ご縁のあった人たち

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2024年6月13日 (木)

昭和と令和の福利厚生

昨日の昭和と令和の雇用形態の違い: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)に関連して

福利厚生の考え方

について議論しておきたい。

昭和の場合は

会社抱え込み
会社が親ー社員は子

と言う発想である。従って

会社が生活も面倒を見る
遊びまで!

と言う発想である。

一方、令和は

会社と従業員は業務契約の関係
大人同士の関係

である。そこで

福利厚生は社員に対する魅力提供

と言う次元になる。この発想の違いを、経営者達は理解しているのだろうか?

2024年4月10日 (水)

無意識という表現について

フロイトが「無意識」の概念を持ちだして、精神分析を開拓したことは、科学に大きな影響を与えた。

ジークムント・フロイト - Wikipedia

私も中学時代から、催眠術や精神分析そして夢判断などに影響を受け、特に自己催眠の一種である、自律訓練法は6公式全てが出来る。

しかしながら、仏経の色々な教えに触れた今になると

心を知ると
意識はその一部

と言う観点で

無意識という言い方はおかしい

と思うようになった。もう少し言うと

心に色々なモノがある
そのうちの一部が意識に上る

という発想である。極端に言うと

言葉で表現できるモノ

だけを意識で扱っているのではないか?確かに、絵などで表現できるモノもある。しかし本質は

表現できるモノの後ろに多くの存在

ということではないか?これを

感情の働き
または
本能

と決めつけるのも、何か落としているように思う。

私たちが

意識できるモノはほんの一部

と考えると、色々な見方が変わるように思う。

2024年4月 2日 (火)

自分の心を観る

日蓮聖人の「観心本尊抄」に

自分の心は見えないから人の心を鏡に見る

という趣旨の言葉がある。この発想は、今まで気がつかなかった!

つまり

自分の心が解ったつもり!

の反省である。もう少し言えば

科学知識などの脳の話
心理学などの話

で、よく解ったと思い込んでいる自分、これで良いのだろうか?別の切り口から見ると

他人の心は言動にでる

ので、そちらの方が見える、という発想である。

これも、深いモノがある。そういえば、私たちが無意識について知るのは、フロイトなどの精神分析家が、彼らのクライアントと接したときの話からである。つまり自分の心ではなく、他人の話から理解しているのである。

この反省から、もう一度自分の心に向き合ってみたい。

2023年10月11日 (水)

現在の動機づけは何か

昨日の管理職に関する議論は、本質は

動機づけができるか

になる。ここで問題になるのは

部下の動機づけを行う管理職が
自分の動機づけができない

という状況である。

これは大きな問題である。私の解決は

給与上昇や出世だけの
単線的動機付け

の限界を知り

理想を実現する
皆を良くし感謝される

というもう一つの動機付けが必要と思う。

このため、各人の役割分担や、係わりを明確にして、意識する。これができる人が管理すべきではないか。

2023年4月 2日 (日)

逃げ回る人が陥る罠

先日書いた

若者気質変化の理由はどこに?: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

に関連して、現在の多くの人が

失敗したくないから
(心の底から)
やりたいことから目を背ける

と言う状況も見えてきた。こうして

失敗で傷つくリスクを冒さない

人が増えている。

しかしながら、こうした

心の底の欲求

を押さえつけると、

自分の中で
アクセルとブレーキを同時に踏む

状況になってしまう。こうしたエネルギーの浪費は、疲労とストレスを生み

他人を攻撃的になったり
自信を失ったり

する。

こうした行動は

やりたいことをしない理由付け

であるが、

自分がそれを意識していない

だけに、心と体が暴走する危険性がある。

自分が何をしたいか、正面から向き合い、自分の力を正しく評価して

可能性ある場合にはチャレンジ

と言う考えも必要だろう。

2023年1月15日 (日)

「無私」でよいのか

先日書いた

「進化した利己主義」とは 2023/1/14修正: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

に関連して

他人への思いやり

について考えた。一つ気になるのは

「無私」で人の意見を聞く

ことを褒める風潮である。確かに

我が我が!!

と言う主張は困ったモノであり、そのような人が、他人の話を聞かない傾向にある。

しかし「無私」という言葉には

自分の抑圧
そこから
無責任

と言う弊害が生じる可能性がある。

確かに、指導者等にとっては

「無私」で言われたとおり行動

する人が都合がよいだろう。

しかし、こうした「無私」の発想だと

自分を抑圧しているから他人も抑圧

と言う危険性がないだろうか?

大乗仏教で、唯識などの教えでは

「我」が他人にもある平等性智

を説いている。

自我を認め、他人の「我」も認め尊重する。こうした考えが重要ではないかと思う。

2022年11月13日 (日)

本当の納得について

このブログで前に、他人に理解して貰うための手順として

  1. 縦横に知識を展開し自分の理解を確実にし
  2. 他人をイメージし説明を考える
  3. そこで全体像を描くことで説明が上手くできる

と言う発想で、経験的に得たモノを書いてみた。

納得するために縦横の展開: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

説明力は自分の中の他人を感じたときから強化される: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

他人の考えを推測する訓練: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

全体像の描き方: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

しかしながら、この議論で落ちているモノが、近頃見えてきた。それは

人間の描き方
人格の再現

と言う話である。前の記事で出てくるのは

プログラミングの世界
で働く
論理的な人間

の話であり

感情のある人間
信念や宗教の働き

と言う側面は

全体像にも描き切れていない

と言う欠点がある。

 この問題に対応するため

大乗仏教の発想

が有効だと思う。つまり

仏の智慧で
全てが我が有
衆生は皆我が子

と言う、無数の人を、個々人で見る力が私達にある。

平均値などの統計数値に逃げない

この発想が大事と思う。

2021年12月25日 (土)

「人財」について要求事項の説明

 昨日の記事で書いた『人財』必要事項について、もう少し説明しておく。昨日書いたのは以下の項目であった。 

  1. 可能性を信じてチャレンジする
  2. 謙虚に学ぶ
  3. 柔軟な対応力
  4. 広い視野で総合的に考える
  5. 多様な価値観を受け入れる
     特に他人の考えを尊重する
  6. 努力を惜しまない
  7. 自己責任

この中でも、可能性の問題は

それまでの成功体験

が大きい。自分で道を開いた人間は、次の時にも道を開けるようになる。ただし、この問題は指導者の力も大きい。自信が無い人間にも、上手く導くことで、自分の可能性に美座馬手チャレンジするようになる。こうした可能性とのバランスで、評価する必要がある。

 次に、謙虚さは、自信と一体で評価すべきである。

絶対的な権力は絶対的に腐敗する

これは、個人でも同じことが言える。自分の知識や業績は、過去のモノとなる。そうして「賞味期限切れ腐敗」とならないためにも、謙虚に学ぶ姿勢が大切である。

 次に柔軟性は、知識を現実に応用する力、それまでの成功にこだわらず、新しい対応を考える力である。現実の前に謙虚に対応する力でもある。

 さて、広い視野で総合的に考えることは、若い人には難しいかも知れない。しかし、自分の見ている世界の外がある、これを知っている。祖すいて総合的に考えることの大切さを知って、その方向に努力する.こういう思考ができる人が望ましい。こうした人は多様な価値観を身につけるだろう。

 次に、努力を惜しまず、自己責任で考える人は、逆を言えば

他人の責任として言い訳をする

性格なら、問題から逃げる可能性が高い。

 これらのことを見抜く面接技法は、今までの体験から聞き出す方法がよいと思う。 

2021年12月15日 (水)

学校の部活動に関して その2

 昨日の続きで、もう少し考えてみた。一つの切り口は

学校に依存しすぎる社会

である.これは逆にいうと

学校的教育が上手くいきすぎた

である。何でもかんでも学校に任せればよい。この発想になってしまう。しかも

学校で学んだとおりで動く

社会になってきた。この問題は、昭和の時代を振り返ると、よくわかる。例えば、物作りの世界を見ると

昭和の時代:学校で学んだ通りでは実世界では動かない、現場の力で作り上げる
平成の時代:学校で学んだ通りの回路設計でそのまま動く。なお、現場に出る前には、コンピュータシミュレーションで確認する

と言う形で、学校以外の力への依存があった。

 これは、人間性や社会的行動に関しても、同様で

地域の人たちとの関わり
仕事を通じた関係

等の色々な道から力を得ていた。

 しかし、現在社会は、学問の力が強くなりすぎ、それが全てという風潮になっている。

 そこで

対人関係などの社会性も学校で

となるが

教室の知識付与体制

はこれに対応できない。そこで

部活動

と言う話になってきたのではないか?

2021年11月18日 (木)

正しい動機付けは可能か?

 動機付けに関して、前にも書いたが、色々と思うことがあるので、もう少し考えて見た。

正しい動機付けとは?: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

 私の結論は、大乗仏教の発想で

全体を見通して
総てをよくする意欲

が本当の動機づけと思っている。もう少し言えば

総ての世界は我が有
衆生は皆我が子

と言う考え方で

不思議の境地を観る
そこで
一人の喜びは皆の喜び皆の喜びは一人(私)の喜び

を実感すれば、総てをよくする為の動機付けができると考えている。

 仏の智慧を人間が持つという発想は、西洋文明にはない。従って、経営学の教科書にもあるのだろうか?

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