ばあさん一筋60年
2013/08/17 Sat 14:46
「つまん!」
いったい何がつまらないのかと聞くと、「じぇんじぇん好きじゃない、うれしくないんデスよっ!」
※そういいながらも帰ったら必ず真っ先にあけるお菓子の棚、キョロちゃん食べて「さあ、おうちの時間です!」
お菓子モンスター。
ココナッツサブレやアーモンドチョコをあれこれがさがさしながら、「きょう、会社の人わたしのところにきました、そのひと日本にホリデーで行きました、そして日本が大好きになっちゃった、住みたいといてます。いかんだぞう!」
お猿さんに続き、さらなるライバル出現か?
「わたしの会社で無料の日本語のクラスあります、それに通ういいました。いかん!無理だぞう!!!」
「わたしみんなが日本好きうれし、でも私も住みたいんです、ぺらぺらになりたいんです、みなよりはやくすみたいんです、はい、がんばって勉強する、両手に花、にんにくトレーニング、今日から英語はなしません。」
それではどうやっても会社の人とコミュニケートできないと思うので困るのだが、そうやってぶーぶー鼻息荒く怒っているのだ。ライバル視して子供だな。しかも筋肉トレーニングだよ、にんにくじゃないよ。
夫いわく、奥さんが日本人だというと、
「すげえ、日本に行きたい。」
「日本に行きたいって前から思ってるんだけれど遠いよね。」
「日本に行ったことある、いつか住みたい!」
行きたいならお金をためて、日本語勉強してください。あまりに同じことばかりいわれるのであっさりそう返しているのだとか。中には、
「日本に行ったけれどご飯は高くて食べられるものはほとんどなかった。」
などという人もいて、「いったいどこで何を食べたらそんなことがいえるんだ?」とがっくり夫がきくと、
「マクドナルド」
「ホテルの中のレストラン」
「イングリッシュパブ」
なんで?居酒屋は?吉野家は?ラーメンは?ココイチは?そういう夫にみないっせいに
「だって英語が通じないしメニューが読めないから。」
「えーーー・・・もったいない。」
※私のしゅみは映画とゲームとお庭とうどんです。
夫なりにかなりのこだわりを持って日本を愛しているのだ。昔ローリング・ストーンズがすきっていうと、本気のストーンズファンに「お前はミックのことをどこまで理解しているのか!」と怒られたのを思い出す感じである。
そんな夫も私も愛する日本で年末は幸せなひと時を過ごし、私はその後も夫だけロンドンに送り返し日本で好きなものをたらふく食べて、飲んで、スーパー銭湯に行きだらーと幸せに心も体もふやけ体重3キロ増やしてイギリスに帰ってきたのが2月の頭。
まだ日本からの幸せな日々、写真の整理も何もしていない怠惰な私だったが、知らせは5月の頭に届いた。
私の大好きなおばちゃんが亡くなった。正確には私のばあさんの妹なのだが、子供がいなくて私もとてもかわいがってもらった。年末に帰ったときに一緒にデパートの地下で買い物をしてランチをした。それが最後になってしまった。
そしてそのまさに数日後に祖父が他界してしまった。
一番最初にゴードンに会ったときに「I AM MOTOKOS GRANDMOTHER,ウェルダン!」といってしまった彼、ばあさんになってしまった上にウエルカムではなくWELL DONEに焼いてしまった彼、さすがにお肉のばあさんの夫、愛すべきじいさんだったのだ。
※納豆ご飯もおいしですよ。
話はいきなり飛ぶが、私は小さなころ両親が離婚をした。母は必死で働いて私たち3姉妹を育ててくれた。家事にまで手が回らなかったのでよくじいさんとばあさんの世話になった。
それに加えて私は一時ストレスから生意気にもまだ子供だというのに1年間学校に行けないほど原因不明の病気になった。今思えばただのいやいや病だったのか、立てなくて微熱が続いて、コルセットもして、入院して、母やばあさんにものすごく世話をかけた。
そんな勝手な子供時代にじいさんばあさんの家にお世話になっていたときも多かった。
ある日、私が彼らと暮らしていたときに、ばあさんの具合が悪くなり入院が決まった。わたしはじいさんと二人になってしまい、じいさんはまったく一人でご飯を作れるような人ではないので、中学校で習ったばかりのハンバーグを作ったのだ。それがすごい出来で、「・・・・黒?炭?」としか形容できないような塊になってしまった。今でこそ料理は大好きだが、あのときの私にはシェフの才能のかけらもなかった、いや、主婦になるのも無理かと思われた。
張り切って作ったのになんじゃこりゃ、どうしよう、もうお米とお味噌汁はできてるのに・・・・と泣きたくなった。ばあさんはお料理がものすごく上手なので余計にあせり、本気で立ち尽くしてしまった。
そこに新聞を持ってじいさんが現れた。
「ほう!今日はモトコがご飯を作ってくれたのか。ありがたい、よしビール飲むか?」
(私このとき13歳)
「お、おじいちゃん、上手にできなかった。こんなのしかできなかった、ごめんね。無理して食べなくていいよ、病気になっちゃうよ。」
じいさんはフライパンの中をちらっとみて、顔色をぱっと明るくしていった。
「モダンなもの作ってくれたんだなあ、うまそうだ!」
※優しい人だった。おじいちゃん、ありがとう。
箸では切れないほど硬い黒焦げのハンバーグをじいさんは「うまい、うまい」と食べてくれた。お世辞にも本当においしいものではなかったのに。
不器用だけれど本当に立派な人だった、優しい人だった。
いつもばあさんのことが一番で、ばあさんが大好きで、私が子供のころはまだ銀行で働いていたので飲み歩く日も多かったが、リタイアしてからは毎日家で畑を耕し、スポーツ観戦をテレビやラジオでして、お気に入りの野球球団のスコアを毎年ゲームごとにきっちりつけ、読書をし、新聞を読む、ばあさんと晩酌をして、年始にはみんなの運勢をひ孫の分まできっちり調べる、そんなシンプルな人生を送っていた。
学校を終えていつもの坂をあがってばあさんの家に向かっていたら、竹刀を持ったばあさんがじいさんを追い掛け回しているところに遭遇したこともあった。一瞬喜劇かと思ったが、じいさんは必死で逃げていた。あれはなんだったのだろう。
ばあさんが入院中も私が学校帰りに毎日病院に寄るのをしっていて、「今日は床もぴかぴかに掃除したって伝えてな。」、「花にも水やったって伝えてくれな。」とにかく「一生懸命ばあさんのために家を守っている!」と必死でアピール、ばあさんはかなり血の気の多いそれはもう魅力的な性格でじいさんに対しても容赦がなかったが、じいさんはどんな攻撃にもいつもニコニコしていた。どんなことをいわれても、皿が飛んできても、めったに怒らなかった。
年末に夫と帰ったときに、「こんな正月、みんなが集まってくれるのは何年ぶりだろう、うれしいなあ。」
と上機嫌で迎えてくれて、昔みんなでよく集まったように懐かしい座敷の部屋でじいさんを上座に祝ったお正月、それが最後になってしまった。
隣に座ったゴードンが「ゆずこしょ、食べますか?」と差し出すと、それこそがっつり瓶から皿にとり、
「ひょう!これはうまいなあ!」と素っ頓狂な声を上げたっけ。
※じいさん、昔から何度も食べていると思うんだけれどね。ゆずこしょうね。
「ばあさんの秘蔵の酒が出てくるまで俺は今日は部屋に帰らないぞ!」
そう宣言して、ゴードンが「おさけ いかがですか。」と聞くと、
「本当はあんまり飲んだらいかんのだ、でももういっぱいだけ。」
それを延々と8回はリピートし、「ゴードン君、ばあさんの秘蔵の酒を一緒に飲もう。」と最後はだしにまで使われていた夫、「おじいさんは なんども いいました、はいもうこれでストップ、でも8回はおなじこといいました。」
「ひょう!この黒豆はうまいなあ、ばあさんのが一番うまいけれどこれもうまいなあ。」
妹たちががんばって作ってくれたおせち、いや、その黒豆はばあさんのを拝借しているんです、とてもいえませんが。
※無能な姉でもうしわけない。
本当に楽しかった、じいさんも楽しそうだった。
シンプルで、ばあさんが大好きで、何が人生で大事かしっかりわかっている、そんなやさしく立派な人だった。
今でも覚えている、春になると祖父母の家のあたりは桜のトンネルができて、ひらひらと花吹雪を散らせる甘い香りのその中を自転車で駆けぬけたこと、帰るとじいさんばあさんがギャーギャーやりあいながらも、そんな中でおいしいご飯をたっぷり食べたこと、酔っ払った二人がダンスをするのをげらげら笑ったこと、私の初婚の前の1年間は事情があって祖父母の家に住んでいた、最初の嫁入りもあそこから、あの桜が舞うやさしい家から行ったのだ。
私はイギリスに来て6年目、今まで散々愚痴を言って甘えてきたが、最近ようやくすべてを受け入れられるようになった。毎日同じことのくりかえし、天気は悪いし言葉も不自由、食べ物へのストレス、そんなことにぶーぶーいってきたが、どうでもよくなった。毎朝バラに水をやって、お庭でブルーベリーがかわいく実って、リスと一緒にジョギングして、普通に家事をして、お庭で本を読んで、無事に夫が帰ってきておいしいワインがあればそれ以上の幸せなんてないのではと思っている。
厳しく暗い冬もまたやってくるけれど、美しい夏もまたやってくる、爺さんのシンプルな生き方に私はものすごく色々なことを教えてもらった。
ゴードンは私と一緒に法要にも出てくれた。空港でごそごそしているので何かと思ったら、
「おじいさんにもおみやげいります、はいこれ。」
小さなお供えのウィスキーの瓶。
日本ではワンカップも買ってくれたっけ。
じいさん、ありがとう、私は今すごく幸せだからね。おばちゃんと酒盛りしていっぱい飲んでね。
帰国したときにじいさんの最後のグリーンピースを食べたよ。ゴードンも私もお豆が大好きだから本当においしかった、ありがとう。
※じいさんは農薬を使わずに手で虫を取っていたって、知らなかったよ。
妹が最後に教えてくれた。
「今年のじいちゃんからの年賀状にね、ラストって書いてあったの。ラストって一言。
わかっていたんじゃないかな。」
いつまでも、どこまでな偉大な祖父、おじいちゃんが大好きだよ!
今度は桜の時期に帰れるかな。
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