。」
「むしろその柵飛び越えていいですか。
「だれかー、わたし、ぱちぱち男爵です、一瞬も惜しいんです、はやく走りたいです!」
頭の上に吹き出しが見えるように、彼の考えていることがわかる。わかった、わかったから、大人しくお願い。

★だってにほんもおうどんも大好き。
私は心配でゲートの外から見ていたが、以前のブログに書いたように、夫はやさしい入国審査の方に「日本語お上手ですね」とまでほめていただき、無事に日本入国を果たした。
「さあ、日本です!まず、はらへた。」
出た、うどん食べたいビーム。
でも今回は飛行機の中で言い含めてあったので、「えびふりゃあにしましょうね。」「はい、えびふりーにします。」と大人しく私についてきた。
その途中でも、「あ、あれ、カツどんです、うわ、卵も乗っています、私あれがいいです、親子丼とカツと、うわ、うわあああ。」
「あた、おうどんありますよ、もちんのうそつき、もちんは名古屋はきしめんだからおうどん空港にないっていいました、あそこ、あそこみて!ふわふわでおいしそ、テンプラも乗ってる、タベタインデス!!」
「あら、これわみたことがありません、まろまろのご飯?(雑炊だったが)これもおいしんです、ちょっとたべてみよっか?」
「やた!セントレアキットカットみつけました、ちょっとかってもいいですか?」
もう、ほんの数百メートルなのに、まったく進めない。
「まるは、まるはで食べるって一年待ったんだから!!メニューも全部チェックして飛行機の中でずっと考えていたんだから!今回はお願い、まるはあああ!!」

★それでもやっぱりお刺身も大好きなんだよね。
なんたって、イギリスでお刺身が食べたいと思ったら日系のお魚屋さんに行くか配達オーダーするか、日系レストランにいくか、それもとても割高なのでなかなか自分だけのために贅沢もできない。
たまーに発狂して、「もう無理!」と言うとき以外はめったに食べられない、いや、その回数も最近は在英6年目にして減ってきた気がする。
我慢するのに慣れたのか、諦めなのか、とにかくそんな状況で夢にまで見た新鮮なお刺身。
本気で夢にまで見た。
まるは食堂は小さなころ、まだ両親が離婚をする前に父とよく南知多に出かけていたころから知っているし、その後も祖母や母とよく訪れた。今でこそ大きなチェーンになってしまっているが、ぴちぴちのシャコを豪快にいただいた懐かしい記憶、あまり覚えていない小さなころの懐かしい思い出が垣間見える場所でもあるのだ。
えびフライは食べなくていいから、ここでお刺身を食べたい。
ずっとそう思っていた。
夫は外のメニューの写真をみて、「うわ、こんなにおおきなえびですか!」とすでにうどんを忘れた模様。
「すげいよー。すげいなー」と真っ赤になって喜んでいる彼を見て、「単純、いや、素直な人でよかった。」とつくづく思う悪どい自分。
「いらっしゃいませ!」
かわいい店員さんが信じられないくらいの笑顔でそう迎えてくださった。
「2名さまですか?」
はい、そういいかけた私をさえぎって夫
「はい、おねがいします、2名さまです!」

★さすが男爵、自分も様づけ。
念願の雪見酒もしました。
さすがに空港でいろいろな人を見ているのか、かわいい彼女は一瞬もひるまずに、
「はい、2名様ご来店です!いらっしゃいませー!」
彼女に続いて店内に行くと、お店のあちこちから「いらっしゃいませ!」「いらっしゃいませー!」
威勢のよい声が飛ぶ。
ああ、日本だ、やっぱり日本。もうそれだけで感動。みんな元気がよいし、サービスが本当に温かくてうれしい。
「お足元少し段差がありますからお気をつけくださいね。」
そういう彼女、えええ、そんなことロンドンで教えてくれるのは
はげしく開いた電車とプラットフォームの隙間、たまに私などは足が短いので、「ちょっと助けてよ!手を引っ張ってよ!」と大騒ぎしないと乗れないのではと錯覚してしまうほどの奈落のそこに落ちそうなあれ、
「MIND THE GAP」
そのくらいではなかろうか。

★ちょっと画像が見当たらないけれど、本当にこの電車魂抜けます。
ゴードンと私、もう入り口付近でこんなに感動してしまって、まだ空港から一歩も出ていない。この先大丈夫だろうか。
一年ぶりに帰って、私も在英歴が長くなるに連れて本当に自分がいちいち驚くことが多くなっているのに気づく。
お辞儀も美しいし、ものを渡すときの動作も指先まできれいだし、間違っても「ほらよ」ってレシピやおつりを投げたりしないし、ハンバーガーだけ頼んで「はーっ」ってため息つかれることもない。イギリスが悪いのではなく、日本が特別すごすぎる。
渡してくださったメニューを見たが、昔の私だったら「空港のご飯なのだから高くてそこそこでまあまあ。」などと生意気なことを思っていただろうに、今ではメニューを見ただけでかけ付けいっぱいビールが飲めそうだった。
「もちん、これ、これがいんです、おおきなえびひりーのてます、これは1ほん、2ほん、2ほんがいいです、に、に、にほん、やた、読めました。これ!これにする。」
そういって夫が指差したのは、3000円近くもする豪華なコース。
や、やめれ。
「ごーちゃん、まだ朝だからね?飛行機の中で散々機内食拒否したからおなかすいてるのはわかるけれど、朝だからね!これ、お刺身、煮魚、サラダ、茶碗むし、えびふらいとかいっぱいいっぱい付いてくるでしょう?断食した後にそんなに食べたらいかん!」
「いやだ、わたしたべる。」
そして、「すいましぇーん、ごちゅうもんおねげえしまーす」
自分で店員さんを呼ぶ始末、あ、また男爵、ご注文されるのね。
「はい、お伺いします!」
なんて、なんて、日本の女性の言葉遣いやしぐさ、かわいいんだ!
私がここでどきどきしてどうする。
さっと注文をとりにきてくださった彼女に夫が、
「こにちわ!わたしはこれをおねがいしま・・・・」
とデラックスなものを指差そうとしたので、
「すみません、これにしてやってください。エビフライ2本ついた定食で。私はお刺身の盛り合わせとサザエのおつくりとお味噌汁、ごはんください。」
「かしこまりました。」
「いやだぞう!!!!」
そこはさすがプロ、彼女はにこっと私の要求を聞いてくださると、「えびフライ定食お願いしますーー!サザエのおつくり、お刺身盛り合わせでーす!」
とキッチンに。
やった、勝った。
「・・・わたし、あれのあっちがたべたかったですよ、いぢわる!!」
ぶつぶついう夫、いいのだ、これから3週間もいられるのだから、いっぱいおいしいもの食べられるんだもの。
一年待った日本だもの、最初から飛ばしちゃもったいない。特別な特別な日本だからゆっくり味わおうよ。

★念願の白川郷にもいきました!いっぱいの雪を見ました!
実はこれを書いている現在、イギリスで日本のことをいつも以上に想っている。
5月に入り、とてもとても悲しいことが2回も重なった。遠い日本で大事な家族に最後のお別れをいえなくて、私はイギリスの空を見上げながら「ごめん、お見送りできなくてごめんよ。」と本当に祈った。
ここは明るく楽しいブログにしたいのでこれ以上は書かないけれど、改めて日本は遠い、自分は無力だ、勝手に海外に出て好き勝手しているのに、帰ったら「おかえり!もっちゃんの食べたいものいっぱい食べよう!」って、日本でがんばってそれぞれ暮らしている家族や友人に甘やかしてもらって。
それなのにこういうときには駆けつけられない、役に立てない、傍にいられない自分がとてもあほに思えた。
夫にとってもとても大切な家族なので彼もとても落ち込み、すぐにフライトのチェックをしてくれたのだが、そういうときでも私を気遣ってくれる家族は、「帰ってこなくていい。落ち着いてからでいい、命日は毎月やってくるのだから。」と言ってくれた。
私はイギリスでそんな家族や友人の優しさに支えられて、夫の優しさに支えられてワンワンないた。

★日本で一緒にスコーンもつくりました。
元気がなかった私に夫はうどんやらいろいろなご飯を作ってくれた。
「きょうわ まろまろ うどんです。」
「きょうわ おすし もてかえります。」
「あしたわ もちんの好きな スコーンつくります。」
「さあ、きょうわ やきうどん つくる べんきょうしました。こにゃくも かいました!」
「たぶんわたし、しいたけのごはんつくるできます、お味噌汁もつくります。」
散々甘やかされてそれでもおばかな私はメソメソとしていたのだが、ある朝起きてみると、家族の写真の前にきれいな白いバラが飾ってあった。
夫だとすぐにわかった。
お礼を言うと、「お庭できれいに咲いていましたよ!イギリスのお庭をみせてあげたいんです。もちんのお花が元気がないです、ちょっとかわいそうねー。」
あんなに切花が嫌いな人だったのに、お花をお供えしてくれたんだ。
私、あほすぎる、なにやってんだろう、もう「いかんぞう」
久々に見たイギリスの空はグレーだったけれど、とてもきれいだった。

★お肉のおばあさんがこんなにたくさんゆずこしょう持たせてくれました。
さて、男爵が頼んだえびふりゃー定食はどうであったか。
私が手を洗いにいって帰ってくると、ビールが2杯。
「あの、これ、なんですか?」
「びるですよ?」
「いつ頼んだの!」
「わたしの にほんご わるくないね、えへへ。」
どうやら自分で頼んだらしい。機内で死んだようにすべてを拒んでいたのは別人か?

★そうね、別人ね。
「お待たせしました!」
そういってやってきたエビフライ定食に夫は、
「ぎゃー、すげいよ!」
本当に、それ以上のリアクションをした。「えびがピカピカ!!!」
いや、私も人事ではなかった、自分のお刺身をみて、ホカホカご飯を見て、サザエのうろをみて、本当に失神しそうになった。むしろお刺身のつまと大葉だけで1杯目のご飯が食べられる、そう思った。
私はあまりに自分のことに夢中で夫のことを気遣ってあげられなかったので、彼が「あついあついあつ!!」とホクホクのえびふらいにやけどをしそうになって思い出した。
そうだ、私たち日本にいるんだ。熱々のホクホクのカリカリの、こんなにおいしいお料理が出てくる日本に帰ってきてるんだ。
「これわ たいへん おいしいです、おいしすぎます、もうわたし イギリスにかえりません。」
夫は普段揚げ物はあまり好まないのだが、日本では思い切り食べた。テンプラ、とんかつ、中でもお母さんに連れて行ってもらったおうどんやさんの、「カレーかつうどん」という、彼の大好きなものがぎっしり詰まったお料理には、「もうこれわやばいがん。」と涙を浮かべながら食べていた。
前回までは「和食」と思っていた私も、日本では何でもとにかくおいしいのだと気づいた今回、ココイチのカレーも食べに行った。昔だったら「時間がないときにしょうがないかあ。」などとうぬぼれた頭でせっかくのお料理をいただいていたが、今回食べたらびっくりするほどおいしくて、夫が帰った後も一人で食べに行ってしまった。
夫も「こ、これわ!」と次からは大盛りを頼んでいたっけ。
そんな私たちの旅の始まりだったセントレアのまるは食堂で、私はそっとサザエをつまんだ。口に入れた。心に、体に、すべてに染み渡るおいしさだった。小さなころに家族といった海を思い出した、民宿を思い出した。
人には帰る場所が必要なのだと思った。イギリスで二人で生活をしていく毎日もとても大切だけれど、一年に一度くらいこうして心からリラックスしてもいいのではないか、安心してもいいのではないか、そう思った。
南アに夫の帰る場所はなく、彼にも私にとっても日本が帰る場所、愛する人、愛するものがいっぱいある場所、
「もちん、おいしいですか。」
「うん、すごくすごくおいしい、懐かしい。」
「ただいまですね。」
「ただいまですよ。」

★日本のお正月は凛としてすばらしかたです。
こうして私たち、本当に一日目からとてもとても幸せにすごさせてもらった。この後の長いエピソードを終わる前に来月日本に帰るかもしれないけれど、そのときはニコニコ笑って元気に二人で名古屋にまた降り立とうと思う。
日本のみんな、イギリスのみんな、世界中の私たちとつながってくださっているみんな、本当にありがとう。
私たちは今日もイギリスで平和に暮らしています、笑ってにこにこしています、皆さんもお元気で!
★お知らせ★
スコーンの作り方の動画を男爵が日本語で紹介してくれた動画、早めにYOUTUBEにアップします。
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南ア人の豪快な味噌汁の作り方


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雪に喜ぶ南ア人。
2013/05/07 Tue 23:01
私何か怪しい電波が出ているのだろうか。
いっぱい日本の帰国の思い出をお届けしたいのに、写真もアップできないままぱちぱち男爵のPCをかりているのだが、「もちんが触ると壊れるからいやだぞう」
皆様ごめんなさい、後数日で修理に出したPCが返ってくるはず、返ってきてください、そしたらブログをアップしますので、それまでこの動画などでもよろしければお楽しみください。
犬か?と突っ込みたくなるはず。
「雪に喜ぶ南ア人。」※YOUTUBEにリンクしています。

☆おかさんがくれた日本のふわふわ毛布が大好きです。


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南アのおじいちゃんありがとう、さようなら。
2013/02/22 Fri 21:04

はじめに、今回のブログはしつこく長いです。とても悲しくて大変なことが起きました。大事に書きたいのでずっと迷っていました。長くて読みづらいかと思いますが、私たちと共有してもらえたら嬉しいです。

☆懐かしい南アのおうちです。
夫が南アではじめて「おぎゃあ」とこの世に生を受けたとき、みんなが笑顔になった。
「私はまだ30代だからね、おばあちゃんになるなんて嫌よおおお!!」と、初めはものすごく「ぶすー」していたリン(ゴードンのお母さんの義母。)ですら、彼が生まれた瞬間に「どたどたどた」と真っ先に病院に駆けつけ、
「信じられないわ、なんてゴージャスなの!!!」と、でれーとしていたという。
そしてゴードンはおじいちゃんである「グランパ スチュワート」から、その大切な彼の名前をミドルネームとしてもらった。ゴードンのお父さんヨハネスは、「ヨハネスがいい!」と必死であったが、母であるミシェルをはじめ親戚含めたみんなが「いやだ、ハンスなんて絶対に変。」と却下して猛反対した。妻にも反対されたハンスは今でもそれを根に持っている。

☆ハンス、ごめんね。
グラム家の初めてのかわいいかわいい初孫、それが夫だったのである。
彼の両親はとても厳しかった。欲しい物があるといえば「働いて買いなさい!」
一生懸命庭師のお手伝いをしたり、ハンスの銃弾をつめたり作るのを手伝ったりして大好きなお菓子は買っていた。
それでもものすごく欲しい物ができてしまったのだ。それがファミコン。
高圧電流の通る柵に囲まれたたった9個しか家のない村で育った彼が、ファミコンを友人の家で見たその衝撃はすごかったと思う。
世界中を旅できて、ダンジョンで冒険できて、夢のようなことがあの小さなボックスさえあればできるんだ!
「グランパ、お願いです、お金を働いて絶対に返すから買ってください!」ゴードンは泣いた。
そしてクリスマスを迎えるころでもあったので、ファーザークリスマスに手紙も書いた。ちゃんと玄関にビスケットも置いて、念のため枕元や暖炉にも置いたが、一個は弟にこっそり食べられてしまった。

☆この日だけはファーザーが困るといけないので警報システムをきってくれと泣いたんだよね。
そしてクリスマスの日、
「グランパ!ファーザークリスマスが来た!ビスケットも食べてくれたよ!」
ほっぺを真っ赤にしながら飛びついてグランパに抱きつくゴードン、クリスマスツリーの下にはファミコンと、興奮してあわてたあまりびりびりになってしまったラッピングの包み紙があった。
「そうかそうか、それはよかったね。おじいちゃんはうっかり仕事が忙しくてプレゼントを買えなかったんだ。おばあちゃんはたっぷり用意したらしいね、悪かったね、これでゲームソフトでも買ってくれないかな、ソーリー ゴードン。」
誰もファーザーがファミコンをプレゼントしてくれるなんて知らなかったから、ゴードンはゲームソフトがないに決まっているのだ。おじいちゃんは本当に思慮深く優しい人だった。
時は流れて、南アの政治情勢で白人が仕事を得るのがだんだんと難しくなっていった。ゴードンはファミコンに出会って以来パソコンやゲームの世界で働く以外に道は考えられないと思っていたので、とうとうある日、17歳の時に南アを飛び出した。
初めてのフライト、知らない土地、どんなに怖かっただろう。
大好きなキリンさん、雄大な自然にもお別れをしたのだ。

☆さよならアフリカ。
オランダではパソコンの修理を手伝い、部品を売った。イギリスにきてからはゲームテスターとして必死に働いた。それしかできることがなかった。ドミトリー部屋でうずくまりながら、南アに帰りたいとめそめそしながらもチケットを買うお金がなかったのだ。
それでも彼は必死に働いた。ファーストエンジニアになり、セカンドエンジニアになり、気がついたら少しだけのお金が手元にあった。もうこのまま南アに帰ろうか、ふと思った彼だったが、
「いや、ちがい!!!日本にいくぞ!」
そうなのだ。彼の憧れの国、ファミコンの生まれた日本。

世界中のどこよりもいきたかった。夢中で写真を撮った。自動販売機、秋葉原のメイドさん、新幹線、チキンカレー、ゲームセンター、電化製品のお店、池に泳ぐ鯉に亀、にこにこの可愛いおじいさんおばあさんたち。
「すげいよー!」
彼はすっかり日本に惹かれてしまい、その瞬間から「もうぜったいにぜったいにイギリスでがんばる、お金をためて、夢の日本に住むんだ!」と決めた。南アに帰ることはこのときにすっかり諦めた。

☆子供みたいです、今でも子供だけど。
「人間は夢があると強くなれる」夫は今でもそういうけれど、まさに日本が夢をくれた。
夢中で働いて働いて数年、ファミコンとの出会いのおかげでITのサードエンジニアになり、気がつけば日本人の妻に出会い、酒癖悪く暴れる妻に手を焼きながらも二人で暮らして5年目、南アをバッグ一つで飛び出してから13年もたっていた。いったい何度日本を訪れたことだろう。
なんせ9年も南アに帰っていなかった彼、どこにいくでも車に銃を積んで出かけなければいけない彼の遠いふるさとに比べて、公園のベンチで肉まんを食べながら子供達が遊ぶのを見られる日本は彼にとって「心が休まる大事な、帰れる場所、居場所がある故郷、大好きな人たちが待っていてくれる国」に変わっていったのだ。
そして2012年の年末、私たちは又々日本にびゅんっと飛んだ。ヘルシンキはマイナス30度で空港内でもなんだか寒かったが、夫は嬉しさのあまり「ビール飲む!ビールのみましょう、酔っ払って寝たらさっさと時間が過ぎますから、寝たら日本ですよ!」と、やたらに飲んだくれデレデレになることを切望していた。
だが、「それならワイン1杯付き合うわ」と私が頼んだワインに「15ユーロです」とさらっと言われたので、「わ、わいんが一杯2000円以上だって、かんのこが2本買えますよ、もちん、日本まで待ちましょう、あ、飛行機に早く乗ればいい。そしたらタダ。やったー。」
と、さすがオランダ家系ならではのけち精神を発揮して、「空港内では私は空気です。」と、無心になってひたすら待つことを決めたらしい。「しずかーにしますから。話しかけないでね!」息をしているのか不安になるくらい、仙人のように動かずにいるのには参った。
今回はセントレア空港に飛んだので、すぐに家族に会える、そういうわくわく感も嬉しさもあった。飛行機に乗った夫は、
「まだヘルシンキからちっともとおくないです。うごくしません!」
「まだロシアのうえ、歩いたほうが速いです!」
「あああ、なんですごく遠いです、もう悲しすぎます。」
「じぇったいにうごくしません、日本までまだ15センチくらいある!(画面を指差して)おなかすいたです!!」
そうぼやきながら、キャビンアテンダントさんが勧めてくれるお料理にも一切手をつけず、
「やっぱりお酒やめます。日本についたらすぐにしょちゅう飲みますから、待ちます!」
とあほなこというので、それならばと夫のワインも奪い取り、私はがーがー寝てしまった。だが、数時間後にふと目が覚めて夫を見ると、「じぇんじぇん遅いです。歩いたほうが速いです、うきー!」と、まったく同じことを言っているのだ。
かかわるのが面倒なので、私はぐっすりとまさに次の朝食がサーブされるまで寝てしまった。

☆だって、日本のご飯おいしですよ。
「もちん、おきて、おきてくだせえ!」
そう夫にガシガシ揺り動かされていやいやーに起きると、サービスされる朝食を「いやだ!」と相変わらず拒否しながら、夫が飛行スクリーンを指差し大騒ぎしていた。
「みえた、名古屋が見えたがん!!」
ものすごーい端っこの画面に、日本が見えた。
涙ぐむ夫。
日本人のキャビンアテンダントさんがタイミング良く「tea?」と聞いてくれたのだが、夫は感激極まっていたので、
「もすぐにほんですから、かんのこまちます!のどかわくありません!けっこうです!」
と元気に答えてしまい私を赤面させつつ、
「もすぐにほんだがん!はやくはやく!」
と騒がしいので、
「ねえ、もしかして、これずーーーっとみて7時間過ごしたとか言わないでね?」
「はい、みてました。」
私は本当に、古い表現だがそこでずっこけた。それ以外の表現が見つからないのだから仕方がない。
「でもビータであそぶもしました。忙しかったです!」
「あほか!」
そしてまた、前回と同じく何も食べていないのでふらふらな夫、「うどん、うどん。」と涙ぐんでブツブツ唱える姿が怖すぎる。
あかん、また負ける。
負けてしまう。
「ねえ、またおうどん食べるんですか?一番におうどん食べたいんですか?」
「はい、ねぎ塩鳥うどんおねがいします。」
「ごーちゃん、中部国際空港にはねえ、おうどんはないよ!(嘘)だって名古屋はきしめんだもん。味噌煮込みだもん。」
「それは案外だがん。。。どうする。。」
「エビフライ食べたら?大きなえびがあるよ。かりっとフライでおいしいのよ。」
「でもおうどんわ!」
「いつでも後で食べられるよ。えびふりゃあとビール、ほかほかのご飯おいしいよおおお。」
「うん、えびふりーたべる。それにしる。わたしえびふりーする。」
(やった。勝ち)

☆その後もあの手この手で勝ちました。
懐かしい愛知に飛行機は到着し、私もゴードンもやっぱり涙を抑えられず、またもやわあわあ泣きながら、パスポートコントロールへ。私は日本国籍なのでパスポートを見ると「おかえりなさい」といつも言ってもらえる。その言葉にまた涙が出る。しかも窓口がほぼ全部きちんと機能していて、ものすごく早くみんなが通り過ぎていく。
う、美しい、すばらしい!
夫は外国人なので、彼のは少し時間がかかった。心配なので出口で首を長く「にゅー」と見ていると、夫の番が来た。
「こにちわ!げんきですか!」
入国審査官にものすごい大声で、まるでアントニオ猪木のように挨拶するものだから私はまたもやひっくり返った。緊張しているのと嬉しいのはわかるけれど、声がでかい、夫よ。
「わたしのおくさん にほんじんです。かぞくにあいにきました。あそこでまってます。」
入国審査官の方のお顔は見えなかったが、なにやら朗らかに話をしているようでホッとした。
うきうきっとした夫が出てきて「やた、日本語じょうずですねってほめてもらいました、わたしおくさんちがい、家内でしたすみませんといいました。どうして日本来ましたか聞かれたから、かぞくにあいに、うどんも大好きですって言いました。そしたらじょうずですねって、やた!」
「おうちにかえりました、ただいま日本!!さあ、いきますいお、えびふりーと家族とおともだちの時間です!」

☆そう、かぞく、友人、1年ぶりのエビフリーの時間です!
あまりに長くなるので個々のエピソードはまた追ってご紹介したいと思うが、彼は本当に温かくみなに迎えてもらい、甘やかしてもらい、幸せなときをすごした。
クリスマスには寒空なのに、「ゴードンがブライが好きだから。」とブライをしてくれた家族、やきそば番長になってくれた友人、「ハッピータンは幸せの魔法の粉でハイになれるのよ!」とお土産をくれた友達、

☆キャサリン妃みたいな人もいましたね。ブライのクリスマスは13年ぶりです。
かわいい姪のクリスマス会では「写真とってください!」、「はろー」といろいろな人に声をかけてもらい、
「南ア人だからわたしめずらしです。みんなありがとう!」とテレながらも大喜び。

ロンドン時代の懐かしい友人にもあって、彼の町を案内してもらい、

☆生きていました。びっくりしました。
嬉しさのあまり酔っ払って、
「日本が大好きなんです!だれかいませんかー!わたしわうれしんですー、はい、もうイギリスかえりませんよ。」

☆すごい迷惑な人だったかしら。
大好きな大好きなばあちゃんじいちゃんにも会って、いっぱいのお友達にもこれから会えて、もう最高に幸せだったのだ。

☆おばさんのマッサージはすげいなー。
そんな幸せな中、お正月を迎え、厳かでそれでも喜びにあふれた新年を満喫していた夫の下に電話が入った。
南アのおばあちゃんからであった。呼び出し人におばあちゃんの名前を確認した夫は、滅多に電話などしないおばあちゃんからの電話に何かを感じたのであろう、「もちん、おばあさんから、リンからです。」そう静かに私に告げた。
実は夫のおじいちゃんはここ数年ずっと癌と戦っていた。特にその数ヶ月前くらいからはとてもとても悪かった。
夫はお見舞いに行きたいとずっと行っていたが、二人ともパスポートをイギリスの移民局に預けてあったので、機会を失っていた。
「そうですか。」
私はそれしかいえなかった。
夫は「ハロー、グランマ、どうしてる?」
そう普通に電話を取ったが、「うん、そうか、うん、わかった。」そういいながらその顔はどんどん真っ白になっていった。
「おばあちゃん、ソーリー、どうか体に気をつけて、本当にごめんね。」
消え入るような声でそう電話を終えると、電話を手に持ったまましばらく動かずに窓の外を見ているようだった。
私は夫の様子がとても普通ではないので、何があったかを悟ってはいたけれど、とても声をかけれずに二人でどのくらい無言でいただろうか、ふと夫を見ると窓の外を見て泣いていた。
「グランパが 死んだ。」
とてもとても小さな声で、「he passed away」
そして、「南アはとても、とても遠いね。」

彼が生まれた日から続けて弟、妹と飾られた3人の記念のプレートを見上げながら、南アを訪れた私に「私のゴージャスな孫たち、私の宝物だ。ゴードンが君のような優しい日本のお嬢さんと結婚してくれて本当に嬉しい、ありがとう。」といってくれたあの日の、おじいちゃんの誇らしげな顔を私も今でも忘れられない。
南アを訪れたのはたったの一度で、それも数回しかお会いできなかったけれど、とても静かな人でいつもニコニコしていた。
くるっと窓に背を向けベッドにうつぶせになったゴードンに私は言った。
「偉大な人だったね。今は平穏の中でようやく休まれていると思うよ。」
夫はじーとしていたが、「うん、そうなんだ。やっぱり俺のグランパはなんでもわかっているんだ、あの日ファミコンをプレゼントしてくれたときから、ずっと何でも分かってるんだ。」
むくっと起き上がると、
「今こうして日本にいる。明日もあさっても日本にいて、大好きな家族に会える、友達に会える。一人じゃないって心から思える一年に一度の時なんだ。365日ある中で、グランパは俺が大好きな日本にいるこの時に逝った。彼は何でもわかっているんだ。」
そういうと、子供のように泣き出した。
「南アに帰ってあげれなかった。」
「大丈夫よ。」
「一人で逝かせてしまった。」
「リンもノエルもいたわ、ダリルもいた。」
「死ぬってどういうことなのか、グランパは寂しくないのか。」
「人はあなたが忘れない限り、あなたの心にずっと、あなたとともに生きるから。今は難しいかもしれないけれど、おじいちゃんは決してごーちゃんが苦しんだり自分を責めるのを望んでいない、ありがとうおじいちゃんって、私は元気で日本でニコニコです、愛している人に愛されて囲まれていますって、心配しないでくださいって、祈って教えてあげてください。それがあなたがおじいちゃんにして差し上げられる一番のことだから。」
夫はしばらくわんわん泣いていたが、私はずっとその間背中をさすっていた。それしかできなかった。
言葉で言うのは簡単でも、受け入れていくのは本当に難しいのだ、分かっているから余計に辛かった。

☆ひとりじゃないですよ。
夫は本当にすっかり落ち込んでいたが、それでもその後少しずつ家族や友人のさりげない優しさに笑顔を取り戻していった。誰も「私の胸に飛び込んで泣いていいのよ!」なんて言わなかったけれど、いつもそばに誰かがいてくれて、彼は本当に救われたと思う。
一緒に姪や妹とスコーンを作ったり、憧れだった白川郷にいったり、あっという間に時間は過ぎていったけれど、夫は本当に今回も日本に助けてもらった。
帰りのフライトの日が近づくにつれてまた元気はなくなっていたけれど、それでもきっとみんなとの思い出を胸に、またイギリスでがんばるんだろうと心配はしていなかった。

☆その後も旅を続けましたね。
私のほうがイギリスに帰る日が遅かったため、しばらく夫はロンドンに独りでいたのだが、ある日朝起きたら夫からメールが来ていた。
「毎日グランパのことを考えて、ありがとうって思う。もちんがいったことは、本当だと思う。彼との思い出をめぐることはたまに辛いけれど、それでも温かく幸せなことだと思う。ただひとつ後悔していることはね、
約束を果たせなかった。彼にファミコンのお金を払えなかったよ。」
あの日のファーザークリスマスが誰だったのか、大人になってそれに気づいても、愛する人にありがとうを言えるチャンスはもうないのかもしれないのだ。人生は短く、文句や愚痴を言っている間にどんどん流れていく。
だから、私もゴードンとここイギリスで、大事な人を思いながら、愛しながら、余計なことにとらわれずに温かく生きていきたいと思う。ものすごく元気じゃなくても、落ち込む日があっても、人を愛して思う心があれば自分はとても温かくなれるのだ。
今ゴードンは桜をみるのを楽しみに、必死でまたお金をためている。一生懸命働いて生き生きして、彼が日本への愛を持って温かな気持ちですごせていることに、それを与えてくれる日本のみんなに本当に感謝している。
金銭的にはとても厳しいので、私がいけなかったとしても、彼には桜を見せてあげたい。
そのときは皆さん、迷子の男爵がいたら、どうぞ手を差し伸べてくださいね、よろしくお願いします。
私たちはロンドンで今日も元気です。皆さんもお元気で。
南アのおじいちゃん、どうもありがとう、さようなら、安らかに眠ってください。
ゴードンは私と家族と友達と、にこにこですから、心配しないでください。
追伸:夫は頑固者で自分が日本と同じく南アを愛しているのを認めようとしません。帰りたいのに帰らない、意固地になっているんです。その彼が今日、南アに帰ろうかと言い出しました。まだ未定だけれど夏にはおじいちゃんのお墓にご挨拶とおまいりに行くかと思います。
これもおじいちゃんがくれた温かいプレゼントのひとつで、お導きだと思っています。ありがとう、おじいちゃん。


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