『マニュファクチャリング・コンセント(合意の捏造)』の21世紀アップデート版
Alan MacLeod 編、Propaganda in the Information Age: Still Manufacturing Consent のレビュー。
ウクライナ紛争、COVID-19、気候変動/SDGs………メディアは日々大量のフェイクニュースを垂れ流している。以前はまぁ、世界の反対側で起こっている戦争についてメディアがどれだけ嘘や偏った情報を流そうとも、日本人は基本的に安全圏に居たので、騙されている人が圧倒的多数派であったとしても、私達の生活が直接に影響を受けることは少なかった。だがグレート・リセットとやらの資本主義再起動計画は、私達の日常生活の隅々までも支配しようと云う遠大な野望を達成しようとしているらしく、最早大きな嘘について理解出来ない、難しくてよく解らない、スケールが大き過ぎて想像力が及ばない、では済まされなくなって来た。嘘の力は日々私達の日々の営みの中に着実に侵入して来ていて、その圧力の増大を感じない日は無い。
以前は私は、政治学やジャーナリズムを専攻する学生は全員ハーマン&チョムスキーの名著『マニュファクチャリング・コンセント(MC)』を基本文献として目を通しておくべきだと思っていたのだが、今ではもう、誰でもいいから片っ端からこの本を読ませてやりたいと云う気持ちで一杯だ。メディアが嘘や偏向情報を流すのなんて昔からだし、それらを頭から信じるのはとんでもない間違いだし、状況は日々悪化する一方だ。世の中の大きな問題について、「専門家」任せにしていても自分達が直接被害を受けない時代はもうとっくに終わったのだ………と、私などは思うのだが、どうやら世の中の大きな嘘に対して敏感な人と鈍感な人とが居るらしく、前者である私は子供の頃からメディアなんて信用していなかったので、初めてMCを読んだ時にも、それは大枠に於てはそれまで知っていたことを、細部まで詰めて再確認する作業でしかなかった。ところが世の中は大きな嘘で溢れていることが見えない人は全く見えないらしく、チョムスキーを「(自分達には全く理解出来ない言葉を話す)海王星人」に喩えるのはそう云う種類の人達なのだろうと思う。
彼等はメディア報道や教科書に書かれていることを疑ったことが無く、定められた範囲を超えて疑問を持つことを自らに許すメンタリティを育てていないので、「ロシアや中国等の野蛮な国々と違って、西側/西洋には完全な報道の自由や表現の自由が存在する」などと云う与太話を、本気で心の底から信じている。本書でも引用されているローザ・ルクセンブルクの言葉を引用すれば、彼等は(定められた範囲を超えて)動いたことが無いので、自らを縛る鎖の存在に全く気が付いていないのだ。鎖に縛られていることに気が付かなければ、それは鎖に縛られていないのと同じことだ(少なくとも、当人にとっては)。だが傍から見ることを覚えた人にとっては、彼等の視野が極めて限定されていることは火を見るより明らかであって、彼等の「自由」は、許された以上の疑問を決して抱くことが無いことの上に成り立っている。檻の存在に気が付かない囚人は、自分が自由だと心から信じているかも知れないが、今日の様にその鎖を引き千切り檻を破らないことには理解の出来ない展開が次々繰り広げられている現状に於ては、その認知的限界が有害でしかないことは言うまでもない。
本書は、メディアが嘘や偏向報道を、特に戦争や紛争に関して常習的に垂れ流していることを検証・考察した古典的名著であるMCを、21世紀の現状に合わせてアップデートしたもので、これまでに書かれた様々な人の様々な論文や論考を踏まえた上で書かれている。MCに於て示された、1)マスメディアの所有者の影響、2)マスメディアのスポンサーの影響、3)偏った情報源の影響、4)「集中砲火(非難や法的処罰)」の影響、5)反共思想、と云う5つのフィルターが今でも有効であるのかが詳しく検証されているのだが、資本の更なる集中や、オールド・メディアの衰退とインターネットの普及、広告形態の変化、冷戦の終了と認知戦の発達、検閲や言論弾圧の強化と云う形で、全般に於てMCが書かれた冷戦時代よりも悪化していることが論証されている。これは西側メディアの現状に危機感を抱いている多くの人の実感とも合致している。
全体的によく書かれてはいるが、幾つか限界を感じる箇所も有る。5)の「反共主義」については「反ロシア主義」に形を変えて復活・強化されたと論じられているが、これは「敵/味方の二分法」フィルターの方が適当だろうと思う。相手はロシアでなくても、状況に応じて中国、DPRK、イラン、どの国でも良いからだ。最近では「反ワクチン」や「陰謀論者」と云うヴァリエーションも増えたが、要するに敵味方に言論を二分して異論を封殺することが目的だ。これはフェイクニュースの強化と共に、非常に重大な影響力を現代社会に及ぼしている(本書で取り上げているのは例えばロシアゲートやシリア「内戦」等だ)。
4)の「集中砲火」については、ジュリアン・アサンジやエドワード・スノーデンに対する弾圧等もこれに含めている様だが、最近ではウクライナ内務省が支援する殺人リスト「ミロトヴォレッツ」に載せられたロシアのジャーナリストのダリア・ドゥギナ氏が爆殺されたり、ウクライナ紛争について真実を伝えているジャーナリストや、西側の公式の物語に反対する著名人等も見境無くこのリストに載せられると云う展開も見られる上、2022年にロシアの特別軍軍事作戦が開始されてからは、ロシアに対する前例の無い規模の経済制裁や、ロシア・メディアの一斉禁止や検閲の強化も行われているので、もう少し敷衍する必要が有るのではないかと思う。
また3)の偏った情報源についても、シリア侵略に於けるホワイト・ヘルメットの役割について分析してはいるが、これだとメディアが偏った情報源に依存してる状況は説明出来ても、メディア自身が積極的にフェイクニュースの創作に加担しているケースは説明出来ない。例えば世界各地のカラー革命に於て、メディアの特派員がCIAやMI6等の工作員と連携して、組織的に事件を捏造したり、情報を歪めている事例が度々目撃されている。これなどは、メディアの一部が状況に応じて諜報部と一体化していると考えなければ説明出来ない。この点ももう少し掘り下げるする必要が有るだろう。
本書ではこの他にも、階層の他に人種やジェンダーも重要なフィルターとして機能していること、ハリウッドに対して軍やCIAが多大な影響力を揮っており、正確に測定することは不可能だが軍や諜報部に対する人々のイメージを形成する上で恐らく重要な役割を果たしていること、5つのフィルターはインドやケニアの様な非西洋諸国にも応用可能なこと、等が論じられている。
興味深いのは、多くの御用記者を輩出しているコロンビア大学のジャーナリズム学院で学び、フィナンシャル・タイムズで4年間務めた、謂わばインサイダーの証言。御用記者達が如何に狭い視野でしか物事を見ず、権威を疑わず、新自由主義を盲信していて、疑問を持つと云う発想そのものが欠落しているかを暴き出している。「有能なジャーナリスト」になって出世したいなら、自己検閲していることに気が付かなくなるまで自己検閲を内面化して、完全に疑問を持たないことが肝心だ。これは皮肉でも何でもなく、例えば日本の東京新聞の望月衣塑子記者の扱いを見れば、それが事実であることは容易に確かめられるだろう。望月氏は決してラディカルな批判をする人ではなく、全体的には体制寄りの人物だと私は思うのだが、ほんの少し、政府のみっともない醜行について何度か極く当たり前の疑問を呈しただけで、記者クラブの御用記者仲間達から「そんな質問をするなんてとんでもない!」と集中砲火を浴びる羽目になった。まぁそれだけ政府やメディアの度量が狭くなっている(そして自信を喪失している)と云うことなのだろうが、「定められた範囲内でしか批判をしない、疑問を持たない」と云うことは、御用記者にとって必須の条件なのだ。西側のどの国に於てもこの事情は大体共通しているだろうと思う。
フェイクニュースが当たり前の日常になり、そして適切な情報収集を行っている者にとってはその嘘を見破ることもより容易になって来た時代に於て浮き彫りになったのは、この西側/西洋文明なるものが、実際には如何に嘘によってコントロールされ、分断されているかと云うことだ。顕著な例は他ならぬMCの著者の一人、チョムスキー氏の最近の体たらくだ。彼は気候変動問題が人類にとって最大の問題であると主張して有害極まり無い気候変動「対策」を行わない米共和党を人類最大の脅威と呼び、危険極まり無いCOVID-19ワクチンを打たない者に対して科学的には全く無意味な隔離措置を講じることに賛成し、ウクライナ紛争について大量のフェイクニュースを垂れ流している西側報道を「概ね信頼出来る」と発言している。つまり彼は彼自身が批判して来た体制派知識人として振る舞う例が近頃目立って来た。「あれ、チョムスキーってこんな人だっけ?」「チョムスキーは一体どうしてしまったんだ?」と呆れ返った人々から度々批判が行われてはいるが、これについてもチョムスキー氏を支持する人もそれなりに多く、「左派」を自認していた陣営が割れている。
私自身、特に2020年以降強く感じる様になって来たのは、疑問を持つ認知的限界は人によって大きく異なると云うことだ。日本だと国内報道の嘘は見抜けるのに国際報道の嘘にはあっさり引っ掛かったりする人が多いし、米国だと共和党の嘘は見抜けるのに民主党の嘘は全く見えていないか軽視する人が多い。そして政治的な嘘は見抜けるのに科学的な嘘(似非科学)は全く疑うことが出来ない人がやたらと居るし、グローバルな嘘は見抜けても反共プロパガンダは全く疑おうとしない人も居る。「これ以上のことは疑えない」と云う人々の認知的限界は、人によってジャンルや範囲が非常にまちまちなのだ。私なんかは政治だろうと科学だろうと、どれも所詮人間の営みであることに変わりは無いのだから、全方位的に健全な懐疑精神を発揮して、個々の事例を事実に照らして判断すれば良いのではないかと思うが、「これは疑ってはいけない。これを疑うなど想像すら出来ない。これに異論を呈する様な情報は一切耳に入れてはいけない」と云うタブーが、結構あちこちに転がっている様なのだ。まぁ人間社会と云うものは社会を支えている様々なものに対する根本的な信頼によって成り立っていて、何でもかんでも疑っていたらまともに生活など出来ないので、これには無理からぬところも有るのだが、状況に応じて「当たり前」や「常識」を信じることを止め、現象学風に言えばエポケー(判断停止)によって目の前の現象を一旦カッコに入れて、ありのままの事実をひとつひとつ確認して行く作業を遂行する能力———この場合はざっくりメディア・リテラシーや情報リテラシーと呼んでも良いが、これを育てなければ、現代社会は理解出来ない。
本書でも指摘している様に、インターネットの普及によって、メディアの嘘を見抜くことは昔と比べて飛躍的に容易になった。だがそれは何を疑うべきか、どんな情報を確かめるべきか、事前に知っていて目的意識を持ってネットを使いこなしている少数派に限られるのであって、圧倒的大多数の人々は、最早完全に大政翼賛化した大企業メディアの情報を頼りに現実を理解しようとしている。この状況に気が付いた人々がすべきことは、何とかして人々のメディア・リテラシーを底上げしてこの少数派の数を少しでも増やし、メディアの大本営報道に対抗し得る草の根のプラットフォームを構築して行くことだろう。だが世紀の変わり目には既に資本の集約が末期的様相を呈していたことに加えて、9.11、COVID-19、そしてウクライナ紛争を通じて、西側の検閲体制はどんどん厳しくなる一方だ(但し自分で動いたことの無い人々は、檻が狭まっていることにすらまだ気が付いていない)。西洋のこのデモクラシーならぬデマクラシー体制は、最早内部から浄化することは不可能に近いのではないかとの思いを、私は度々抱いている。まぁ、こうやって今自分に出来ることをこつこつやるしか無いのだが。
ウクライナ紛争、COVID-19、気候変動/SDGs………メディアは日々大量のフェイクニュースを垂れ流している。以前はまぁ、世界の反対側で起こっている戦争についてメディアがどれだけ嘘や偏った情報を流そうとも、日本人は基本的に安全圏に居たので、騙されている人が圧倒的多数派であったとしても、私達の生活が直接に影響を受けることは少なかった。だがグレート・リセットとやらの資本主義再起動計画は、私達の日常生活の隅々までも支配しようと云う遠大な野望を達成しようとしているらしく、最早大きな嘘について理解出来ない、難しくてよく解らない、スケールが大き過ぎて想像力が及ばない、では済まされなくなって来た。嘘の力は日々私達の日々の営みの中に着実に侵入して来ていて、その圧力の増大を感じない日は無い。
以前は私は、政治学やジャーナリズムを専攻する学生は全員ハーマン&チョムスキーの名著『マニュファクチャリング・コンセント(MC)』を基本文献として目を通しておくべきだと思っていたのだが、今ではもう、誰でもいいから片っ端からこの本を読ませてやりたいと云う気持ちで一杯だ。メディアが嘘や偏向情報を流すのなんて昔からだし、それらを頭から信じるのはとんでもない間違いだし、状況は日々悪化する一方だ。世の中の大きな問題について、「専門家」任せにしていても自分達が直接被害を受けない時代はもうとっくに終わったのだ………と、私などは思うのだが、どうやら世の中の大きな嘘に対して敏感な人と鈍感な人とが居るらしく、前者である私は子供の頃からメディアなんて信用していなかったので、初めてMCを読んだ時にも、それは大枠に於てはそれまで知っていたことを、細部まで詰めて再確認する作業でしかなかった。ところが世の中は大きな嘘で溢れていることが見えない人は全く見えないらしく、チョムスキーを「(自分達には全く理解出来ない言葉を話す)海王星人」に喩えるのはそう云う種類の人達なのだろうと思う。
彼等はメディア報道や教科書に書かれていることを疑ったことが無く、定められた範囲を超えて疑問を持つことを自らに許すメンタリティを育てていないので、「ロシアや中国等の野蛮な国々と違って、西側/西洋には完全な報道の自由や表現の自由が存在する」などと云う与太話を、本気で心の底から信じている。本書でも引用されているローザ・ルクセンブルクの言葉を引用すれば、彼等は(定められた範囲を超えて)動いたことが無いので、自らを縛る鎖の存在に全く気が付いていないのだ。鎖に縛られていることに気が付かなければ、それは鎖に縛られていないのと同じことだ(少なくとも、当人にとっては)。だが傍から見ることを覚えた人にとっては、彼等の視野が極めて限定されていることは火を見るより明らかであって、彼等の「自由」は、許された以上の疑問を決して抱くことが無いことの上に成り立っている。檻の存在に気が付かない囚人は、自分が自由だと心から信じているかも知れないが、今日の様にその鎖を引き千切り檻を破らないことには理解の出来ない展開が次々繰り広げられている現状に於ては、その認知的限界が有害でしかないことは言うまでもない。
本書は、メディアが嘘や偏向報道を、特に戦争や紛争に関して常習的に垂れ流していることを検証・考察した古典的名著であるMCを、21世紀の現状に合わせてアップデートしたもので、これまでに書かれた様々な人の様々な論文や論考を踏まえた上で書かれている。MCに於て示された、1)マスメディアの所有者の影響、2)マスメディアのスポンサーの影響、3)偏った情報源の影響、4)「集中砲火(非難や法的処罰)」の影響、5)反共思想、と云う5つのフィルターが今でも有効であるのかが詳しく検証されているのだが、資本の更なる集中や、オールド・メディアの衰退とインターネットの普及、広告形態の変化、冷戦の終了と認知戦の発達、検閲や言論弾圧の強化と云う形で、全般に於てMCが書かれた冷戦時代よりも悪化していることが論証されている。これは西側メディアの現状に危機感を抱いている多くの人の実感とも合致している。
全体的によく書かれてはいるが、幾つか限界を感じる箇所も有る。5)の「反共主義」については「反ロシア主義」に形を変えて復活・強化されたと論じられているが、これは「敵/味方の二分法」フィルターの方が適当だろうと思う。相手はロシアでなくても、状況に応じて中国、DPRK、イラン、どの国でも良いからだ。最近では「反ワクチン」や「陰謀論者」と云うヴァリエーションも増えたが、要するに敵味方に言論を二分して異論を封殺することが目的だ。これはフェイクニュースの強化と共に、非常に重大な影響力を現代社会に及ぼしている(本書で取り上げているのは例えばロシアゲートやシリア「内戦」等だ)。
4)の「集中砲火」については、ジュリアン・アサンジやエドワード・スノーデンに対する弾圧等もこれに含めている様だが、最近ではウクライナ内務省が支援する殺人リスト「ミロトヴォレッツ」に載せられたロシアのジャーナリストのダリア・ドゥギナ氏が爆殺されたり、ウクライナ紛争について真実を伝えているジャーナリストや、西側の公式の物語に反対する著名人等も見境無くこのリストに載せられると云う展開も見られる上、2022年にロシアの特別軍軍事作戦が開始されてからは、ロシアに対する前例の無い規模の経済制裁や、ロシア・メディアの一斉禁止や検閲の強化も行われているので、もう少し敷衍する必要が有るのではないかと思う。
また3)の偏った情報源についても、シリア侵略に於けるホワイト・ヘルメットの役割について分析してはいるが、これだとメディアが偏った情報源に依存してる状況は説明出来ても、メディア自身が積極的にフェイクニュースの創作に加担しているケースは説明出来ない。例えば世界各地のカラー革命に於て、メディアの特派員がCIAやMI6等の工作員と連携して、組織的に事件を捏造したり、情報を歪めている事例が度々目撃されている。これなどは、メディアの一部が状況に応じて諜報部と一体化していると考えなければ説明出来ない。この点ももう少し掘り下げるする必要が有るだろう。
本書ではこの他にも、階層の他に人種やジェンダーも重要なフィルターとして機能していること、ハリウッドに対して軍やCIAが多大な影響力を揮っており、正確に測定することは不可能だが軍や諜報部に対する人々のイメージを形成する上で恐らく重要な役割を果たしていること、5つのフィルターはインドやケニアの様な非西洋諸国にも応用可能なこと、等が論じられている。
興味深いのは、多くの御用記者を輩出しているコロンビア大学のジャーナリズム学院で学び、フィナンシャル・タイムズで4年間務めた、謂わばインサイダーの証言。御用記者達が如何に狭い視野でしか物事を見ず、権威を疑わず、新自由主義を盲信していて、疑問を持つと云う発想そのものが欠落しているかを暴き出している。「有能なジャーナリスト」になって出世したいなら、自己検閲していることに気が付かなくなるまで自己検閲を内面化して、完全に疑問を持たないことが肝心だ。これは皮肉でも何でもなく、例えば日本の東京新聞の望月衣塑子記者の扱いを見れば、それが事実であることは容易に確かめられるだろう。望月氏は決してラディカルな批判をする人ではなく、全体的には体制寄りの人物だと私は思うのだが、ほんの少し、政府のみっともない醜行について何度か極く当たり前の疑問を呈しただけで、記者クラブの御用記者仲間達から「そんな質問をするなんてとんでもない!」と集中砲火を浴びる羽目になった。まぁそれだけ政府やメディアの度量が狭くなっている(そして自信を喪失している)と云うことなのだろうが、「定められた範囲内でしか批判をしない、疑問を持たない」と云うことは、御用記者にとって必須の条件なのだ。西側のどの国に於てもこの事情は大体共通しているだろうと思う。
フェイクニュースが当たり前の日常になり、そして適切な情報収集を行っている者にとってはその嘘を見破ることもより容易になって来た時代に於て浮き彫りになったのは、この西側/西洋文明なるものが、実際には如何に嘘によってコントロールされ、分断されているかと云うことだ。顕著な例は他ならぬMCの著者の一人、チョムスキー氏の最近の体たらくだ。彼は気候変動問題が人類にとって最大の問題であると主張して有害極まり無い気候変動「対策」を行わない米共和党を人類最大の脅威と呼び、危険極まり無いCOVID-19ワクチンを打たない者に対して科学的には全く無意味な隔離措置を講じることに賛成し、ウクライナ紛争について大量のフェイクニュースを垂れ流している西側報道を「概ね信頼出来る」と発言している。つまり彼は彼自身が批判して来た体制派知識人として振る舞う例が近頃目立って来た。「あれ、チョムスキーってこんな人だっけ?」「チョムスキーは一体どうしてしまったんだ?」と呆れ返った人々から度々批判が行われてはいるが、これについてもチョムスキー氏を支持する人もそれなりに多く、「左派」を自認していた陣営が割れている。
私自身、特に2020年以降強く感じる様になって来たのは、疑問を持つ認知的限界は人によって大きく異なると云うことだ。日本だと国内報道の嘘は見抜けるのに国際報道の嘘にはあっさり引っ掛かったりする人が多いし、米国だと共和党の嘘は見抜けるのに民主党の嘘は全く見えていないか軽視する人が多い。そして政治的な嘘は見抜けるのに科学的な嘘(似非科学)は全く疑うことが出来ない人がやたらと居るし、グローバルな嘘は見抜けても反共プロパガンダは全く疑おうとしない人も居る。「これ以上のことは疑えない」と云う人々の認知的限界は、人によってジャンルや範囲が非常にまちまちなのだ。私なんかは政治だろうと科学だろうと、どれも所詮人間の営みであることに変わりは無いのだから、全方位的に健全な懐疑精神を発揮して、個々の事例を事実に照らして判断すれば良いのではないかと思うが、「これは疑ってはいけない。これを疑うなど想像すら出来ない。これに異論を呈する様な情報は一切耳に入れてはいけない」と云うタブーが、結構あちこちに転がっている様なのだ。まぁ人間社会と云うものは社会を支えている様々なものに対する根本的な信頼によって成り立っていて、何でもかんでも疑っていたらまともに生活など出来ないので、これには無理からぬところも有るのだが、状況に応じて「当たり前」や「常識」を信じることを止め、現象学風に言えばエポケー(判断停止)によって目の前の現象を一旦カッコに入れて、ありのままの事実をひとつひとつ確認して行く作業を遂行する能力———この場合はざっくりメディア・リテラシーや情報リテラシーと呼んでも良いが、これを育てなければ、現代社会は理解出来ない。
本書でも指摘している様に、インターネットの普及によって、メディアの嘘を見抜くことは昔と比べて飛躍的に容易になった。だがそれは何を疑うべきか、どんな情報を確かめるべきか、事前に知っていて目的意識を持ってネットを使いこなしている少数派に限られるのであって、圧倒的大多数の人々は、最早完全に大政翼賛化した大企業メディアの情報を頼りに現実を理解しようとしている。この状況に気が付いた人々がすべきことは、何とかして人々のメディア・リテラシーを底上げしてこの少数派の数を少しでも増やし、メディアの大本営報道に対抗し得る草の根のプラットフォームを構築して行くことだろう。だが世紀の変わり目には既に資本の集約が末期的様相を呈していたことに加えて、9.11、COVID-19、そしてウクライナ紛争を通じて、西側の検閲体制はどんどん厳しくなる一方だ(但し自分で動いたことの無い人々は、檻が狭まっていることにすらまだ気が付いていない)。西洋のこのデモクラシーならぬデマクラシー体制は、最早内部から浄化することは不可能に近いのではないかとの思いを、私は度々抱いている。まぁ、こうやって今自分に出来ることをこつこつやるしか無いのだが。
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