ご縁のあった人たち

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2025年2月19日 (水)

現在に活きる専門家

現在社会は

情報独占の優位は難しい

状態になっている。つまり、ネット社会、特にSNSの普及は、色々な立場からの発言が、多くの人に触れるようになっている。

従って

専門家の立場が弱い

と言う状況もでている。

私はこの問題も

昭和の発想での専門家の凋落

があると思っている。昭和の時代なら

原書が輸入されたらそれを買い占め
身内をアメリカ留学させそこで得た情報を日本で発表

などで

学会の大家

と言う地位を守った「大先生」もいた。今時これは通用しない。英語が出来れば、アメリカの大学の講義録など直接見ることが出来る。

さて、ここで

専門家の値打ち

はどのように示すべきだろう。

一つの切り口は

専門知識と現実の対応
専門知識の成立条件を知り適切に適用

がある。もう一つは

厳密思考の方法論を見せ
ここまで検討するから専門家

と言う値打ちを示す方法である。

両者には

科学哲学による議論基底

が必要だと思う。

2025年2月12日 (水)

オールド・メディアの凋落とトランプ勝利

昨日の
「法の支配」の押しつけ弊害: 勉強の方法補充
に関連して、兵庫県知事選挙などで見た

オールド・メディアの凋落

の一つの理由が見えてきた。

つまり

自己の理念の押しつけ
高尚な思考力を持つという思い上がり

現実を見ない

傾向が、オールドメディアにあるのではないか。今回はリベラル側の発言だったが、保守系でも、故人となったがY新聞のW主筆等の行動には

知識あるメディア人は
一般人には見えないモノが見えている
従って
一般人を導く

と言う思い込みの匂いがしていた。

これに対する反発は、SNS時代になら大きな波となっている。

これが形になったのが、アメリカの大統領選挙であり、兵庫県知事選挙でないかと思う。

2025年2月 8日 (土)

多面的な見方と棲み込みそして創造

文化人類学者の川田順造が提案した『文化の三角測量』は、一面的な見方への対策として効果がある。

川田順造 - Wikipedia

しかし、こうした三角測量の発想は、山本七平にもある。彼は、旧陸軍の砲術将校だったので、砲弾観測で使う三角測量を、色々な文化比較に使っている。

さて、こうした

多面的な見方

と比べて、単一的な見方は、劣っているのだろうか?

私の考えでは

一つの世界に棲み込む効果

いわゆる客観視では見えないモノが見える

と考えている。確かに多面的な見方、一つの価値にこだわらない見方は、必要である。しかし多面的に捕らわれすぎてはいけない。

しかし、本当に力が付くのは

その世界を創り上げる

レベルの思考力ではないかと思う。創り上げたモノなら、色々な判断が出来る。このレベルまで考え抜くことが出来ないか?

2025年2月 2日 (日)

文春を叩くならもっと裏をとれ!

週刊文春のフジテレビ事件の報道に対して

「世紀の大誤報」トレンド1位騒然 中居氏報道の文春「訂正」に元国会議員がX投稿 覆るのか【フジの説明】(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

と言う形で

文春叩き

の面も出てきている。

私は、この記事の修正のやり方を見ると

姑息だがやりそうなこと

ぐらいと思っている。しかしながら、この問題を別の仮説で見ると、陰謀論的な面が見えてくる。それは

フジテレビのH氏含む幹部引き下ろし
クーデターに関与する誤報

である。つまり、週刊文春が

中立的な立場でなく
フジテレビの幹部追い落としに
関与する意図で筆を曲げた

なら、これは大問題だと思う。

これに対して

週刊誌はタレコミ依存
従って一方の意見に引きづられるのは当たり前

と言う反論はあると思う。確かにこれは、一昔前なら一理あった。しかしながら

多くのメディアや政治家が
週刊文春の記事で動く

現状を考えると

文春に権力者の責任

を持ってほしいと思う。

さて、私が書いた

文春がフジの一部などと絡み
意図的に記事を曲げた

一つの仮説

でしかない。本来、これの証拠をとって、きちんと報道するの偈メディアの仕事である。これが弱くなっている。

週刊文春が訂正した世紀の大誤報を整理。記者は読まずにフジを攻撃か | 芸能スクープ、今旬ナビ!!

2025年2月 1日 (土)

「こたつ記事」問題だけか

近頃フジテレビ問題の報道が、少しおとなしくなってきた。

しかし、この問題の別の面として

大手メディアまで「こたつ記者」化
中居問題をフジを揺るがす大騒動に発展させた“コタツ記事”の威力(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
なぜ「こたつ記事」は増えたのか 10年前に作った言葉がにわかに注目を集めた理由 - ITmedia NEWS

があると思う。つまり記者会見での質問でも

文春の記事により

と言う質問が多い。自前での取材ではない。こうした質問からは

経営幹部への自白強要
または
言葉でのリンチ

という感じもする。こうした質問をする記者を雇っているメディアが

検事の取り調べの自白強要を追及

しているのは、少し勝手ではないかと思う。

自分で情報を入手せず、他人の情報で追求する。これがマスメディアの体質として認められるのだろうか?

2025年1月27日 (月)

何でもトップの首取りか

フジテレビの騒動を見ていると

一人のタレント->
管理職レベル->
経営トップ

と追求の先が大物になっている。これを見ていると

日本のマスメディアの体質

の問題を感じてしまう。つまり

トラブルが起こると
会社トップを追求

と言う体質である。この原因の一つは

会社幹部を引き出し
物事を大きくすれば
視聴率がとれる

発想である。極論すれば

変態タレントとプロデューサの
性的乱行

では堂々と放送しにくいし、視聴率もとりにくい。しかし

会社経営体質の大問題

なら、ニュースのメインをとれるし、視聴率も期待できる。

もう一つは、マスメディアの思い上がりである。つまり

メディアが取り上げるのは
経営トップなどの大物
取材対象は大物でないといけない

と言う発想である。

これらの発想は

フジテレビ自体にあり

それが自らに帰って来たと思う。

2025年1月21日 (火)

特別視ではなく感受性の問題(自殺が出ないと動かない)

昨日の記事

自殺者だけを特別視するのが良いのか?: 勉強の方法補充

について、舌足らずの面があったので、補足する。

昨日の記事では

自殺まで至らないと動かない社会
(メディア報道など)

に対して

物理暴力を振るわないでも
言論の追求だけでも
PTSDなどの被害を与える

を指摘したかった。

さて、この問題を一般化すると

0/1発想で
極端な事象でないと関知できない

と言う社会の問題がある。この問題を少し深掘りすると

大衆が解るのは極端な事象
専門家は細部の違いが分かる

と言う状況がある。もっとも、昨日のNHKEテレの「100分で名著」で、阪神大震災の後からPTSDについて、専門医も理解が深まったとあるから、変化はある。

しかし、こうした問題について

もう少し心理職の専門家から
解りやすい発信

があっても良いと思う。特に

言論の自由としての公的追求行為でも
PTSDになるような人格攻撃の場合

逆に

許される範囲の追求

について、もう少し議論が必要だと思う。

2025年1月19日 (日)

外圧頼りか?

某タレントの性加害問題で、某テレビ局が

海外株主の指摘

で、右往左往している。日本のメディアは、前にも

某タレント事務所の性的虐待問題

を海外メディアの指摘で追求しだしたという前科がある。また政治に関しても

アメリカの指摘で変わる

等が多くある。このような

外圧依存体質

の理由について考えて見た。

一つの仮説は

責任逃れ

である。つまり

言い出した人間を叩く

発想は、どこにもあるが日本は特に厳しい。このリスクを逃れる為の「外圧依存」はある。

しかし、もう一つは

日本的な完全要求

が絡んでいると思う。つまり

完全な証拠が無いと発言するな

発想である。アメリカなら

とりあえず告発しその後決着

と言う発想がある。これを支える

推定無罪の原則

等も生きている。日本には

推定有罪の暗黙了解

があるからますます告発にも慎重になると思う。

この結果が

外圧依存

となっている。

2025年1月17日 (金)

学習漫画の効用

昨日書いた

知識の大衆化

に関連して、我が国には

学習漫画

と言う文化がある。これは、西洋文明や中華文明では、成立しないモノだと思う。つまり

そこまで解りやすくする必要なし

が西洋文明的発想であり

知識の独占を妨げる

科挙合格者の権力を守る中華文明では、反逆的行為になる。

一方、日本の歴史を見ると

絵巻物や浮世絵での教育

は広く行われている。

ここで学習漫画を見ると、原作面での力も高く、さらに描画にも筆力ある画家が投入されている。

こうした科学思考と芸術的な力の融合が、学習漫画を生み出している。これこそ日本文化だと思う。

2025年1月 6日 (月)

数学と物理学の理解について

昨日、2019年3月の
10年前の記事を見て技術の進歩と自分の理解を見る: 勉強の方法補充
へのアクセスがあった。そこで取り上げられた、10年前の記事は
数学と物理学の本棚を見て: 勉強の方法補充
である。

両記事の議論は

数学に(今まで否定された)直感的要素が入る!

についての驚きとその原因考察である。

さてこの記事を見て、私は反省すべきことが多い。

つまり

数学の抽象化厳密化への流れ
物理学との関わり

をしっかり理解していないから、このような記事を書いてしまった。数学の大きな流れは

ユークリッド幾何学の理想化抽象化での論証
これにデカルト座標での図形の数値化
その上での運動などの数学的関係を用いた力学の成立
ヒルベルトの公理主義による抽象化の徹底

がある。戦後の日本の数学教育は、こうした抽象化・純粋化の影響を受け、ユークリッド幾何学排斥まで進んでしまった。

こうした歴史を科学哲学の目で見ると、抽象化の進行で説明出来る。

但し、抽象化した体系を、説明するための、具体的図形などの表現は

現在のIT 技術が得意

であるので、よりわかりやすい説明が増えていると思う。

より以前の記事一覧