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2015年11月10日 (火)

行間を読んでみた(杭打ち不正問題)

 昨日から、『行間を読む』と言うことが、一つの話題にしていた。そこで、今色々と物議を醸しだしている、マンションなどの基礎杭打ちのトラブルについて、少し行間を読んでみたい。まず発端の、横浜市のマンションの問題だが、現状マスメディアの責めているのは、現場監督がデータを捏造したという話である。そして現実に、杭が支持層にまで届いていないものがあるという事実、その結果、マンションが傾いているという事実がある。
 さて、この話は、現場作業者だけに罪を着せてよいのだろうか。まず、該当現場の地形は複雑であり、軟弱な地盤の厚さが変化し、支持層が深い部分があると言う図解が、マスメディアからも報じられている。この地形も事実として考えたらよいだろう。
 ここで第一に検証するべきは、この時施工作業者に与えられた杭の長さである。例えば、支持層の深さが18メートルなのに、14メートルの杭しか与えられていなかったとする。しかも、過半数の地盤では、14メートルの杭で支持層まで届いたとする。このような状況で、支持層が18メートルの所で杭を打っても、なかなか支持層に当たったという感触は出ない。これは、支持層が落ち込んでいるので当たり前だが、支持層が平らと言う思い込みがある作業者なら、何らかの理由で支持層に入ったのを見落としたと思い込んでしまう。
 上記に関連して、設計段階や計画段階で、この地層の特質をどこまで見通していたかという問題もある。古地図などを見れば、昔谷や池だったところを埋め立て場合、支持層が急に深くなるなどの現象は、予測できるはずである。少なくとも、支持層の形が変化する可能性がある。その時には、杭の手配や対象方法を変える必要がある。そのための連絡手段などがきちんとできていたのだろうか?このように考えると、現場作業者・監督者だけを責める論調は、本質を見失うことになると思う。

 さて、この話はもっと広がり、色々な所で杭打ちデータ不正が見つかっている。しかし、この不正問題の本質的な危険性がまだ見逃されている。私の個人意見であるが、この問題の本質は、
 「現場作業者が技術的検討を行っている設計作業を軽視している」
もう一歩踏み込めば、
 「設計業務に於いて、安全率と言うことの本質が守られていない。」
と言うことである。つまり、技術力低下と言うことである。
 これを説明すると、現場の作業者は、
 「試験的に打つ時はきちんとデータを見る。後は余裕があるから適当やる。」
と言う話が出ていた。その中で、
 「1~2本の杭がおかしくても大丈夫」
と言う発言があった。この発言が問題である。前者は、設計者が支持層の深みを見誤っていないか、現場で確認したら、後は杭を打ち込めばよいと言うことである。さてもう一つは、設計者は、本当に必要な杭の数より余分に打たせているということである。
 本来、設計は安全率を見込むものである。しかしそれはまずギリギリの強度を設計した後に、災害などを考慮して、増やしていくものである。何でもよいから、余分目に杭を打つと言うものではない。このギリギリをきちんと計算できない技術者が、多くなってきているのではないだろうか。それを現場が見抜き、「少しぐらい手抜きしてもよい」と言う空気になっている。このような不信と甘えが出るならば、この国の技術は危ないと思う。

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技術力低下
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理系軽視
技術力軽視
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