ご縁のあった人たち

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2025年1月17日 (金)

学習漫画の効用

昨日書いた

知識の大衆化

に関連して、我が国には

学習漫画

と言う文化がある。これは、西洋文明や中華文明では、成立しないモノだと思う。つまり

そこまで解りやすくする必要なし

が西洋文明的発想であり

知識の独占を妨げる

科挙合格者の権力を守る中華文明では、反逆的行為になる。

一方、日本の歴史を見ると

絵巻物や浮世絵での教育

は広く行われている。

ここで学習漫画を見ると、原作面での力も高く、さらに描画にも筆力ある画家が投入されている。

こうした科学思考と芸術的な力の融合が、学習漫画を生み出している。これこそ日本文化だと思う。

2025年1月 2日 (木)

活版印刷と木版刷り

昨日のNHKの知恵泉は、出版文化を捉えた興味深い番組であった。

新春スペシャル 出版1300年 文化はかくして生まれた - 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) - NHK

私が興味を持ったのは

江戸時代の活版印刷から木版刷りへの流れ

である。これは西洋文明の

印刷革命の後は活版印刷一筋
となった
単純な進化

と比べると、色々と見えてくるモノがある。一つは

活版印刷は限られたモノの大量印刷

となるので

権力者からの情報提供

と言う形になりやすい。例えば、聖書は教会の宗教普及手段として、印刷された。

一方、木版は

職人さえそろえれば印刷

と言うことで

多様な文化発信が可能

となった。この多様性を認めた上で、大量の印刷による情報普及が、江戸時代の日本の文化を生み出している。

これを宗教的に見ると

キリスト教の唯一の神

法華経の地涌の菩薩の多様性

と対応しているように思う。

2024年6月27日 (木)

都市の役割

先日書いた

消滅都市の前に神社消滅があった: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

神社合祀から学ぶ: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)

村の文化を守れ
多様性の時代

発想で書いていた。

しかしながら、村の文化には

村内の束縛

と言う側面もある。言い換えると

自分たちの文化は多様性で守られたい
しかし
内部の人は従え

と言う形になってくる。つまり

村社会では個人が生きない

危険性がある。この点では

都市の方が個人が生きる可能性

がある。大きな都市なら

個別の趣味の集まり
地下アイドルの活動

等が成立する。このように考えると

都市の多様性への貢献

も考える必要がある。

2024年5月 4日 (土)

日本的なブレークスルー方法

先日書いた日本はなぜ対応できない: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)に関連して

アメリカは哲学的思考で指導

と言う側面を考えてみた。つまり変革時においては

学者の意見で方向付けが出来る

点が日本と違っている。

この問題の議論がきちんと出来ていないから、日本の変化対応力は弱い。

ここで前提になるのは

日本では指導者に完全を求める
一度選べば辞めさせにくい
一方アメリカなどは
一面からの議論での指導を認め
失敗すれば交代させる

と言う違いである。

そこで日本的な変革法は

学者の意見をまとめて
世界を実現してみせる
例えば小説やゲーム世界

があると思う。

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少なくとも理論を現実で検証する「ワラスの輪」をきちんと回す必要がある。

これから小説などで

実行結果の世界を描く

と言う方向があると思う。

2024年3月27日 (水)

教育勅語依存の甘え

Xなどで「古典教育不要論」が出ている。私はこれに関しては

古典を読むことは大事
ただし
学校教育で採点する必要はない

古典の文法などは不要
現代語訳や漢文の読み下しを多く読むべき

という意見である。

さて、このような教育の必要性に関する議論を見ると

必要側が弱い

と感じるのは、個人的偏見だろうか?もう少し考えると

学問する哲学的意味
大衆の納得

というどちらかの根拠が必要だと思う。西洋文明的な発想なら「哲学的根拠」だし、日本的な発想なら「大衆の納得」である。江戸時代などでも、寺子屋に子供が通ったのは、大衆の納得があったからである。

さて、これがおかしくなったのは、明治維新以降の義務教育で、特に

教育勅語

からではないかと思う。つまり

必要性を疑わず
天皇陛下の権威で押しつけ

て学ばせる。そこには必要性の議論などなくなってしまう。このような権威の力での押しつけが、根本的な見直しを妨げ、進歩を妨害しているように思う。

2024年3月14日 (木)

源氏物語について思いつき

源氏物語について、井沢元彦説では

源氏の怨霊鎮魂の書

となっている。

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私は、この発想からもう少しひねくれて

源氏などに権力を渡してはいけない

という、物語と呼んでいる。

つまり、源氏物語を筋だけ読むと

顔の良さにより多くの女性と関係し
最後は自らの托卵子に天下を取らせる

という話になる。

こうしたことにならないように

節度ある藤原氏がよい

と書いたのが、源氏物語ではないだろうか?

2024年3月13日 (水)

アカデミー賞で思う人件費問題

今回のアカデミー賞で、日本の作品が二つ表彰された。そこで議論になったのが

制作費の安価さ!

である。

私はこの問題の本質に

日米の給与格差

があると考える。

そしても一歩踏み込むと

アメリカの有能者への高給与

の状況がある。これを裏返すと

高給与でしか報えないアメリカ社会

の問題がある。日本社会には

種々の尊敬
社会的地位

等で

文化人の処遇

がある。これで

給与以外で認める

方法があるので人件費が抑えられている。別に言えば

自己実現の満足

で働く人の動機が支えられている。こうした違いを考えるべきだろう。

2024年3月 2日 (土)

高校の古典文学教育から思うこと

学校で何を教えるかについて、色々な議論がある。その一つに

高校で古典文学は必要か

という議論がある。

私はこの問題に関して

現在の採点重視の古典教育は不要
ただし
古典文学や漢文を広く知ることは大切

という意見である。もう少し言えば

文法などの細部の習得で成績

という発想は不要と思う。極端な話

現代語訳の源氏物語

でもよいのではないかと思う。また、漢文の場合には

返り点の使い方より
書き下し文を読ませる

方法で

多くの文章に触れさせる

そして

現在に生きていることを伝える

教育が必要だと思う。

私は、色々なお経を読んでいるが

書き下し文で意味が解る

場合が多い。例えば

今此の三界は 皆是れ我が有なり 
其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり

は、大乗仏教の一番大事なところだが、これで「仏の力」が理解できる。

これを、文法的なテクニックを主体の教育とするなら、反対である。確かに国語の専門家作りなら、文法の知識は必須だし、崩し字なども読める方が良いだろう。しかし、大衆の支持を得るには、多くの古典を読みやすい形で、展開すべきだと思う。

ここまで考えると

テクニック教育で授業時間を費やさず
自由に学生に読ませる

方が良いのではと思ってしまう。

2024年2月26日 (月)

私達の生きている世界は?

私達は、3次元空間で生活している。いや時間軸もあるから、4次元空間で生きている、という議論がある。

しかし、よく考えてみると、人間の本来の力は

時間の流れは一方向
自由に動けるのは水平面の2次元

と、かなり制限された部分でしか動けない。これを色々な手段で

空を飛び海に潜ることで上下
記録により時間を越える

などを使って4次元の生命として生きている。これを拡張すると

色々な文明・文化

の影響も出てくる。こうして考えると

認識できる世界

自由に動ける世界
さらに
影響を受ける世界

の3つの世界を、もう一度見直すべきではないかと思う。全能の神仏の力では、この3つの世界が一致している。

しかしながら、私たちは

影響を受けている世界

を正しく理解できていないのではないか?

これが色々な問題を起こしているように思う。

2024年2月 2日 (金)

自前で企画を造らないテレビ局の責任

昨日書いた、出版文明とテレビ文明の衝突: 勉強の方法補充 (cocolog-nifty.com)
テレビ局側と出版社・原作者の葛藤に関して、根本の問題は

テレビ局が独自脚本を持たない

点にあると思う。もう少し突っ込むと

他で売れた原作依存の企画

しか認めない経営判断力欠乏にある。しかも、原作の売れ行きに依存しているくせに

勝手に状況を変えて放送

という

原作者への尊敬無し

状態が出ている。これは、上記と裏腹になるが

自分でオリジナルな話を考えていない
ので
本当の創造の苦労が理解できない

関係者が増えている。逆に

視聴率を取るための苦労や
配役などへの配慮など細部の違い

で自己価値を造る

という状況が、今回の問題の底にあると思う。

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