ご縁のあった人たち

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2025年5月28日 (水)

天地創造神話の位置づけ

色々な形で、天地創造の神話が伝わっている。

その中でも、日本の神話は

最初の天地の別れから神の誕生となり
創造主という立場の神はいない

と言う興味深い特徴がある。天地開闢 (日本神話) - Wikipedia

なおその後、伊邪那岐命伊邪那美命による、国産みが出てくるが、どうも先に

高天原が出来て
その後私たちの国が生まれる

と言う形になっている。これを見ると

キリスト教などの創造神

と少し違うように思う。

このように考えると

絶対的な神(創造主)

を認めない日本の文明は、キリスト教やユダヤ教そしてイスラムの教えとも違うように思う。

なお仏教には、創造主という概念は

自分の浄土を作る如来

となっている。これが、国産みにも影響したのだろうか?

2025年5月27日 (火)

政治に何を求めるか?

政治というか、支配者に何を求めるか、と言う問題を歴史の観点から考えている。つまり

古代中国からの発想
天意を受けた皇帝の支配

には

自然現象を上手く収める

ことも、被支配者が期待している。そこで起こることは

自然災害の責任を皇帝の不徳の結果

と見る発想である。そこでは

王を生け贄にして天の怒りを収める

と言う発想が出てくる。日本の歴史でも、一説によれば

卑弥呼は日蝕の祟りで
大衆に殺された

と言う見方もある。さて、この後の日本の歴史を見ると

自然現象は仕方ないが
それに対する対策を求める

などの、政治に対する要求が変化している。

これは、大衆が成長して

支配者が与える社会の安定

を認識できるようになったからと思う。

2025年5月 9日 (金)

新ローマ教皇決定について

新しい、ローマ教皇が米国出身のレオ14世に決まった。

今回は比較的早く、コンクラーベの白い煙がでた。

コンクラーベは、枢機卿だけで選ぶ密室の行事である。現在でもネットなどを一切絶って行っている。しかしながら、今回のレオ14世は

前教皇の体制下で要職についていた

から、順当な人選だと思う。

しかしながら、このような選出に関して、現在人なら

もっとネット情報なども活用

と言う意見も出るかもしれない。ただし、私はこれには賛成できない。理由は

枢機卿達の集まりで直観するモノ

を信じるからである。これを彼らは

神の教え

と言うかもしれないが、信仰の本質はこのようなモノだと思う。

2025年4月24日 (木)

日本的民主主義の成立

昨日の民主主義について交流分析で考える: 勉強の方法補充について、もう少し突っ込むと

西洋の神 対 仏の智慧

と言う対立が見えてくる。

つまり西洋の神様は

人間には到達不可能

の力がある。そこである程度の理解力ある

成人同士で話し合い

と言う図式になる。または

強権的な親に従わせる

発想も出てくる。しかし、大乗仏教の教えなら

仏の智慧は親の目で世界を見る
この力は皆にもある

と言う発想になる。

この場合は

衆生も親の知恵で参加

と言う本当の民主主義が成立すると思う。

2025年4月17日 (木)

日本の民主主義の伝統

昭和の反省から、出てくる話として

独裁国家なら戦争はしなかった

と言う議論がある。例えば

近衛文麿は大衆迎合で戦争拡大
昭和天皇は議会制民主主義に従い反対できない

と言う状況である。

これは、山本七平が「空気」と称した、民衆の動きが戦争に走らせた一面である。

さて、このような民衆の「気持ち」が政治を変えるのは、戦前の一時期だけだろうか?

私はこれは

日本の伝統

と思っている。つまり

聖徳太子の仏教の大衆への展開
行基菩薩指導の大衆の力での大仏建立

の時代から続く

知識の大衆化と大衆参加の力

が色々と影響していたように思う。これを考えると、日本こそ

本当の民主主義

ではないかと思う。

2025年4月10日 (木)

瞑想について

瞑想は、何のためにするのだろう?

一つの目的は、自分の心との向き合いである。これは現在も色々と言われている。心身との向き合いという場合もある。

しかし私はもう一つ、イメージ化による思考という側面があると思う。

現在社会は、西洋文明的な科学思考教育が充実し

言葉だけで論理的に思考

が出来る人が多い。そこで

イメージ的思考

の力が弱くなっている。

しかし、昔の社会を考えれば

紙も貴重

だった時代に

絵や図で伝えるのは
自分でイメージ化しかない

状況だったと思う。

これを考えると、阿弥陀如来の極楽浄土を観る、観想念仏の重要性も解るだろう。

2025年3月31日 (月)

AIに対応する日本的な知恵

現在は、AIの力が大きく

色々と質問すると答えが出る

と言う便利な状況になっている。

しかし、これをそのまま喜ぶと失敗する。つまり

AIが与える情報は玉石混淆の可能性

があるからである。

さてこれに対して、日本の古来の知恵が適用できる。つまり

巫女と審神者

の発想である。これをAI(CoPilot)に聞くと以下のように帰ってきた。

巫女と審神者は、日本の伝統的な宗教や信仰において重要な役割を果たしてきた存在です。それぞれの役割を簡単に説明しますね。

巫女

巫女は、神社や宗教的な儀式で神と人間をつなぐ役割を担う女性です。古代では、神霊を自身に憑依させて神託を伝える霊媒的な役割を果たしていました。例えば、『古事記』には、神功皇后が神託を受けて新羅遠征を成功させたというエピソードがあります。現代では、神社での儀式や参拝者の案内、舞の奉納などを行うことが一般的です。

審神者(さにわ)

審神者は、巫女に降りた神霊が本物かどうかを判断する役割を持つ人物です。古代のシャーマニズム的な儀式では、巫女と審神者がペアとなり、神託の真偽を確かめる重要な役割を果たしていました。審神者は、神霊が低級なものであればそれを祓う責任も担っていたため、高度な知識と判断力が求められました。

これらの役割は、古代から現代に至るまで形を変えながらも、日本の文化や信仰の中で重要な位置を占めています。興味深いですよね!

つまり、AI巫女のご託宣を、審神者である私たちが判断する発想である。

なお、私は今回得た、上記は正しいと判断している。これを忘れて丸呑みするから失敗する。

2025年3月27日 (木)

仏教は一神教か?

キリスト教の目から見れば、日本の信仰は「多神教」といわれるだろう。確かに、仏教だけで見ても

  • 釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来~~
  • 観世音菩薩・地蔵菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩~~
  • 不動明王・愛染明王~~
  • 弁財天・大黒天・毘沙門天・荼枳尼天・歓喜天~~

という、色々な如来・菩薩・明王・諸天がいらっしゃる。

これだけ見れば

仏教は多神教

と思うかも知れない。しかしながら、もう一歩踏み込むと

仏の法身・報身・応身

で観ると

多数の応身の背後に

唯一の法身

の存在が見えてくる。これを具体的にすると

大日如来

となる。更に言えば、大日如来の力が、色々な形で展開するのを、菩薩や明王として見えてくる。

このような考えもあると思う。

2025年3月24日 (月)

言葉にならない体験 体験につながらない知識

修験道の話を聞くと

仏を通して神を見る

と言う教えがある。これを私なりに解釈すると

修験の山での体験を通して
神を感じることはある

しかし,仏教伝来前は

これは整理して言葉などで表現できない

状態であった。ここで仏教が入り

知識が整理されると
仏は見える
その奥にある神も見える

状態に進んで行ったのではないかと思う。こうした知識が整理されて、色々なモノが見えるようになるのは

自然科学の進歩

でも多くあった。病気の原因としての細菌やウイルスがその一例である。

さて、この話の逆はないだろうか?

私たちは現在多くの知識を持っている。それに引き換え、体験するモノは限られている。

こうした

体験につながらない知識

を生かす為には、物語の世界などでも、体験的なモノを増やす必要があるのではないか?

2025年3月10日 (月)

未来人が敵になる?

西洋文明には

進化論的発想
進化した者が支配

がある。逆に中華文明などには

退化論的発想
古代の聖人の世界に戻せ

がある。さて、進化論的発想で、進化した者が支配なら

時間旅行で未来人が来たら
我々を支配

と言うことになるのではないか?更に言えば

我々は刈り込まれる
等の
処理対象

として扱われるのではないか?これは、西洋人が、アメリカ大陸やアフリカ大陸で、やったことである。

退化論的発想では、文明の進化を壊すことになる。しかし、進化論で優位を考えると、より進化した者の支配の恐怖におびえるのではないか?

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