よい医者、悪い医者(19)
(前回の続き)
手術当日。決戦の日だ。
といっても、戦うのは受験老人ではない。手術をするのはあくまで医者だ。
お昼近く、最後の診察を済ませた。
手術は毎日、夕方から始まるとのこと。受験老人はそのうちの1人にすぎない。
この時の診察のことはあまり覚えていないが、院長は、やはり持論を繰り返していた。
「大学病院は研修病院。だから失敗する。でも責任は取らない。」
「全国から目がつぶれそうになった患者が次々にこの病院に来ては来ては、治している。」
「自分の病院は日本より30年くらい進んでいる。」
「米国なら自分の手術は1回1千万円もする。日本は保険がきくから10数万円ですむ。」
大した自信である。
できることならそれが実力に裏打ちされてもらいたいと思ったが、信じるしかなかった。
この人は、これだけ口が悪いと、敵も多いんだろうなと思った。
「今日は、あんた以外に、目のつぶれそうな患者が3人もいる。
でもあんたのは一番重い。手術は最後になるぞ。」
・・・ああ、やっぱりそんなにひどいのか。
それにしても、そんな患者ばかりとは・・・・
そんなに一日にたくさん手術をやって、大丈夫か?
その病院の硝子体手術の件数は、たしか1万件を超えている。
1人で一日に数十件の手術をこなしている計算だ。
前に大学病院で受けた手術は、1時間半ほどもかかった。
周りを大勢の若い医師が取り巻き、大げさな手術だったが、結局失敗した。
この医者はどうなのだろう。これだけの手術件数を達成するには、相当なスピードがいる。
相当荒っぽいことをしているのではないか・・・・。
しかし、決して簡単ではない手術をしているのは事実である。
夕方になり、手術を受ける患者は集められた。
驚くほど大勢いる。この人たちは皆、硝子体手術を受けるのだろうか。
待っている時間に、いろんなことを考えた。
うまく成功して、目が元通りになることを祈った。
しかし、実際には、そんなにうまくいくはずはなかった。
他の医師が皆、匙を投げた目である。
それに、網膜を固定するためレーザーでとめた跡は視野全体の6分の1くらいあり、
その欠けた部分は絶対に元通りにはならない。
集められた患者は次々に別室に呼ばれ、だんだんいなくなっていった。
ベルトコンベヤーに乗せられたように、手術のための措置が取られていくようだ。
受験老人は最後まで残った。結局、呼ばれたのは既に夜9時を過ぎていたと思う。
こんなに手術件数をこなして、体力は大丈夫なのか。
受験老人よりさらに年上の院長のことが心配になった。
次の部屋で注射などを打たれたりした。
そして、いろんな処置をされている間に、いつしか受験老人は眠りに落ちていた。
・・・・ほどなくして、目覚めた。
どうなっているんだ。
どうやら、受験老人は手術台に乗っているらしかった。
なぜ今、目が覚めたのかわからなかった。
受験老人の手術は続いているようだ。
院長の声と、もう一人、女性の声が聞こえる。
「この患者の網膜は、もうボロボロだな。ひどいな。」
「ああ、ほんとですね。」
「まあかわいそうなもんだ。これまた失敗の例だな。
おそらくこの目じゃあ、相当歪みまくって患者も参るだろうな。」
「いいかい、こうやって網膜を引っ張るんだ。」
・・・・
なぜ手術の途中で目が覚めたか分からなかったが、手術が相当長引いているからかも。
「この患者、いびきがうるさくって、振動してかなわんな。網膜が破れちゃうぞ。」
相変わらず口が悪い。
確かに受験老人はいびきがひどく、家族にも嫌がられる。
ということは、今覚めてよかったのかもしれない。いびきをかかないようにした。
院長が今、受験老人の目にどんなことをしているのか分からなかった。
だがおそらく、積み重なった網膜をもう一度剝がそうとしているのではないか。
しかしどうやって・・・・
その時である、
「あっ」という女性の声がしたのは。
(次回に続く)
(12月4日)
なし
(12月5日)
・腕立て 37回
・腹筋 56回
・水中歩行
一昨日は忙しくて何もできなかった。おかげで腕立て伏せは足踏み状態。
しかし本来、毎日1回ずつ増やしていくのは安易すぎたかもしれない。
3日間で1回増やすくらいでちょうどいい。
もう少し限界に近付いたらそうしよう。
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