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プーチンが語るウクライナ戦争の30年———2024/06/14の演説より抜粋

2024/06/14、プーチンが外務省で行った演説から、彼が旧冷戦後の世界情勢をどう見ているかについてが解る部分を一部抜粋してみた。タイトルに「30年」と付けたが、その意味は読んで頂けれは自ずと解ると思う。私が見るところ、基本的にプーチンの言っていることは事実に基付いており、「プーチンは妄想を語っている」と主張する人は、それこそ妄想史観に基付いて語っている。

 分量が大きいし話題も多岐に亘るので、最初は少しだけ摘み食いを、と思って始めたのだが、どれも重要な部分ばかりに思えて途中からは略ノーカットで訳してしまった。まぁ日本語環境でプーチンの発言を検閲無しで読める機会は非常に限られているので、いい機会だと思って御容赦願いたい。基本的に既にこれまで散々言われて来たことの繰り返しになるものの、極めて重要なことが述べられているので、改めて紹介してみる価値は有るだろうと思う。プーチンが何を考えているかについて、自分の無知を妄想で埋めて好き勝手に語る人が余りにも多いのが現状だが、妄想ではなく事実に基付いて現実を理解したい少数派の人達の参考に少しでもなればと思う。

 反対側から世界を捉え直してみる作業は、私の様な人間にとっては常に楽しく心躍る経験だが、それを不快でストレスフルなものと感じる人も多い。だが世界を見るのにひとつの角度しか知らない人と云うのは、折角知性と想像力を持ち合わせて生まれて来た特権を無駄にしていると思う。
Meeting with Foreign Ministry senior officials


 本文は結構長いので、私が勝手に付けた小見出しを最初に一覧で紹介しておこうと思う。

 旧冷戦後の西洋の不誠実さ
 西洋の傲慢さが引き起こした惨状
 旧冷戦後のウクライナの状況
 ドンバス戦争開始の経緯
 ミンスク合意の経緯
 特別軍事作戦開始の経緯
 和平交渉失敗の経緯
 新領土編入の経緯
 キエフ政権の正統性に対する疑問
 和平が成立する条件
 再び時系列で振り返る
 現時点での和平提案



 旧冷戦後の西洋の不誠実さ

 ………20世紀末、激しい軍事的、イデオロギー的対立が終結した後、国際社会は信頼出来る公正な安全保障秩序を構築するまたと無い機会に恵まれたことを思い起こしてください。これには多くのことが必要だった訳ではありません。全ての利害関係者の意見に耳を傾ける能力と、それらの意見を考慮に入れる相互の意志が有れば十分でした。我が国は、この様な建設的な仕事に取り組むことを決意していました。

 しかし………米国が率いる西洋列強は、自分達が冷戦に勝利し、世界がどの様に組織されるべきかを決定する権利が有るとと信じていました。この考えが実際に表れたのは、ヨーロッパの安全を確保するには代替案が存在したにも関わらず、北大西洋ブロックを空間的にも時間的にも無制限に拡大すると云う計画でした。

 彼等は我々の正当な質問に対して言い訳で回答し、ロシアを攻撃する計画は無く、NATOの拡大はロシアに向けられたものではないと主張しました。彼等は1980年代後半から1990年代前半に、ソ連、そして後にロシアに対して、NATOは新規加盟国を受け入れないと約束したことを事実上忘れていました。仮令彼等がその約束を認めたとしても、彼等はニヤニヤ笑って、それらは法的拘束力の無い単なる口約束だと却下しました。

 1990年代以降、我々は西洋のエリート達の方針に欠陥が有ることを一貫して指摘して来ました。単に批判したり警告したりするだけではありません、選択肢や建設的な解決策を提案し、関係する全ての当事者が受け入れられるヨーロッパと世界の安全保障メカニズムを開発する必要性を力説しました(この点を強調したいと思います)。

 (………2008年と2021年12月にロシアが提案した欧州安全保障条約案に触れた後、)しかし、パートナー達を説得しようと我々が繰り返し試みたにも関わらず(全てを列挙するのは不可能です)、我々の説明、異議申し立て、警告、要求は全て返答が得られませんでした。

 西洋諸国は、自分達の大義の正しさよりも、世界の他の国々に自分達が望むものを何でも押し付けることが出来る自分達の権力と能力に自信を持っており、他の視点を単純に無視しました。

 (………バルカン半島問題への対処に於て、NATOの深い欠陥の有る原則が明らかになったが、)本質的にこの原則は、一方の当事者(往々にして様々な理由から西洋から嫌われている)に責任を負わせ、経済制裁や制限を含めて、西洋の政治的、情報的、軍事的な力を全面的に解放することを狙うものです。

 その後、これらと同じアプローチが、我々がよく知っている様々な国、イラク、シリア、リビア、アフガニスタンで適用されました。これらの介入は、既存の問題を悪化させ、何百万もの人々の生活を荒廃させ、国全体を破壊し、人道的及び社会的災害の拠点や飛び領地を生み出すだけでした。実際、この悲劇的なリストに加わることを免れる国は世界中に存在しません。

 (………西洋は中東、南コーカサス、中央アジアに図々しく介入し、ヨーロッパ・大西洋だけでなく、アジア太平洋地域にも手を出すと宣言し、ロシアとの関係に於ては、数十年に亘る信頼醸成措置と軍備管理システムを解体した。)



 西洋の傲慢さが引き起こした惨状

 西洋諸国の自己中心性と傲慢さにより、今日我々は非常に危険な状況に陥っています。我々は危険な程、後戻り出来ない地点に近付いています。世界最大の核兵器保有国であるロシアの戦略的敗北を求める声は、西洋の政治家達が極めて無謀であることを示しています。彼等は自分達が生み出している脅威の規模を理解出来ていないか、単に自分達の無敵さと例外主義の概念に夢中になっているかのどちらかです。どちらのシナリオも悲劇に終わる可能性が有ります。

 欧州・大西洋安全保障システム全体が我々の目の前で崩壊しつつあることは明らかです。現在、それは事実上存在していないので、再構築する必要が有ります。これを達成するには、我々は関心を持つ国々(沢山有りますが)と協力し、ユーラシアの安全を確保する為の独自の戦略を策定し、それをより広範な国際審議の為に提示しなければなりません。

 (欧州に対するロシアの脅威に関する主張は、単に根拠が無いが、)ヨーロッパに対する脅威はロシアから来るものではありません。ヨーロッパ人にとっての主な脅威は、軍事、政治、技術、イデオロギー、情報の面で益々決定的に米国に依存していることです。

 ヨーロッパはグローバルな経済発展から外され、移民等の課題によって混乱に陥り、国際機関や文化的アイデンティティを失いつつあります。時々、欧州の政治家や欧州官僚の代表者達は、自国民の信頼を失うことよりも、米国政府からの支持を失うことを恐れている様な印象を受けます。最近の欧州議会選挙もそれを示しています。

 欧州の政治家達は(米国からの)侮辱、無礼、スキャンダル(欧州の政治家達への監視等)を容認していますが、米国は単に自らの利益の為に彼等を利用しているだけです。………要求は絶え間無く行われ、ヨーロッパの経済運営者達には躊躇い無く制裁が課せられます。

 ………ヨーロッパがグローバルな発展の独立した中心であり、地球上の文化的・文明的な極であり続けたいのであれば、間違い無くロシアとの良好で友好的な関係を維持すべきです。最も重要なことは、我々はこれに対する準備が出来ていると云うことです。

 ………米国について言えば、現在のグローバリストのリベラル・エリート層が、自分達のイデオロギーを世界中に広め、何等かの形で帝国として地位と支配を維持しようとする終わりの無い試みは、国を更に疲弊させるだけです。それにより米国は劣化するでしょうが、アメリカ人民の真の利益には明らかに反しています。

 自らの優位性と例外主義への信念に基付く攻撃的なメシア主義によって突き動かされたこの先の無い政策が無ければ、国際関係はずっと前に安定していたでしょう。

 (………ユーラシアの安定と発展を保証するメカニズムの構築についての解説の後、)西洋はその行動によって世界の軍事的・政治的安定を損なっただけではありません。それは制裁や貿易戦争によって主要な市場機関の信用を落とし、弱体化させました。IMFと世界銀行を利用し、気候変動政策を捻じ曲げてグローバル・サウスの発展を抑制して来ました。仮令西洋が自分達自身の為に書いた規則の下であろうと、競争を放棄し、法外な障壁やあらゆる種類の保護主義を適用しています。

 ………西洋諸国はロシアの資産と外貨準備の一部を凍結しました。彼等は現在、取り返しの付かない横領を法的に正当化しようとしています。しかしその一方で、あらゆる歪んだ弁護士主義にも関わらず、窃盗は明らかに窃盗であり、処罰されない訳ではありません。

 

 旧冷戦後のウクライナの状況

 ………ウクライナを巡る危機は、ふたつの国家や民族の間の問題に起因する紛争ではありません。

 若しそうであれば、共通の歴史と文化、精神的価値観、そして何百万もの家族と人間の繋がりによって団結しているロシア人とウクライナ人は、どの様な論争や意見の不一致に関しても公正な解決策を見付けていたであろうことは疑いの余地は有りません。

 ですが紛争の根源は二国間関係には無い為、状況は異なります。

 ウクライナでの出来事は、20世紀後半から21世紀初頭に掛けて、グローバル及びヨーロッパで展開したことの直接の結果です。これらは特別軍事作戦が始まるずっと前から、西洋が長年追求して来た攻撃的で抑制の無い全く無謀な政策に起因しています。

 ………西洋諸国のエリート層は、冷戦終結後、世界の地政学的な更なる再構築へ向けた方向性を定めました。彼等は、所謂ルールに基付く秩序を確立・執行することを目的としていましたが、そこには力強く自足した主権国家は単に含まれていません。

 これは我が国に対する封じ込め政策を説明するものです。米国と欧州の一部の人物達はこの政策の目標について公然と宣言し、今日では所謂ロシアの脱植民地化について語っています。本質的に、これは民族的境界に沿った祖国の分断をイデオロギー的に正当化しようとする試みです。

 この部屋に居る誰もがよく知っている様に、ソ連とロシアの解体は長い間(西洋の)議論のテーマでした。この戦略を追求する上で、西洋諸国は我々の近くの領土を吸収し、軍事的・政治的に開発することを目指しました。

 NATO拡大の波はこれまで5回有りました。現在は6回です。彼等はウクライナを「反ロシア」の牙城に変えようとしました。これらの目的を達成する為に、彼等は資金と資源を投資し、政治家達と政党全体を買収し、歴史と教育プログラムを書き換え、ネオナチと過激派のグループを育成しました。

 彼等は我々の国家間関係を弱体化させ、我々を分断し、国民を互いに敵対させるべく、可能な限りあらゆることをやりました。

 何世紀にも亘って歴史的な大ロシアの一部であったウクライナ南東部が彼等の邪魔をしていなければ、彼等はもっと図々しく白昼堂々とその政策を推進したでしょう。そこに昔も今も住んでいる人々は、1991年にウクライナが独立を宣言した時も含めて、我が国とのより良い、より緊密な関係を唱道し続けました。

 ロシア人とウクライナ人、そして他の民族グループの代表者達は、ロシア語、文化、伝統、歴史的記憶によって団結していました。

 (………南東部の住民達は、ウクライナの他の部分と同様に親西洋派の嘘に騙されて飼い慣らされずに、ロシアとの関係を絶とうとはしなかった。)勿論、西洋はそれを見ていました。西洋の政治家達は、ウクライナで問題が積み上がる可能性に長い間気付いていました。彼等はまた抑制要因としての南東部の重要性を認識しており、何年もプロパガンダを行ってもそれを根本的に変えることは出来ないことも知っていました。

 彼等が努力していなかった訳ではありません。ですが状況を逆転させるのは本当に困難でした。彼等がどんなに努力しても、ウクライナ南東部の大多数の人々の歴史的アイデンティティと意識を歪曲して、ロシアに対する好感情や我々の歴史的共同体に対する感覚を、若い世代からすら根絶することは出来なかったのです。



 ドンバス戦争開始の経緯

 そこで彼等は再び武力を行使し、南東部の人々がまるで問題ではないかの様に進軍して打ち破ることに決めました。これを行う為に、彼等は明らかにウクライナの問題と政治的内紛に付け込んで、武装クーデターを首謀し、組織し、資金提供しました。彼等は意図的且つ一貫して準備を進めました。

 暴動、暴力、殺人の巨大な波がウクライナの各都市を襲いました。最終的に過激派のナショナリスト達がキエフで権力を掌握し、簒奪しました。

 名誉回復されたナチスの手先を含む彼等の攻撃的なナショナリスト的スローガンは、国家イデオロギーのレヴェルで布告されました。彼等は政府と社会のあらゆる側面でロシア語を廃止する政策を開始し、(ロシア)正教会の信者達に対する圧力と教会問題への干渉を強化し、最終的に分裂を作り出しました。(西洋では)誰もその干渉には気が付かなかった様で、大した問題とは思わなかった様です。

 他の場所でこの様なことを試してみて下さい。誰もがカンカンに怒るので後悔する羽目になります。しかしあそこでは、これは容認されています。何故ならロシアに反対することだからです。

 周知の様に、ウクライナの、主に東部地域に住む何百万人もの人々が、クーデターに対して立ち上がりました。彼等は暴力とテロで脅迫され始めました。

 先ず第一にキエフの新当局は、ロシア語圏のクリミアに対して攻撃の準備を開始しました。御存知の通りクリミアは1954年にロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国からウクライナに移管されましたが、これは当時のソ連でも有効であった法律や手続きのあらゆる規範に違反していました。

 この状況では我々は勿論、クリミアとセヴァストポリの人々を保護せずに見捨てて立ち去ることは出来ませんでした。彼等は自ら選択を行い、広く知られている通り、2014年3月にクリミアとセヴァストポリのロシアとの歴史的な統一が行われました。

 ハリコフ、ヘルソン、オデッサ、ザポリージャ、ドネツク、ルガンスク、マリウポリではクーデターに対する平和的な抗議活動が鎮圧され、キエフ政権とナショナリスト・グループは恐怖政治を解き放ちました。

 これら全てのことを思い出す必要は有りません。何故なら、それらの地域で何が起こっていたのかは誰もがよく知っているからです。

 2014年5月、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の地位を問う住民投票が行われ、地元住民の圧倒的大多数が独立と主権に賛成票を投じました。

 ここから次の様な問いが生じます:人々は一般的に言って、こうした方法で自らの意志を表明し、独立を宣言することが出来るのでしょうか?

 この部屋に居る人々は確かにそうすることは出来るし、人民自決の権利を含め、国際法の下ではそうする完全な権利と理由が有ることを知っています。勿論、わざわざ改めて言う必要も無いのですが、メディアが仕事中なので、国連憲章第1条第2項がこの権利を定めていると言っておきましょう。

 これに関連して、悪名高いコソボの先例を思い出してみましょう。………(西洋諸国は)2008年に、セルビアからのコソボの分離を合法的であると認めました。その後、国際司法裁判所は有名な勧告意見を発表しました。国連憲章第1条第2項に基付き、国連は2010/07/22に次の判決を下しました。引用:「安全保障理事会の慣例からは、一方的な独立宣言に対する一般的な禁止は演繹出来ない。」次の引用:「一般国際法には、独立宣言に対する適用可能な禁止規定は含まれていない。」それ以上に、独立宣言を決定した国の一部は、旧国家の中央機関に申請する義務は無いとも述べました。彼等はこれら全てを、自分達の手で白黒付けたのです。

 それでは、ドネツク共和国とルガンスク共和国には独立を宣言する権利が有ったのでしょうか?
 
 勿論有りましたとも! この問題はこれ以外に考え様は有りません。

 しかし、この状況でキエフ政権は何をしたでしょうか? それは人民の選択を完全に無視し、航空機、大砲、戦車を使って新たな独立国家であるドンバス人民共和国に対して全面戦争を開始しました。彼等は平和な都市に対して爆撃や砲撃を開始し、脅迫に訴えました。

 それで、次に何が起こりましたか? ドンバスの人々は、自分達の命、家、権利、正当な利益を守る為に武器を取りました。

 西洋では、ロシアは特別軍事作戦で戦争を始めたので侵略者である、だから西洋の兵器を使ってロシア領土を攻撃することは許されている、と云うのが通説です。ウクライナは単に自らを防衛しているだけであり、そうすることは正当化されていると云う議論です。

 繰り返しておきたいのですが、ロシアが戦争を始めた訳ではありません。国際法に従ってウクライナの特定地域の住民が独立宣言を行ったことを受けて敵対行為を開始したのはキエフ政権であり、彼等は現在もそれを続けています。若し我々がこれらの人民の独立を宣言する権利を認めないなら、これは正に侵略です。従って、何年もキエフ政権の戦争機構を支援して来た人々は、この侵略の共犯者です。



 ミンスク合意の経緯

 2014年に遡ると、ドンバスの住民達は降伏を拒否しました。民兵部隊は自らの立場を堅持して討伐軍を撃退し、最終的にはドネツクとルガンスクから彼等を押し返しました。我々はこれによって暴力を始めた人々が正気に戻ることを願っていました。

 流血を止める為、ロシアは慣例の通りに交渉の申し入れを行いました。ロシア、ドイツ、フランスの支援を得て、キエフとドンバス諸国の代表が参加する協議が始まりました。交渉は容易でありませんでしたが、最終的には2015年のミンスク合意の締結に至りました。

 我々はその実施を非常に真剣に受け止め、和平プロセスと国際法の枠内で状況を解決したいと期待しました。これによりドンバスの正当な利益と要求が認められるとの期待が有りました。ウクライナの領土一体性を維持しながら、これらの地域の特別な地位が尊重され、そこに住む人々の基本的権利が保障されるだろうと。

 我々はこれに対する準備を行い、これらの領土の住民達にその様な手段を通じて問題を解決するよう説得しようと努めました。我々は様々な妥協案や解決策を何度も提案しました。

 しかし、キエフは最終的に全てを拒絶し、単にミンスク合意を単に破棄したのです。ウクライナのエリート層の代表者達が後に告白した様に、これらの文書の条項のどれひとつとして彼等を満足させるものではなかったのです。彼等は単に嘘を吐き、可能な限りはぐらかしただけでした。

 ミンスク合意の実質的な共同作成者であり保証人であると称されていたドイツの元首相(メルケル)とフランスの元大統領(オランド)は、後にその履行は決して彼等が意図するところではなかったと公に認めました。それどころか、それはウクライナ武装勢力を強化し、武器や装備品を供給する時間稼ぎをする為の戦術だったと主張したのです。それは彼等がまたしても我々を引っ掛け、欺いた事例のひとつでした。

 キエフがよく主張していた様に、真の和平プロセスを促進し、再統合と国家和解の政策を求める代わりに、ドンバスは8年間に及ぶ容赦無い砲撃、テロ攻撃、殺人、そして厳しい封鎖に耐えることになりました。この何年もの間、ドンバスの住民達(女性、子供、高齢者)は脱人間化され、、「二流」または「人間以下」のレッテルを貼られ、全員にお返しをしてやると云う報復の約束で脅されて来ました。これが21世紀のヨーロッパの中心で起こっているジェノサイドでなければ何でしょうか?

 一方その頃、ヨーロッパと米国では、彼等は何も起こっていないし、誰も何も気付いていない様なフリをしていました。



 特別軍事作戦開始の経緯

 2021年末から2022年初めに掛けて、ミンスクのプロセスはキエフと西洋のハンドラー達によって最終的に葬られました。またしてもドンバスに対する大規模攻撃が計画されていたのです。ウクライナ軍の大部分はルガンスクとドネツクに対して新たな攻撃を開始する準備を行っており、これは明らかに民族浄化作戦、多数の死傷者、数十万人の難民を伴うであろうものでした。

 我々にはその大惨事を防ぎ、人々を守る義務が有りました。他に解決策は見付かりませんでした。

 ロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を承認しました。我々は過去8年間、(キエフと)合意に達することを期待して、その様なことはして来ませんでした。結果は御存知の通りです。

 2022/02/21、我々は承認した両共和国と友好、協力、相互援助を約した条約を締結しました。若し我々が独立を承認した場合、これらの人民共和国には我々に助けを求める権利が有ったでしょうか? 我々には彼等の独立を承認する権利が有ったでしょうか、そして彼等には、私が触れた国連の国際司法裁判所の条文や判決に従って主権を宣言する権利が有ったのでしょうか? 彼等には独立する権利が有ったのでしょうか? その通り、彼等には権利が有りました。

 若し彼等がこの権利を有し、それを行使したのであれば、我々には彼等と条約を結ぶ権利が有り、既に述べた様に、国際法と国連憲章第51条を完全に遵守して署名したことになります。

 同時に、我々はキエフ当局に対し、ドンバスから部隊を撤退させるよう求めました。私に言えるのは、我々は彼等に連絡を取り、部隊を撤退させればそれで終わりだと伝えたと云うことです。

 彼等は我々の提案を略即座に拒否しました。問題を平和的に解決する機会であったにも関わらず、彼等は単にそれを無視したのです。

 2022/02/24、ロシアは特別軍事作戦の開始を発表しなければなりませんでした。私はロシア国民、ドネツク、ルガンスク両共和国の国民、そしてウクライナ社会に向けて、ドンバスの人々の保護、平和の回復、ウクライナの非軍事化と非ナチ化と云う作戦の目的を概説しました。我々がそうしたのは、国家への脅威を回避し、ヨーロッパの安全保障分野のバランスを回復する為でした。



 和平交渉失敗の経緯

 同時に我々は引き続き、政治的及び外交的手段によって上記の目標を達成することが優先だと信じていました。特別軍事作戦の第一段階で、我々はキエフ政権の代表者達と交渉を行うことに合意したことを思い出して下さい。交渉は最初ベラルーシで開催され、その後トルコに移動しました。

 我々が伝えようとしたメッセージは、彼等はドンバスの選択を尊重し、部隊を撤退させ、平和な都市や町への砲撃を止めるべきだと云うものでした。我々が要求したのはこれだけで、他のことは全て後で決めれば良いと言いました。

 ですが彼等の返事は、「断る。我々は戦う」でした。明らかにそれは西洋の主人達からの命令でした。これについては今から話します。

 御存知の通り、2022年2月と3月に我が国の軍隊はキエフに接近しました。これについてはウクライナ国内でも西洋でも様々な憶測が飛び交っています。これについて私は何を言いたいのでしょうか? 我々の部隊は実際、キエフ近郊に配備されていて、軍部門と治安ブロックは我々の今後の行動の可能性について異なる提案をしていましたが、誰が何を言ったり推測したりしたとしても、300万人の人々が住むこの都市を襲撃すると云う政治的決定は有りませんでした。

 実のところ、それはウクライナ政権に和平を強要する為の作戦に他なりませんでした。部隊がそこに居たのは、ウクライナ側を交渉に着かせ、受け入れ可能な解決策を見付け、それによって2014年にキエフがドンバスに対して始めた戦争を終わらせ、ロシアの安全保障に脅威を齎す問題を解決するのが目的でした。

 驚くべきことに、その結​​果、モスクワとキエフ双方が満足する合意が実際に得られました。これらの合意は書類に纏められ、イスタンブールでウクライナ交渉代表団の代表によって署名されました。これはこの解決策がキエフ当局にとって適切であったことを意味します。

 文書のタイトルは「ウクライナの永世中立と安全保障に関する合意」でした。それは妥協ではありましたが、その主要なポイントは我々の基本的要求と一致しており、特別軍事作戦の開始に際してさえ主要な問題だと述べられていた問題を解決したのです。これにはウクライナの非軍事化と非ナチ化が含まれていたことにも留意して頂きたいと思います。

 そして我々はチャレンジングな成果も見出すことが出来ました。それらは複雑でしたが、見出すことは出来たのです。それは、ナチのイデオロギーとその表現を禁止する法律がウクライナで採択されることを意味していました。そこにはそうしたこと全てが書かれていました。

 更に、国際的な安全保障と引き換えに、ウクライナは軍隊の規模を制限し、軍事同盟に加わらない義務を負い、外国の軍事基地を受け入れず、駐留や派遣団も認めず、そして領土内で軍事演習を行わないことになっていました。全て書面に書かれていたことです。

 ロシアはまたウクライナの安全保障上の懸念も理解しており、ウクライナが同盟に正式に参加しなくても、NATO加盟国が享受しているのと同様の保証を受けることに同意しました。これは我々にとって難しい決断でしたが、我々は安全保証に対するウクライナの要求の正当性を認識し、キエフが提案した文言には反対しませんでした。これはキエフが提案した文言でしたが、我々はドンバスでの流血と戦争を止めることが重要であると理解していたので、概ね異論は有りませんでした。

 2022/03/29、我々はエフから部隊を撤退させましたが、それは政治交渉プロセスを完了するには条件を整える必要が有り、また西洋の同僚達が言った様に、一方の当事者が頭に銃を突き付けられた状態でその様な協定に署名することは出来ないと確信したからです。OK、我々もそれに同意しました。

 しかし、ロシア部隊がキエフから撤退したその翌日、ウクライナ指導部はブチャでの悪名高い挑発を仕組んで交渉への参加を一時停止し、合意の準備されたヴァージョンを拒否しました。今日では、何故あの醜い挑発が必要だったのかは明らかだと思います。交渉中に達成された成果が拒否された理由を説明する為です。平和への道はまたしても拒否されました。

 現在我々が知っている通り、これは西側の調整者達からの命令で行われたものですが、その中にはキエフ訪問中に直接伝えた元英国首相も含まれます———合意するな。ロシアの戦略的敗北を達成するには、ロシアは戦場で敗北しなければならないのだ、と。

 こうして彼等はウクライナへの武器の集中投入を開始し、今程述べた様にロシアに戦略的敗北を与える必要性について話し始めたのです。

 暫くすると誰もが知っている様に、ウクライナ大統領は、自身とその代理人がモスクワと如何なる交渉を行うことも禁止する大統領令を出しました。我々が平和的手段で問題を解決しようとしたこのエピソードは、またしても無駄に終わりました。

 交渉については、また別のエピソードを公表したいと思います。 私もこれについて公には話していませんが、ここに居る人の中にはそれを知っている人も居ます。



 新領土編入の経緯

 ロシア軍がヘルソンとザポリージャ地域の一部を占領した後、多くの西洋の政治家達が紛争の平和的解決の仲介を申し出ました。その中の1人は2022/03/05にモスクワを実務訪問しました。我々は彼の調停努力を受け入れました。特に彼は会談中に、ドイツとフランスの指導者達、そして米国の高官達の支持を確保したと述べていた為です。

 会談の最中、その外国人ゲストは不思議に思いました———興味深い瞬間でした———あなた方が支援しているのがドンバスなら、何故ロシア軍がヘルソンやザポリージャ地域を含むウクライナ南部に居るのですか?と。我々は、作戦計画に関する参謀本部の決定であると云う旨のことを答えました。今日付け加えておきますが、その構想は主にマリウポリを解放する為に、ウクライナ当局が8年間掛けてドンバスに建設した要塞地域の一部を迂回すると云うものでした。

 そこで我々の外国の同僚が指摘したのは(公平を期す為に言っておきますが、彼は専門家です)、ロシア部隊はヘルソンとザポリージャ地域に留まるつもりかと云うことでした。そして特別軍事作戦の目的が達せられた後、これらの地域はどうなるのか? これに対して私は、ロシアがクリミアへの安定した陸橋を持っている限り、一般的にこれらの領土に対してウクライナの主権を維持することを排除するものではないと答えました。言い換えれば、キエフは、ロシアがヘルソンとザポリージャ地域を経由してクリミア半島にアクセスする法的に正式な権利を、彼等が言うところの地役権を保証すべきであると云うことです。

 これは重大な政治的決定です。そして勿論、その最終版では、一方的に採択されるのではなく、安全保障理事会や他の機関との協議、勿論市民や我が国の人々との議論、そして何よりもヘルソンとザポリージャ地域の住民との議論を経た上での話です。

 結局、我々がやったのは———人民自身の意見を聞いて、住民投票を行ったのです。

 そして我々は、ヘルソンやザポリージャ地域、ドネツクやルガンスク人民共和国を含め、人々が決めたことを実行したのです。

 2022年3月当時、我々の交渉パートナーは、ウクライナの首都で同僚との対話を続ける為にキエフに向かうつもりだと述べました。日々の戦闘により新たな死傷者と損失が発生している為、我々は一般的に、紛争の平和的解決を模索する試みとしてこれを歓迎しました。

 ですが我々が後で知った様に、その西洋の調停者の仕事はウクライナでは受け入れられませんでした。それどころか、我々が気付いた様に、彼等は彼が親ロシア的な立場を取ったとしてかなり厳しく非難したのです。これは言っておかなければなりませんが、まぁ小さなことです。

 さて、既に述べた様に、状況は根本的に変わりました。ヘルソンとザポリージャの住民は住民投票で自らの立場を表明し、ヘルソンとザポリージャ地域、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国はロシア連邦の一部となりました。そして国家の統一を乱すという話は有ってはなりません。ロシアと共に在ると云う人民の意志は不可侵のものです。この話は永遠に終わったものであって、最早議論の対象ではありません。



 キエフ政権の正統性に対する疑問

 繰り返しになりますが、ウクライナ危機を計画し、引き起こしたのは西洋です。現在、この危機を無期限に延長し、ロシアとウクライナの人民を弱体化させ、相互に敵意を抱かせる為に出来る限りのことを行っているのは西洋です。彼等は更に多くの武器と弾薬を送り続けています。欧州の一部の政治家達は最近、ウクライナに正規軍を派遣する可能性を弄んでいます。

 同時に、既に述べた様に、これらの人形使い達、ウクライナの真の支配者達———残念ながら、彼等はウクライナ人民ではありません。しかし海外のグローバリストのエリート達は現在、徴兵年齢を更に引き下げる決定を含め、不人気な決定の責任をウクライナ行政当局に負わせようとしています。御存知の通り、ウクライナ人男性の徴兵適格年齢は最近25歳に引き下げられました。次回はそれを23に下げ、次に20に下げるか、或いは18まで下げるかも知れません。

 次に彼等は、西洋からの圧力を受けてこうした不人気な決定を下した当局者達を排除することでしょう。単なる消耗品であるかの様に彼等を切り捨て、責任を全て彼等に押し被せて、同じく西洋に依存しているがよりはっきりした評判を(まだ)持っている他の当局者に置き換えることでしょう。
 
 この点に関して、キエフが忘れたがっていること、そして西洋も同様に沈黙を守っていることを思い出して頂きたいと思います。それは何でしょう? 2014年5月、ウクライナ憲法裁判所は次の様な判決を下しました———「大統領は、定期選挙か早期選挙かに関係無く、任期5年で選出される。」更に憲法裁判所は、「大統領の憲法上の地位は、5年以外の任期を設定する如何なる規範も含意しない」と指摘しました。裁判所の決定は最終的なものであり、控訴の対象にはなりませんでした。つまりそう云うことです。

 これは今日の状況に関して何を意味しますか? 以前に選出されたウクライナ首長の大統領任期は、如何なるトリックによっても回復することの出来ない彼の正統性と共に、期限切れを迎えたのです。

 大統領任期に関するウクライナ憲法裁判所の判決の背景については細部には立ち入りません。2014年のクーデターを正当化しようとする試みの最中に作られたことは明らかです。にも関わらず判決は下されました。これは法的事実であり、従って選挙を中止すると云う今日のパントマイムを正当化しようとする如何なる試みも擁護不能です。

 実際、先程も述べた様に、ウクライナの歴史に於ける現在の悲劇的な章は、2014年の権力掌握、反憲法クーデターから始まりました。繰り返しになりますが、現在のキエフ政権の根源には武装反乱が在ります。さて、これで輪は閉じられた訳です。2014年と同様、ウクライナの行政権は簒奪され、不法に保持されています。実際、我々は非合法な政府を扱っているのです。
 
 もっと言いますと、選挙の中止は正にその性質、2014年の武装クーデターから生まれ、それと結び付き、そこにルーツを持っている現キエフ政権の中身を反映したものです。選挙を中止したにも関わらず、彼等が権力にしがみ付き続けていると云う事実は、ウクライナ憲法第5条によって明示的に禁止されています。引用すると、「ウクライナの憲法秩序を決定し、変更する権利は国民に独占的に属しており、国家、その機関、役人によって奪われることは無い。」

 更に、その様な行為はウクライナ刑法第109条に該当します。これは正確に憲法秩序の強制変更や転覆、国家権力の奪取、及びその様な行為を行う共謀を指しています。2014年にはその様な簒奪は革命によって正当化され、現在は敵対行為によって正当化されていますが、実際の状況は変わりません。実際、我々はウクライナ政府の行政府、最高議会の指導部、そしてそれが支配する議会の多数派間の共謀について話しているのです。この共謀は国家権力の簒奪(こうとしか表現出来ません)を目的としたものであり、ウクライナ法の下では刑事犯罪となります。

 次に、ウクライナ憲法は、大統領選挙の中止や延期の可能性、或いは彼等が現在言及している戒厳令に関連した大統領の権限の継続については規定していません。

 ウクライナ基本法には何と書かれていますか? 戒厳令期間中は最高議会の選挙が延期される可能性が有ると述べています。ウクライナ憲法第83条にそう書かれている。ですからウクライナの法律は、公権力の権限が戒厳令期間中に延長され、選挙が実施されない場合の唯一の例外を規定していますが、これはウクライナ議会にのみ適用されるものです。これにより、戒厳令下の常設機関としてウクライナ議会の地位が定められることになります。言い換えれば、行政府とは異なり、最高議会は合法的な機関となるのです。

 ウクライナは大統領制の共和国ではなく、議会制と大統領制の共和国です。ここがポイントです。

 更に、第106条と第112条により、大統領を務める最高議会議長には、防衛、安全保障、軍の最高指揮の分野を含む特別な権限が与えられています。そこには何もかも議論の余地無く定められています。

 ところで、ウクライナは今年上半期、安全保障分野での協力と長期支援に関する一連の二国間協定を欧州数ヵ国と締結しました。同様の文書が米国とも署名されています。

 (ゼレンスキーの任期は2024/05/20までの為)2024/05/21以降、その様な文書に署名しているウクライナ代表の権限と正統性に関して、当然のことながら疑問が生じています。

 それは我々には関係有りません。彼等は好きなものに署名すればいい。明らかに、ここには政治的、プロパガンダ的な側面が働いています。米国とその衛星諸国は同盟国を支援し、信頼性と地位を高めることに熱心な様ですから。

 しかし若しこの様な合意に対する真剣な法的調査が(内容ではなく法的枠組みに関して)米国で行われた場合、誰がどの様な権限でこれらの文書に署名したかについて疑問が生じるのは間違い有りません。状況を分析する意欲が有れば、合意は無効となり、全てが吹き飛ぶかも知れません。

 全てが正常である振りをすることは出来ますが、現実はそれとは程遠いものです。私はそれを読みました。全て文書化され、憲法に規定されています。


 
 和平が成立する条件

 (西洋がスイスで開催する和平会議なる茶番は失敗する運命に在るが………)現在、西洋は我々の利益を無視し、キエフの交渉を禁止し、偽善的にも我々に交渉を呼び掛け続けています。それは単に馬鹿げている様に見えます。一方で、彼等は我々と交渉することを禁じられているのに、我々は交渉するよう求められています。まるで我々が交渉を拒否しているかの様に。実にナンセンスです。我々は或る種のファンタジーの世界に住んでいる様です。

 差し当たって、彼等は第一にキエフにロシアとの交渉禁止を解除するよう命令すべきであり、第二に、我々は明日にでも交渉に取り掛かる用意が有ります。

 我々は法的状況の特殊性を理解していますが、既に述べた様に、仮令憲法に準拠していても、そこには正統な権限が存在します。交渉すべき人が居ます。それで準備は完了です。

 この様な協議を開始する為のこちらの条件はシンプルなもので、次の通りです。

 その前に、私がこれから言おうとしていることは今日我々に限った話ではなく、我々が常に一定の立場を堅持し、常に平和を目指して努力して来たと云うことをはっきりさせておく為に、私はもう少し時間を割いて一連の出来事全体をもう一度思い出して頂こうと思います。

 そう、これらの条件はシンプルです。

 ウクライナ軍はドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国、ヘルソン地域とザポリージャ地域から完全に撤退しなければなりません。これらの地域がウクライナの一部であった時点の行政境界内のこれらの地域の領土全体から撤退しなければならないことに注意してください。

 キエフがこの決定を下す用意が有り、またこれらの地域から本当に撤兵を開始する準備が出来ていると宣言し、またNATO加盟計画を放棄することを正式に通告し次第、当方は停戦命令に従い、それと同時に我々が発令して交渉を開始するでしょう。繰り返しますが、我々はこれを迅速に行います。勿論我々は、ウクライナの部隊と編隊の妨害無しの安全な撤退も保証します。

 我々は部隊の撤退、軍事同盟を組まないと云う約束、そして将来のウクライナの存亡が懸かっているロシアとの対話の開始に関するそうした決定が、確立された現実に基付いて進められ、西洋からの命令ではなくウクライナ人民の真の国益を導きとして、キエフで独自に採択されることを確実に期待したい。勿論、これには大きな疑問が残りますが。



 再び時系列で振り返る

 にも関わらず、これに関連して私がもう一度言いたいこと、そしてあなた方に思い出して貰いたいことは何でしょうか? 私は出来事を時系列でもう一度振り返ってみたいと言いました。これについて少し時間を掛けてみましょう。

 2013〜14年にキエフで起きたマイダン事件の際、ロシアは、実際には外部の黒幕が画策したこの危機の合憲的な解決への支援を繰り返し申し出ました。

 2014年2月末の出来事の時系列に戻りましょう。02/18、反政府勢力はキエフで武力衝突を引き起こしました。市長室や労働組合議事堂等、多くの建物が放火されました。。

 02/20、正体不明の狙撃兵達が抗議者達と法執行官達に向けて発砲しました。つまり武装クーデターの首謀者達は、状況を暴力的なものにし、過激化させる為に何でもやったのです。そしてキエフの路上で当時の当局に対する不満を表明した人達は、彼等の利己的な目的の為に意図的に捨て駒として利用されました。

 彼等は今日、全く同じことを行っており、人々を動員して虐殺させられる為に(戦場に)送り込んでいます。

 それでも、当時はまだ文明的な方法で状況を打開するチャンスが有りました。
 
 02/21、当時のウクライナ大統領と反政府勢力が政治危機の解決に関する合意に署名したことが記録に残っています。よく知られている様に、その保証人はドイツ、ポーランド、フランスの公式代表者達でした。この合意では、議会大統領制への復帰、大統領選挙の早期実施、国家統一政府の樹立、キエフ中心部からの法執行部隊の撤退、反政府勢力の武器の引き渡し等が規定されていました。最高議会は抗議者達の刑事訴追を除外する法律を採択したことも付け加えておきましょう。

 こうした合意が有れば、暴力を止め、状況を憲法の枠組みに戻すことが出来たであろうことは事実です。この合意は署名されたのですが、キエフも西洋も、この問題を取り上げたくはない様です。

 今日、これまで公にされていなかったもうひとつの重要な事実をお伝えします。02/21の正に同じ時間、私はアメリカ側の主導でアメリカの相手と話し合いを行いました。本質的にアメリカの指導者(オバマ)は、当局と反政府勢力との間で結ばれたキエフ合意に対する明確な支持を表明しました。更に、彼はこれは正に画期的であり、ウクライナの人々にとって、想像し得るあらゆる境界を越えてスカレートする暴力を阻止するチャンスであると表現しました。

 更に、話し合い中、我々は協力して次の様な方針を策定しました:ロシアは、当時のウクライナ大統領(ヤヌコヴィッチ)に対し、抗議者達に対する軍や法執行機関の出動を控え、最大限の自制を発揮するよう説得することを約束する。逆に米国は反政府勢力に対し、平和的に行政庁舎を立ち退き、路上の静穏化に努めるよう促すことを誓う。

 これらの取り組みは全て、憲法と法的原則の順守を確保し、国を正常な状態に回復させることを目的としていました。全体として我々は、安定し、平和的で、よく発展するウクライナの促進に向けて協力することで合意したのです。

 我々は約束を完全に果たしました。当時、(元々)軍を派遣するつもりの無かったヤヌコヴィッチ大統領はそうすることを控え、更にキエフから追加の警察部隊を撤退させました。

 西洋の同僚達はどうだったでしょう? 02/22の夜から翌日に掛けて、西洋(今述べた様にヨーロッパと米国の両方)の合意と保証にも関わらず、過激派は大統領府である議会ビルを強制的に掌握し、政府を乗っ取りました。この時ヤヌコヴィッチ大統領はハリコフに向けて出発していたのですが、そこでウクライナイナ南東部とクリミアの議員会議が開催されることになっていました。

 ところが、これらの政治和解合意の保証人である米国も欧州も自らの義務を果たして、反政府勢力に対して掌握した行政庁舎を解放し暴力を止めるよう促すことを全くしませんでした。

 この一連の出来事が彼等の意に適っただけでなく、恐らく彼等こそが展開した出来事を画策したことは明らかです。

 2014/02/22、最高議会はウクライナ憲法に違反して、ヤヌコヴィッチ大統領の自主解任と05/25の早期選挙の予定を宣言する決議を可決しました。これは外部の影響によって扇動された武装クーデターの特徴でした。ウクライナの過激派達は、西洋からの暗黙の同意と直接的な支援を得て、危機の平和的解決に向けたあらゆる努力を妨害しました。

 それから我々はキエフと西洋諸国の首都に対し、ウクライナ南東部の人々との対話を開始し、彼等の利益、権利、自由を尊重するよう求めました。

 しかし、クーデターによって権力を掌握した政権は戦争の方を好み、2014年の春から夏、ドンバスに対する懲罰行動を開始しました。
 
 ロシアは改めて平和を訴えました。我々はミンスク合意の枠組みの中で、生じている緊急の諸問題に対処する為にあらゆる努力を惜しみませんでした。

 ですが先程指摘した様に、ホワイトハウス長官を含む西洋の同僚達が、ミンスク合意を重視し、その履行に全力で取り組んでいると口頭で保証したにも関わらず、西洋とキエフ当局はそれらを履行する意図を示しませんでした。彼等は、これらの合意はウクライナ情勢の解決と安定化に役立つだろう、ウクライナ東部の住民の利益を考慮する、と主張しました。ですが彼等は実際には先程述べた様に、事実上、ドンバスに対する封鎖を開始したのです。
 
 ウクライナ軍は、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の破壊を目的とした総力作戦に向けて、組織的な準備を行いました。ミンスク合意は、キエフ政権と西洋の行動によって最終的に無視されました。この話題については、近い内ににもう一度取り上げます。

 その為、2022年にロシアはドンバスでの戦争を止め、民間人をジェノサイドから保護する為に、特別軍事作戦を開始せざるを得なくなりました。

 本日先程触れた様に、我々は当初から一貫してこの危機に対する外交的解決策を提案して来ました。これらにはベラルーシとトルコでの交渉が含まれていましたし、また我々は広く受け入れられたイスタンブール協定の署名を促進する為に、キエフから部隊を撤退させもしました。

 しかし、これらの努力もまた拒絶されました。西洋とキエフは我々を敗北させると云う目標に拘り続けました。しかし御存知の通り、こうした取り組みは最終的には挫折しました。



 現時点での和平提案

 今日、我々はまた別の具体的で本物の和平提案を提示します。若しキエフと西洋諸国の首都が以前と同じ様に再びこれを拒否した場合、現在進行中の流血沙汰事件に対する政治的、道義的な責任は、最終的に彼等に在ることになります。

 明らかに、前線の状況はキエフ政権にとって不利な展開を続けており、交渉開始に必要な条件は変化することでしょう。

 重要な点を強調しておきましょう:我々の提案の本質は、西洋が好む様な、キエフ政権が回復し再軍備し、新たな攻勢に備えることを可能にする為の一時的な休戦や停戦ではありません。繰り返します:我々は紛争の凍結についてではなく、紛争の最終的な解決について論じているのです。

 繰り返します:キエフがドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国、ザポリージャとヘルソン地域からの部隊の完全撤退を含む、今日提案された行動方針に同意し、このプロセスを本格的に開始すれば、我々は速やかに交渉を開始する用意が有ります。

 私は、我々の断固とした立場を繰り返します:ウクライナは中立、非同盟の地位を受け入れ、核を持たず、非軍事化と非ナチ化を経るべきです。

 これらのパラメータは、合意された戦車やその他の軍事装備の数等の非軍事化に関する具体的な詳細を含めて、2022年のイスタンブール交渉中に広く合意されたものです。我々は全ての点に於て合意に達しました。

 勿論、ウクライナ国内のロシア語を話す市民の権利、自由、利益は完全に保護されなければなりません。クリミア、セヴァストポリ、ドネツクとルガンスク人民共和国、ヘルソンとザポリージャ地域がロシア連邦の一部であることを含む、新たな領土の現実は認められるべきです。

 これらの基本原則は、将来的には基本的な国際協定を通じて正式に定められなければなりません。当然のことながら、これにはロシアに対する西洋の全ての制裁の解除も含みます。

 私はロシアが、ウクライナ戦争を真に終結させることを可能にする選択肢を提案していると信じています。即ち、我々は歴史の悲劇的なページを捲り、困難ではありますが、徐々に、一歩いっぽ、ロシアとウクライナ、そしてヨーロッパ全体との間の信頼関係と近隣関係を回復させることを求めます。

 ウクライナ危機を解決した後、我々と、CSTO及びSCOのパートナー諸国(彼等は今日尚もウクライナ危機の平和的解決の模索に重要な建設的貢献を続けています)、そして対話の用意が出来ている欧州諸国を含む西洋のパートナー達は、私が声明の冒頭で話した基本的な課題、即ち、例外無しに大陸上の全ての国々の利益を考慮した、不可分のユーラシアの安全保障システムの創設に着手することが出来るでしょう。

 勿論、我々は25年前、15年前、更には2年前に提案した安全保障に関する提案をそのま儘繰り返すことは不可能です。余りにも多くのことが起こり、状況は変化しました。

 しかし基本原則、そして最も重要なことですが、対話の主題自体は変わりません。

 ロシアは世界の安定に対して責任を負っていることを自覚しており、全ての国々と対話する用意が有ることを改めて表明します。

 しかし、これは誰かの利己的な意志や誰かの既得権益に奉仕する為の和平プロセスの真似事ではあってはなりません。これは全ての問題、世界の安全保障に関するあらゆる問題についての、真剣で徹底徹底した話し合いでなければなりません。………
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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