(前回からの続き) さて、その後どうなったか。 受験老人は、当面、医学部受験は断念した。 また、司法試験の勉強も、この4年間、やっていない。 「受験老人日記」とは言えなくなってしまった。 表向きの?理由としては、「忙しくなったから」、ということ。 ・本業:再雇用で働いているものの、かなりのノルマがある。就業時間は従事が必要。 ・兼業:受験老人の専門分野でブログを書いている。夜間や週末はそれにとら…
(前回の続き) Mさんは言った。 Mさんが医学部に入り、何年か経ってからのこと。 Mさんの上の学年の人から、聞かれた。 「今年入った高齢入学者は、もしかして、あなたの知り合いではないか?」 Mさんはその言葉に違和感を感じた。 もし知り合いだとすると、役所の時の知り合いだと思うが、 自分のように馬鹿げたことをする者など、役所にいるはずがない。 狐につままれたような気持ちで、その入学者を見に行った。…
(前回の続き) さて、受験老人は、東北の大学で講義を行った後、最北の県まで列車を乗り継いで行った。 季節は晩秋で、夜ということもあり、一段と寒さは増していた。 そこでは、そこで働いている知り合いと会って飲むことになっていた。 お互い、いったん退職した身分ではあるものの、知り合いは結構な役職についており、 ひいきの店ということで歓待してもらった。 白子の鍋が、えも言えず絶品だった。 女主人によると…
(前回の続き) 受験老人は、ある分野で専門的な知識を持っており、 このため前回書いたように、兼業でブログを書くようになったのだが、 それ以外に、これまで、いろいろな所から頼まれ、講演や講義を行ってきた。 母が亡くなって1年近く経った時のこと。今から2年前、晩秋のことである。 受験老人は東北地方のある大学から招待され、学生たちに講義を行った。 受験老人はその後、北の方に足を延ばし、Mさんに会いに行…
(前回の続き) さて、母の死後、受験老人はやる気を失った。 積極的に何かをやろうという気がしなくなってしまった。 考えるに、母は、受験老人が小さいころから、いかなる時も、受験老人を応援してくれた。 そして、受験老人に良いことがあったら、母は大いに喜んでくれた。 受験老人は、その母の期待に応えるために、頑張っていた部分が多分にあった。 まあ、結婚後は、妻が母に代わる存在になったが、妻に対しては責任…
(前回の続き) 受験老人の母については、5年ほど前、認知症、正確にはレピー小体型の認知症になった。 その頃は父が主体で介護していたが、なんせ父も90を大きく超えた年齢である。 母が夜中にわめき、徘徊し、排泄物も垂れ流すようになると、家での介護は無理になった。 このため母は介護施設に入り、そこで世話をしてもらうことになった。 受験老人は実家への帰省の都度、父を連れて母を見舞った。 母はまだ受験老人…
(前回の続き) 医学部3回不合格(うち2回は試験成績だけなら合格ラインを超えていた?)を踏まえ、 受験老人は考えた。 とにかく、こうしているうちにどんどん年を取る。あまりよい点も出せなくなる。 またチャレンジしても3次面接に回されると、それだけで大きく減点される。 受かっても大学病院での研修医の受け入れは60歳までだ。 それならば、医学部を受験しても意味がない。 まあ、大幅に最低点を超えていさえ…
(前回の続き) さて、経緯が長くなってしまった。 1回1回の読み切りとして面白い記事を期待して読まれている方は不満かもしれないが、 今は受験老人は、自分の頭を整理するためにこの経緯を書いている。 いわば、自分のための「受験老人日記」である。 それが第一の目的になるのは当然だと思う。他の方のブログはどうか分からないが。 とにかく、アクセス数を稼ぐためにこのブログをやっているわけではなく、 自分の記…
(前回の続き) こうして、受験老人の医学部受験は終わった。 今回は、筆記試験ではほとんど準備はしていなかったとはいえ、 過去2回よりも、まずまず力は出せたと思った。 そして、面接を3回も受け、最後は学長と直接話をすることもできた。 学長も、受験老人の思いはある程度、受け止めてくれたと思う。 その意味で、思い残すことは、何もなかった。 両親の介護があり、受験老人は たとえ受かっても通えないという思…
(前回の続き) 「医師にはできるが、AIにできないことがあるか」という命題に対し、 その女性教官が言及したこと、 それは・・・・「終末医療」だった。 受験老人は、心の中で唸った。 確かにそうだ。 いくらAIが発達し、技術的にどんな名医も上回ろうとも、 もう、死にゆく患者に対しては、生身の人間ほど、心の安心を与えることはできない。 ・・・これは後で考えたことだが、やはり、AIには難しい医療の領域が…
(前回の続き) 受験老人が、卒業後、医師としてどのようにやっていくかについて、話したこと それは、「オンライン診療、医療機関の連携、AI診断、治療ロボットの活用」だった。 それらを用いることで、どんなへっぽこ医者でも、一定レベルの医療を患者に与えられる。 しかも、患者を待たさずに・・・・そういう理屈を展開したのだった。 この大学のある県は、県の半分は大都市圏にも近く、病院もたくさんあるが、 残り…
最終面接を行う部屋には、学長と、もう一人、女性の教官がいた。 このような1受験生の面接に、わざわざ学長が立ち会うというのは一般的か? しかし、大学側がそのような姿勢を見せてくれ、ありがたいと思った。 受験老人は、思っていることを大学にぶつけられる、よいチャンスと受け取った。 もう4年も経っているので、細かいことは忘れた。思い出す範囲で。 別の時の面接とごっちゃになっているものもあるかも。 これま…
長い間、「よい医者、悪い医者」の話を書いていたため、 読者の皆さんはすっかり忘れてしまったのではないかと思う。 受験老人は、今から4年前、ある国立大学の医学部を受験していた。 ざっと経緯を振り返ると、 最初の年、合格者の最低点を5点超えていたものの、不合格。 次の年、全然出来が悪く、合格者最低点を7点下回って、不合格。 そして3年目だった。 ほとんど勉強はせず、しかも初めての共通テストで失敗して…
(前回の続き) このように治してもらえて、院長には感謝しかなかった。 本当に、日本一の医者だ。 院長は言った。 「手術してよかっただろう。 あんたの目を別のところから穴を開けて網膜を剥がし、もう一回貼りなおした。 熱海の医者はどう言ったか知らんが、 普通に剥がして重い液体を入れただけじゃ、網膜はびくとも動かん。 私の場合は、たまたま、ドイツで最近手に入れた特製の鉗子があったので、 それであんたの…
(前回の続き) 眼帯を取ると、目の前に、どよんとした世界が広がった。 「見える・・・・」 その時の感動は、何事にも代えがたかった。 受験老人の一生のうちで、一番うれしかった瞬間は、何だったろうか。 試験で一番を取ったり、 発表がうまくいったり、 大学に合格したり、 といった瞬間は、もちろん嬉しかった。 しかし、今回の喜びは、それ以上だった。 なぜなら、その瞬間、受験老人の目には涙が流れたからであ…
(前回の続き) 「先生、網膜の皺が伸びてきています。」 受験老人は、その言葉の意味を探った。 その女性(後で、若い眼科医だと分かった)の声は、明らかに高揚していた。 「そうそう、あまり急に引っ張ったら破れる。つまんでいると、自然に伸びてくる。」 院長が応える。 「あっあっ、先生、どんどん伸びています。」 「おうおう、伸びた伸びた。」 受験老人は、やっとその意味を理解した。 おそらく、院長は、受験…
(前回の続き) 手術当日。決戦の日だ。 といっても、戦うのは受験老人ではない。手術をするのはあくまで医者だ。 お昼近く、最後の診察を済ませた。 手術は毎日、夕方から始まるとのこと。受験老人はそのうちの1人にすぎない。 この時の診察のことはあまり覚えていないが、院長は、やはり持論を繰り返していた。 「大学病院は研修病院。だから失敗する。でも責任は取らない。」 「全国から目がつぶれそうになった患者が…
(前回の続き) 受験老人は憔悴しきった。 最後通牒を突き付けられたに等しかった。「失明宣告」。 受験老人は、清算するため、受付前で暗い気持ちで待っていた。 その時、看護師が、慌てたように、受験老人のところに息せき切ってやってきた。 「院長がお話があるそうですっ。」 看護師は受験老人を院長室にいざなった。 院長は、受験老人の入ってきたことにまるで気づいていないように、 何やら目を閉じて考え事をして…
(前回の続き) 横浜の病院は、個人の眼科医院だったが、結構大きかった。 朝一番で病院に行ったが、待合室は人であふれかえっていた。 100人以上いた。 椅子に座れず、立っている者もいた。 受験老人が手術を受けた大学病院の方がシステマティックで、清潔な感じがした。 しかし、この病院の検査は念入りだった。 朝から初めて、どれだけ検査しただろうか。 こんなにいろいろな検査があることを初めて知った。 そし…
(前回の続き) 「あなたは、左目だけでなく、右目も問題が起きています。」 上は目の断面である。 網膜上にあるへこみの部分を黄斑といい、そこに視細胞が集中している。 なので、黄斑が損なわれると視力ががくっと落ちる。きわめて大切な部分である。 医師は言った。 「あなたの場合、この黄斑の部分にそれを覆うように膜がかかっているのです。 そして、その膜が網膜を引っ張って、ひきつったようになり、黄斑が歪んで…